「あなたの輝き、栄光と威光 驚くべき御業の数々を私は歌います。」詩篇145篇5節

 クリスマスから新年を迎えようとしています。1年があっという間だったということを感じます。生物学者の福岡伸一氏は、『動的平衡』という本の中で、メモリーを書き込むような記憶物質は人の体には存在しないと言います。しかし時間が過ぎた感覚は誰にもあります。同じ1年が、子どもの頃よりも大人になるとあっという間に年末だと感じないでしょうか。私たちの細胞分裂は、タンパク質の分解と合成のサイクルに左右されています。なので加齢とともに新陳代謝の速度が遅くなって、私たちの体内時計の「秒針」である新陳代謝が遅くなっている事に気付かないのです。「まだ1年の3分の2ぐらいしか経っていない」と感じるその時には、実際の1年が過ぎていて「あっという間の1年だ」と感じるのだそうです。時代の変化、身体の変化、さまざまな変化にウロウロするばかりです。パウロは「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と私たちに呼びかけます。私たちの1年、生涯を振り返ると、喜びよりも悲しいことの方が多いような気がするのではないでしょうか。そう思うのは、私たちの人生は自分の思い通りにならないからではないでしょうか。自分のいたらなさに加え、思いもよらない病や災害があるかも知れません。喜びがあっても、空しくさせるような現実に人の弱さやもろさを知ります。み子イエスはその中に来られたのです。主イエスの降誕のまわりには、神の訪れを喜びとして受けとめる人々がいます。心の底から自分を満たしてくれるのは神しかいないという渇望する人々です。ヨセフは無力感の中でインマヌエル(神は我々とともにおられる)という名を教えられました。占星術の学者たちは、遠く暗闇の中で行くべき道を求めました。自分自身の弱さを知れば知るほど、神は私たちのところに来てくださいます。み子イエスの降誕を喜べるのです。「主において常に喜ぶ」ことができるのは、絶望の深みの苦しさにありながら、その中で神の愛にゆだねる者が真の喜びにあるのです。クリスマス近くになると書店にはクリスマス向けの絵本が並びはじめます。私が、なかなか好きになれなかった絵本に「アンパンマン」がありました。どこか暗く、寂しげな絵だといつも感じていたからです。でもそれは、私の勝手な思い込みと偏見でした。アンパンマン誕生の経緯やキャラクターについての話をまとめた、『アンパンマン伝説』という本があります。作者のやなせたかしさんは、「アンパンマンをいつ、どうやって思いついたかはわからないくらい、迷い道を歩くような日陰暮らしの中で生まれたのだ」と言います。評論家の評判も悪く、出版社の編集者からも「あれはやなせさんの本質ではない。もう2度と書かないでほしい」とまで言われたそうです。ところが保育園や幼稚園の子どもたちの中からアンパンマン人気が出てきました。子どもたちがアンパンマンを生み出したのかも知れません。私たちが弱さの中にある時、そこは神の救いが与えられる時です。私たちが人生を迷って歩いていても、主イエスはともに歩いてくださるのです。主において喜ぶ事ができるのです。クリスマスの喜びを皆さんとともに、感謝をもって歌いたいと思います。


司祭 マタイ 箭野直路
(旧軽井沢ホテル音羽ノ森チャプレン・軽井沢ショー記念礼拝堂協働)

