『網を降ろしなさい』

 秋の味覚の季節、多くの恵みに与る季節を迎えています。豊橋には日本一の生産量を誇る次郎柿があります。収穫ができるようになって100年が経ちます。松本次郎吉さんが、1844年(弘化元年)に幼木を見つけ、豊橋に植えたのが始まりとのことです。「柿が赤くなれば、医者が青くなる」と言われるほど、ビタミンCが(レモンよりも)豊富です。時々牧師館に信徒の方が送られてきた旬の果物を、時には報告書を届けるついでにこれを食べてとか、「魚の配達人でーす」と、ご主人の釣果の魚を持ってきてくださったりなど、山海の恵みに与る機会があります。その一つ一つが人々の手によってもたらされ、さらなる恵みに気づかされます。信徒の皆さんは、季節の恵みを届けるだけでなく、あなたは神様の恵みに生かされ、それに応えて教会の業に励んでくださいね、と祈ってくださっているように思います。

 ルカ福音書5章には漁師たちを弟子に招くイエス様がいます。イエス様は漁師に「網を降ろしなさい」と声をかけますが、その時漁師たちは「夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と疲れ切っており、イエス様のみ言葉を聞く状況ではありません。けれどシモンは、イエス様から自分の姑が苦しみから癒されたことを聞いていたのでしょう(4章)。それならば、と網を降ろします。するとおびただしい魚がとれました。シモンはこの収穫を見て、有頂天にもならず、やっと苦労が報われたとも言いませんでした。「主よ、私は罪深い者です」と、悔い改めに導かれます。「網を降ろしなさい」という言葉はギリシャ語では「カラサテ(カラソウ)」が用いられています。降ろすとか、緩めるという意味に使われます。自分たちの収穫だけに目を向け、思いっきり力を入れて引っ張り上げることばかり考えてしまったり、こっちの方に収穫があるのではと、あらぬ方向に網を降ろしたりしてしまう私たちです。力を緩め、それぞれに与えられた賜物である網をイエス様のみ言葉に身をゆだね、降ろす時、シモンのように神様の恵みに包まれ生かされている私がここにいる、ということに導かれることでしょう。なぜお弟子さんたちの中に漁師が多いかは、イエス様しかご存じありませんが、自分の力ではどうしようもなく、イエス様によって、ただ恵みに生かされている自分であることを一番知っていた人たちではなかったかと思います。

司祭 マルコ 箭野眞理
(豊橋昇天教会牧師、豊田聖ペテロ聖パウロ教会管理牧師)

『礼拝堂の掃除』

この夏、困った珍事件が起きました。例年にない猛暑が続いた日の朝、礼拝堂を開けに行くと、祭壇の周り一面に木屑が散乱しているのです。古い建物ですから、尖塔の下などは風の強かった翌朝にはホコリや吹き込んだ枯れ葉が落ちていることも少なくないのですが、こんな惨状は初めてでした。嫌な予感が頭をよぎり、お世話になっている大工さんに診てもらうと、案の定原因はアリ(シロアリではなく腹部の赤い大型のアリ)の大量発生によるものでした。早速殺虫剤などを用いて駆除作業に取り掛かると、天井板の隙間から次々と落下…、元気なアリは床に落ちても礼拝堂のあちこちへと逃げ回り、掃除機を手に汗だくになりながら、おそらく数千匹のアリと格闘する羽目になりました。お陰で現在は沈静化した模様で、結果として礼拝堂の隅々まで綺麗になり、来訪者からは「掃除が行き届いて気持ちがいい」とお褒めの言葉までいただきました。

当教会に赴任した年の忘れられない出来事があります。礼拝堂入口の机の上に常設してある来訪者ノートに、ある日このような書き込みがありました。「テレビで観るより古く、がっかりです。整理整頓して下さい。」本当にショックで、嫌がらせかと怒りの気持ちさえ禁じ得ませんでした。なぜなら毎日欠かさず掃除をしていましたし、同日の続く書き込みには「当時そのままの姿に感動しました。今のまま長く維持していただけるように祈っております。」「こんなチャペルで子供達を挙式させたいと思います。」と気遣いとも思える温かいメッセージが並んでいたからです。

