幼子と乳飲み子は賛美を歌う(詩編第8編2節・祈祷書訳)

 稲荷山くるみこども園の子どもたちのページェント(聖誕劇)を見るたびに、クリスマスの物語の不思議さを思います。こども園の休み時間、子どもたちが左右斜めに両手を挙げて進みながら、聖歌91番「荒野の果て」(この園でグローリアと呼ばれています)を歌っている姿を目にします。これは天使たちが現れるときの動きで、羊飼いたちに主イエス誕生を知らせる天使たちはこの聖歌と共に登場するのです。
 その時、ベツレヘムの荒野にいた羊飼いを突然天からの光が照らしました。恐れて地に伏せる羊飼いたちに、天使は言います。(以下、稲荷山くるみこども園ページェント台本より)「こわがることはありません。すばらしいお知らせがあります。今日、ベツレヘムの馬小屋で救い主がお生まれになりました。その方こそみんなが待っている主イエスキリストです。」そして、天使たちは告げます。「いと高きところでは神に栄光があるように、地の上では御心に
かなう人に平和があるように。」
 闇から光へドラマチックに転換するこの場面は、人知れない家畜小屋での出来事がどれほど大きな喜びであるのかが世界に示されたシーンです。子どもたちがこの場面を好んで歌うのは、小さな彼ら彼女らがその喜びをしっかりと受け止めているからなのかもしれません。そして、この天からの賛美を聞いた羊飼いたちが、「さあ、急いで救い主に会いに行こう!」と跳びあがって出発するのが私のお気に入りの場面です。
 この天使たちの賛美に似た言葉が、福音書にもう一度出てきます。それは約30年後、子ろばに乗って都エルサレムへと向かわれるイエス様を見て、人々は「天には平和。いと高きところに栄光」と声高らかに神を賛美しました。しかしこの賛美の声を聞いたファリサイ人たちは反発します。主はエルサレムに近づき、都が見えたとき、平和への道をわきまえない都のために泣かれました(ルカ19章41―42節)。主を受け入れない祭司長たちは、神殿で主を賛美する子どもたちにも腹を立てました。イエス様は彼らに、「『幼子と乳飲み子の口に、あなたは賛美の歌を整えられた』とあるのを、あなたがたはまだ読んだことがないのか。」と言われます(マタイ21章16節)。
 イエス様が引用された詩編8編2節は、私に聖歌を教えてくださった桜井房江先生から聞いたみ言葉です。幼い頃、先生のピアノに合わせて小さなクリスマス・キャロルの本を開いて歌った喜びは、今も鮮やかに私の中にあります。そして今、ページェントで白い天使の衣を着た子どもたちが声を合わせて歌うのを聴き、天使役だけでなく子どもたち皆が、神様の喜びの便りを伝えるみ使いのように思えています。賛美とは神様からの賜物であり、神様が幼子に授けられる賛美は、儚いものでなく、地上における闇、まやかしに対抗する天からの砦であるのかもしれません。この声を無視しようとするかたくなな人間たちに、主は今この時も涙を流しておられるのではないでしょうか。新しい年、子どもたちと一緒に主イエスに出会う旅に出発したいと願います。


司祭 マリア 大和玲子
(長野聖救主教会牧師)

