『青年は荒野をめざして…』 

好きな曲だけを集めて作ったMDを10年程前のある日、 職場で昼食のときにかけたらみんなシーンとなってしまった。 別れとか旅立ちに関する曲が多かったせいだろうか。 それから半年後にその職場を去ることになるとは、 そのときの私は夢にも思わなかったのだが。 この、 MDの曲目は以下の通りである。 ①時代、 ②贈る言葉、 ③雲よ風よ空よ、 ④青年は荒野をめざす、 ⑤若者たち、 ⑥翼をください、 ⑦遠い世界に、 ⑧思い出の赤いヤッケ、 ⑨神田川、 ⑩精霊流し、 ⑪悲しくてやりきれない、 ⑫昴、 ⑬君といつまでも、 ⑭いちご白書をもう一度、 ⑮名残雪、 ⑯花嫁…
悲しみと希望が交錯する青春、 別れ、 旅立ち…こういう曲を好んで聞いていた私がそれまでの場所から去り、 47 歳にして新しい人生へと踏み出していった。 青年ではなく中年の私が荒野をめざす、 定年を待たず荒野へと旅立った。
この夏休み、 ケネス・リーチという人の書いた 『牧者の務めとスピリチュアリティ』 (聖公会出版) という本を読んだ。 この本を読もうと思ったきっかけは 『神学院だより第50号』 に我が中部教区の神学生金善姫さんが書いていた報告である。 『第13回短期集中講座』 ~スピリチュアリティのこれまで・いま・これから~と題された文章を読みはじめてすぐにおや?と思った。 「最も印象に残ったのは、 牧会者がその多忙さの中でどのように霊的生活を維持するかという質問に対して…」 ケネス・リーチの答えである。 「愛、 祈り等のあたたかい領域を養わないと、 相手に大きな傷を与えることになる」 「相手を傷つけないために牧会者自身が休息を取る必要がある」。 この人の本をさっそくネットで注文したところ、 私の夏休みに間に合ったのであった。 猛暑の中で読み始めたところ私の心も熱くなってきた。 やたらと感情移入しながらの読書で本の中は鉛筆の線だらけになってしまった。 例えば 「神が貧しい者の側に立っているという事実は世間と妥協した教会から真っ先に追放された事実の一つである。」 「今日流行っている霊性は、 受肉した御言葉における、 また、 それを通した私たちの生命の変容よりも、 むしろ慰めと安心と内面の平安を提供する事に大きな関心を抱いているように思われる」。 私にとって印象的だったのは次の箇所である。 黙想的祈りに関して、 「荒野」 「暗黒の夜」 という二つのシンボルがキリスト教の伝統において繰り返し現れる。 この二つの象徴が示している行路は人に根源的な浄化と暗黒の出会いを求めているとリーチは述べている。 かつてイスラエル民族が、 旧約時代の預言者たちが、 そしてイエスが、 4世紀エジプトやシリアの修道士たちが荒野において、 葛藤し自分を浄化し神と出会ったのである。 そして暗黒の夜の中で人は神を叫び求める。 暗黒の体験をとおして私たちは自己崩壊の危機に瀕し、 はっきりと見えるようになる。 激しく愛するようになる。 真の自己統合へと向かう。 『「荒野」、 つまり、 自身の根源的で独自の孤独を見つけることが必要である。 そうすることによって、 私たちは他者の中にある 「荒野」 に出会うようになる。』
今日は倒れても再び起きあがり歩き出す。 荒野へと向かう。 自分自身の中の沈黙と孤独、 葛藤と苦しみにおいて神が語りかけてくださる。 東の空から希望の太陽が昇り、 再びまちへ、 人々の中へ帰っていく。 聖霊に突き動かされて…

司祭 イサク 伊藤 幸雄
(一宮聖光教会牧師)