しかし、2年前に協働関係にあるホテル音羽ノ森の社員旅行(宗教施設を巡る旅)に同行した折、ある気付きを与えられました。最初に名古屋聖マタイ教会を表敬訪問した後、伊勢神宮に立ち寄り、目的地である京都では金閣寺や清水寺など代表的な寺院を訪問しました。2月の真冬であったにも拘らず、どの寺社も観光客で賑わっていましたが、(有料とは言え)何よりどの施設も内部だけではなく境内地も整然と手が入れられ、何とも言えない清々しく凛とした空気に包まれていました。その時以来、もしかしたらあの書き込みをした人は、そのような空気を求めていたのかもしれないと思うようになり、完璧にという訳にはいきませんが、出来る限り心を込めて掃除をするようになりました。

仏教では、僧侶の修行の基本中の基本はお経や座禅よりも、まず掃除であると聞きます。それは一見おろそかにされがちな掃除が、実は心を磨き豊かな人格を養うために、絶対不可欠な要素であるとの考えからだそうです。そしてそれはキリスト教をはじめ、すべての宗教にも相通ずるものがあるように感じるのです。

私たちの教会は、今年礼拝堂聖別120周年を迎え、9月6日には記念礼拝を長野伝道区合同礼拝として行うことになっています。聖霊の宮とも言われる教会に集ってくださる方々が、少しでも爽やかに気持ちよく祈りと賛美をささげられるように、喜びをもって準備していきたいと思います。

司祭 テモテ 土井宏純
(軽井沢ショー記念礼拝堂牧師、新生礼拝堂管理牧師)

『他宗教との共生と平和』

松本聖十字教会の耐震補強工事も具体的に礼拝堂への改修が始まりました。まだまだ工事目標額まではいきませんが、とりあえず必要なところから始めて、クリスマスには聖十字幼稚園の園児が松本聖十字教会の礼拝堂で過ごすことができるようにと努力していますので、これからも献金をお願いできればと思っています。

さて、耐震補強工事の関係で、ある工事関係者の方とお話をしていましたら、公園のなかに神社もあり、役所がその公園の整備をしたら宗教関係者から訴えられたという話を聞きました。そして、その方は、「宗教というのは、こういう争いごとばかりするから嫌だ」と、そして、「あの宗教は良くてこの宗教はいけないというなら、イスラム国(編者注:同国を名乗る過激派組織ISILのこと)のやっていることと同じではないか」と語られていました。私は、とても複雑な思いで聞いていましたが、確かにキリスト教をはじめとして宗教とは、互いに尊敬し合い協力し合って、苦しんでいる人々に具体的な喜びをもたらすものであるから、自分の宗教の利益だけを考え、自分の宗教だけが正しくてこれを信じなければ救われないという絶対主義はおかしいと感じました。

このように言いますと、唯一絶対の神を信じるキリスト教に反していると思われるかもしれません。しかし、キリスト教の絶対性を超えて、不寛容と独善を克服し、宗教が互いに尊敬し協力して、苦しんでいる人々が必ず救われるということを知らせ、示していくことの方が大切であると思います。歴史をさかのぼれば、キリスト教も相当ひどいことをしています。だからといって、キリスト教にも良い面がたくさんあるのですから、そのような目で、神道、仏教、イスラム教、ユダヤ教の良い面をみていくことができるのではないでしょうか。

アメリカの臨床心理学者、カール・ロジャースは、「来訪者中心療法」を提唱していますが、そこで大切なことは、カウンセラー(援助者)は、クライアント(相談者)の言葉、考え、感情、説明、そのすべてを受け止めること、すなわち受容し共感することであると言っています。ここで注意しなければならないことは、受け止めることと受け入れることは違います。よく間違えられますが、受け入れるということは、なんでも「その通り」ということになります。ですから、ISILの信仰も「その通り」と言うと、奴隷や殺人も受け入れてしまうことになります。カール・ロジャースが言っていることは、受け入れるということではなくて、受け止めるということ、立ち止まるということ、共感し、対話をする用意を持つということです。他の宗教と対立し、自分の宗教の拡大だけを目指すのではなく、他の宗教と共感し、共生する道を選ぶべきであり、これこそ、キリスト教が平和の器になることであると思います。