「あなたの輝き、栄光と威光 驚くべき御業の数々を私は歌います。」詩篇145篇5節

 クリスマスから新年を迎えようとしています。1年があっという間だったということを感じます。生物学者の福岡伸一氏は、『動的平衡』という本の中で、メモリーを書き込むような記憶物質は人の体には存在しないと言います。しかし時間が過ぎた感覚は誰にもあります。同じ1年が、子どもの頃よりも大人になるとあっという間に年末だと感じないでしょうか。私たちの細胞分裂は、タンパク質の分解と合成のサイクルに左右されています。なので加齢とともに新陳代謝の速度が遅くなって、私たちの体内時計の「秒針」である新陳代謝が遅くなっている事に気付かないのです。「まだ1年の3分の2ぐらいしか経っていない」と感じるその時には、実際の1年が過ぎていて「あっという間の1年だ」と感じるのだそうです。時代の変化、身体の変化、さまざまな変化にウロウロするばかりです。パウロは「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と私たちに呼びかけます。私たちの1年、生涯を振り返ると、喜びよりも悲しいことの方が多いような気がするのではないでしょうか。そう思うのは、私たちの人生は自分の思い通りにならないからではないでしょうか。自分のいたらなさに加え、思いもよらない病や災害があるかも知れません。喜びがあっても、空しくさせるような現実に人の弱さやもろさを知ります。み子イエスはその中に来られたのです。主イエスの降誕のまわりには、神の訪れを喜びとして受けとめる人々がいます。心の底から自分を満たしてくれるのは神しかいないという渇望する人々です。ヨセフは無力感の中でインマヌエル(神は我々とともにおられる)という名を教えられました。占星術の学者たちは、遠く暗闇の中で行くべき道を求めました。自分自身の弱さを知れば知るほど、神は私たちのところに来てくださいます。み子イエスの降誕を喜べるのです。「主において常に喜ぶ」ことができるのは、絶望の深みの苦しさにありながら、その中で神の愛にゆだねる者が真の喜びにあるのです。クリスマス近くになると書店にはクリスマス向けの絵本が並びはじめます。私が、なかなか好きになれなかった絵本に「アンパンマン」がありました。どこか暗く、寂しげな絵だといつも感じていたからです。でもそれは、私の勝手な思い込みと偏見でした。アンパンマン誕生の経緯やキャラクターについての話をまとめた、『アンパンマン伝説』という本があります。作者のやなせたかしさんは、「アンパンマンをいつ、どうやって思いついたかはわからないくらい、迷い道を歩くような日陰暮らしの中で生まれたのだ」と言います。評論家の評判も悪く、出版社の編集者からも「あれはやなせさんの本質ではない。もう2度と書かないでほしい」とまで言われたそうです。ところが保育園や幼稚園の子どもたちの中からアンパンマン人気が出てきました。子どもたちがアンパンマンを生み出したのかも知れません。私たちが弱さの中にある時、そこは神の救いが与えられる時です。私たちが人生を迷って歩いていても、主イエスはともに歩いてくださるのです。主において喜ぶ事ができるのです。クリスマスの喜びを皆さんとともに、感謝をもって歌いたいと思います。


司祭 マタイ 箭野直路
(旧軽井沢ホテル音羽ノ森チャプレン・軽井沢ショー記念礼拝堂協働)

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(マタイによる福音書第14章27節)