聞く耳のある者は聞きなさい

 軽井沢ショー記念礼拝堂は旧中山道の碓氷峠の手前にあります。静かなところのように思えるかもしれませんが、実はいろんな音が聞こえてきます。夜明け前に鳥の鳴き声で目を覚ますことがあります。感謝の気持ちでまどろんでいると、誰かが訪ねて来て戸を叩く音がして驚いて飛び起きました。壁の板を突くコゲラのようです。深夜にはどこかの隙間から入った正体不明の動物が天井裏を走り回る音がします。雨風のときは木の枝がトタン屋根に落ちる音。いろんな生き物たちの音に、新参者のニンゲンは驚いたり戸惑ったりしています。司祭館に住み始めて半年たった頃、隣のリゾートマンションの建設が本格的になり、その1年後には反対側の土地で保養所の建築が始まりました。礼拝堂と司祭館を挟むように両方で工事が行われ、その音にも驚いたり困ったり。考えてみれば自分の耳に心地いい、感触のいい音というのは勝手なものかもしれません。フィールド・レコーディングに関する本の紹介で、町の雑踏や自然の音をありのまま記録しても、何をどのように録音するのかという録音者の視点、価値観が録音内容に反映されるとありました。私たちは気づかないうちに聞きたい音を選んで聞いているようです。町の中で聞こえるさまざまな音の中で自分に都合がいいように音を聞こうとしているようです。家の中で、車の中で、鳴始めるさまざまな電子音には危険を知らせるものもあります。さまざまな音の中で実は選んで聞いているのです。私たちがその音の意味に気がつかずに、聞き逃しているかもしれない音はどれほどあるのでしょうか。結婚式の中で新郎新婦に対して互いの思いを語り合い、共感できる存在が与えられたことは感謝ですと話します。大変な時もあるが、互いの思いを聞いていくこと、受け止めて行く努力が大切だと話します。コロナ禍のために、店先でマスクやビニールシートに隔てられ、互いの声が聞き取れない経験があります。聞きたい音や声と聞きたくないものとの間に、本当に聞かなければならないものがあるのではないでしょうか。主イエスは「種を蒔く人のたとえ」を語られます。そして「聞く耳のある者は聞きなさい」と教えられます。さまざまな人々が耳にする福音の種としてのみ言葉は、受け取る人々によって届かないことが多い。けれど、み言葉をまかれた人々がどうであれ、主イエスは語り、教えられるのです。たとえ無駄な種となっても、思いっきり福音の種は撒かれるのです。雨が降らなくても、土が固くても、鳥に食べられても。
 今も「種を蒔く人」は聖霊を通してたくさんの種(祝福に満ちたみ言葉)を蒔くのです。それは大いなる無駄になるかも知れません。十字架の上の主イエスを見た人々も最初はそう思ったでしょう。しかし捨てられたように思っていた弟子たちは、その心にあふれるほどの種を与えられていたのです。絶望が希望となっていく、無駄に思えていた「十字架の言葉」という種は「滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(コリントの信徒への手紙1 1章18節)

司祭 マタイ 箭野直路
(旧軽井沢ホテル音羽ノ森チャプレン・軽井沢ショー記念礼拝堂協働)

待ち望むわたしたち

年の瀬が近づくと十大ニュースなどが取り上げられ、これも今年だったかと思うことがあります。江戸時代、庶民は除夜の鐘を聞きながら「七味、五悦、三会」を家族で話し合ったそうです。この1年食べて美味しかったものが七つ、楽しかったことが五つ、新しい出会いが三人いれば、「今年はいい年だったなあ」と喜び合ったそうです。なかなか粋な年末の過ごし方だと思います。スマホが身近なものになってきたこの頃ですから、撮りためた写真などを見返してみると色々出てきそうです。どんな年も悲しいことや災害が起こります。それでも少しずつ記憶をたどりながら、嬉しいことや感謝すべきことがあったと気がつかされるのではないでしょうか。そんなふうに行く末から来し方を待ち望むことができるならば、きっと新しい年も静かな気持ちで迎えられることでしょう。

「主の救いを黙して待てば、幸いを得る」(哀歌3:26)

神様を待ち望むことはたやすいことではないと誰もが思います。神様の摂理は大きくて遠いものです。長い時間神様を待ち望むなかで受け入れ難いことが起これば、主の救いを疑ってしまい、理性も信仰もゆすぶられ、私たちの思いは乱れてしまうかもしれません。クリスマスの礼拝でイザヤ書が読み上げられます。

救い主降誕の700年以上前にも関わらず、それはすでに起こったかのように「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」と語っています。キリストの誕生は、神の語る言葉であり神の意思ですから、確実に実現され、「もうすでに」起こった出来事としてイザヤは心に受け止めたのです。救い主を待ち望むことは起こるかどうかわからないことをただ待つのではなく、心惑わされることなく、時の長さにも動揺することなく、ひたすら神を信頼するというところに真理である救い主が与えられるのです。

主の言葉に従って旅立ったアブラムは、なかなか土地を得られず、子も与えられる気配もありませんでした。彼には、砂漠の乾いた風の音は虚しく、「そんなことはあり得ない」と聞こえたかもしれません。