『彼らは戦いに備える』 

「わたしが平和を求めて語るとき∥ 彼らは戦いに備える」 (祈祷書 詩編第120編7節)
今年も8月がめぐってきました。 8月には広島、 長崎への原子爆弾投下や日本敗戦のことがあり、 より具体的に平和について考え、 祈らざるを得ません。
第二次世界大戦後、 1948年の国連総会で採択された 「世界人権宣言」 では、 「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、 世界における自由、 正義及び平和の基礎である」 と述べられています。 一人ひとりの人間を尊重せずに、 少数者や弱者を否定し、 偏見を押しつけ憎悪の対象とすることで、 様々な問題の解決を図ったことが戦争の一因であるとの反省からです。
昨年12月15日に教育基本法が参院本会議において、 与党の賛成多数で可決・成立しました。 この 「改正」 は、 開かれた議論が全くといってよいほどなく、 憂慮せざるを得ません。 そして、 この教育基本法の 「改正」 は、 国が国民に、 国家権力にとって都合の良い 「あるべき国民の姿」 を押し付けようとしていることの現れでもあります。 誰もがありのままに生きていくことを保障するのが、 国の責任で、 世界人権宣言で謳われているように、 それが正義と平和への道筋です。
しかし時代の流れは、 憲法 「改正」 が声高に叫ばれ、 平和への道ではなく、 戦争へと行く先を変えられようとしているのではないでしょうか。
安倍晋三首相は著書 「美しい国へ」 の中でこんな風に言っています。
「同棲、 離婚家庭、 再婚家庭、 シングルマザー、 同性愛のカップル、 そして犬と暮らす人…どれも家族だ、 と教科書は教える。 そこでは、 父と母がいて子どもがいる、 ごくふつうの家族は、 いろいろあるパターンのなかのひとつにすぎないのだ。 たしかに家族にはさまざまなかたちがあるのが現実だし、 あっていい。 しかし、 子どもたちにしっかりした家族のモデルを示すのは、 教育の使命ではないだろうか。」 (「美しい国へ」p.216―217)
「美しい国へ」 を読むと、 安倍首相が目指す 「美しい国」 への道は、 正義と平和への道である人間の多様性を認めることと、 対極にあるということが分かります。 「男は男らしく」 「女は女らしく」 という考え方は、 男女共学さえも否定し、 「典型的な家族のモデル」 こそが 「あるべき国民の姿」 であることを強調します。
男は妻と子どもを守るため、 「男らしく」 戦う美しい国。 多様性が認められる社会とは対極のこの考え方の下では、 「男は男らしく」 「女は女らしく」 なければいけません。 このような社会の中で、 「男らしく」 なければならない男たちは、 日常生活でも 「男らしさ」 を短絡的に力、 支配、 威圧、 攻撃、 権力と重ね合わせ、 その矛先を身近な女性へと向けてしまう不幸な状況は、 今ますます拡がっています。
教会の福音宣教の目的は、 誰もが神さまからいただいた命を光り輝かせて生きる世界の実現を目指すことです。 その神さまの業に参与してゆくことです。 一人ひとりの生き方や家族のあり方に国が口出しする現状は、 戦争への道へと続いていることを忘れずに、 正義と平和を否定する力に抗いながら、 福音を宣べ伝える働きに参与することを、 この8月に改めて心したいと思います。

司祭 アンブロージア 後藤 香織
(名古屋聖ヨハネ教会管理牧師 )