 この度、保育士の資格とともに、幼稚園教諭1種免許状をいただくことになりました。これは、昨年、愛知県豊田市にある幼稚園の園長先生をはじめ教職員の皆様のご理解とご指導のもと、保育の仕事をすることのできた賜物です。神様の恵みに感謝するとともに、子どもたちを含め幼稚園の皆様のやさしさに感謝いたします。この経験を活かしまして、いま、新潟市にある公立の病院で入院中の子どもたちの保育のボランティアをしています。しかし、公立ですのでキリスト教の話は一切できませんから、今までとは全く違った環境です。それでも、お母さん、おばあちゃん、子どもから、将来の不安というか、そういうことを「聴く」機会もあり、寄り添うことしかできませんが、言葉ではなく「体」で、「聴く」という態度で、神様からいただいたミッションを果たすということができればと思っています。
 イエス様は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」という御言葉を、湖の上を歩くイエス様を見て驚く弟子たちに向かって話されました。「イエス様が湖の上を歩く」とはどういう意味があるのでしょうか。私はこれは比喩だと思っています。五千人への食事と同じようにです。
エミール・ブルンナーという神学者はこう言っています。イエス様の復活について、「彼らは嵐の湖で沈みかけているように見える人間になぞらえられる。実際はしかし彼らは、沈むことの出来る湖にいるのでは全然なく、溺れることのない浅い湖にいる、ただ、彼らはそれを知らないだけである」。どうでしょうか。イエス様が十字架にかかって死にそして復活しすべての罪ある人びとに聖霊をお与え下さったという出来事によって、
私たちの世界は、沈むと死んでしまう底の深い湖から、けっして溺れることのない浅い湖に変わったということを示しています。「イエス様が湖の上を歩く」とは、もうこの湖は浅いからおそれることはない、安心しなさいということを、身体をもって示しているのです。イエス様の十字架の死と復活によってこの世界が根本的に変わってしまったということ、イエス様のことを信じていようと信じていなかろうと関係なく、いま私たちが生きているこの世界は、浅い湖だということです。しかし、このことに気づいていない人々が多いのです。私も時々「ここは深い湖ではないか、舟が転覆したら、溺れて死んでしまうのではないか、結局、私は救われないのではないか」と不安と恐れを覚えてしまいます。しかし、本当に私たちすべての人は復活によって救われていますから、安心していいんです。怖れる必要はありません。
 これからもお祈りのうちに、イエス様からの「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」の声を聴いていきたいとおもいます。そして、イエス様の復活の意味、この世の湖の底は、イエス様がその上を歩くほど浅い、だから、あなたは、いまここで、ありのままで救われているということを、イエス様のように言葉だけでなく、態度をとおしても、宣べ伝えていきたいと思います。

司祭 ヨセフ 石田雅嗣
(新潟聖パウロ教会牧師)


初めまして。川島創士さん

 私は今年の4月から、名古屋聖マルコ教会の牧師館に移り住んでいます。聖マルコ教会は現在、聖堂の耐震工事が行われていて、毎日のように建設会社のトラックが駐車場に停まって木材などの建築材料が搬入されたりしています。工事現場である聖堂内には埃をかぶったブルーシートがオルガンや長椅子などを覆っています。入口の鉄門には、「工事関連で危ないため通行の際に注意して欲しい」というようなメッセージの紙が貼られています。確かに落ち着いてない環境です。
 そのような状況ではありますが、初日から私の目に入ったことがありました。それは、教会に入るためには駐車場に面している鉄門を通らなければならないですが、その門は多くの部分で塗料がはがれて、真っ赤にさび付いていたことでした。さらにそこから教会の方をみると牧師館に上がる外付け階段も真っ赤になっていることがまる見えです。
 「先ずあれを綺麗にしなきゃ」と思いましたが私も実施できず5か月が経ってしまいました。その5か月間、毎日階段を昇ったり降りたり、鉄門を開けたり閉めたりしながら言葉と思いにだけとどまっている自分の情けなさが鏡のようにさび付いた鉄門にうつっていたことを感じました。
 耐震工事が終われば今よりはきっと多くの方々が出入りするようになるでしょうし、それを期待して塗料を塗って綺麗にすれば、誰かがきても入口のほうから歓迎される感じを受けることが出来るのではないかと思いました。
 この度、川島創士聖職候補生の教区実習を私が指導することになりました。初日の主日は後藤香織司祭のもとで名古屋聖マタイ教会での実習、そしてその翌日からは、NPO法人ルカ子ども発達支援ルーム「そらのとり」と柳城幼稚園、名古屋学生青年センター、最後の日は愛知聖ルカ教会での奨励実習という計画で日程を組みました。その間に、名古屋聖マルコ教会での勤務を2日間入れました。1日目は「草むしり」、2日目はこの機会にということで「塗装作業」を入れました。単純に労働だけで終わることではなく、信徒さんに声を掛けて一緒に草取りをしてから彼を囲んで昼食の交流会を持ちました。お弁当を買ってきて、簡単なことではあるけれど皆で一緒に野菜を洗ってサラダを作ったり、お湯を沸かしてスープを作ったりデザートを作ってはわいわい楽しい時間を過ごしました。
 「塗装」予定の日は雨が降ったため残念ながら実施は休止としました。個人的には5か月前から思っていたことで、川島さんがいる今がチャンスだと意味づけて鉄門と階段の塗装作業をしようと塗料や道具まで買っておいたけれども、5か月前からの思いは叶いませんでした。その代わりに、川島さんと一緒に信徒さんを訪ねて食事とお茶をしながらリアルな教会の話を聞く時間も持ちました。
 私個人としても、聖職候補生の実習指導をしたことは初めての経験で非常に意味ある時間でした。川島さんとも今回初めてお会いしたので、新しい人に出会って色々なことを一緒にしましたし、彼を囲んで信徒さんとも様々な話し合い・交流会が出来たことなどを通して、交わることの大事さを改めて感じることが出来ました。そして新しい色々なことが見え始めて、新しい動機付けとともに名古屋でのこの5か月間を振り返るきっかけにもなりました。

