『「聖餐式」の初めと終わりと真ん中』 

ヨハネによる福音書20・19以下から引用します。
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、わたしもあなた方を遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。(後略)」

この福音書の箇所は、復活節第2主日と聖霊降臨日の福音書で読まれます。教会(礼拝)の信仰にとってとても大切な箇所の一つだと思います。
弟子たちは、主人であり教師でもあったイエスさまが十字架にかけられたということを全く受け容れることが出来ませんでした。恐ろしくて絶望的な気持ちで、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ、又自分たちの心を閉ざしてしまっていました。そこへイエスさまが登場、「平和があるように」。弟子たちは主を見て喜んだ、とあります。「主を見て喜んだ」とさらっとしか書かれていませんが、弟子たちはこの時「死から生・いのちへ」「絶望から希望へ」また「苦しみ悲しみから喜び平和へ」と変えられた経験をしたのでした。
こうして弟子たちは、単なる人間イエスではなく復活者・勝利者イエスキリストに出会い、復活されたイエスキリストに接していっぺんに生き返りました。生きる喜び、生きる力、生きる勇気が与えられました。このことがあってから、弟子たちは全く人が変わったように「神の宣教」のみ業に全身全霊をかけて励んだのでした。

「主イエス・キリストよ、おいでください。弟子たちの中に立ち、復活のみ姿を現されたように、わたしたちのうちにもお臨み下さい」という聖餐式の初めの発声は、まさにこの聖書の記事を意識しています。このエピソードのように私たちの所にも来てください、というわたしたちの願い・信仰が表明されます。
また「ハレルヤ、主とともに行きましょう」「ハレルヤ、主のみ名によって アーメン」という聖餐式の最後は、やはりこの聖書の中のイエスさまの派遣の言葉と「聖霊を受けなさい。」というみ声が響きます。
さらに聖餐式の真ん中〈平和の挨拶〉では文字通りイエスさまが弟子たちの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」といわれたように象徴的意味で聖餐式のちょうど真ん中に私たちもその光景を想いながら互いに挨拶を交わすのです。
聖餐式は、主イエスさまがお定めになった私たちの〈救いのサクラメント〉です。教会はこれを行うたびに、主が再びこられるまで十字架の犠牲の死と復活、昇天、聖霊降臨を記念し、キリストの命に養われ、主の救いの御業を述べ伝える(祈祷書p159)のだと思います。
聖餐式文はよく整えられています。私たちは式文の意味がよくわかった方が心から「感謝・賛美」の礼拝を行うことが出来ると考えます。

司祭 パウロ 松本正俊
(一宮聖光教会 牧師)

「小さな事に忠実である」

N司祭が昨年末、胆嚢摘出の手術を受けました。医者によると胆嚢はあってもなくてもいいものだそうです。N司祭がその話をある主教にしたところその主教は「神様が創ったものにあってもなくてもいいものはない」と言われたとのこと。
その話を聞いて渡辺和子シスター著『面倒だから、しよう』の中に「この世に雑用という用はない。用を雑にした時に生まれる」という言葉を思い出しました。シスターは修練時代、修道院で食事の時に食器を並べる仕事を知らず知らずのうちに知的な刺激の少ない単純作業と考えてしまい、ある時、修練長から「あなたは時間を無駄にしている」と注意をされ、自分がいつの間にか不遜な人間になってしまっていたことに気付いたそうです。それをきっかけにお皿を並べる時には一人ひとりのシスターを思い浮かべ、愛と祈りを込めて並べるようにしたとのことです。時間の使い方は命の使い方であり、用を雑にした時に、雑用は生まれるのだということを心に叩き込まれた一コマだったと書いておられます。
神様の働きはなかなか結果の見えない単純作業のようなところがあります。礼拝もそうかもしれません。いつの間にか単純だ、マンネリだ、つまらないと思ってしまうこともあるでしょう。しかし、神様がわたしたちに与えていてくださるものはすべて意味のあることであり、必要のないものは何一つないのです。今自分が置かれている状況や与えられている働きを「雑」と捉えるのか、それとも神様が今自分に一番必要なものとして与えていてくれる大切なものと捉えるのか、その違いは大きいのです。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16・10)のです。