しかしアブラムは、遠くの星、暗闇の中の光を見つめながら、神に対する信頼を持ち続けました。クリスマス物語の始めに、ルカ福音書は天使の言葉に戸惑い不安になるマリアを描いています。「どうしてそのようなことがありえましょうか」(ルカ1:34)しかしマリアは、神様の最大の約束が救い主の誕生であり、神ご自身であることに気づき、待ち望む者とかえられました。わたしたちもまた主を待ち望む者です。

「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ローマ8:24b〜25)

クリスマスの準備が始まっています。喜び待ち望むことは、それが確かな喜びだからです。救い主が私たちの間に生まれます。神様がすでに始められた救いと愛と赦しを信頼しつつ、降臨節をすごしてまいりましょう。

司祭 マタイ 箭野直路
(軽井沢ショー記念礼拝堂協働司祭 旧軽井沢ホテル音羽ノ森出向)

呼ぶ声の向こうに

結婚式の前にオリエンテーションが行われ、お二人とお話しする機会があります。二人が案内されてやってくるまでの時間、いまでも緊張します。事前にもらっている結婚申し込み用紙から「こんな人たちかな」と考えるのですが、それがかえって想像を膨らませ余計なフィルターをかけてしまいます。挙式の写真を取るカメラマンは、撮影の前に二人の印象や余計な情報は聞きたくないと言います。これから撮る写真を「そのままの二人や家族」として撮りたいからだそうです。私もそれを見習いたいと思いたいのですが、二人に初めて会う前に余計なことを考えてしまいがちです。でも二人の方こそ緊張しながらやってくるのです。彼らと私の互いの緊張が少しずつ溶けて、リハーサルが終るころには挙式に向けて進むことができた喜びの笑顔があると少しホッとします。以前、毎日のように病院で患者さんのところへ行ってお話を聴いていた時もよく似た緊張感がありました。痛みを繰り返して調子が悪くなっていませんように、リハビリでくたびれていませんようにと願いながら病室を訪ねます。事前に病状をナースから聞いていても、時間を見計らったつもりで訪ねても何度も断られると、さすがに気持ちがへこみます。病院内の会議の忙しさや眠っている患者さんを起こしちゃいけないと理由をつけて病室の前を通り過ぎることもありました。そんなとき「病院の牧師さんですか?」と言われてハッとします。そしていまも挙式後、新郎の挨拶で「司祭様やスタッフの皆さんに感謝します」と言われて、ハッとして「そうだった」と気がつかされます。自分がここにいることの意味を改めて教えられるのです。イエス様がティルスとシドンの地方に行かれたとき(マタイ15章21節)カナンの女が「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。」と叫びます。娘を癒してほしいと願う声にイエス様は「私はイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」「子どもたちのパンをとって子犬にやってはいけない」と差別とハラスメント満載の言葉で退けます。当時の時代、社会はこの様なものだったかもしれません。でもそれは、私が自分に理由をつけたことと同じで悲しくさせる言葉です。イエス様も疲れていて、気持ちの中に溜め込んでいたかもしれません。イエス様の歩みは、確かに私たち以上に孤独でした。教えても理解されず、故郷ナザレでも家族から信頼されません。だから羊飼いが必要のない、イスラエルの失われた羊がいない遠くの地方まで来たのでしょうか。しかしそこで「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけられるのです。イエス様が救い主として神の子としてこの世におられる中で、人々から叫び求められる声の中で、イエス様はこの呼びかけをずうっと求めておられたのではないでしょうか。その求める声以上に、イエス様も私たちに呼びかけていたのです。イエス様も私たちを求めておられるのです。私たちはイエス様が私たちの「主」となるために、「ごもっともです。しかし、主よ」としがみつくように叫び求めていきたいと思います。その向こうにイエス様が待っておられるのですから。

司祭 マタイ 箭野直路(旧軽井沢ホテル ホテル音羽ノ森チャプレン、軽井沢ショー記念礼拝堂協働司祭)