『「だから、 やめよう」 と言わず「だけど、 やってみよう」』 

皆さんはきっと、 「求道者が与えられて欲しい」 「若者、 子どもたちが加わって活気溢れて欲しい」 等という言葉を言ったり聞いたりしたことがあるでしょう。
もちろん、 信仰を通して夢を語り、 幻を見ることはすごく大事なことですが、 若者がほとんどいない状況で、 何の動きもせず、 ただ、 若者が入ってくることを待つだけでは限界があると思います。 本当に若者、 子どもに加わって欲しいなら、 彼らを迎え入れる準備が必要であるのは当然のことです。 彼らをただ礼拝、 またはプログラムに誘うのではなく、 彼らが関与して作り上げる集会でなければならないと思います。 つまり、 彼らの意見・考えが受け入れてもらえる雰囲気が必要であり、 そのためには、 どういう意見でも遠慮なく、 互いに話し合うことの出来る、 気軽に入れる輪作りが大切だと思います。
私は教会の中に、 新しい信徒 (求道者含) を担当する奉仕の役割があったら良いとずっと思っていました。 それは礼拝の案内をするだけではなく、 興味を引く魅力ある何か (温かい心・証を交えて) を一緒に分かち合える、 救いについての話 (ある意味、 教理) を柔らかく紹介する役割を言います。 これは、 信徒教育システムのことです。
このような話を聞くとすぐ、 「そういうのを我々にさせても、 それは無理だ」 とか 「信徒が、 教えることまですると教役者は何するんだ」 等の反論が出るかも知れません。 しかし、 これは今日の教会のトレンドである 「小グループ運動」 に当たるものです。 小グループの勉強会を通して、 信徒同士が励まし、 慰め、 祈り、 分かち合うことによって、 関係を密にし、 教会のリーダーを育てるという大きな意味を持ちます。
それのためには、 教会内で 「教理教育クラス」 が随時運営されることが必要です。 できれば毎日のように、 毎週のように勉強会があって、 最初は信徒さんが気軽に参加し、 その教育を繰り返して受けているうちに自然に自信を持って福音を語ることができるようになります。 適切な段階に入ったら、 リーダークラスを別に結成し訓練を深めることによって、 準備は整えられます。
その後、 例えば全体10回日程の教育なら、 その中の科目の講義を一人一つずつお願いします。 信徒数が少ない教会では大変な企画になる可能性はありますが、 できるだけ多くの方が参加できるように、 牧師を含め教会委員の積極的なお勧め・お誘いが必要です。
10人の信徒が、 それぞれ自信がある科目を通して新しい人と交わり (勉強より、 人が大切) を持ったとしたら、 その新しい人が洗礼・堅信を受ける頃には、 もう既にその10人のリーダーと新しい信徒の間では人格的な良い関係ができているので、 一石二鳥以上の効果があると私は確信します。 しかし、 皆さんのご心配の分、 確かに相当の努力が必要となるでしょう。
イエス様が十字架に掛けられる前に、 「だから、 やめよう」 となされたとしたら、 私たちの大切な救いへの約束も希望・夢なども何の意味もないこととなってしまうでしょう。
十字架に掛けられる前のイエス様の知られてなかった言葉はきっと、 「だけど、 やってみよう」 ではなかっただろうかと思います。
司祭 イグナシオ 丁胤植
(新潟聖パウロ教会牧師)

『祈りをもって』

今年の初め、 NHKで 「男はつらいよ」 全48作放送のCMがあった。 その中で 『それを言っちゃーおしまいよ』 と言うおなじみのフレーズがあった。
職場や公の場に限らず、 家族や夫婦の間でも 『それを言ってしまったら元も子もない』 ということがある。
人はみな感情を持って生きているが、 その感情にすべてを任せてはいない。 理性や知恵、 あるいは責任などをもってどうにかコントロールしている (つもりでいる)。 この4月から 「旧軽井沢ホテル音羽ノ森、 旧軽井沢礼拝堂」 でチャプレンとして結婚式をおこなっている。 それまで同じ長野県にある新生病院のチャプレンであったので、 よく 『これまでと違って大変ですねー』 と言われるが、 自分の中ではそうでもない。
確かにこれまでと勝手も違うが、 結婚式を教会で望むカップルのまじめな態度にはこちらのほうが毎回、 彼らからその謙虚さを教えてもらっている。
ホテルの従業員の態度も自分たちのホテルやその仕事に誇りと愛着を持っている仕事振りをみていると、 教会が一般社会の人々と作る接点の、 その一つを自分はどれだけ 「キリストに仕える熱心」 を持ってやってきただろうかと反省させられる。
この時勢だから病院もホテルも生き残りの時代の中で、 目の前にいる人々への対応や配慮への姿勢は、 どのような場であっても大切なことだろう。 そう言えば新潟のあるホテルマンが 「私たちがおこなっている 『サービス』 ってお祈りのことですよね」 と言われたことがあった。
祈ることがキリストに仕えることであるはずなのに、 私たちは神様への手段や方法のように思ってしまっていないだろうか。
確かに神様に向けて私たちは祈るのであるが、 仕える心を持って祈っているだろうか。 あるいはその祈りがいつも自分と神様だけの間のものになってしまっていないだろうか。 結婚式の中で、 二人のために祈る場面では必ず参列者に向かって、 お祈りにある 「アーメン」 を一緒に唱えてもらうようにその意味を伝えてお願いしている。
それはその祈りが私一人や結婚した二人だけがおこなうものではないからである。
そこでみんなで共に祈るということは、 人と人をつなぐことである。 その場にいる人々が共に祈るということはその人々が神と共につながり、 お互いも共につながっているということであって、 人々が祈ることを通して喜びも悲しみも共有し、 神に生かされていることを覚えることなのである。 それによって再び、 それぞれの場に帰ることができるのである。 そしてキリストに仕えるように、 神に仕えるように祈りをもって互いに仕え合うのである。 目に見ることのできない神へ祈ることはしんどく、 むつかしい時もある。 しかし 『それを言っちゃーおしまい』 なのである。 私たちはいつも、 祈る私たちの傍らに共に祈る主の姿があることを願いながら祈るのである。 結婚式の参列者の中に主の姿をいつも求めていきたいと願っている。

