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「聖パウロ祭2026」のお知らせ
『風、薫る』
私は今、NHK連続テレビ小説『風、薫る』のキリスト教考証を担当させていただいています。『風、薫る』は、近代的な看護を日本で初めて実践し、看護師という働きの礎を築いた大関和と鈴木雅をモチーフとした二人のナース、一ノ瀬りんと大家直美が主人公です。実際の大関和は熱心なキリスト者として、看護のみならず、日本キリスト教矯風会などの働きにも大きな貢献を果たしました。二人が学んだ桜井女学校は、米国長老教会の経営のミッションスクールとなり、1886年に看護婦学校を設置、後に女子学院となります。さらには同校を母体として、新潟県の高田女学校も開設されます。大関和は1890年、高田女学校の伝道師及び看護婦を務めた後、1891年には高田の知命堂病院の初代看護婦長を担います。
今回の『風、薫る』は、大関和、鈴木雅を「モデル」とするのではなく、あくまでも「モチーフ」で、実際の二人の歩みを史実的に辿るものではありません。NHKからのご依頼は、大家直美が世話になった教会、ミッションスクールとしての看護学校などをめぐっての考証でした。大関和が指導を受けた長老派の大牧師、植村正久牧師などは登場しないものの、長老派教会の雰囲気などを意識した考証を心がけました。
当初、NHKから吉江善作牧師役が原田泰造さんと伺った時に、少しイメージが湧かなかったのですが、いつも直美が自分らしく生き、自立していくことを、祈りをもって見守り、彼女に心底、共感する吉江先生を見事に演じられています。直美の話を聴きながら、また、彼女が綺麗な髪を切るのを手伝いながら、ぼろぼろと泣く吉江牧師。そんな姿をスタジオで間近で見ながら、確かに牧師とは、信徒のために祈り、自らも胸を痛め、その人のために涙を流すことのできる者でなければならないと、あらためて教えられたのです。
礼拝カレンダー2026年6月
名古屋聖マタイ教会創立75周年行事関係
2026年名古屋聖マタイ教会では創立75周年記念行事を行います。

<記念聖句>
私は、すでにそれを得たというわけではなく、すでに完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスによって捕らえられているからです。
(フィリピの信徒への手紙3章12節)
<記念礼拝>
2026年9月20日(日)10:30~
English Hour

礼拝カレンダー2026年5月号
日中はすっかり初夏の訪れを感じる気温となってきました。お出かけの際は、体調に無理のないようにお気を付けください。
礼拝カレンダー5月号が完成しましたのでお知らせいたします。修正等ありましたら中部教区センターまでお知らせください。
5/1修正…5/31名古屋聖マタイ教会の聖餐式司式者を修正しました。

見よ、神の幕屋が人と共にあり
2月8日から2泊3日、中部教区主教座聖堂を会場として、「中部教区・京都教区合同教役者会」が開催されました。合わせて30名の聖職者たちが一同に会し、豊かな恵み多き時を共に過ごすことができました。
主教アワーでは、〈聖書における『天幕』理解と「人間性の回復」〉というテーマでお話させていただきました。創世記、出エジプト記から、福音書、ヨハネ黙示録に至るまで、通貫するメッセージは「天幕」性の大切さであった。聖書における「天幕」とは、人が神と出会う場であり、共生の場、不正義への抵抗の場であった。旧約の神から新約のイエス・キリストに至るまで、神殿を立てよと命じられたことは、ただの一度もない。固定された神殿の維持に固執する姿勢から、もう一度原点に立ち返り、「天幕の霊性」の回復、「天幕的な在りよう」について、ぜひともこの機会に考えたい。
聖職のみなさんは熱心に質疑くださり、さらに深めてくださいました。「神は今日、どこに天幕があることを望んでおられるのか」を問い続けること、天幕とは、箱(建物)のことではなく、人(私たち)のことではないか、という視点も確認されました。
最後は、主教座聖堂での聖餐式でした。両教区の聖職団が共にささげる祈りには聖霊の力をこの身に感じ、それは感動的ですらありました。天幕を教役者の働きだと理解すると、私たちの両教区には40張近い天幕が与えられていて、それぞれ必要とされる地に派遣され、天幕を張っている、ということになるのです。
「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となり、目から涙をことごとく拭い去ってくださる。もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない。最初のものが過ぎ去ったからである」(ヨハネの黙示録21章3~4節)



