弱い人たちに寄り添うということ

思いがけないことに、この春から社会福祉法人名古屋キリスト教社会館の理事を引き受けることになりました。これまでは野村潔司祭がされていたので、これも野村司祭が残された数多くの役職の一つで「置き土産」ということになるのでしょうか。しかし、実は生前、まだ病気になる前に一度本人からも訊かれたことがありました。その時は軽い感じの話だったので、そのままで済んでいたのです。

しかし、今回後任を引き受けるについては、実はもっと身近な理由があったのでした。

名古屋キリスト教社会館は今から55年前伊勢湾台風の後、全国から集まったキリスト者の協力(当時まだボランティアという言葉はなかった)と地元の人たちによって設立されたもので、私の母は、当時の理事の木島徳治司祭の紹介で保育所の最初の保育士の一人だったのでした。ですから近所に住んでいた私の家族は、その後の台風の時に、何度か社会館に避難したことがあり、大風によって向かいの中学校の屋根が波を打っているのを見ていたものでした。

私自身は、その後大学進学を機に名古屋を離れてしまい、また家も市内の別の地域に移ってしまったので自然に縁遠くなっていました。しかし、今回野村司祭の後任の話があった時は、これはまあ運命の導きというか神様の御心だと思いました。

その後実際に会議に出て思わされたことですが、この社会館の働きはキリスト者にとって、聖公会にとって大切な働きだということでした。社会館は今も日本基督教団、ルター派、聖公会から理事が出ています。その働きは保育、障がい者支援、放課後保育などの児童生徒支援、医療支援、老人介護、地域老人支援など、社会館という一つの法人の中に名古屋市内の広い地域に16の施設活動があり、そこで働く人たちは今や4百人を超えています。それは55年の間に「社会的に弱い立場にある人たち」に寄り添っている間に、このように増えて大きくなっていったのです。ですから、おそらくは全ての弱い立場の人たちに寄り添う活動を担っていると思われます。災害を機にこのように成長していった福祉活動はきっと全国でも珍しいと思います。

「もっとも小さい者にする」ということを文字通り具体的に実行するということは日常的にはなかなかできないことです。しかし、ここでは名古屋の教会全体の協力のもと「いのちといのちが響きあう」を合言葉に活動が行われています。改めてそうしたことをきちんと認識し活動を支えていきたいと思います。

多くの社会福祉活動は行政の補助を受けて活動しています。しかし、こうした現場にも行政は効率化を求めてきます。障がい者支援の働きに対して通ってくる子供の出席率が82パーセント以上を要求してそれに合わせた補助金政策を取ろうとしている行政があります。

しかし、障がい者だからこそ毎日出席することには困難が伴います。福祉施設を新たに作ろうとすると今は周辺住民の了解を得るのになかなか大変です。一つの教会、一つの教派でできることは限られています。改めてこうした活動を支えていくことが大切だと思いました。

司祭 ペテロ 田中誠
(名古屋聖マタイ教会牧師、名古屋聖ヨハネ教会管理牧師)