司祭 マタイ 箭野 直路
(旧軽井沢ホテル音羽ノ森・旧軽井沢礼拝堂チャプレン、 軽井沢ショー記念礼拝堂協働師)

『聖霊の風になって』

ちょうど2年前の4月9日に長男を亡くした直後、 長野県に住んでおられる敬愛する婦人信徒の方から、 弔文に添えて、 新井満の【千の風になって】の写真詩集とCDが送られてきました。 最近ではテノール歌手秋川雅史が歌うこの歌がブレイクしているようですが……。
「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています 秋には光になって
畑にふりそそぐ 冬はダイヤ
のように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって
あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています」 (原詩/作者不明日本語詩 新井満/講談社 『千の風になって』)
この詩を読み、 CDを聴いたとき、 ご復活され、 今も私たちのうちにおられ、 共に働いておられるイエスさまを、 より身近に感じることができました。 それと共にヨハネによる福音書20章11節以下の記事がふっと浮かび上がってきました。
イエスさまのご復活された週の初めの日の朝、 マグダラのマリアは墓の外に立って泣いていました。 墓の中には白い衣を着た二人の天使が座っていて 「婦人よ、 なぜ泣いているのか?」 と尋ねました。 マリアは答えます。 「主が取り去られ、 どこに置かれているか分かりません」 と。 こう言いながら後ろを振り向くとイエスさまが立っておられ、 それに気付かないマリアにイエスさまは 「婦人よ、 なぜ泣いているのか?だれを探しているのか?」 とお尋ねになりました。 それが園丁だと思ったマリアは、 亡き骸を引き取り、 葬りたいのでその場所を教えてほしいと頼みました。 イエスさまが 「マリア」 とお呼びになりました。 マリアは初めてイエスさまに気付き、 「ラボニ (先生)」 と答えたのです。 そしてイエスさまはマリアにご自分が父である神のもとへ上ると言われました。
墓にとらわれ、 墓の中にイエスさまを探そうとするマリアに、 イエスさまは 「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 私はよみがえったのです」 とお語りになられました。
その日の夕方、 イエスさまは弟子たちが集まっている家に復活のお姿を現わされ、 彼らに息を吹きかけて言われました。 「聖霊を受けなさい」 と。
聖霊は神の息、 息吹きです。 聖霊は風です。 ご復活されたイエスさまは聖霊の風になって、 私たちの中に、 私たちと共に、 いつも一緒にいてくださるのです。
「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 私はよみがえったのです 聖霊の風に、 聖霊の風になって あなたたちの中を 吹きわたっています。 そしてあなたたちといつも繋がっているのです」 と。
復活されたイエスさまが、 私たちにそのように呼びかけていらっしゃるのではないでしょうか。 ハレルヤ!

司祭 サムエル 大 西 修
(名古屋聖マタイ教会牧師)

『さあ、立て。ここから出かけよう。』 

『パッション』 という映画があります。 ご覧になった方も多いでしょう。 冒頭のシーンは、 ヨハネ福音書のイエスが逮捕される場面です。 『パッション』 については賛否両論あるようですが、 私がこの映画で気づかされたのは、 弟子たちの恐怖の表情でした。 シモン・ペトロが 「おまえもあの者の弟子の一人ではないか」 と詰問され、 そして 「違う」 と言う時のペトロの表情はまさに 「おびえ」 そのものでした。 その時、 ペトロは主が捕らえられる直前に自分たちに語ってくださった言葉を思い出したはずです。 「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、 あなたがたにすべてのことを教え、 わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。 わたしは、 平和をあなたがたに残し、 わたしの平和を与える。」 (ヨハ14・26~27)
そもそも、 「平和」 とはヘブライ語でシャーロームと言いますが、 その本来の意味は 「欠けることのない状態」 というものです。 すなわち、 『主の平和』 とは、 どんなに恐れや悲しみの極限にあったとしても、 決して主は欠けることがない、 必ず共にいてくださることを意味します。 そのことをイエスさまは身をもって示してくださった。 映画 『パッション』 で描かれたような言葉に絶するようなまさに 「パッション」、 痛みを受け、 死という暗闇の中に置かれても、 しかし、 真っ暗闇の中に光るろうそくのともし火のように、 パスカル・キャンドルのともし火のように、 主の光がよみがえる。 主イエスがその死と復活をもって示してくだったのが、 私たちに与えられた 『主の平和』 に他なりません。
イエスさまが弟子たちに 『主の平和』 の意味を告げられた時に、 最後に語られたのはこの言葉です。

