「収穫は多い」(ルカ10章2節)

教会からすぐ近くに豊橋公園があり、造パラ(子ども造形パラダイス)が今年も開催されました。市内の保幼・小・中・仲良し学級・養護学校から高校までの全生徒の作品が野外に展示されています。同じテーマ、同じ素材で造られているのに、どの作品も個性のかたまりで、どれ一つ同じものがありません。感心させるもの、笑いを誘うもの、また、本人から説明を聞いてやっと理解できるマイワールドな作品があったりして、その豊かさには驚かされます。生徒自身も、作品を造ることによって、一人一人に与えられている個性が引き出されていることを実感しており、私たちもまた、神様の恵みがこんなに豊かに与えられていることを知り、神様の祝福に一緒に出会う時となったように感じました。創世記1章31節に「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」とあります。「見よ」と、促されて見る時に、そこには神様の祝福と恵みに満たされた神様の創造のみ業のパラダイス、神様との交わりによって見ることのできる世界が広がっています。

ルカ福音書10章2節に「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」とのイエス様のみ言葉があります。
昨年9月には野村潔司祭が逝去、来年3月で私も同労者と共に定年を迎え、再来年はさらにお一人が定年を迎え、中部教区の現職司祭の減少が目に見えています。これまでのように、一つの教会に、宣教・伝道・牧会に一人の司祭・執事が遣わされていた時代から、今現在、教区再編を模索するまでの大変な転換期を迎えているように思います。そのような中、働き手を送ってくださるように願いなさいとのみ言葉を聞くとき、私たちは、教会の働き手が多くなれば何とかなる、働き手を増やせばこの困難な状況を打開することができる、自分たちの力で何とかできる、との思いに駆られ、困難な状況から脱出するために、こうした思いをもって神様の力を求めて祈りたくなってしまいます。けれども、イエス様はまず「収穫は多い」との言葉を告げます。私たちに求められているのは、働き手を私たち自身で作り出そうとすることではなく、まだ気づかないでいる神様の祝福が、この人にも、こんな時にも、こんな所でも豊かに与えられていることを見出していくことにあると思います。それは、言うまでもなく教役者だけの働きではありません。キリスト者一人一人がその刈り手に招かれています。

聖歌213番(実れる田の面)では、見渡す限り、神様の祝福が豊かに実っていることを伝えています。私たちは、収穫とは教勢とか、自分の身に良いことが起きること(良い収穫があった、得をした、など)として受け止めてしまい、どのようなものが神様の祝福の実りとして私たちに与えられているのか、なかなか気が付かないでいます。イエス様の「収穫は多い」とのみ言葉に目を向け、私が思う収穫の実りでなく、イエス様が示してくださる祝福の実りに気付き、共に感謝・賛美する刈り手への招きに歩み出しましょう。

(豊橋昇天教会牧師、豊田聖ペテロ聖パウロ教会管理)

祈りと実りと歌がある庭園

昨年度の飯山復活教会の教会委員会にて承認された今年度事業計画の一つは、テモテ田井安曇(本名:我妻泰)さんの歌碑建立でした。今年、前管理牧師から引き継いで6~7回教会委員会を重ね、歌碑建立について話を詰めてきました。田井さんについて出来るだけ多くの方々に知って頂きたいと考え、長野伝道区合同礼拝の日(9月11日)に歌碑除幕式を行うことを提案しました。教会委員会は勿論、「田井安曇の歌碑建立有志の会」(以下、有志の会)でもその提案が受諾されました。
歌碑を教会の敷地内に建てたいという希望は、最初は有志の会から出されたことですが、飯山復活教会としても、歌碑が建てられる教会の庭に新たな名前を付けて整備しようということになりました。単に教会の敷地の奥にぽつんと一つ歌碑が立っているのではなく、教会堂そして庭と調和するように考えました。
教会の庭には「ラビリンス」もあります。ラビリンスとは、古代ギリシャ神話の巨大な迷宮に由来するものです。しかし、ラビリンスは迷宮や迷路とは大きく異なるものです。普通の迷路は外に出ようとする人を不安にさせるものですが、教会のラビリンスは人を真ん中へと誘導するもので、ゴールが分かっているため平安な心で歩いていくことができます。真ん中に着くまでゆっくりと歩むことを通して、考えたり祈ったりすることができるようになっています。自分を振り返り自分をもっと愛する心を持つことがこのラビリンスの目的です。
『短歌』という雑誌の第53巻第12号に田井さんが書かれた文章があり、自分の人生には二つのアジール(救いの手)があったと記しています。その一つが「教会(司祭)」でした。具体的な名前まではありませんでしたが、書かれた年から寺尾平次郎司祭であると考えられます。寺尾先生は、牧師館の2階に何人もの人を住まわせていたのですが、その中に元海軍下士官で靴職人の高橋富士雄さんという方がいました。その彼が当時中学生だった田井さんに歌を教え、そんな関係の中で田井さんは歌人としての人生の方向が決まったと思われます。