司祭 ヨセフ 石田雅嗣
(松本聖十字教会牧師、飯田聖アンデレ教会管理牧師)

『新生病院で出会ったKさんの「愛している」との言葉から』 

新生病院のチャプレンとして新たな歩みを始めた私は、前任者の石田雅嗣司祭からの引き継ぎ通り、朝8時半と午後1時半に4階の緩和ケア病棟で行われるミーティングに出るようにしています。朝、夜勤を終えた看護師から日勤の看護師に連絡事項を伝えるその場は、医師、看護師、ソーシャルワーカー、チャプレンなど多職種の人々による連携のための大切な役割を果たしています。
Kさんとの出会いと交わりを紹介したいと思います。
Kさんは、入院の時からチャプレンとのお話を希望されている方の一人でした。「一生懸命に働いて来たし、退職してからも色んな趣味も楽しめたし、悔いはない」と言われていました。ピアノの音が好きなKさんは、ピアノを弾きたいとのことで、部屋の片隅に鍵盤を置き、自ら弾いたり、訪ねてくるお嫁さんに弾いてもらってその曲を楽しんだり、音色を聞きながら眠ることも度々ありました。
両目が不自由で、しかも難聴でもあり、熱が出たり、眠って過ごしたりする時間がだんだん長くなり、お話できる機会が少なかったのですが、体調の良いある日、隣で付き添っているお連れ合いさんに色々と説明を加えていただきながら、家族のこと、仕事のこと等、様々なお話を伺うことができました。
自分が農家の長男でありながらも教員の仕事を続けることができたのは、お連れ合いさんが畑について責任を持ってくれたおかげであり、今まで本当にありがたかったとお話されました。そんなお話をしていると、隣でお連れ合いさんが「私のような者が嫁に来ちゃった」と言いました。するとKさんは「そう言われるととても寂しい」と話しながら、手でハートを描き、「愛している」気持ちを表現し、大切に思っていることを伝えたのでした。お連れ合いさんは「どうしたの?今までそんなこと言われたこともない」と驚きながらも嬉しい気持ちを隠せませんでした。
別の日には、私の顔が見えないとおっしゃるので、お連れ合いさんがメガネを掛けようと顔を近づけると、手でその顔を何度も何度もなでるのでした。目が悪くなってきたこともあり、目で顔を見る代わりに、手で顔をしっかりと確認しているかのようでした。お連れ合いさんも照れながらも嬉しそうにその手の暖かさを受け入れていました。
病院のチャプレンの仕事は多くの患者さんと一緒に過ごし、時には死にゆく場面にも立ち会うこともあることから、色々な方に、毎日大変ではないかとよく聞かれます。
しかし、スタート博士は病院の勤務者に配布するために書かれた数ページの冊子の中で、患者さんと接することは「神様が癒してくださることへのお手伝い」であると述べていたと伺いました。新生病院にたずさわる者は、神様の癒しを経験して生きていることを常に心がけているわけです。医師や看護師だけでなく、私自身も神様の癒しの業に参加していることを日々感じたいと思います。病の中でこれまでの人生を振り返る方々との出会いを通して、私自身も多くを感じ、その方々の尊厳と命の強さを学ばせていただいています。主に感謝。

司祭 フィデス 金 善姫
(新生病院チャプレン、新生礼拝堂副牧師、飯山復活教会管理牧師)