「戦後70年を迎えて」

 寒中お見舞い申し上げます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 さて、今年は太平洋戦争の終結(敗戦/終戦)から数えて70年目になります。戦後70年という年を迎え、わたしたちは改めて先の戦争に思いを向けたいと思います。日本聖公会主教会では今年の8月、全主教が沖縄に集結して戦後70年を覚え、平和のために礼拝を献げることになっています。また、広島、長崎における平和記念礼拝、原爆記念礼拝にもできるだけ参加することを申し合わせています。また、管区や教区においても70年を迎えての計画が考えられることと思います。一人でも多くの皆様が何らかの形で関わっていただきたいと願っています。
 1985年5月、当時の西ドイツ大統領であったヴァイツゼッカー大統領が、ドイツの敗戦40周年を記念して「荒れ野の40年」という記憶に残る演説を連邦議会で行いました。同大統領は「5月8日(ドイツ敗戦の日)を心に刻まなければならない」と言い、そして「心に刻む」とは「ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い浮かべることである」と言っています。
 過去の出来事(歴史)、殊に「負」の出来事を思い浮かべることはつらいことです。しかし、その出来事に誠実に向き合わない限りその後の和解や平和はないのです。
 日本聖公会は1996年の総会において、「日本聖公会の戦争責任に関する宣言を決議する件」を採択し、戦前・戦中における日本国家による植民地支配と侵略戦争を支持・黙認した責任を認め、その罪を告白しました。
 その決議から20年が経とうとしていますが、日本の現状を見るとき、「戦後70年」を今改めて心に刻むことが求められているように思えるのです。

『加齢の恵み』

私は1月が誕生月なので、新年早々50歳を迎えようとしている。周りからは「ついに大台だね」とか「中年真っ盛り」などとからかわれているが、意外にも加齢を楽しんでいる自分がいることに気付かされる。30歳や40歳に達したときは「もうそんな歳になってしまったか」とネガティブな感情にとらわれたものだが、今回は不思議と素直にその事実を受け入れている。ここ数年来、老眼鏡が必要になったり、気持ちに体力が追い付いてこなくなったという身体的衰えも一因と言えるが、それ以上に精神面の変化が大きいように感じている。

私は昔から「お前は八方美人だ」と批判されることが多い。以前はその都度反論していたが、最近では自分も納得するようになった。私の意識の根底には「誰からも嫌われたくない」「良い評判を得たい」といった他人の目を必要以上に気にする心理があるように思う。そのような自分と決別したいと願ってはいるのだが、おそらく自分という存在に根本的に自信が持てないのだろう。ところが、特に40代後半頃から経験してきた仕事や子育ての困難さの中で、あるいは教会内外や被災された方々との様々な出会いを通して、自分の無力さや弱さと共に、自分の中にある驕り、高ぶり、偽善というものをイヤというほど痛感し、本来の小心な自分、大した人間ではないという自分の存在を徐々にではあるが受容できるようになった。極端な言い方をすれば「虚栄心からの解放」と言えるかもしれない。勿論完全に解放されたわけではないが、肩の力が抜けて気持ちが楽になり、以前のように人の目や評価をあまり気にしなくなったように思う。

このような精神面の変化を日頃からお世話になっている方に話したところ、「それは歳をとったということだよ。悪い歳のとり方じゃないと思うけどね…」という言葉が返ってきた。お酒の席ではあったが、何かホッとするのと同時に、歳を重ねるというのは積極的な意味があるのだと改めて気付かされた。考えてみれば、聖書においても長寿は基本的に神様の祝福のしるしと理解されている。むやみに加齢を美化するつもりはないが、それでも歳を重ねることは決して悲観することではなく、むしろ恵みであり人間として成熟することと言える。

そこで思うのだが、私たちの多くは社会でも教会でも、これまで「(少子)高齢化」という言葉を危機意識の中で、マイナスイメージとしてばかり使用してはこなかっただろうか。もしかしたらそれは根本的に間違った認識で、見方を変えれば高齢化は歓迎すべき現象なのかもしれない。

人生の先輩方には「まだ50歳の青二才が」と言われそうだが、教会の衰退が叫ばれる昨今、それを打開する最大のヒントは、高齢化する状況を危機としてではなく、この時代に神様から与えられた恵みとして喜んで受けとめていくことの中に隠されているのではないかと、確信めいたものを感じ始めている。

「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザ46・4)

司祭 テモテ 土井宏純
(軽井沢ショー記念礼拝堂牧師)