司祭 イグナシオ 丁 胤植
(名古屋聖マルコ教会牧師)

犬と平和

 3年前、娘の中学入学を機に、我が家に1匹の犬が加わりました。
 近所のペットショップで、ある犬が「特売」になっていました。あとで分かったことですが、本当に子犬だった時期に病気をして売り場に出ることができず、いわば「売り時」を逃してしまったために、同じ犬種の犬の半額以下の値段がつけられていました。そんな人間の勝手な事情など思いもしない、けなげな姿に感情移入してしまい、この犬を我が家に迎えて、新しく家族の一員となりました。
 我が家の犬はペット犬で、いわゆる「生産性」はゼロです。朝夕の散歩に連れて行くなどの手間もかかりますし、犬を置いて旅行に行けないなどの不便もあります。でも、帰宅したら尻尾を振って迎えてくれたり、居間の椅子に座っていたら膝に飛び乗ってきたり、在宅勤務のデスクの隣で気持ちよさそうに寝ていたり。そんな姿が幸せを与えてくれます。
 6月23日の沖縄慰霊の日、追悼式の会場となった平和祈念公園には朝から多くのテレビカメラが入っていましたが、ニュースを伝えるレポーターの背後で、犬を散歩させている人々の姿が印象的でした。多くの人々が犠牲となったまさにその場所を、犬がのんびりと歩いている景色を見て、これこそが平和の姿なのではないかと思いました。イエス様の「空の鳥を見なさい」という言葉が、犬を家族として迎えて以来、「平和を守りなさい」という命令に聞こえてならないのです。
 第二次世界大戦中には、ペットである犬も供出の対象となりました。食糧不足で、軍用犬以外の役に立たない犬は処分してしまえという主張があったほか、毛皮を軍で利用するという目的もあったようです。また、空襲で焼け出された飼い犬が野良化し、狂犬病が流行することを恐れて、当局が犬を強制的に供出させて殺していきました。家族同然だった犬たちとの別れを強いられた人々、特に子どもたちの悲しみを思うと、こんなことを二度とさせてはならないと思うのです。
 戦争の中では、最も弱い、戦争の役に立たないものが、不要であると切り捨てられていきます。多くの犬たちはその犠牲となりました。そして、犬たちに留まらず、かけがえのない多くの人々の命が失われました。出かけていった家族が戦火に倒れ、帰ってこなかったという大きな悲しみを抱く人が、決して現れてはならないと強く思います。
 ウクライナでの戦争は、現代でもこんな悲しみが未だ続いていることを、私たちに突きつけています。我が家の犬の平和な姿を見るにつけ、空の鳥の小さい命をも大切にされたイエス様の思いに今こそ心を合わせ、この平和から遠いところにいる人々のことを決して忘れないように、そんな決意を新たにさせられるのです。
※アジア歴史資料センター「戦争にペットまで動員されたってホント?」
https://www.jacar.go.jp/glossary/tochikiko-henten/qa/qa24.html より