『人 の 夢 と 欲』 

6月になって軽井沢は、新緑の中で結婚式も多くなります。結婚準備のオリエンテーションのとき、二人にどんな家庭を築いていきたいのかを伺います。ありきたりの言葉であっても、自分たちが始めていく結婚生活で家族や周囲の人たちが喜びあえるように努力する、彼らの夢は小さなものかもしれませんが、人々を喜ばすことにおいて広がっていくことになればと思います。人は夢を持ち、実現していこうとします。それが人々の喜びや幸福につながっていくならば社会への貢献となるでしょう。しかし社会的に成功してもそれが他の人や他の国の犠牲の上に成り立っていれば、人が抱く夢も夢ではなくなってしまい、いつしかそれは「人の欲」になっていくのではないでしょうか。
戦後70年、戦争体験を語ることのできる人々が少なくなっていく中で、私たちは平和を夢みて、ある意味実現させてきたと思います。しかし一方で命の危険や騒音、犯罪による犠牲を米軍基地周辺の人々に押しつけた「平和」を歩んできました。この「平和」をただ享受していくということは喜び合える夢ではなくて、人の欲になっていくのではないでしょうか。
また東日本大震災によって改めて放射能の怖さを私たちは知りました。またそれは原発の稼働が一部の地方に住む人々の危険や犠牲のもとに成り立っていたということです。快適な暮らし、平和な生活は多くの犠牲と私たちの欲によるもの、ということを隠していくことはもうできません。
創世記には「風の吹くころ、主なる神が歩まれる音を聞き」罪を犯してしまったアダムとイブは隠れたと書かれています。自分たちは弱く、清さを失った裸の姿であることを知ったのです。神様によって創造された清さを失い、闇が心の中にまで広がってしまいました。神様の創造された世界に茨とあざみが広がるように、人間のエゴや欲望が現代まで広がります。
イエス様は山上において「あなたがたは地の塩である。世の光である」と語られました。この世界に対して私たちがその腐敗を止め、清めていく、味付けていくようにと呼びかけました。でも私たちは隠れてしまいたくなるほど自分の中の闇を知っています。パウロはローマの信徒への手紙の中で「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。」と旧約聖書の時代から続く、罪の中の人間を書いています。自分を見つめれば、まず自分が清められたい存在であることを告白せざるを得ません。しかしイエス様はご自分の十字架によって、私たちを地の塩、世の光として用いようとなさったのです。主イエスのあわれみによって、私たちは自己中心の考えや欲望に向き合ってこれを抑えなければなりません。
意識するしないに関わらず、米軍基地や原発の「恩恵」に私たちは生きてきました。巨大な基地や原発をめぐる利権が動く中で、生活の快適さや安全、平和の根底に私たちの思い上がりをもってしまったのではないでしょうか。犠牲を遠くに住む他者に押しつけて、共感する心を失っていないでしょうか。神の赦しと恵みを受け、他者への祈りと共感を実現させ、喜びあえる者でありたいと思います。

司祭 マタイ 箭野直路
(ホテル音羽ノ森・旧軽井沢礼拝堂チャプレン)

『青年期の自分に出会う。そして、友達…。』 

先日、韓国に行ったときのことです。高校卒業で離れ離れになり、その後探し続けていた親友とやっと電話がつながりました。彼を通して、他の同窓の友人たちの近況も聞くことができました。さらに今回、大学の親友にまで会うことができました。彼らと話ができたのは、1993年の卒業以来ですので、約20年ぶりのことです。電話一本ですぐ会えたのに、何故こんなにも会うのが難しかったのか。何故こんなにもその道のりは遠かったのか。
4年間の大学時代は、私の人生の花と言える時期です。信仰を通して交わるという初めての経験、その中で築いた親友との格別な友情、友達の狭い部屋に上がり込んで文字通り体をぶつけ合いながら過ごした貧しい暮らし。時には友人の痛みに深く関わり、時には少し離れて見守りながら、お互いに支え合った時期。出会いと別れ、慰めと励ましを共に経験した時期でした。
親友と再会している内に、学生時代にお世話になった沢山の顔が目に浮かんできたのですが、その中でも特に二人の先輩を思い出しました。人生の目標が明確ではなかった私に、信仰の灯火を点けてくれた先輩です。その一人は、イエスは生きていて私を愛しておられることを私のこの胸にしっかりと気づかせてくれた人です。もう一人は、大学職員として就職した後、全てを捨てて牧師の道に進み、さらに詩人へと変貌を遂げながら、素敵に生きていた人です。すでに二人とも神様のもとに旅立ってしまったのに、「ありがとう」の言葉を直接伝えることができませんでした。豊かではなかった時代、本当の兄弟姉妹のように後輩の面倒を見て、食べ物を用意してくれた先輩たち一人一人の顔が浮かんできます。希望が見いだせず、暗く、袋小路に迷い込んでいた私に、柔和な表情を一変させて鬼の顔になって怒鳴ってくれた先輩たち。「こんにちは」ではなく「幸せでね」「幸せに生きるのよ」と、挨拶する人たちでした。
さて、大学4年間、一緒に暮らしていた友人の一人にインムクという名前の人がいました。インムクは、1年生の時から偶然同じ下宿の同じ部屋を使うようになって以来の親友です。ある日、インムクの実家から連絡がありました。「弟が死んだ」と。インムクは受話器を下ろすと、急いで家に向かいました。私も翌日、何も考えずに彼の実家に向かいました。しかし若かった私にはインムクに慰めの言葉を言うこともできません。とにかく、ただインムクの近くに座って顔を見ていただけでした。その時のインムクの一言、「弟とあまり話ができなかったことを後悔している」の言葉は、今でも耳に強く残っています。私たちは顔と顔を合わせて出会い、話を聴くことを大切にしようとしていたはずなのに、自分たちにはそれができていない。私自身も、友人が辛い時に何もできない自分に、至らなさを感じていました。ところがインムクは、後になって、「大変だったときに、一緒になって座っていてくれた人」と、私のことを表現してくれたのです。
今回、久々の再会を通して、あの頃を思い出し、出会うこと、交わることとは何かを振り返ることができました。神様は、あらゆる方法で、出会いと交わりを通して和解の業を成し遂げようとされています。倒れて立ち上がることも困難な人たちと共に、まず一緒に座ることのできる私でありたいと、今、改めて思っているところです。