死刑執行に憤りをもって強く抗議します

2013年12月18日

内閣総理大臣 安倍晋三 様
法務大臣 谷垣禎一 様

死刑執行に憤りをもって強く抗議します

2013年12月12日、東京拘置所で藤島光雄死刑囚(55)、大阪拘置所で加賀山領治死刑囚(63)の命が死刑の執行によって奪われました。この度の処刑は今年4回目になり、計8人にものぼります。極めて早い頻度で執行を重ねる現政権の姿勢が顕著です。
死刑制度が犯罪の抑止力にはならないことは統計上からも明らかであり、また、現在の裁判制度のもとでは冤罪を生む可能性を否定することはできません。更に、法的に或いは事実上死刑制度を廃止している国は、存置国の58か国に対し139か国に上り、先進諸国の中で存置している国は日本とアメリカだけです。しかも、アメリカの場合は存置しているのは28州に過ぎず、残りの22州では執行されていません。日本政府の死刑制度に対する姿勢は、明らかに廃止へと向かう国際社会の潮流に逆行していると言えます。
わたしたちは現在、死刑の判決後キリスト教の信仰を受け入れ受洗した死刑囚と共に信仰生活を送っています。また、これまでに、自分の犯した罪に真摯に向き合い「生きて罪を償いたい」と贖罪の日々を送っていた5名の同信の友を死刑の執行によって奪われました。わたしたちの死刑制度廃止を求める願いには切なるものがあります。
わたしたちは、神より与えられたすべての人の生命と尊厳、そして人権を守るキリスト者の信仰に立って、一日も早い死刑制度廃止を強く求めます。
谷垣法務大臣には、是非とも多くの死刑制度廃止を訴えるわたしたち国民の声に耳を傾けると共に、国連の規約人権委員会からの死刑制度廃止勧告を受け入れ、内閣及び国会の場において、死刑制度廃止に向け努力されるように、また、その法改正がなされるまで、これ以上死刑を執行しないように強く要請いたします。

日本聖公会中部教区
社会宣教部

『教会への信頼と宣教』 

「日本聖公会〈宣教・牧会の十年〉提言」のはじめに、「聖公会信徒の減少、財政の逼迫などの現状」が語られています。この現況を変えていくということが私たちの急務です。提言では、東日本大震災の悲劇を踏まえて、絶望の内にある人びとのかすかな声に耳を傾け、声を出せない人びとの「声」となっていくことが、私たちの使命として示されました。12月に入り、教会暦もA年となり今年はマタイ福音書を読んでいきます。

カルカッタの修道院で女子教育に打ち込み、校長まで務めていたマザー・テレサ(写真)が、神のみ告げによって貧者のために働くことを決意したのは1946年9月10日のことでした。ダージリンに向かう列車の中で、彼女は神の言葉を聞いたのだと言います。列車に乗り込もうとした彼女は、駅の雑踏の中で息絶えようとしているひとりの貧しい男の姿を見つけます。思わず彼に歩み寄った彼女は、彼が「わたしは渇く」とつぶやくのを聞き、衝撃を受けます。なぜなら、この言葉が、十字架のイエスが死の前に発した言葉だったからです(ヨハネ19・28)。彼女は目の前で誰からも見捨てられて死んでいく貧しい男の中に、十字架で死んだイエスの姿を垣間見ます。後にバチカンから調査のため訪れた神父に、テレサはマタイ福音書にあるイエスの台詞を引用します。『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(マタイ25・40)です。

じつにわかりやすいです。しかしそれがわかったからといって、誰でも悲劇のうちにある人々と関わりを持つわけではありません。その後、テレサは、スラム街に飛び込み、そこで生活しながら活動を始め、1950年には「神の愛の宣教者会」をカルカッタに設立、以来、死を待つ人の家やハンセン病患者の家、孤児院などの施設を開設し、多くの人びとを救いました。カルカッタでなくとも、東北でなくとも、中部教区の各地域にあって、声を出せない人びとの「声」となるような働きがあると思います。そのような働きを、誠実に貫くことをとおして教会が信頼を得ることが、「聖公会信徒の減少などの現状」を切り開く重要な手段であると考えます。

私たちクリスチャンは信頼に値する存在になっているでしょうか?新生病院での病室訪問の際にクリスチャンであると私が言うと「間に合っています」と言われることがあります。間違いなくクリスチャンは詐欺師のような不信感を持たれています。クリスチャンであることの大切さを伝えなければ、クリスチャンになりたいと思う人は出てきません。単に仲間内が集まって日曜日に礼拝することだけではだめです。韓国で約3割がクリスチャンであるのは、韓国の民主化運動の際に「民衆」とともに教会が時の権力者と闘った同志であるという信頼感があるからだとも聞いています。声を出せない人びとの「声」となるような働きのうちに、地域の教会が協力して「人」と「お金」をもちいて信頼を得ていくことは、将来教会を再生させる礎となると思います。教会が協力してその地域で必要な宣教課題に取り組んでいきたいと思います。

司祭 ヨセフ 石田雅嗣
(新生礼拝堂牧師)

