『「だから、 やめよう」 と言わず「だけど、 やってみよう」』 

皆さんはきっと、 「求道者が与えられて欲しい」 「若者、 子どもたちが加わって活気溢れて欲しい」 等という言葉を言ったり聞いたりしたことがあるでしょう。
もちろん、 信仰を通して夢を語り、 幻を見ることはすごく大事なことですが、 若者がほとんどいない状況で、 何の動きもせず、 ただ、 若者が入ってくることを待つだけでは限界があると思います。 本当に若者、 子どもに加わって欲しいなら、 彼らを迎え入れる準備が必要であるのは当然のことです。 彼らをただ礼拝、 またはプログラムに誘うのではなく、 彼らが関与して作り上げる集会でなければならないと思います。 つまり、 彼らの意見・考えが受け入れてもらえる雰囲気が必要であり、 そのためには、 どういう意見でも遠慮なく、 互いに話し合うことの出来る、 気軽に入れる輪作りが大切だと思います。
私は教会の中に、 新しい信徒 (求道者含) を担当する奉仕の役割があったら良いとずっと思っていました。 それは礼拝の案内をするだけではなく、 興味を引く魅力ある何か (温かい心・証を交えて) を一緒に分かち合える、 救いについての話 (ある意味、 教理) を柔らかく紹介する役割を言います。 これは、 信徒教育システムのことです。
このような話を聞くとすぐ、 「そういうのを我々にさせても、 それは無理だ」 とか 「信徒が、 教えることまですると教役者は何するんだ」 等の反論が出るかも知れません。 しかし、 これは今日の教会のトレンドである 「小グループ運動」 に当たるものです。 小グループの勉強会を通して、 信徒同士が励まし、 慰め、 祈り、 分かち合うことによって、 関係を密にし、 教会のリーダーを育てるという大きな意味を持ちます。
それのためには、 教会内で 「教理教育クラス」 が随時運営されることが必要です。 できれば毎日のように、 毎週のように勉強会があって、 最初は信徒さんが気軽に参加し、 その教育を繰り返して受けているうちに自然に自信を持って福音を語ることができるようになります。 適切な段階に入ったら、 リーダークラスを別に結成し訓練を深めることによって、 準備は整えられます。
その後、 例えば全体10回日程の教育なら、 その中の科目の講義を一人一つずつお願いします。 信徒数が少ない教会では大変な企画になる可能性はありますが、 できるだけ多くの方が参加できるように、 牧師を含め教会委員の積極的なお勧め・お誘いが必要です。
10人の信徒が、 それぞれ自信がある科目を通して新しい人と交わり (勉強より、 人が大切) を持ったとしたら、 その新しい人が洗礼・堅信を受ける頃には、 もう既にその10人のリーダーと新しい信徒の間では人格的な良い関係ができているので、 一石二鳥以上の効果があると私は確信します。 しかし、 皆さんのご心配の分、 確かに相当の努力が必要となるでしょう。
イエス様が十字架に掛けられる前に、 「だから、 やめよう」 となされたとしたら、 私たちの大切な救いへの約束も希望・夢なども何の意味もないこととなってしまうでしょう。
十字架に掛けられる前のイエス様の知られてなかった言葉はきっと、 「だけど、 やってみよう」 ではなかっただろうかと思います。
司祭 イグナシオ 丁胤植
(新潟聖パウロ教会牧師)