司祭 イグナシオ 丁 胤植
(長野聖救主教会牧師、稲荷山諸聖徒教会管理牧師)

『恐ろしかったからである』 

「実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」
(コリント一15・20)

主のご復活をお喜び申し上げます。
聖パウロは、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(コリント一15・14)と言っています。わたしたちの信仰も宣教も教会も、すべてイエス・キリストの復活の上に乗っていることを復活日に当たり改めて確認いたしましょう。
今年の復活日の福音書聖書日課はマルコによる福音書から選ばれています。マルコ福音書の復活の記事には「ご復活おめでとうございます」という状況はどこにもありません。福音書は、「(婦人たちは)恐ろしかったからである」で終わっています。そのあとイエス様が復活したとは何も書いてありません。何とも奇妙な終わり方です。
しかし、その奇妙な終わり方が逆にイエス様の復活をより現実味あるものにしているのです。婦人たちは何が恐ろしかったのでしょうか。墓にイエス様の遺体がなかったことでしょうか、白い衣を着た若者(天使)がいたことでしょうか、「イエス様が復活した」と、想像も出来ないことを告げられたからでしょうか。おそらくそれらすべてが彼女たちにとっては恐ろしい出来事だったのです。
婦人たちが震え上がり、正気を失い、恐ろしかったのはまさに神様の業―想像もできない、得体のしれない不気味な出来事に触れたと感じたからでした。丁度、マリアがイエス様の誕生を天使から告げられた時に感じたのと同じ恐れです。
復活の出来事は人間業ではありません。まさに神(の)業です。天使は、「あの方は復活なさって、ここにはおられない」と告げましたが、「復活なさって」という言葉はイエス様がご自分で復活したと読めますが、直訳すると、「復活させられて」という受身形です。だれに復活させられたのでしょうか。言うまでもなく父なる神様にです。父なる神様がイエス様を復活させられたのです。
わたしたちは今日イエス様のご復活をお祝いし、喜びこそすれ恐ろしいとは感じません。しかし復活とは本当は恐ろしいことなのです。「死んだ人が復活させられる」―これ以上にない神の業であり、わたしたちも婦人たちと同じように恐ろしさを共有するのです。
しかし、わたしたちはイエス様のご復活をただ恐ろしがっているだけではもちろんありません。神様がイエス様を復活させられたのは、復活されたイエス様を信じる者に同じように復活の命をくださるためでした。わたしたちは洗礼によってキリストと共に死に、復活の命に生かされています。人間の次元をはるかに超えた、その偉大な恵みに感謝し、永遠の命に生きる者としてイエス様のご復活をお祝いするのです。
終わりに、教区基金造成募金に対する皆様のご協力に改めて感謝申し上げます。2月末現在で2100万円を超える献金をお献げいただいています。新しく聖職候補生(神学生)も生まれました。各教会の補修のためにも用いることができます。新しい宣教活動も視野に入れていきたいと思います。引き続き皆様のご協力をお願い申し上げます。