「カンタベリー大主教にお会いして」

去る10月29日、その次の日から韓国の釜山で開かれる、世界教会協議会(WCC)総会に出席の途中、日本を訪問された、ジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教に日本聖公会主教たちでお会いしました。今回の訪問は植松誠首座主教の招待による非公式な訪問でしたが、実質1日という短時間の中で、首座主教・東日本大震災被災者の方々・各教区主教とのそれぞれ懇談、そして聖餐式、夕食会というぎっしり詰まったスケジュールで、大主教にとってはかなりきつい日程のようでしたが、わたしたちにとりましてはカンタベリー大主教と、より親しく(非公式がゆえに)まみえることができた大変祝福されたひと時でした。

殊に、大主教の希望でもありましたが、わたしたち日本聖公会の主教たちが大主教と一緒に聖餐式をお献げできたことは大きな恵みであり喜びでした。説教の中で大主教は、「主がわたしたちの中におられる」「わたしのそばにおられる」ということを強調されました。そして、日本はこの25年の間に2度にわたる大震災や経済不況を経験したが、教会は困難な中にあっても、「主がわたしたちのそばにいて、力づけてくださる」ことを証しして行かなければならないと語られました。

ウェルビー大主教は57歳で、今年の3月に第105代カンタベリー大主教に就任されたばかりです。全聖公会(アングリカン・コミュニオン)の霊的指導者、首座主教会議の議長でもあり、全聖公会を束ねていく要の人物です。また、対外的には全聖公会を代表するお方でもあります。多くの課題を抱える今の聖公会にあって、ご苦労も多いことと思いますが、お働きの上に祝福を祈りたいと思います。

「佐々木鎮次主教とカナダ聖公会祈祷書」

8月にセロ・パウルス司祭の葬儀のためバンクーバーに行きましたが、その折、日系聖十字教会で説教する機会が与えられました。カナダの日系教会については何も知りませんでしたので、牧師のイム・テビン司祭とやり取りをしましたが、その中で教区2代目の主教であった佐々木鎮次主教が1937年(昭和12)、当時の日系教会(昇天教会と聖十字教会)を訪問していることを知りました。その年にカナダのバンフで開かれたカナダ聖公会総会に出席された帰途に立ち寄られたのでした。

パウルス司祭の葬儀から帰国しましたら、ある方から佐々木主教がカナダ聖公会祈祷書教会暦の小祝日に名前が掲載され、記念されていることを知らされました。2月24日が記念日になっています。なぜその日なのかは不明です。佐々木主教の逝去は12月ですので逝去記念日でもないようです。特祷、奉献の祈り、晩餐後の祈りは佐々木主教の名前が入った祈りになっています。ちなみに特祷は、「わたしたちの羊飼いである神よ、あなたはあなたの僕・パウロ佐々木(主教)に、試練の時、教会の自由と全き証しを守るために不動の精神を与えられました。…」となっています。

佐々木主教は戦時中、教会合同問題で揺れる日本聖公会の一致のため東京教区主教に転出されました。その後スパイ容疑で憲兵隊司令部に留置され、厳しい尋問を何ヶ月かに渡り受けましたが、聖公会の信仰を守り通されました。心臓が悪かった主教は留置の結果、健康が著しく損なわれ、戦後、日本聖公会再建の総会議長を務め終えた後、1946年12月21日、61歳で逝去されました。カナダ聖公会はそのような佐々木主教の信仰の戦いを覚え記念しているのです。

『10月11日は、何の日?』 

10月11日は、カミングアウト・デーという日でもありますが、今回は別のお話です。

皆さまは、ご存じでしょうか。昨年2012年、新たな国際デーとして国連は10月11日を「国際ガールズ・デー」という日に制定しました。

この「国際ガールズ・デー」は、現代の日本ではあまり考えられないかもしれませんが、「女の子」だからという理由で、男の兄弟たちは学校に行けても、女の子は学校に行くことが出来ず、働かなければならないこと、男の兄弟たちは良い食事を食べられるが、女の子は十分な栄養を取ることが出来ないこと、暴力や性的嫌がらせの被害に遭う確率が高いことや児童婚など、とても厳しい状況に置かれている女の子たちが、世界中には多く存在することを広く知ってもらい、女の子の人権が尊重されることを目指し、制定されました。

日本では、6歳から始まる小学校での6年間と、12歳から始まる中学校での3年間が義務教育であり、女の子と男の子の区別なくその保護者は、子どもに教育を受けさせなければなりませんので、基礎教育に男女格差があり、それがとても大きいものであることなど、想像が出来ないかもしれません。しかし、この基礎教育の男女格差は、当然のことながら成人の識字率にも反映され、女性の経済的な自立の妨げにもつながっているのです。