蝉のこえ
充てる胡桃の木の下に
アンゴラと牧師と遊ぶ夕暮

田井安曇自選50首の一番前に載ったこの歌が歌碑に刻まれます。牧師という単語が出ていることを見ると、寺尾先生が田井さんの人生にどれ程大きな影響を与えたのかが分かります。
教会の庭園には柿やラズベリーなど、実を結ぶ各種の木々があります。そして美しい花々が咲き、風にそよいで自然に踊っています。歌碑はその中に建てられます。庭は単なる教会の庭ではなく、「祈りと実りと歌がある庭園」と命名されました。祈りのある人生によって多くの実が結ばれ、自然の中で希望の歌を歌うことができる、そんな道へといざなう庭園になればと思います。飯山復活教会を訪ねてくる方々が、たとえ一瞬でも幸せが感じられることを願っています。その中で歌碑は飯山復活教会の大切な物語を語り続けます。
(長野聖救主教会牧師、飯山復活教会管理牧師)

ふさわしさ

 この3月で、6年間勤務した立教池袋中学校・高等学校でのチャプレンの任期を終え、4月からは東京教区に出向して主教座聖堂で働くことになりました。中部教区の皆様にしてみれば、「なんでそうなるの?」と驚かれたことと思いますが、正式決定までは詳細をお伝えできず心苦しいものがありました。ようやくすべての手続きを経て、「管区事務所だより」にも掲載されましたので、皆様にご説明できる段階になりました。

 6月の日本聖公会総会にて、祈祷書改正が決議されましたが、この決議の中で、作業のために専従担当者1名を置くことが認められました。そして、総会後の常議員会の承認などを経て、小生がこの任に当たることが正式に決定しました。学校勤務を外れる関係上、異動は4月にせざるを得ず、総会のタイミングとリンクしませんでしたので、ミステリアスな人事になってしまった次第です。

 「礼拝を通して人を励ます」ということは、聖職を志願した大きな動機の一つでもありましたので、このような形で用いていただけることには感謝と共に、大きな畏れを抱いています。いろいろな条件を考えると、小生がこの任に適任とも思えませんし、学識も経験も不足しています。しかし、これを自分の「召命」として引き受けていく時、そこには「向き・不向き」を超えた「ふさわしさ」が与えられるというのが、聖職志願以来のわたしの確信です。

 聖職按手の際、司式者である主教は推薦者にこう問います。「今あなたが推薦する人は司祭(執事)にふさわしい人ですか。」これに推薦者が「司祭(執事)の務めにふさわしい人であると思います」と答え、会衆の同意と支持によって按手式は行われます。聖職の務めは、教会がその人に「ふさわしさ」を認めることに基づいており、とても「ふさわしい」とは言えない自分を神が「ふさわしい」ものとして用いてくださることへの無条件の信頼によるのです。

 「召命」とは聖職を志すことだけを指すのではなく、すべてのキリスト者に共通の招きであると思います。自分が置かれた場所で、一人ひとりがそれぞれの形で神さまからの招きに応え、神さまが求めておられることを祈りの中で探し求めながら、一所懸命に自分の務めを果たしていくこと。その中で、神が自分をその務めに「ふさわしい」ものとしてくださることを信じること。これがわたしたちの信仰ではないでしょうか。