主教 ペテロ 渋澤一郎

「飯山復活教会のこと」

 昨年最後の巡回は12月28日の飯山復活教会でした。年末の忙しい時でしたが2014年最後の礼拝を飯山の皆さんと一緒にお献げすることができ感謝でした。
 飯山復活教会は市内で唯一礼拝堂を持った教会ですが―ちなみに他に教会は単立の教会(集会)一つのようです―、最近その存在がクローズアップされています。飯山市が礼拝堂に関心を持ち、市の活性化の中心にしようという計画があるのです。
 昨年の教区会で代議員の金子さんが報告しておられましたが、11月に「復活教会を中心とした地域再生を試作する」イベントとシンポジウムが礼拝堂を会場にして開催され、市長や美術家の方々が教会界隈の再生について話し合いました。
 シンポジウムに先立ちボランティアの方々により教会の周辺がきれいにされ、礼拝堂前ではオープン・カフェが設けられ、飲み物とケーキが無料で提供されました。
 また、シンポジウム終了後、夕方からは一夜限りですが礼拝堂がライトアップされ、暗闇の中にきれいにその姿が浮かび上がりました。(信州の情報誌にも掲載され、また、教会の方がカレンダーにもしておられます。)ライトアップに合わせて地酒とオードブルも振る舞われたとのこと。思わず行ってみたくなる情景です。
 教会を中心とした街づくりという概念は聖公会という教会の特徴でもあります。信徒の皆さんも教会が地域の人々に関心を持たれ、用いられることを積極的に受けとめ、協力を惜しみません。地方都市ならではの、顔と顔が見える関係の中で、教会の皆さんと地域の皆さんが協力し合うという一つの宣教の形がそこにはあるように思いました。飯山復活教会の今後に期待します。
 大斎節を迎えています。イエス様の受難・復活を覚えつつ信仰生活を送りましょう。

『命をひかり輝かせるように…』

昨年の11月4日~7日の日程で、九州教区主催の「ベテル・フェローシップ」説教セミナーが、九州教区センターと福岡ベテル教会を会場に行われました。福岡ベテル教会の古賀ミツ資金を用いて行われたこのセミナーは、各教区より1名の教役者が参加して行われ、中部教区からは、わたくしが参加させて頂きました。
セミナーは最初に、西南学院大学の片山寛先生の講義から始まりました。そこでは、起承転結のある分かりやすい、聞きやすい説教をするようにと教えて頂き、初心に帰って説教準備をする恵みを頂きました。グループで一つの説教の準備をするという、初めての経験に戸惑いながら、また、自分とは違う説教準備の方法に感心しながら、聖書のみ言葉に耳を傾けました。情熱を持って神さまのみ言葉に向き合う同労の教役者達の姿は、とても頼もしいものであり、わたしたちの日本聖公会が、神さまの愛の眼差しの中にあることを感じることが出来たセミナーでした。
このセミナーでの、み言葉から励まされる経験とは反対に、わたしの身近なところでは、み言葉によって傷つけられ、うちひしがれた人々の呻きに、呆然とさせられることがしばしば起こります。もちろん、神のみ言葉、聖書の言葉そのものが人を傷つけるものではないことは、言うまでもありません。み言葉を凶器に変えて、人に向けて振り下ろす。そんな説教が、教会の名の下になされているのです。
「聖書にこう書いてある、だから、お前は罪人だ」。「悔い改めなければ、地獄に落ちる」。そんな耳を疑うような断罪が、神のみ心に適わないけれども、神のみ名をかたって行われているのです。
わたしの説教は、そんな説教になっていないでしょうか。み言葉を使って、人を断罪し、その人の命の灯心をへし折るような仕業を、行ってはいないでしょうか。
今一度、聖書のみ言葉が、神さまの愛によって、人々の命をひかり輝かせるようにと記されていることを心に刻みたいと思います。そして、傷つき、うちひしがれている人々を、励まし、力づけられるように、み言葉にしっかりと耳を傾け、自分自身がみ言葉に励まされて、情熱を持って神さまの愛と恵みを語って行けるように、祈り求めて行きたいと思います。
「ベテル・フェローシップ」の会場になった福岡ベテル教会の敷地は、自然が溢れる2千坪近い癒やしの場所でした。九州教区センターで、ルカ武藤謙一主教、パウロ濱生正直司祭や参加の教役者と囲んだ水炊きは、格別なものでした。今年も引き続き行われる、「ベテル・フェローシップ」の説教セミナーに、また今年も参加したい気持ちでいっぱいですが、今年は、他の中部教区の教役者に譲らなければならないでしょうね。
どうぞわたしたち教役者が、情熱を持って説教の準備にあたることが出来るように、祈って頂ければ幸いです。
「わたしの岩、わたしの贖い主 わたしの言葉と思いがみ心にかないますように」祈祷書・詩編19・14

