朝・夕の礼拝とマルコ福音書

松本聖十字教会では、聖十字幼稚園の朝礼が7時半にあることから、朝の礼拝を7時よりしておりますが、2017年の教会暦になってからお一人の信徒と一緒に二人でお祈りすることができ、神様のご配慮に感謝しています。また、平日の祝日でも7時から聖餐式ができますことをうれしく思っています。祈祷書には、「毎日聖書を朗読し、詩編を歌って神をほめたたえ、祈りを献げて日々の生活を神と人とのために清めることは、初代教会からの営みであった。わたしたちも『朝の礼拝』『夕の礼拝』によってこの営みに加わるのである」とあり、朝の礼拝の前にこのルブリックを毎回読んで、思いを新たにして「朝の礼拝」に臨んでいます。また、できるだけ聖書を分かち合えればと思い聖書箇所のお話もしています。
2017年教会暦・聖書日課・詩編は第1年であり、1月に入りマルコ福音書を毎日継続して読んでいきます。わたしにとってマルコ福音書は聖公会神学院時代に挽地茂男先生からたくさんのことを教えていただいた聖書でありますので、日々の祈りの中でいろいろなことを思い巡らします。マルコ福音書は、復活の出来事について知った婦人たちが「だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」というように唐突に終わりますので、とても不自然で、マルコの復活のイエス様の部分は失われてしまったともいわれています。しかし、この唐突な終わりはマルコの意図かもしれないのです。空の墓を知らせる若者によって「あなたがたより先にガリラヤに行かれる」とあるように復活したイエス様はガリラヤにおられることが示され、マルコ福音書の初めのところでは「イエスはガリラヤへ行き、福音を宣べ伝え」たとあることから、イエス様の受難物語(14章から16章)の前までの1章から13章は、復活したイエス様についても描かれているのではないかと思っています。これは、推理小説で、誰が犯人かわからないで、読み進み、犯人がわかってもう一度読み直すと、確かに犯人の行動として辻褄があっているのと同じように、生前のイエス様の姿が描かれているように書かれている1章から13章は、実は、復活したイエス様の姿でもあり、ドイツの神学者ウィリアム・ヴレーデのいう「メシアの秘密」は、生前のイエス様と復活したイエス様を切り結ぶ働きをしているのではないかと思っています。
マルコ福音書を14章から読み始めて16章まで進み、続けてイエス復活物語として1章から13章までを読み進めるという読み方をお試しいただければ、新約聖書学者の田川建三がいうようにマルコ福音書13章最後の「目を覚ましていなさい」という言葉は、マルコ福音書の結語として初代教会からの営みに加わるわたしたちに対してもふさわしい言葉であると思います。
(松本聖十字教会牧師、飯田聖アンデレ教会管理牧師)