 祈祷書の改正という大きな仕事はまだ始まったばかりで、今後どう進んでいくのかさっぱり見当もつかないのが現状です。映画「十戒」で、イスラエルの民の前に立ったモーセが「何と言う多さだ、多すぎる!」と呆然とするシーンがありますが、本当にそんな心境です。他の管区での祈祷書改正がどのようにしてなされたかを見聞きするにつけ、日本聖公会がさまざまな貧しさを抱えていることも実感せざるを得ません。しかし、その中でなされる働きを神が「ふさわしい」ものとしてくださり、わたしたちに「ふさわしい」祈祷書が与えられることを信じます。ぜひ、この働きに関心を持ち、祈りをもってお支えくださるよう、お願いしたいと思います。

司祭 ダビデ 市原信太郎
(東京教区主教座聖堂付)

この地は神の前に堕落し、 不法に満ちていた

 教区センターで行っている「聖書に親しむ会」は、渋澤一郎主教さまと田中誠司祭、わたしの3人が毎月順番で担当しています。わたしの担当の回では、創世記を読んでいますが、その中で感じることの一つが、旧約聖書編纂の一つの視点が王権批判であり、一極に権力が集中することが、いかに危ういものかが述べられていることです。

 2016年になって、安倍晋三首相と自民党は、おしなべて憲法改正への意欲をより明らかにしています。その議論の中で特に目を留めなければならないのが、緊急事態条項であるように思います。

 国家緊急権は、自民党が2011年の東日本大震災以降、その導入に力を入れてきているものです。2012年に自民党が発表した憲法改正草案、第98条(緊急事態の宣言)、第99条(緊急事態の宣言の効果)には、内閣総理大臣は、外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律が定める緊急事態に際して、閣議決定を経て「緊急事態」を宣言できること。宣言は事前・事後の国会承認が必要で、不承認なら、首相が緊急事態宣言を解除しなければならないこと。そして、この緊急事態宣言が出た場合、内閣が政令を制定できるようになるほか、内閣総理大臣の判断で財政支出・処分、自治体の長に指示ができること。また、すべての人は、国・公的機関の指示に従わなければならなくなること。ただし、憲法の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならないという内容が規定されています。

 問題なのは緊急事態の定義が法律に委ねられているため、緊急事態宣言の発動要件が極めて曖昧なことです。その上、緊急事態宣言の国会承認は事後でも良く、歯止めはかなり緩いのです。ですから、内閣が必要だと考えれば、恣意的に緊急事態宣言を出せてしまいますので、この条文がとても危険なことは誰の目にも明らかです。

 この国家緊急権の導入のために憲法改正が必要なのですが、東日本大震災後の対応が不十分であったこと、あるいは国会議員の任期満了時に災害が生じた場合、立法府が機能しないなど、おもに自然災害への対応をその理由としていることも問題です。

 自然災害がいつ起こるかを予測することは困難ですが、災害が起きた時に何をしなければならないのかは想定できます。そして災害時に何をどのような手続きで、誰が進めて行くのかを予測し事前に定めることは、安全対策として重要です。しかし、そのために必要な、様々な決まりを定めるのは、憲法ではなく、個別の法律の役割であることは言うまでもありません。ですから、海外諸国でも、大きな災害や戦争などの緊急事態には、事前に準備された法令に基づき対応するのが一般的なのです。

 多くの人が指摘するように、国家緊急権の創設の本当の目的は、自然災害への対応ではなく、戦争をするために内閣の独裁を実現するものだというのは、的を射ており、立憲主義を破壊し、基本的人権の憲法上の保障をも危うくするものです。

 旧約聖書が批判する、権力の一極集中の危うさを心に留めながら、わたしたち教会がどう対応して行くのかを考え平和のために行動を起こして行きたいと思います。

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖マルコ教会牧師、愛知聖ルカ教会牧師)

弱い人たちに寄り添うということ

思いがけないことに、この春から社会福祉法人名古屋キリスト教社会館の理事を引き受けることになりました。これまでは野村潔司祭がされていたので、これも野村司祭が残された数多くの役職の一つで「置き土産」ということになるのでしょうか。しかし、実は生前、まだ病気になる前に一度本人からも訊かれたことがありました。その時は軽い感じの話だったので、そのままで済んでいたのです。