司祭 ダビデ 市原信太郎
(松本聖十字教会管理牧師〈東京教区出向〉)

その道を歩む者はだれも平和を知らない(イザヤ書59章8節)

 8月は、6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」、そして15日の敗戦記念日がありますので、平和について考えざるを得ない月です。
 「平和」と聞くときに、わたしたちはまず戦争をしていない状態を、思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、たとえ戦争をしていなくても、
餓えや貧困に人々が苦しみ、環境が破壊され人権侵害が起こるなど、「いのち」が蔑ろにされている状態にあるのなら、それは平和な状態であるとは言えません。
 奇妙なことに、わたしたち人間は「正義と平和」のためという、お題目のもとに戦争を始めます。この正戦論の立場からは、武力で「悪である敵」を、うち伏せること無しには「平和」は実現せず、「戦争」は「平和」への大切なプロセスですらあります。
 旧約聖書の戦いの考え方には、確かに〝万軍の主が戦う〟のだから、わたしたち人間も武器を持って戦うという考え方の流れを見ることが出来ます。しかし、その考え方はあくまでも支流にしか過ぎません。旧約聖書の戦いの考え方の本流は、〝万軍の主が戦う〟のだから、わたしたち人間は武器を手にして戦う必要が無いのだというものです。神さまが戦ってくださるのだから、その神さまに信頼するときに、わたしたち人間は武器を手に戦う必要がないというのが、わたしたちの信仰に他なりません。
 やはり「平和」の実現には、「戦争」は必要ありませんし、武力を用いて実現される「平和」は、「キリストの平和」には程遠いものだとしか思えません。なぜならば「正義と平和」とは、すべての人、ひとりひとりが大切にされる状態の実現だからです。
 世界経済フォーラム(WEF)が発表した、2023年のジェンダーギャップ指数は125位で、過去最低でした。驚くべきことにWEFの報告書では、世界の男女平等の達成は「2154年」になると予測されており、わたしたちが生きている間には、男女平等は実現しないことが指摘されています。また、難民・移民の人々をより困難な状況へ追い込む、入管法の改悪が6月の参議院本会議でなされました。LGBTQ+への理解を増進し、差別を解消することを目的としていた「性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(LGBT法)も同じ参議院本会議で成立しました。このLGBT法も当事者からは「無い方がマシ」と評価されているように、むしろ差別することを容認する方向に働く可能性を持った法律が成立しています。このように、わたしたちの社会は、多様性を許容することが出来ない残念な状況に未だあります。
 多様性を、人と違うことを認められないのは、わたしたちの社会がひとりひとりを大切にしていないことの証拠です。互いの違いを認められず、受け入れ合うことが出来ない社会は、争いを生み、いのちを奪い合う生き方に、わたしたちを追いやって来たのです。
 改めてこの8月に、わたしたちの歩みが平和に向かう歩みになるように、ひとりひとりの人を大切にするには、どう変われば良いのかを考え始めたいと思います。

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖マタイ教会牧師)