「さあ、 立て。 ここから出かけよう。」 (ヨハ14・31)

私たち一人ひとりにも、 さまざまな暗闇の苦しみ、 悲しみがあります。 しかし、 どんな暗闇の中にあっても、 どれほどの痛みや苦しみの中にあっても、 主は必ず、 私たちと共にいてくださる。 主の平和が与えられる。 だから、 私たちは、 心を騒がせることはない。 おびえる必要はない。 「さあ、 立て。 ここから出かけよう。」 このイエスさまの促しに、 私たちは応えて、 一歩を前に向かって、 希望に向かって、 光に向かって踏み出すことができる。
私たちは毎週、 聖餐式の中で、 「主の平和」 と挨拶を交わします。 それは朝の挨拶ではありません。 そうではなく、 手をつなぐ相手に、 「あなたと共に必ず主はおられます。 あなたは決して独りではない。 さあ、 立ってここから出かけましょう」 という励ましを互いに与え合う祈りに他なりません。 手を結ぶあなたと私の間に、 主はおられる。 言は肉となって私たちの間に宿られる。
そのような思いをもって、 私たちは主イエス・キリストが命じられたように、 互いに 『主の平和』 を交し合いたい、 と願うのです。

司祭 アシジのフランシス 西原 廉太
(立教大学教員・岡谷聖バルナバ教会管理牧師)

『世界のためにある教会』

この言葉は1960年代ころからことあるごとに言われてきた言葉です。 そのことが表している一つのことは、 世界全体が神の深い愛の対象であったということです。 神は神の子イエス・キリストを世界に遣わし、 人とし、 その地上の生涯、 十字架の死、 復活によって人間とすべてのものを救われました。 「神の子」 とは神とイエスの関わり方を、 有限である人間の言葉で最大限表現してみたものです。けれどもこれは「神」と「子」とは、まったく別であるような感じを与えます。しかし神と神の子とは一体です。イエスを表現するのに「神の子」と言う表現しか語りうる言葉がない。神の子の世界への登場とは実は神の大きな犠牲それも「世界」への大きな犠牲でした。つまり、イエスの生涯は、特に十字架の死は、神が別に関係ない人にそれを負わせ、なされた事柄ではなく、何と神がご自身を傷つけたことであり、痛みを負って、人間を始めとする全被造物を、すなわちこの世界を罪より救われたことなのです。イエスにその使命を与え、ご自身は離れて見ていたのではなく、神はご自分を傷つけてまで、私たち世界を愛されたのです。
教会は「キリストのからだ」であり、愛する世界に正義と平和が打ち立てられるまで、弱くされた人々のために働きます。このことの中にすべての人がいることは間違いがない。しかしそこには「弱い人々の優先」という考え方があることも長く言われてきたところです。世界が、実際は神の慈しみ深い「支配」(「神の国」の「国」を表す)の下にあるとするなら、また世界は広い意味で「教会」であるという洞察を受け入れるなら、現在の戦争、テロ、争い、人権侵害、いじめ、病気、貧困、ホームレス、環境破壊、政府の危ない政策その他否定的なことは、みな教会の中での出来事であることになり、私たちは黙視することはできません。私たち信徒に行動を促します。
教会は世界のためにあることのもう一つは、すべてが神によって「造られた」ことにあります。神は世界をその愛のゆえに、「良いもの」として創造されました。造られたものつまり被造物は造った方つまり神に賛美、感謝をつねにささげるようになっています。「主を賛美するために民は創造された」(詩編102:19)とあるとおりです。被造物が造物主なる神を賛美し感謝することは被造物の喜びの務めです。この世界全体は常に神に感謝をささげねばなりません。1世紀頃から「感謝」という名前の礼拝が教会によってささげられてきました。それはエウカリスティア(「感謝」の意。聖餐式のこと)と呼ばれました。つまり被造物の務めに気づいている教会は絶えずエウカリスティア、その他の感謝をささげてきたのです。教会は、「被造物の感謝」の務めに気づいていないこの世界のために、とりなしをし、世界を代表して、世界をその中に取り込んで、感謝をささげているのです。つまり、教会はこの世界のために存在するのです。教会のこの務めをすべての被造物が気づき、万物が「感謝」をささげる日を、神と教会とは待ち望んでいます。「み子が再び来られるまで」(日本聖公会祈祷書175ページ)。