しかし、今回後任を引き受けるについては、実はもっと身近な理由があったのでした。

名古屋キリスト教社会館は今から55年前伊勢湾台風の後、全国から集まったキリスト者の協力(当時まだボランティアという言葉はなかった)と地元の人たちによって設立されたもので、私の母は、当時の理事の木島徳治司祭の紹介で保育所の最初の保育士の一人だったのでした。ですから近所に住んでいた私の家族は、その後の台風の時に、何度か社会館に避難したことがあり、大風によって向かいの中学校の屋根が波を打っているのを見ていたものでした。

私自身は、その後大学進学を機に名古屋を離れてしまい、また家も市内の別の地域に移ってしまったので自然に縁遠くなっていました。しかし、今回野村司祭の後任の話があった時は、これはまあ運命の導きというか神様の御心だと思いました。

その後実際に会議に出て思わされたことですが、この社会館の働きはキリスト者にとって、聖公会にとって大切な働きだということでした。社会館は今も日本基督教団、ルター派、聖公会から理事が出ています。その働きは保育、障がい者支援、放課後保育などの児童生徒支援、医療支援、老人介護、地域老人支援など、社会館という一つの法人の中に名古屋市内の広い地域に16の施設活動があり、そこで働く人たちは今や4百人を超えています。それは55年の間に「社会的に弱い立場にある人たち」に寄り添っている間に、このように増えて大きくなっていったのです。ですから、おそらくは全ての弱い立場の人たちに寄り添う活動を担っていると思われます。災害を機にこのように成長していった福祉活動はきっと全国でも珍しいと思います。

「もっとも小さい者にする」ということを文字通り具体的に実行するということは日常的にはなかなかできないことです。しかし、ここでは名古屋の教会全体の協力のもと「いのちといのちが響きあう」を合言葉に活動が行われています。改めてそうしたことをきちんと認識し活動を支えていきたいと思います。

多くの社会福祉活動は行政の補助を受けて活動しています。しかし、こうした現場にも行政は効率化を求めてきます。障がい者支援の働きに対して通ってくる子供の出席率が82パーセント以上を要求してそれに合わせた補助金政策を取ろうとしている行政があります。

しかし、障がい者だからこそ毎日出席することには困難が伴います。福祉施設を新たに作ろうとすると今は周辺住民の了解を得るのになかなか大変です。一つの教会、一つの教派でできることは限られています。改めてこうした活動を支えていくことが大切だと思いました。

司祭 ペテロ 田中誠
(名古屋聖マタイ教会牧師、名古屋聖ヨハネ教会管理牧師)

「gifted」恵まれた人

誰でも毎日必ずといってよいほど見ているものがあります。さて、何でしょうか?(知っている人、判っている人は暫し沈黙をお願いします。)

それは鏡です。鏡に映る自分の顔です。毎朝、そして日に何度となく自分の顔を見ているはずです。といっても、実は本当の自分の顔を見ているわけではありません。(鏡に映る顔は左右反対の顔でしかないのですから…)

中学生の頃でしょうか、自分の顔をしげしげと見ては溜息混じりに思ったことを覚えています。(遺伝的要因は承知しながらも)「神様は何故こんな顔にしたんだろうか」
「何故もっと美男子にしてくれなかったのだろうか…」
「不公平だし、意地悪じゃないか…」と。

当時はただ単にモテたいというだけの単純な疑問というか、不満に過ぎませんでしたが、この問いは、突き詰めると、何故世の中に不公平、不平等が存在しているのかという人類の長い歴史の中で問われ続けられている大きな課題であることは言うまでもありません。国籍の違い、性の違い、生まれながらに病弱な人もあれば、頑健な人もいます。何故生まれながらに自分の意思とは無関係に生存の諸条件が平等ではないのかという根源的な問題に突き当たります。

英語にgiftedという表現があります。贈り物を受けた「恵まれた人」という意味となります。ある雑誌に書かれていたものを紹介したいと思います。

彼は貧しい家庭の出身で、中学高校と新聞配達から野球場の弁当売りをはじめ、何でもして大学に入った。お金があれば幸せになれると考えていた。しかし大学に入学し、豊かな家庭で欲しい物は何でも手に入る仲間が、バイト先や学内で人間関係がうまくいかず苦しんでいるのを見て、自分が子どもの頃から様々な人間関係を経験してきたから人とのコミュニケーションが上手くいっていることを発見した。お金があり恵まれていると常に強者であることで、相手の気持ちを想像する必要が無く、それが問題点になっていることに気づき、彼は自分が「gifted」であることに気づいたのでした。

自分が願い求めているものは手に入らないかも知れませんが、自分本位で的はずれのような自分の願いにもかかわらず、与えられているものに気づかされた時の驚きと、有り難さはひとしおですね。

隣の花は赤いですか?