〝教区再編〟を考える

 3年以上に及んだコロナ禍による様々な制限からようやく解放され、礼拝や集会等のあり方も各教会の判断に委ねられることになりました。徐々に対面による会議、学びや交流の機会が回復する中、この4月から、毎月第3主日に三重県にある桑名エピファニー教会と四日市聖アンデレ教会の礼拝奉仕を担当しています。ご承知のとおり三重県は京都教区になりますので、教区の枠を越えた協働の実践が目に見える形で始まったと言えます。既に数回ご奉仕させていただきましたが、その教会特有の礼拝の雰囲気や温かい交わりの中で、毎回新たな出会いや気付きが与えられ、励まされ、帰り道は自然と穏やかな心と感謝の気持ちに満たされています。
 一方で新潟県にある高田降臨教会では、6月から京都教区(北陸伝道区)の現任司祭お二人が、主日礼拝を担ってくださっています。また、6月28日(水)~30日(金)には、初めて両教区の合同教役者修養会が岐阜の地で開催されます。このような教区間の協働関係の深化は、今後一層促進されることになるでしょう。
 2020年10月に開催された日本聖公会第65(定期)総会の決議に基づき、日本聖公会に3つの「宣教協働区」(東日本、中日本、西日本)が組織されて以来、各宣教協働区では、協働の推進と教区再編の可能性についての検討が始まっています。特に東日本宣教協働区では、北関東教区が同総会において同じく導入が決議された「伝道教区」へ、翌2021年に移行したため、東京教区の主教が北関東教区の管理主教となり、新教区の設立を目標に熱心な協議が続けられています。北海道教区と東北教区においても、それぞれ新たに就任された主教を中心に、教区再編、協働への取り組みを重要課題として位置付けています。
 伝道教区制については度々誤解されることもありますが、教区としての運営が人的、財政的に困難な状態に陥った場合の対策、救済措置として導入された訳では決してありません。そうではなく、教区再編に向けて舵を切ることをとおして、日本聖公会全体として積極的に宣教体制の立て直しへと踏み出すために、主教会の提案により決議、導入されたものです。重要なことは、1990年代以降、年を追うごとに顕著になっている教勢衰退の現実を真摯に受け止め、課題を整理、共有し、その上でこれからの福音宣教のビジョンについて議論し、実態に即した宣教の活性化を目指すことです。個人的には、教区再編は先延ばしすればするほど問題は深刻化し、次世代に重く圧し掛かることが容易に予測されるため、相乗効果とスケールメリットが活かされるうちに早期実現されることを願っています。
 中部教区が属する中日本宣教協働区(横浜、中部、京都、大阪)では、これまで10回に亘る協働委員会やチャプレン研修会がオンラインで開催されてきました。また、各教区主催の研修会等の情報や代祷表を共有し、互いに支え合い、祈り合うことを大切にしてきました。日本聖公会の組織成立当初から繰り返し議論され続けてきたにも拘わらず、その実現には至らなかった教区再編について、いよいよ実感をもって話し合っていきたいものです。

司祭 テモテ 土井宏純
(中部教区 主教補佐)

祈りを唱えながら…

 新年度が始まって一ヶ月が経ました。この一ヶ月間、多くの幼稚園、保育園、子ども園でも同様かと思いますが、
にこにこ顔で登園する子もいれば、母親との別れが悲しくて門の前に来ると一段と泣き叫ぶ子、必死に悲しみをこらえてうるうる顔で教師に手を繋がれて部屋に向かう子と、個性様々です。加えて、子どもばかりか母親や父親の個性も感じる時です。各家庭の様子も何となく想像できるような時でもあるのです。でも、昨日は泣き叫んでいたのに今朝は全く様子が違って、親も教師も覚悟が拍子抜けするほど毅然と部屋に向かったり、
そんな一日の始まりですが、次第に泣き声も少なくなり、ひとり一人のその子なりの成長を感じさせてくれます。
 さて大人も子どもも皆が楽しみにしている黄金週間がやってきました。保育者の立場からすると、折角なじんできた園での生活が(全く)白紙に戻るような恨めしい連続休日でもありますが、今度の登園時にはどんな顔を見せてくれるのか楽しみにしています。
 この春、新社会人となった方々はいかがですか?
 近年、五月病という言葉は耳にしませんが、新しい環境や人間関係の緊張が緩み、疲れも滲み出してくる中で、以前のようなやる気も意欲も湧いてこず、進む方向や道を違えたか、己の資質の問題なのかと不安や自問が湧いてきますが、年齢や経験年数に関係なく誰もが一度や二度ならず問い続けているようにも思います。この際、思い切って自分がしたくない事、避けたいこと、行きたくないところを挙げてみると良いかと思います。義務感や責任感で行っている事や思っている事を含めて、自分の本心を正直に見つめ、吐き出すことは精神衛生上とても重要なことです。