主教 フランシス 森 紀旦

『御降誕の出来事』

御降誕の出来事を通し、神様のお働きが、人間の思いと想像を超えた所に及んでいるということを思わざるを得ません。
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」(マタ・2・1~2)
エルサレムから数十キロ離れた寒村での救い主誕生の知らせは、ダビデによって約束され、ソロモンによって建てられた神殿のある宗教的、政治的中心地であったエルサレムに最初に告げ知らされるべきでありました。しかし、エルサレムの人々には告げ知らされず、遠く離れた東方の地にいた学者達が、その誕生の知らせの星を見ました。ところで聖書では「東」は良い意味が与えられていません。例えば、アダムとエバそして、カインは、エデンの東に追放されました。「東」は、人生に躓き、神様から追いやられた寂しく暗い所でした。しかし、きらびやかな社会の中心である宮殿、神殿ではなく、社会の周辺、異邦の地である「東」でこの星を見たということの中に、御降誕の深い意味があると思います。
次いで、その誕生を知らせる星は、ヘロデの世に輝いていたと記されています。イエス様がお生まれになったのは、ヘロデ王の時代であり、当時、ユダヤはローマの属国であり、人々は、圧制に苦しみ、暗黒の時代でした。その時、この星は、博士達をエルサレムに導き、ヘロデの宮殿を通り過ぎ、小さな幼子の家に導きました。ここに、御降誕の星のもう一つの大切な意味があると思います。
真の権威は、強力な軍隊や兵器によって示されるのではなく、幼子によって、生まれたばかりの命そのもの、何も持たない幼子こそが、真の権威であることを星は告げていると思います。この世の頼みとする物を身につけることによって人生の意味、確かさを得ようとするのではなく、何も持たないで、命として、神様によって造られ、神様の前に生きること、そのことの意味を星は告げていると思います。
そして、その星を、ユダヤ人からは差別され、人間扱いされなかった異邦人である博士達が発見し、彼らはその星を見て出発しました。星を眺めていただけでは救いは確かなものとなりません。彼らは、星の招きに答えてその道程の幾多の困難に遭遇しながらも、主イエス様に巡り会いました。闘い、生き抜き、主イエス様の御旨であると信じて従う時、そこに真の救いがありました。
2006年のクリスマス、私たち自身の人生の身近な所で、さまざまな問題に直面しています。しかし、もう一度イエス様によって与えられた命そのものとして生きることを、主イエス様の御降誕とともに決意しようではありませんか。

司祭 テモテ 島田 公博
(飯山復活教会勤務)

『ウォーラー司祭のこと』

上田に赴任し、長野の管理も命ぜられたことにより、J・ウォーラー司祭のことをより身近に感じるようになりました。特に、昨年、長野聖救主教会から「ウォーラー司祭その生涯と家庭」という立派な本が出され、それを読ませていただいていたので余計そんな思いが強くしています。ウォーラー司祭に始まる長野聖救主教会の司牧者の末席にわたしも連ならせていただいたのかと思うと恐れ多い気がします。
ウォーラー司祭といえば長野というイメージがありましたが、あらためて前掲書を読んでみますと、実は長い間上田の牧師でもあったことがわかります。1908年(明治41年)から1931年(昭和6年)までの23年間、子息のW.ウォーラー司祭がその後を継がれるまで、最初は上田に住み、1915年からは長野に定住し、上田の牧師、長野の管理をされたのです。

先日、長野伝道区の合同礼拝が上田で行われましたが、その折、ある司祭が「ウォーラー先生はこの辺の教会を全部建てたのですね」と言われました。そう思って見てみますと、確かに、東北信の教会・施設はすべてウォーラー司祭によって建てられているのです。長野の聖堂はもちろん、飯山、小布施、稲荷山、上田のそれぞれの聖堂、そして新生療養所と、軒並みウォーラー司祭が直接関わっています。ウォーラー司祭は長野に来てからカナダに帰るまでの半世紀、長野県の、特に東北信の実質的な責任者でありましたので聖堂や施設建設がウォーラー司祭の責任の下で行われても不思議ではないのですが、それにしても、1898年に長野の聖堂を建ててから30年以上を経て、堰を切ったように建築を進めていることに驚かされます。