司祭 エリエゼル 中尾志朗
(一宮聖光教会牧師、岐阜聖パウロ教会管理牧師、大垣聖ペテロ教会管理牧師)

さりげなく、なにげなく

モノクロの季節から色付く季節となり、桜の木も花から葉へと主役が変わる季節となった。そんな芽吹き時から3カ月位は、気を遣う時期でもある。

「江夏先生のPHSでしょうか?お話があるのですが…」という電話がかってくる。大抵、こう掛けてくる相手は研修医1年目の先生である。私は勤務先の病院では、本来の病理の仕事の他に、初期研修医(卒業後1、2年目)の担当責任者でもあり、総勢約30名の研修医を抱えている。

話の内容も様々ではあるが、研修がつらい、と言ってくるのが、この5月の連休前後から3カ月の間に多いのである。実は研修医がうつ病となったり、自ら命を落としたりするのも、この時期が多く、一般の方よりも自殺率が高いというデータもある。理想と現実のギャップによるストレス、同年代の研修医と比較して自分は出来ないという思い込み、将来への漠然とした不安など、メンタル面で落ち込んでしまうのである。

ある時、女性の研修医から2年間の研修を終える時に、「先生は私にとってお母さん的存在だったのです。分かりますか?大抵の先生は勉強しているか、仕事しているか、と聞いてきます。しかし、先生は私の顔を見ると、『ご飯はちゃんと食べているか?ちゃんと休んでいるか?実家には帰っているか?』と必ず聞いてくれました。この台詞どこかで聞いたなと思っていました。この間、実家に帰った時に母親が同じことを言っていました。その時から、私にとって先生は、お母さん的存在なのです」と言われたのである。医師として歩み出し、周囲からは先生と言われる立場になったとしても、よく考えてみれば大学卒後1年目、まだまだ社会人としては新人なのである。そんな新人に対して、上司である指導医は沢山いても、親代わりは少ないのかもしれない。また、病院見学に来た学生に、「私の父です」と紹介する研修医もいる。

このように研修医や、またいくつかの学校で学生とも関わっている。人を育てることや接するときにおいて肝に銘じていることがある。それは、感謝されることよりも感謝すること、人に仕え自分のために働くことである。自分のために働くというのは、自分が育てて貰っているという意味でもある。それは、教会生活においても同じである。神様や信徒に支えられ、育てて貰っている。そして、神様はいつも遠く近くでそっと見守っていてくださり、私達の祈りにも耳を傾けてくださっている。しかし、自分自身はどれだけ、神様がしてくださっている祈りに、耳を傾けてきたのか、自問自答する日々でもある。

今年も多くの研修医が巣立っていった。母親的存在、父ですと言った研修医も、今では自分自身が親となっている。

自分の子供や後輩を育てる側になった研修医だった先生、ちゃんと食べさせていますか?ちゃんと休ませてあげていますか?そして、そっと寄り添って歩いてあげてください。

執事 フランシス 江夏一彰
(軽井沢ショー記念礼拝堂勤務)

「首座主教会議」が語る「帰結」とは何か

2016年1月11日(月)から16日(土)まで、英国・カンタベリー大聖堂において、アングリカン・コミュニオン38管区の首座主教が一同に会する「首座主教会議」が開催された。今回の「首座主教会議」は5年ぶり、ジャスティン・ウェルビー=カンタベリー大主教着座後、最初の開催であった。同性愛者の聖職按手、同性婚の祝福などをめぐって対立を内包したアングリカン・コミュニオンは首座主教会議を開くことができず、この間、カンタベリー大主教は全世界の管区を訪問し、各首座主教とも親交を温め、ようやく招集にこぎつけたのである。

