さりげなく、なにげなく

モノクロの季節から色付く季節となり、桜の木も花から葉へと主役が変わる季節となった。そんな芽吹き時から3カ月位は、気を遣う時期でもある。

「江夏先生のPHSでしょうか?お話があるのですが…」という電話がかってくる。大抵、こう掛けてくる相手は研修医1年目の先生である。私は勤務先の病院では、本来の病理の仕事の他に、初期研修医(卒業後1、2年目)の担当責任者でもあり、総勢約30名の研修医を抱えている。

話の内容も様々ではあるが、研修がつらい、と言ってくるのが、この5月の連休前後から3カ月の間に多いのである。実は研修医がうつ病となったり、自ら命を落としたりするのも、この時期が多く、一般の方よりも自殺率が高いというデータもある。理想と現実のギャップによるストレス、同年代の研修医と比較して自分は出来ないという思い込み、将来への漠然とした不安など、メンタル面で落ち込んでしまうのである。

ある時、女性の研修医から2年間の研修を終える時に、「先生は私にとってお母さん的存在だったのです。分かりますか?大抵の先生は勉強しているか、仕事しているか、と聞いてきます。しかし、先生は私の顔を見ると、『ご飯はちゃんと食べているか?ちゃんと休んでいるか?実家には帰っているか?』と必ず聞いてくれました。この台詞どこかで聞いたなと思っていました。この間、実家に帰った時に母親が同じことを言っていました。その時から、私にとって先生は、お母さん的存在なのです」と言われたのである。医師として歩み出し、周囲からは先生と言われる立場になったとしても、よく考えてみれば大学卒後1年目、まだまだ社会人としては新人なのである。そんな新人に対して、上司である指導医は沢山いても、親代わりは少ないのかもしれない。また、病院見学に来た学生に、「私の父です」と紹介する研修医もいる。

このように研修医や、またいくつかの学校で学生とも関わっている。人を育てることや接するときにおいて肝に銘じていることがある。それは、感謝されることよりも感謝すること、人に仕え自分のために働くことである。自分のために働くというのは、自分が育てて貰っているという意味でもある。それは、教会生活においても同じである。神様や信徒に支えられ、育てて貰っている。そして、神様はいつも遠く近くでそっと見守っていてくださり、私達の祈りにも耳を傾けてくださっている。しかし、自分自身はどれだけ、神様がしてくださっている祈りに、耳を傾けてきたのか、自問自答する日々でもある。

今年も多くの研修医が巣立っていった。母親的存在、父ですと言った研修医も、今では自分自身が親となっている。

自分の子供や後輩を育てる側になった研修医だった先生、ちゃんと食べさせていますか?ちゃんと休ませてあげていますか?そして、そっと寄り添って歩いてあげてください。

執事 フランシス 江夏一彰
(軽井沢ショー記念礼拝堂勤務)