旅 の 途 中

 5月に入って軽井沢はこれからが新緑の季節となります。
私が出向しています旧軽井沢ホテル音羽ノ森にも、観光や結婚式、ビジネスや競技参加など様々な人々が宿泊しています。宅配便の普及によって挙式衣装やゴルフバッグ、スキー板がフロントのバックヤードには所狭しと並びます。
旅行者の目的は違っても、ホテルスタッフは皆さんに心地よく宿泊していただくためにできる限りの心配りをしています。しかもそれがごく自然な振る舞いの中でなされることに、私もすごいなーと感心することがあります。
新郎新婦の中には客船や航空会社に勤める人たちも少なくありませんし、挙式後すぐに転勤で海外に行かなければならない方々もいます。家族に軽井沢旅行も楽しんでもらいたいと願うお二人もいます。
私も結婚式の説教の中で、これからの人生の歩みを旅にたとえてお話することがあります。
人生という旅を通して、これまでなかなか気がつかなかったことに目を留め、大切なことに心を向けるようにお話します。そして私も、自分自身が愛されてきたことの一つ一つを感謝しなければと思い返します。
コロサイの信徒への手紙には第3章12節に「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」と教えています。
私たち一人一人はあまりにも情けない者ですが、神様によって「お前ほど清め甲斐のある者はいないぞ!」と思われ、愛されているのです。私たちは主によって赦され、愛されている。だからこそ憐れみの心や慈愛、謙遜や柔和、寛容を身に着けなければならないのです。
コロサイの信徒への手紙の結びにパウロは、ティキコとオネシモをコロサイへ遣わします。パウロ自身は行きたくても行けない、囚われの身です。自分も「川の難、盗賊の難、同胞からの難……寒さに凍え、裸でいたことも」(二コリ11・26~27)経験した旅でした。きっと彼らを派遣することのつらさを身にしみて感じていたことでしょう。しかしその弱さを誇ることができるほど、その弱さの中にイエス・キリストの力が発揮されるのです。
聖書を開いてみれば、不思議と旅をする人々の話があふれています。アダムとイブから始まってノアやエジプトを脱出するユダヤ人、預言者やダビデまでもがサウル王から逃げて旅をしています。追い出されたり、逃げ出したりという気のすすまない旅もあります。「逃げるは恥だが役に立つ」というテレビドラマがありましたが、誰でも一度は逃げ出したくなる経験があると思います。
人生を主イエスとともに旅をするということは、このように逃げ出して枕する所がないような旅なのかもしれません。しかしそれは、神様とともにある永遠の命への旅でもあるのです。
(旧軽井沢ホテル音羽ノ森チャプレン、軽井沢ショー記念礼拝堂協働司祭)

『人 の 夢 と 欲』 

6月になって軽井沢は、新緑の中で結婚式も多くなります。結婚準備のオリエンテーションのとき、二人にどんな家庭を築いていきたいのかを伺います。ありきたりの言葉であっても、自分たちが始めていく結婚生活で家族や周囲の人たちが喜びあえるように努力する、彼らの夢は小さなものかもしれませんが、人々を喜ばすことにおいて広がっていくことになればと思います。人は夢を持ち、実現していこうとします。それが人々の喜びや幸福につながっていくならば社会への貢献となるでしょう。しかし社会的に成功してもそれが他の人や他の国の犠牲の上に成り立っていれば、人が抱く夢も夢ではなくなってしまい、いつしかそれは「人の欲」になっていくのではないでしょうか。
戦後70年、戦争体験を語ることのできる人々が少なくなっていく中で、私たちは平和を夢みて、ある意味実現させてきたと思います。しかし一方で命の危険や騒音、犯罪による犠牲を米軍基地周辺の人々に押しつけた「平和」を歩んできました。この「平和」をただ享受していくということは喜び合える夢ではなくて、人の欲になっていくのではないでしょうか。
また東日本大震災によって改めて放射能の怖さを私たちは知りました。またそれは原発の稼働が一部の地方に住む人々の危険や犠牲のもとに成り立っていたということです。快適な暮らし、平和な生活は多くの犠牲と私たちの欲によるもの、ということを隠していくことはもうできません。
創世記には「風の吹くころ、主なる神が歩まれる音を聞き」罪を犯してしまったアダムとイブは隠れたと書かれています。自分たちは弱く、清さを失った裸の姿であることを知ったのです。神様によって創造された清さを失い、闇が心の中にまで広がってしまいました。神様の創造された世界に茨とあざみが広がるように、人間のエゴや欲望が現代まで広がります。
イエス様は山上において「あなたがたは地の塩である。世の光である」と語られました。この世界に対して私たちがその腐敗を止め、清めていく、味付けていくようにと呼びかけました。でも私たちは隠れてしまいたくなるほど自分の中の闇を知っています。パウロはローマの信徒への手紙の中で「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。」と旧約聖書の時代から続く、罪の中の人間を書いています。自分を見つめれば、まず自分が清められたい存在であることを告白せざるを得ません。しかしイエス様はご自分の十字架によって、私たちを地の塩、世の光として用いようとなさったのです。主イエスのあわれみによって、私たちは自己中心の考えや欲望に向き合ってこれを抑えなければなりません。
意識するしないに関わらず、米軍基地や原発の「恩恵」に私たちは生きてきました。巨大な基地や原発をめぐる利権が動く中で、生活の快適さや安全、平和の根底に私たちの思い上がりをもってしまったのではないでしょうか。犠牲を遠くに住む他者に押しつけて、共感する心を失っていないでしょうか。神の赦しと恵みを受け、他者への祈りと共感を実現させ、喜びあえる者でありたいと思います。