今回の首座主教会議には急な事情等で参加できなかった首座主教を除き、すべての首座主教が出席した。結果として、首座主教たちは、分裂ではなく、コミュニオンとして共に在り続けることを選択した。しかしながら、それには同時に、大きな代償が払われたことが、すぐに明らかになった。首座主教会議は、米国聖公会を向こう3年間、アングリカン・コミュニオンの教理と教会行政をめぐるあらゆる意思決定から排除することを決定したのである。これは、米国聖公会が前回総会で、同性婚を可能とする教会法規改正を決議したことの「帰結」である、と首座主教会議は表明している。破れた交わりを、真に回復する再出発の時となると期待されていただけに、誠に残念な結果である。カナダ聖公会は、本年7月の総会で、米国聖公会と同様の決議を予定しているが、未だ総会決議には至っていないため排除を免れた。

そもそも、「首座主教会議」は、アングリカン・コミュニオンを支える4つの「器」(instruments)(他の3つは、カンタベリー大主教、ランベス会議、ACC)の一つでしかなく、決議機関でもない。私は、「世界改革派教会-世界聖公会国際委員会」の委員であるが、米国聖公会の神学者=エイミー・リクター司祭は、私たちの国際委員会の中核的存在である。彼女抜きにこの国際対話は成立しない。

アングリカニズム神学者で教会法の権威であるノーマン・ドー教授は、今般の首座主教会議の「決議」について、そもそも、首座主教会議にそのような教会法的権限などなく、まったくナンセンスであり、ただ、この間、アングリカン・コミュニオンが議論してきた「聖公会契約」のプロセスが破綻したことを証明した効果しかない、と明言する。植松誠日本聖公会首座主教もこのように語られた。「私は、今回の首座主教会議の結果に関しては大変複雑な、重く沈んだ気持ちでいる。世界の聖公会が分裂せずに、共に歩むことは確かに嬉しいことではあるが、その代償を見たときに、それがあまりに大きく、しかも正しいとは思えない。」

首座主教会議の「決議」の直前に、米国聖公会のマイケル・カリー総裁主教は、列席した大主教たちにこう語ったという。「私たちがすべての者を包む教会となるために献身するのは、社会理論や文化的手法への従属ゆえではありません。そうではなく、十字架の上でイエスさまが広げられた御腕こそが、私たちすべてに差し伸べられた神さまの至高の愛の〈しるし〉なのだという、私たちの信仰に基づくものに他ならないのです。」

このメッセージにこそ、私たちにとっての真の「希望」がある。

司祭 アシジのフランシス 西原廉太
(岡谷聖バルナバ教会管理牧師、立教大学教授)

イースター

厳冬期、雪におおわれて、死んだようになっていた自然に、ようやく若芽があふれています。

茶色がかった緑、萌黄色の緑、白っぽい緑、色とりどりの緑が一杯です。

今や若い生命を示すように緑が溢れようとしています。

冬の間、澄み渡った空を突き刺すような木々の枝が、新しい生命の躍動に芽ぶき始め、大気も冬の厳しい鋭さが和らぎ、丸みをおびています。

新しい生命の若芽の「漲る」春です。

植物において、花が咲き、実が実った後、枯れてしまっても、種子が地に落ちて、翌年、再び、芽を出して育つ、あるいは、茎や葉は枯れても根が残っていて、そこから春になると、芽が出てくるという自然現象を初代教会の人々も見ていたと思います。

生命みなぎる喜びの春、イエス様のご復活を記念し、祝う復活日=イースターは、クリスマスよりずっと古く紀元一世紀から祝われてきたキリスト教の一番大きな祭りです。

日曜日に、学校や会社が休みになるのも、金曜日に十字架にかかって死なれたイエス様が、日曜日の朝早く、復活なさったことを記念し、教会の礼拝に行くためです。

イエス様の十字架の死は、全き人間として、死なれることでもありましたが、罪に陥っている私たち人間の罪を背負っての身代わりであり、深く、広く、高い愛の実践でした。

イエス様の復活とは、愛であるイエス様が、神様の生命に生かされ、この世での命とは別な新しい、神様の「永遠の命」に生きていることです。

イエス様は、言われました。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る、わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。」(ヨハ12・24b~26b)