他にも、児童虐待、家庭内暴力や性的虐待などの被害者には多くの女の子が含まれ、国によっては、出生未登録や未就学のまま、恒常的な児童労働に従事させられている女の子も多く、人身取引が多発している国、地域も少なくありません。

女の子の教育の機会を確保し、女性の自立支援を促進すること。また様々な暴力から、特に女の子を守る試みがなされ、人身取引被害者が無くなるように、対策を講じて、世界中の一人でも多くの女の子が、明るい未来に向かって歩みを進めることが出来るように、関心をもって行くことが求められています。

しかし、これは何も国外の出来事への関心で終わるものではありません。日本には、基礎教育の男女格差や、児童労働、児童婚、人身取引などは目に付くことはないかもしれません。しかし、昨年の宣教協議会の「日本聖公会〈宣教・牧会の十年〉提言」の5つ目の項目、「主にある交わり、共同体となること〈コイノニア〉」で、教会・教区・管区の意思決定機関での、女性比率が30%になるように促されています。このようにわたしたちの周りでも、残念ながらまだまだ男女平等は実現されているとは言えないのが、現状です。だからこそ、わたしたちは、身近な女の子に関心を向けるよう促されています。

わたしたちの身近な、女の子たちが、自分たちの未来に希望がもてるように、わたしたち教会が、女性と男性がともに、神の似姿として造られていることを、目に見える形で示して行くことが、求められているのです。教会委員はもちろん、教区会代議員、総会代議員、教役者にもっと女性が増えるように、祈りながら働いて参りたいと思います。

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖ヨハネ教会 牧師・愛知聖ルカ教会 管理牧師)

『” いっしょに いっぽ “~教区成立100周年記念感謝礼拝を目前に控えて~』

残暑厳しき折、皆様の上に主の平和がありますようお祈りいたします。

さて、まだまだ先のことだと思っておりました、中部教区成立100周年記念感謝礼拝が1ヶ月後に迫って来ました。一人でも多くの皆様に参加していただき、100年の感謝賛美の礼拝をお捧げしたいと願っております。

「ともしび」紙上にはここ1年にわたり教区成立100周年記念事業につきましての報告やお願いが掲載されてきました。皆様もご覧になり、100周年への想いを深くして来られたのではないかと思っております。記念事業募金も皆様のご協力により目標に向かって献げられております。本当に感謝です。ありがとうございます。引き続きご協力をお願い申し上げます。

記念感謝礼拝当日はカナダ聖公会首座主教のフレッド・ヒルツ大主教様が説教をしてくださいます。また、ソウル教区の金根主教様にも前日の夕の礼拝で説教をいただくことになっております。お二人からは中部教区のこれからの宣教に対する良き示唆がいただけるものと楽しみにしております。

100周年のテーマは「いっしょに いっぽ」です。テーマ聖句は「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」(詩37・23)です。この100年の礼拝を中部教区の更なる一歩前進の契機としてまいりたいものです。中部教区の100年も一歩から始まりました。一歩一歩の積み重ねが100年になっているのです。カナダ聖公会が教区100年の第一歩を記してくださいました。教区200年の第一歩はわたしたち自身が記すのです。わたしたち一人ひとりが次の100年に向けての一歩を踏み出さなければ、教区200年は始まらないのです。百歩、二百歩でなく、一歩でいいのです。その一歩が大切です。その一歩が次の一歩につながっていくのです。教区の一人ひとりがそのことを自覚して歩みましょう。

人間の目から見たら100年は長い年月ですが、神様の目から見たら100年はほんの一瞬です。「主のもとでは…千年は一日のよう」(二ペト3・8)だからです。神様の目から見たら100年はまだまだ成人にも達していないのです。初代の教会においても、イエス様の昇天から100年後はまだまだ信仰や教会形成のための必死の戦いがなされていた時代です。

そういうことから言ったら、中部教区はまだまだ生まれたばかりの教会と言ってもいいのかもしれません。100年経ったというよりも、まだ100年しか経っていないのです。これから更に神の国の宣教のために進まなければなりません。この100年の記念行事や感謝礼拝は、神様が中部教区200年の第一歩のために備えてくださったものです。

教区にとって、各教会にとって、その一歩とは何なのか。そのことを今わたしたちは考えましょう。そして、その第一歩を踏み出しましょう。教会の在り方、教区の体制などを大胆に発想転換していくことも許されるでしょう。信徒も教役者も変化を恐れず信仰的な挑戦を行っていくことも求められるでしょう。神様が中部教区の進むべき道を備え、わたしたちの足をしっかりと定めていてくださることを信じつつ記念感謝礼拝をお捧げしましょう。