司祭 マタイ 箭野直路
(ホテル音羽ノ森・旧軽井沢礼拝堂チャプレン)

『「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。」エフェソ5・21』 

6年前に旧軽井沢礼拝堂で挙式をおこなったお二人が訪ねてきてくれました。結婚式の前に、新郎の祖母が病気で伏せていて、ひ孫を見たいと言っていたけれど間に合わなくて婚約指輪を見せてあげることが精一杯だったと話していたこと。そして新婦が作る食事を彼はいつもおいしいと言ってくれると話すとても明るい二人でした。私自身も忘れがちな「お互いへの感謝の言葉」に気がつかされ印象に残っていました。

再会を喜んで写真を撮りながら、ちょっと意地悪な質問をしました。「今もご飯おいしいって言ってくれる?」彼女はニコニコしながら「ハイ、ちゃんと言ってくれます。(料理の出来は)十分じゃないけれど…がんばってます」と話してくれました。そばに立つ彼も笑顔でうなずいていました。

結婚式をおこなっていく中で、ときどきそんな印象的な二人に出会います。忙しい中で互いに仕事をやりくりし、たくさんの準備をしながら挙式の日に向かっていきます。結婚オリエンテーションの日、二人は朝早くから渋滞をやりすごし、美容や衣装、写真の打ち合わせを一日ずっとおこなってきて、夜になってやっと結婚オリエンテーションとリハーサルという場合もあります。

くたびれているにもかかわらず、二人の出会いやこれからの夢を語ってくれるとき、その真摯な態度に教えられます。神様と人々の前で結婚の誓いを立てることの大切さに向き合っている二人に、互いに感謝することや思いやることの大切さを司祭として語りながら、自分自身、そのことがおろそかになっているのではないかと教えられるのです。60代以上の新郎新婦の場合はさらに謙虚さを教えられます。謙虚さをもってキリストに仕えていくことに導かれます。

パウロは夫婦について語りながら、その奥にあるキリストと教会の関係を語ります。仕え合うことが大切なのだと教えます。キリストへの畏れが私たちの一つ一つの態度をとらせる根拠だというのです。互いの弱さや欠点をよく知っている夫婦だからこそ、誠実さをもって尽くしていくことに「キリストへの畏れ」が具体的になるのだと思います。互いの中に感謝の気持ちや謙虚さがなければさびしく空しいものになるでしょう。

結婚オリエンテーションのとき、「平凡でいいけれど、その当たり前のことを大切にしていきたい」と語る二人がいます。積極的ではないようにも聞こえますが、しかし生活していくということはそれほど劇的なものではありません。二人の甘く新鮮な時間は仕事や生活の雑務の中でいつしか遠くなっていきます。年をとって環境や体調が変わっていけば、考えることも多くなります。その一つ一つに誠実に向き合わなければなりません。

私たちも初めて信仰を持った頃の喜びや与えられた恵みに対して、いつの間にか高をくくるような安易な気持ちにならないように気をつけなければなりません。なによりもキリスト教の結婚を語っていく私自身がいつも、あらゆることについてキリストに対する畏れをもって、感謝し仕えていかなければと思います。