イエス様に従うならば、私たちもまた、春の新しい生命のように、イエス様と共に新しい命に生き生きと生かされていくと思います。

これは、キリスト教の一番初めからの中心的信仰です。

クリスマスは、よく知られ、多くの人々に、抵抗なく受け入れられていますが、イースターは、毎年、異なった日にくるせいもあり、イエス様の死からの甦りは、仲々分かりにくいことです。

しかし、必ず死ななければならない私たちの死が、私たちのすべての終わりでも、虚無になってしまうのでもなく、イエス様に従うのならば、死は新しい生命への門口であり、神様の生命に生かされることである、との希望を持つことのできるのは、この上なく大きな喜びです。それがイエス様の復活への信仰であり、イースターを祝う意味です。

司祭 テモテ 島田公博
(主教座聖堂付)

『感謝と賛美の聖祭』

2、3年前のことですが、某司祭から次のような言葉を投げかけられました。「最近、あなたのように〝聖餐、聖餐〟と言う司祭は少なくなってきましたねぇ」と。その方がどのようなお気持ちからそのような発言をされたのか、その時にあまりにとっさのことで、確かめることが叶いませんでしたが、考えさせられました。

確かに私たちの教会は1960~70年代まで〝ハイチャーチ〟〝ローチャーチ〟というそれぞれの伝統によって教区・教会の在り方・姿勢が特徴づけられていました。しかし、この60~70年代は世界の激動期にあたり、様々に世界観や歴史観、宗教観が厳しく鋭く問われました。カトリック教会では第2ヴァチカン公会議、プロテスタント教会ではWCC総会で、又聖公会もランベス会議において、この世・この世界に対して、キリスト教会はどう在るべきなのかということが真剣に議論され、教会の刷新・改革がなされた時代でした。ですから、その折に礼拝(典礼)についても多くの教派(正教会や福音派系のプロテスタント教会を除く)が、礼拝学の成果を踏まえて新しくされていったのでした。日本聖公会でも、この世界の動きを受けて、礼拝(典礼)が整えられてきたので、この時点で〝ハイチャーチ〟〝ローチャーチ〟という言い方の礼拝観は無効になったと言っていいと思われました。

もう1点、60~70年代の教会の姿を表して〝社会派〟〝教会派〟と言う言い方もありました(日本基督教団や歴史的プロテスタント教会、聖公会でもそのような言い方があった)。あえて乱暴な言い方を致しますが、内向きに教会内で礼拝・お祈りだけ為されても「キリストの福音に生きる」ことにならないという考えが〝社会派〟で、それに対して教会人は、外向きに政治的社会的活動することより、「みことばに生かされて」必要な人のため祈ることの方がもっと大切というのが〝教会派〟だと思いますが、この両者は分離し、時には対立していました。しかしこの分離・対立を包み込み乗り越える考え方が、今まで述べてきた時代背景の中から形成されてきました。つまり両者を包み込み乗り越える原理は、新たに生まれてきた〈聖餐論〉だったのです。

言うまでもなく、〈聖餐〉は救いに必要な二大サクラメントです。(教会問答15.)〈聖餐〉とは、「主イエス・キリストがお定めになった感謝・賛美の祭りであり、教会はこれを主からの賜物として受けた。わたしたちはこれを行うたびに、主が再び来られるまで十字架の犠牲の死と復活、昇天、聖霊降臨を記念し、キリストの命に養われ、主の救いのみ業を宣べ伝えるのである」と聖餐式文冒頭の解説ルブリックにありますが、私たちは裂かれたご聖体を頂くことによって、ただ心とからだの養いにとどまらず、〈聖餐〉によって、その時その場で宣教的力が具現化されているという宣教=聖餐という理解を持ちたいし、そのような〈聖餐〉の恵みの奥義をさらに追い求め、豊かに受容できるような信徒の群れ(教会)でありたいと願うものです。

司祭 パウロ 松本正俊
(新潟聖パウロ教会牧師、三条聖母マリア教会管理牧師、長岡聖ルカ教会管理牧師)