『礼拝堂の掃除』

この夏、困った珍事件が起きました。例年にない猛暑が続いた日の朝、礼拝堂を開けに行くと、祭壇の周り一面に木屑が散乱しているのです。古い建物ですから、尖塔の下などは風の強かった翌朝にはホコリや吹き込んだ枯れ葉が落ちていることも少なくないのですが、こんな惨状は初めてでした。嫌な予感が頭をよぎり、お世話になっている大工さんに診てもらうと、案の定原因はアリ(シロアリではなく腹部の赤い大型のアリ)の大量発生によるものでした。早速殺虫剤などを用いて駆除作業に取り掛かると、天井板の隙間から次々と落下…、元気なアリは床に落ちても礼拝堂のあちこちへと逃げ回り、掃除機を手に汗だくになりながら、おそらく数千匹のアリと格闘する羽目になりました。お陰で現在は沈静化した模様で、結果として礼拝堂の隅々まで綺麗になり、来訪者からは「掃除が行き届いて気持ちがいい」とお褒めの言葉までいただきました。

当教会に赴任した年の忘れられない出来事があります。礼拝堂入口の机の上に常設してある来訪者ノートに、ある日このような書き込みがありました。「テレビで観るより古く、がっかりです。整理整頓して下さい。」本当にショックで、嫌がらせかと怒りの気持ちさえ禁じ得ませんでした。なぜなら毎日欠かさず掃除をしていましたし、同日の続く書き込みには「当時そのままの姿に感動しました。今のまま長く維持していただけるように祈っております。」「こんなチャペルで子供達を挙式させたいと思います。」と気遣いとも思える温かいメッセージが並んでいたからです。

しかし、2年前に協働関係にあるホテル音羽ノ森の社員旅行(宗教施設を巡る旅)に同行した折、ある気付きを与えられました。最初に名古屋聖マタイ教会を表敬訪問した後、伊勢神宮に立ち寄り、目的地である京都では金閣寺や清水寺など代表的な寺院を訪問しました。2月の真冬であったにも拘らず、どの寺社も観光客で賑わっていましたが、(有料とは言え)何よりどの施設も内部だけではなく境内地も整然と手が入れられ、何とも言えない清々しく凛とした空気に包まれていました。その時以来、もしかしたらあの書き込みをした人は、そのような空気を求めていたのかもしれないと思うようになり、完璧にという訳にはいきませんが、出来る限り心を込めて掃除をするようになりました。

仏教では、僧侶の修行の基本中の基本はお経や座禅よりも、まず掃除であると聞きます。それは一見おろそかにされがちな掃除が、実は心を磨き豊かな人格を養うために、絶対不可欠な要素であるとの考えからだそうです。そしてそれはキリスト教をはじめ、すべての宗教にも相通ずるものがあるように感じるのです。

私たちの教会は、今年礼拝堂聖別120周年を迎え、9月6日には記念礼拝を長野伝道区合同礼拝として行うことになっています。聖霊の宮とも言われる教会に集ってくださる方々が、少しでも爽やかに気持ちよく祈りと賛美をささげられるように、喜びをもって準備していきたいと思います。

司祭 テモテ 土井宏純
(軽井沢ショー記念礼拝堂牧師、新生礼拝堂管理牧師)