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖ヨハネ教会牧師 愛知聖ルカ教会管理牧師)

『雪の下に春を待つ』

2月初めのこの時期、新潟、長野の地域は雪に覆われる日が多くあると思います。前夜からの雪が降り積もった早朝、除雪の道具を手にまっすぐ雪と向かい合うとき、全ての音が雪に吸収されてシーンという音が聞こえそうな感じがする中でひたすら作業にいそしみます。少しずつ明るさが増してくる周囲の中で雪の塊は薄く青い色を見せています。作業をする中で頭の中も雑念のない、澄んだすっきりした感じになっていきます。全てのものが白一色になっていますが、その雪の下には、確かに春が力強く準備を始めています。
教会の暦では、被献日から大斎に向かっていくこの時期、自然の暦もやがて来る節分から立春を待つことになります。雪に閉ざされた自然の摂理の中で全てのものはじっと力を蓄えているのかもしれません。
イエス・キリストは、洗礼を受けられた後、最初の弟子たちに声をかけられます。そして安息日に会堂で力強く教えを述べ始められます。「人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(マコ・1・22)と書かれています。イエス様が洗礼を受けられる前にどのように過ごされていたのかは知る由もありませんが、一旦、福音宣教の道を歩み始められると、ちゅうちょなくまっすぐに進んでおられます。おそらくは、力をためるのにじっと準備をされる時を過ごされたことでしょう。
今の日本は社会全体も冬の時代なのかもしれません。慢性的な経済不況、東日本大震災の被災地の復興、原子力発電所の事故による被災者のこと、沖縄の辺野古問題に代表される基地問題、周辺国との歴史認識問題、こういった社会問題が背景にあって生じる人間関係のゆがみなど、抱えている問題が多くあります。それぞれの問題に、直接向かい合っている人々は、日々努力していますが、全体としての解決にはなかなか向かっていきません。「面倒なことは後回しにする」といった考えに社会全体が陥ってしまうと何ともなりません。先ごろの選挙においても目先の経済問題に終始して、こうした社会的・根本的問題をどのように解決していこうとするのかは問題になりませんでした。一方で問題は長引くほど面倒になってくるわけで「後回しにする」といったことでいいわけがありません。先ごろの原子力発電問題講演会で、講師の岩城聰司祭は「神によって造られたいのち。神によって創造された自然。神によって与えられた平和なくらし」を守る、という2012年の日本聖公会の総会の声明についても触れられましたが、問題を自分の都合の良いように範囲を狭めて考えていいわけではありません。原発問題でいえば、問題が起こっても避難できない動物や植物、自然全体のことを考えていかなければいけません。
一つ一つのことについてきちんと考えていくこと、たとえいくらかの自己犠牲を伴うとしても根本的に解決しなければなりません。社会の問題は、私たちがすぐに解決できるということではありませんが、それに対応するための根本的考えと姿勢は、雪の下の芽のように、やがて来る春を信じて常に変わらないものを持ち続けたいと思います。

司祭 ペテロ 田中 誠
(名古屋聖マタイ教会牧師 飯田聖アンデレ教会管理牧師)