落成、聖別順に記しますと、新生療養所1932年9月9日、上田32年9月29日、飯山復活教会32年10月18日、稲荷山諸聖徒教会33年11月23日、新生礼拝堂34年6月25日となります。「中部教区センター」ひとつで悩んでいるのがいやになってしまうくらいです。ハミルトン主教はウォーラー司祭を「ビジネスと建築の才能を有する実務肌の人であった」(前掲書)と追想していますが、確かにその通りだったのでしょう。

そして、それらの建築を終え1935年には現職を辞し自費宣教師となられました。ハミルトン主教もその年退職されました。時代もだんだんと宣教師には厳しい時代になってきていました。そんなことを見越しての、半世紀にわたるご自分の働きの仕上げという意味での教会建築だったのでしょうか。戦争のための無念の帰国後、1945年に死去され、カナダに眠っておられますが、その魂は生涯の半分以上を過ごし、愛する妻や息子の眠るこの日本にあるに違いありません。

司祭 パウロ 渋澤一郎
(上田聖ミカエル及諸天使教会牧師)

『人間回復』

心身が癒されるような早朝の空気の爽やかさ、澄み渡った青く高い空に、夏の疲れや記憶も薄れて行くようです。この夏は温暖化の影響が一層現れ、長雨、雷雨、豪雨の次は、連日のじりじりと焼かれるような日差しと暑さが際立ちました。被災された皆様にはまだまだ心労が絶えないことと思います。心よりお見舞い申し上げます。
季節が移ろうにつれ、爽やかで、すがすがしいと、食べものが美味しい。美味しいものを食べると幸せな気持ちになる。幸せな気持ちになると穏やかで優しく、なります。
人の気持ちといった心や身体の状態も気候に左右される、いやむしろ自然の一部なのだとあらためてつくづく思うのです。人がいかに気候に、精神的にも肉体的にも影響され易い弱い存在か、を著わしたものがあります。モーパッサンの短編『雨』(※題やあらすじに間違いがあるかも知れません。記憶だけのため、その際にはご容赦下さい)
希望と夢に満ち溢れた一人の青年宣教師の話であります。
南海の島にキリスト教宣教師がやってきた。人々は大らかで、陽気で、親切で、生きていることを心から楽しんでいるような生活を送っている。しかし、彼には倫理観が欠如し、神を知らしめ、救うべき人々としか見えなかった。自分の務めがこの島においてはいかに重要であるかを確信し、この島に来たこと、その導きに感謝し、毎朝、伝道の成功を祈り、今日も一人の女性に、彼女がしていることは姦淫の罪を犯していること、神の罰を受けなければならないことなど、無知な相手に根気強く語り聞かせ、神を知らしめることができたことを喜び、気力も一層充実し、満足感と自信に満ちていた。季節は雨期となり、連日雨が降り続き、外を出歩く人もいない。蒸し暑い日が続く。毎日降り続く雨は、次第に彼の気力を萎えさせていく。アルコールの力を借りて気持ちを奮い立たせようとするが、体力も衰え、憂鬱さも日増しにつのり、ついに自分がかつて断罪した女性と同じことをしてしまう。自信も誇りも失い、自らを裁き、ピストル自殺をして生涯を終えてしまう。外は相変わらず、今日も雨が降り続いている。
人間の歴史は知性や理性と粘り強い意志によって環境や状況を克服してきた歴史だと言えなくもないでしょう。しかしその歴史や、思い上がり思い違いの影には多くの悲劇、不幸、悲惨、貧困をも生み出した歴史でもあります。
人間の意志の強さと言っても、我々自身の利便性の追求であり、欲望追求の強さです。競争社会の中で傷ついた者、倒れた者、教育の選別化、差別化で落ちこぼれた者を生むのでなく、着たい食べたいという尽きない欲望から、分けあい、仕えあう生き方へと変える強さでありたいと思います。人が本来持っている思いやりと愛との回復、たとえ自然の中での存在は弱くとも、自然のリズムに逆らわず調和した生活に戻ろうとする意志の強さと選択によって、歪められた人間性を回復することが何よりも求められていると思えるのです。

司祭 エリエゼル 中尾志朗
(松本聖十字教会牧師)