 「マイカルの祈り」
主よ、あなたが行かせたいところに連れていってください。
あなたが会わせたい人に会わせてください。
あなたが語りたいことを示してください。
私があなたの道をさえぎることがありませんように。

 この祈りはニューヨーク同時多発テロで犠牲となった、マイカル・ジャッジ神父(カトリック司祭)がニューヨーク消防署のチャプレンとして、事故や火災で家族を失った人々、ホームレス、エイズ患者、LGBTQの人達のために働きながら、子どもや大人、どのような人に対しても彼が人と出会う時、そして「現場」に行く時に必ず唱えていた祈りとのことでした。そして彼は2001年9月11日(火)その日にも、この祈りを唱えながら世界貿易センタービルへと向かい殉職されたのでした。やがてこの祈りは同僚の消防士達の現場へ向かう祈りだけでなく、更に多くの「現場」に向かう人達の祈りへと広まりました。このマイカル神父が遺された祈りの言葉に、癒やされるような、救われるような…励まされ、支えられます。めげそうになる時、自ずと力が湧いてくるような祈りのように思います。
 自分の「現場」を「現場」として受けとめ、思いを新たに今日も出かけて行けるといいですね。

司祭 エリエゼル 中尾志朗
(一宮聖光教会牧師)

釘跡に連なる

 聖ミカエル保育園には2階にあるホールの奥に園長室がある。保育園にいるときは、ホールで遊ぶ子どもたちの賑やかな声を聞きながら、この部屋で過ごすことが多い。朝、昼、夕方と子どもたちが自由に出入り出来るようにしてあり、子どもたちも多い時には10人近く部屋で過ごしている。話をしてくれる子、ニコニコしながら満足そうに大人用の椅子に座っている子、不思議そうな顔をしながら部屋の中を見回している子など、様々な姿を見ることが出来る。
 ある夕方、延長の時間帯にいつものように子どもたちが園長室を襲撃しにきた。ここで、仕事はいったん休憩となる。今日は2歳児クラスの子どもたちに園長室が占拠されたぁと思いながら、ある女の児が園長室に置いてある十字架に目を留めているのに気が付いた。そして、その児が「十字架にいるのはだれ?」と聞いてきた。イエス様だよと答えると、続けて、「どうやって十字架にいるの?」を聞いてきた。おそらく、十字架にいるイエス様がどうやって十字架に架かっているのか知りたかったのだろう。十字架をその児の前に置いて、釘に打たれて十字架に架けられてしまっているイエス様の姿を見せた。「痛い、いたい」と言って釘で打たれた手と足を指さしていた。そして、暫く考えて、「どうやったら助けてあげられるんだろう、助けてあげたい」と、それも満面の笑顔で話してくれた。
 これには、正直驚いてしまった。助けてあげたいという思いに至ったことがなかったからである。振り返ってみれば、イエス様に守られながら歩んでこられた自分がいる。自分がイエス様を助けるなんて、おこがましいこととはいえ、助けるという考えにおよばなかったのは何故だろうか。助けてもらえるのが当たり前だと思っていたのだろうか。苦しんでいるイエス様から目を逸らして歩んでいたのだろうか。それとも、苦しんでいるのがイエス様だとでも思っていたのだろうか。
 この時期になると幼児虐待の母親の話を思い出す。父親が子どもに暴力を振るっている時、私は暴力を受けることはなかった。誰かの痛みの上に自分の安心が保証されている世の中になっている気もする。それは、学校や社会での苛めにも同様なことが言える。自分が助かるために苛めに加担する、また、見て見ぬふりをする。助けてと言える社会になっているのだろうか。そして、その言葉が届けられる世の中になっているだろうか。
 私たちはイエス様の十字架を通して罪から解放されて歩むことが出来ている。イエス様の十字架での苦しみや痛みのうえに自分があることをこの釘跡に目を向けてイースターを迎えたい。一人でも多くの人がイエス様の釘跡に触れ、苦しみや痛みから解放されますように祈り歩み続けたい。
 この女の児はこれを機に十字架上のイエス様に話しかけている。痛くはないの?助けてあげるからね、と。