司祭 マタイ 箭野直路
(ホテル音羽ノ森・旧軽井沢礼拝堂チャプレン、軽井沢ショー記念礼拝堂協働牧師)

『今、ここ』

自分自身の気持ちからいえば、今回この原稿は新しい学校や職場など新生活を始めた人々へ、神様が後ろから「しっかり」と送り出しているんだということを書こうと思っていました。多くの人々の支えと神様の愛があるんだということを書きたかったのです。厳しい冬を越え、春を迎えて新生活に慣れ始めた人々が不安な中でいろんな人々と出会い、様々な経験を重ねていきます。複雑な社会の中で、どの人も病を抱えるように「閉塞感」を感じながら、なんとか人間性を取り戻そうとします。そのための「つながり」が何なのか、その絆がどこにあるのかを書こうと考えていたときに今回の大震災。
映し出される津波の被害がこんなにも悲惨なものとは思いませんでした。津波が人々や建物、車や田畑を次々と飲み込み押し流していく様子を見るたびに、私はその地震の揺れのようなめまいを何度も感じました。日本中だけでなく、世界中の人々がその恐ろしさを同じ思いで見たことでしょう。今まで築いてきたすべてが理由もなく失われる、その悲惨さは戦争のようです。そして大災害は原発の放射能の恐怖に姿を変え、まるでホロコーストのように人々を生活の場、愛する故郷から追い払います。荒野をさまようユダヤの人々が水を求めて神を試みる場面が旧約聖書にあります。避難を余儀なくされ水を求める人々が、私たちの地面の続くところにいるのです。その苦しさを思いながら聖書を読んでいました。激しく揺れ動いた地面がつながっていたから、ここにいる自分も揺さぶられたのです。その恐怖とともに水を求める苦しさを、心が揺さぶられながらつながっていかなければと思いました。
数々の大災害を経験しながら、私たちは支援やボランティアのあり方、報道のリテラシーなどを学んできました。私も昔読んだ岩波ブックレットの「災害救援文化を創る」―奥尻・島原で―(野田正彰著)という本を読み返しながら、阪神淡路大地震、そして「今」を思いました。これまでに少しずつだけれども、被災者の心のケアを考えながら被災者本人が決めていけるような援助、ボランティアが学んだことを分かち合い、ともに新しい人間関係を考えていくことの大切さを積み重ねてきました。
今回の災害でも、悲しみの中にも心の温かさを感じさせる出来事がありました。人生の中ではどうすることもできないようなことが起こります。でもこのような混迷する世の中だからこそ、「今」をしっかりと生きることが大切なのです。
東北に続いて長野県北部でも震度6強の地震がありました。千曲川沿いのJR飯山線も線路盤が崩れ、多くの住宅が倒壊しました。地震の中心となった長野県栄村には、私がこの夏、結婚式の司式を予定している中学校の先生がいます。被災しながらも復興というビジョンを子ども達の中に一緒に作っていこうとしています。地元のテレビニュースには、小さな村の卒業・入学式においてつらいながらも今を生きようとする人々の姿がありました。
私たちが「今、ここ」に生きることは、未来に生きる人々につながるものです。途切れることない喜びとして未来へつなげてくださる神様によって少しずつ歩き始めましょう。

司祭 マタイ 箭野 直路
(ホテル音羽ノ森・旧軽井沢礼拝堂チャプレン、軽井沢ショー記念礼拝堂協働牧師)

