「口語祈祷書試用版の思い出」

 塚田理司祭が聖公会新聞に「私の思い出 中部教区高田降臨教会と父健作」を連載中ですが、最新号でHさんとお母さんのことに触れておられました。Hさんは幼稚園の教師として戦時中も教会や牧師を支えた方です。そして、お母さんとはわたしが高田の牧師時代、親しい交わりをさせていただきましたので懐かしく読ませていただきました。
 Hさんのお母さんはわたしの在任中、かなり高齢で体調も万全ではなく教会には時々しか来られませんでしたが、孫のような牧師に随分心を配ってくださいました。家庭聖餐にもお伺いしましたが、元村長さんの家ということで、茅葺の古い大きな立派な家で、夏でも家の中は涼しかった記憶があります。
 わたしがその方に一番感心させられたのは祈祷書のことです。当時、祈祷書の改訂作業が進められ、口語の試用版が出されそれを使っている頃でした。日本聖公会全体ではまだまだ口語には抵抗感があったようですが、植松従爾主教が祈祷書改正研究委員長ということもあり中部教区では他教区に先駆けて積極的に使用していました。
 その方は教会に来るときは小さな試用版を必ず持って来るのでした。わたしはその方のような高齢の方には口語はかなり抵抗があるのではないかと勝手に思い込んでいたのでしたが、いつもちゃんと持参され、口語でお祈りされる姿がとても印象的でもあり、感動的でもありました。当時、日曜学校の子どもの中には口語の主の祈りを“ こんなのお祈りじゃない”と言う子もいましたので、余計その方の姿が印象的でした。新しいことを受け入れるのに年齢は関係ないということを教えられ、また、口語祈祷書を使うことにも勇気づけられたのでした。