『彼らは戦いに備える』 

「わたしが平和を求めて語るとき∥ 彼らは戦いに備える」 (祈祷書 詩編第120編7節)
今年も8月がめぐってきました。 8月には広島、 長崎への原子爆弾投下や日本敗戦のことがあり、 より具体的に平和について考え、 祈らざるを得ません。
第二次世界大戦後、 1948年の国連総会で採択された 「世界人権宣言」 では、 「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、 世界における自由、 正義及び平和の基礎である」 と述べられています。 一人ひとりの人間を尊重せずに、 少数者や弱者を否定し、 偏見を押しつけ憎悪の対象とすることで、 様々な問題の解決を図ったことが戦争の一因であるとの反省からです。
昨年12月15日に教育基本法が参院本会議において、 与党の賛成多数で可決・成立しました。 この 「改正」 は、 開かれた議論が全くといってよいほどなく、 憂慮せざるを得ません。 そして、 この教育基本法の 「改正」 は、 国が国民に、 国家権力にとって都合の良い 「あるべき国民の姿」 を押し付けようとしていることの現れでもあります。 誰もがありのままに生きていくことを保障するのが、 国の責任で、 世界人権宣言で謳われているように、 それが正義と平和への道筋です。
しかし時代の流れは、 憲法 「改正」 が声高に叫ばれ、 平和への道ではなく、 戦争へと行く先を変えられようとしているのではないでしょうか。
安倍晋三首相は著書 「美しい国へ」 の中でこんな風に言っています。
「同棲、 離婚家庭、 再婚家庭、 シングルマザー、 同性愛のカップル、 そして犬と暮らす人…どれも家族だ、 と教科書は教える。 そこでは、 父と母がいて子どもがいる、 ごくふつうの家族は、 いろいろあるパターンのなかのひとつにすぎないのだ。 たしかに家族にはさまざまなかたちがあるのが現実だし、 あっていい。 しかし、 子どもたちにしっかりした家族のモデルを示すのは、 教育の使命ではないだろうか。」 (「美しい国へ」p.216―217)
「美しい国へ」 を読むと、 安倍首相が目指す 「美しい国」 への道は、 正義と平和への道である人間の多様性を認めることと、 対極にあるということが分かります。 「男は男らしく」 「女は女らしく」 という考え方は、 男女共学さえも否定し、 「典型的な家族のモデル」 こそが 「あるべき国民の姿」 であることを強調します。
男は妻と子どもを守るため、 「男らしく」 戦う美しい国。 多様性が認められる社会とは対極のこの考え方の下では、 「男は男らしく」 「女は女らしく」 なければいけません。 このような社会の中で、 「男らしく」 なければならない男たちは、 日常生活でも 「男らしさ」 を短絡的に力、 支配、 威圧、 攻撃、 権力と重ね合わせ、 その矛先を身近な女性へと向けてしまう不幸な状況は、 今ますます拡がっています。
教会の福音宣教の目的は、 誰もが神さまからいただいた命を光り輝かせて生きる世界の実現を目指すことです。 その神さまの業に参与してゆくことです。 一人ひとりの生き方や家族のあり方に国が口出しする現状は、 戦争への道へと続いていることを忘れずに、 正義と平和を否定する力に抗いながら、 福音を宣べ伝える働きに参与することを、 この8月に改めて心したいと思います。

司祭 アンブロージア 後藤 香織
(名古屋聖ヨハネ教会管理牧師 )