『祈りをもって』

今年の初め、 NHKで 「男はつらいよ」 全48作放送のCMがあった。 その中で 『それを言っちゃーおしまいよ』 と言うおなじみのフレーズがあった。
職場や公の場に限らず、 家族や夫婦の間でも 『それを言ってしまったら元も子もない』 ということがある。
人はみな感情を持って生きているが、 その感情にすべてを任せてはいない。 理性や知恵、 あるいは責任などをもってどうにかコントロールしている (つもりでいる)。 この4月から 「旧軽井沢ホテル音羽ノ森、 旧軽井沢礼拝堂」 でチャプレンとして結婚式をおこなっている。 それまで同じ長野県にある新生病院のチャプレンであったので、 よく 『これまでと違って大変ですねー』 と言われるが、 自分の中ではそうでもない。
確かにこれまでと勝手も違うが、 結婚式を教会で望むカップルのまじめな態度にはこちらのほうが毎回、 彼らからその謙虚さを教えてもらっている。
ホテルの従業員の態度も自分たちのホテルやその仕事に誇りと愛着を持っている仕事振りをみていると、 教会が一般社会の人々と作る接点の、 その一つを自分はどれだけ 「キリストに仕える熱心」 を持ってやってきただろうかと反省させられる。
この時勢だから病院もホテルも生き残りの時代の中で、 目の前にいる人々への対応や配慮への姿勢は、 どのような場であっても大切なことだろう。 そう言えば新潟のあるホテルマンが 「私たちがおこなっている 『サービス』 ってお祈りのことですよね」 と言われたことがあった。
祈ることがキリストに仕えることであるはずなのに、 私たちは神様への手段や方法のように思ってしまっていないだろうか。
確かに神様に向けて私たちは祈るのであるが、 仕える心を持って祈っているだろうか。 あるいはその祈りがいつも自分と神様だけの間のものになってしまっていないだろうか。 結婚式の中で、 二人のために祈る場面では必ず参列者に向かって、 お祈りにある 「アーメン」 を一緒に唱えてもらうようにその意味を伝えてお願いしている。
それはその祈りが私一人や結婚した二人だけがおこなうものではないからである。
そこでみんなで共に祈るということは、 人と人をつなぐことである。 その場にいる人々が共に祈るということはその人々が神と共につながり、 お互いも共につながっているということであって、 人々が祈ることを通して喜びも悲しみも共有し、 神に生かされていることを覚えることなのである。 それによって再び、 それぞれの場に帰ることができるのである。 そしてキリストに仕えるように、 神に仕えるように祈りをもって互いに仕え合うのである。 目に見ることのできない神へ祈ることはしんどく、 むつかしい時もある。 しかし 『それを言っちゃーおしまい』 なのである。 私たちはいつも、 祈る私たちの傍らに共に祈る主の姿があることを願いながら祈るのである。 結婚式の参列者の中に主の姿をいつも求めていきたいと願っている。

司祭 マタイ 箭野 直路
(旧軽井沢ホテル音羽ノ森・旧軽井沢礼拝堂チャプレン、 軽井沢ショー記念礼拝堂協働師)

『語り続けること』 

夏休みに子どもを誘って釣りに行こうと思ったが、あいにく台風が来てしまい行けずに終わった。「逃がした魚は大きい」と言うように次なる期待ばかりが大きくなる。
その題名も「ビック・フィッシュ」と言う映画がある。いつもホラばかり話している父親を嫌っている息子は、親子関係が疎遠になっている。しかし父親の死に接した時、父親がいつも語っていたホラ話の中に出てくる人々は、出会ったいろいろな人間模様、人生の姿であったことを知るのである。その喜びや悲しみを、布に織り上げるように自分の中でつむいで、父親なりの人生の真理を物語として語っていたのである。
8月上旬チャレンジキャンプ14をおこなった。今回は「ものがたり」がテーマである。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」(使18・9b~10a)をテーマの聖句とした。世界の様々な物語には多くの知恵や人間の豊かさが満ちている。物語ることの中に、人を癒したり和解させる力があって、私たちはそんな物語を語ることのできる一人一人であることを子どもたちと学んだ。神様が語り、私たちは聞く。使徒言行録では主イエスの弟子たちが聖霊に満たされ、主イエスの言葉や出来事を物語っていった。彼ら自身語りだすことによって立ち上がり、歩き始めるのである。彼らと彼らの話を聞く人々の思いや願い、そこには主イエスによって新しく生かされる人々の物語がある。私たちも深い悲しみや絶え間ない心の痛みがありつつも神に生かされ、うながされて神の福音を語るのである。
この9月、中部教区宣教130周年記念礼拝がおこなわれる。中部教区に、み言葉の種はまかれ、私たちはその実を頂いている。聖書をとおして神は私たちに救いのメッセージを語りかけている。そのメッセージは聖書の最後のページで終わったのではなく、私たちもまた救いの物語を語っていく一人とするのである。神によって救われ、養われる者は、み言葉の種をまいていくのである。主イエスの救いを私たちの物語として。

司祭 マタイ 箭野 直路
(新生病院チャプレン)