司祭 フランシス 江夏一彰
(上田聖ミカエル及諸天使教会・軽井沢ショー記念礼拝堂牧師)

人智では計り知ることは出来ず

 1890年は岐阜聖パウロ教会の設立年ですが、大垣聖ペテロ教会(以降、ペテロ教会)の基礎が築かれた年でもあります。この年、A・F・チャペル司祭らは、岐阜県各地で集会を行い、特に大垣には力を入れて講義所を設置し、後に九州教区で司祭となる本田清次伝道師が定住を開始しました。
 翌年、濃尾地震が起き、岐阜も大垣もその建物を焼失してしまいます。岐阜では仮小屋にて礼拝を再開するとともに、被災した視覚障害者の支援を開始しました。大垣では1年後の1892年に仮会堂を建て、大垣聖公会と名付けられました。
 仏教が強固な大垣での宣教には多くの困難があったようです。当時の状況について、横浜教区で従事された後に大垣に来られた田中則貞伝道師は『基督教週報』で次のように報告しています。「東本願寺派の盛りなる地とて基督教を顧るものは殆どなき有様にて、寄らず触らず敬して遠ざけると云ふ有様なれば、伝道は非常に困難なり」、「小生は房州に伝道せし時と比較すれば、殆ど無人島に居る心地せり」。
 こうした中での信徒の働きは注目に値します。「祈祷会は信者交る交る司会奨励いたし居り之は必ず10名以上の出席者有之候」「毎週2日の説教会も半ば信徒の働きといたし居り候」「毎月1回信徒の宅に於て祈祷書講義会など開き居り候」「教会へ出で渋り居る者も此集会へは喜んで出席しいたし候」。今から100年以上前の様子ですが、信徒による礼拝や集会が生き生きと行われていたことが窺えます。信徒主体の集いにこそ、ペテロ教会の礎があったと言っても過言ではありません。
 現在ペテロ教会は中部教区において人数的に最も小さい規模の教会共同体の一つです。しかしながら毎主日の礼拝を信徒が中心になって守り続けておられます。その営みは実に100年以上前から培われてきたものであるわけです。
 ペテロ教会の特筆すべき活動に「大垣市内キリスト教信徒会」があります。1971年に始まったこの会は、幅広い教派が参加しているもので、毎月各教派が持ち回りで集会を行なっています。ここでも注目すべきなのは、この会が「信徒会」の名前の通り信徒によって運営されているという点です。そしてペテロ教会の信徒はこの交わりを中心的に担ってこられました。
 ある信徒の方が、ペテロ教会の宣教開始75年目に際して次のように書いておられます。「この土地に教会を設けられて以来、厳然としてこの教会を維持し給うその大御心、御計画は人智では計り知ることは出来ず、一つの魂をもおろそかにしない神の恩寵を思うと、ただ熱い涙が袖をぬらすばかりである。」「私共はいかに年老いて目が曇っても、霊眼をぱっちりと開いていついつまでも、十字架よりしたたる血汐を見つめ、神が我ら人類に何をなし給うたかを常に考えたいものと思う。」
 ペテロ教会は、定住教役者のいない時代が長く、人数的に大きな教会となったこともありません。しかしながら信徒が主体的に教会を担っておられ、その熱い信仰が受け継がれています。そのようにして130年もの間、この地に信仰が継承されていることに、改めて神の計り知れない働きを感じるところです。


司祭 ヨハネ 相原太郎
(岐阜聖パウロ教会牧師)