「人事異動の大変さ」

4月1日付けで人事異動が行われました。4名の司祭が異動し、1人の聖職候補生が新しい任務につきました。それぞれ聖霊の導きのもと、新しい働きに邁進されますよう心より願っています。異動は教役者にとりましても教会にとりましても大変さが伴います。それまでの慣れ親しんだ関係や環境から全く新しいそれへと入って行かなければならないわけですから、それなりの体力と気力が求められます。異動を8回経験した者の実感でもあります。

しかし、実は、その大変さは教会が成長するためのステップでもあることをご理解いただきたいと思っています。見方によっては何もかも一からのスタートと言えないこともありません。また、教役者、信徒双方にとって新たに関係を作っていくということは時間の浪費のようにも思えることもあるでしょう。礼拝のやり方や教会の運営方法がどこへ行っても同じようにできれば、時間はかからないかもしれません。しかし、異動に伴う新たな教会形成は決して時間の浪費ではありません。教会にとって必要な時間なのです。その教会が更なる高みへと成長していくためのステップなのです。そこで消費される体力と気力は、必ず教会の成長へとつながっていくものなのです。むしろ、その大変さを省略してしまうことのほうが恐ろしい結果を招くのです。

信徒と教役者がお互いに理解し合い、信頼し合う関係作りは、おのずと教会が力強く宣教へと向かって行くための原動力となっていきます。ですから異動に伴う大変さを大変さと思わず、むしろ必要なこととして積極的に受け止めていただければ幸いに思います。

高澤登司祭が2月下旬から新生病院に入院中です。皆様のお祈りの内にお覚えください。

『私の祈りを紹介します。』 

今年に入って、私は最初の祈り(観想祈祷)として「私自身の存在」について神様に尋ねました。

「主よ、私の名前は何でしょうか」と。

「内容(心)が分からない者」という答えが聞こえてきました。

私はまた聴きました。

「主よ、こんなに単純な私がなぜ分からないのでしょうか」

主は答えてくださいました。

「しかし、希望を持っている者、期待される者。私はお前と共にこの新年を開こう」

再び聴きました。

「新年を開くとは何でしょうか」

主の答えは「呼吸、生きること」でした。

その答えを聞いて、私はすぐにこういう内容で新年の最初の祈りを捧げました。

「新年を開く方は主ですけれども、私をあなたの御働きに参加させてください。そして私の新年に主が参加して頂き私の人生を開いてください」

意図的に何かを考えた祈りではなく瞬間的に出てきたことだったので、本当に不思議に思いました。

ところが一つ、「あなたは内容が分からない者」という言葉で気持ちがすっきりしなくて、今自分は主にさえも何か隠そうとしているのかなという思いで悲しくなりました。そんな気持ちのまま翌日を迎えました。ヨセフとマリアが赤ん坊のイエス様を連れてナザレのほうに逃げたという聖書の部分を読みました。ナザレという単語にふれたとき、ほんの1秒にもならない短い時間に、この「ナザレ」は「内容が分からない者」と同じことを示しているということに気づかされました。メシアとはふさわしくなさそうな田舎のナザレ、しかし赤ん坊のイエス様がそこに行かれたことによって希望があり期待される所となった、そこが私自身の心であるということを知らせてくださったわけであります。

その後、もう既に1ヶ月半が経ちました。その間、私の祈りは次のように進んできました。創世記25章19~34節とマルコによる福音書9章30~41節を読んで黙想していた時、感じたことがあります。創世記に、リベカがお腹の双子が喧嘩していたため神様の御声を聴こうとして(祈るため)出かけたと記されています。とにかく、リベカの二人の息子たちは仲が良くなくて、兄は弟に騙されてパンとレンズ豆の煮物で長子の権利を譲ってしまう過ちを起こしました。軽々しく扱った長子の権利とはいったい何を意味しているのか気になりましたが、そのまま継続してマルコによる福音書を読みました。

弟子たちはイエス様の話に対して議論をしましたが、怖くてイエス様に聴こうとしませんでした。イエス様は一人の子どもを彼らの真ん中に立たせてこうおっしゃいました。

「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(マコ9・37)

私は、長子の権利ということは、とても小さな者を受け入れることと関係があるということに気づきました。

一緒に祈る仲間の人からこういう話を聞きました。「マルコによる福音書に、イエスの弟子でもないのにイエスの御名で奇跡を行う人たちについての話が出ていますが、考えてみれば彼らは力を持って働いたことで弟子たちは逆に弱い者だったという感じを受けます」と。

その時、主は私にこうおっしゃいました。

「弱さをあなたの真ん中に置きなさい、弱いことを嬉しく思いなさい。私が助ける」と。

司祭 イグナシオ 丁 胤植
(長野聖救主教会牧師)

『恐れることはない』

3月11日、大震災が起きた。地震が起こった時、私は大学にいた。書類は倒れライトは大きく揺れ、テレビをつけるとそこには大きな津波が人々を飲み込もうとしていた。都内の交通機関も麻痺し立教のキャンパスを開放した。5千人近い人々と、私も大学で夜を明かした。翌朝には、すでに言語を絶する状況が明らかになりつつあった。詩篇詩人の、苦難を前にして、舌が上あごに張りついて、神に祈ることすらできないという嘆きそのものの経験であった。

ある女性の証言が耳から離れない。大津波から逃げようと高台に向かっている時、後ろを振り返ると、数人の小学生たちが泣き叫びながら必死に走っていた。しかし、次に振り返った時には、もうその子たちの姿は消えていた、という。ある男の子は、行方不明になった両親、兄妹の名前を段ボールに書いて避難所をまわっていた。この現実を前にして、私たちは茫然とするばかりである。

そして、地震と津波に加えて、さらなる恐怖が襲うことになる。福島第一原発の原子炉群の爆発、制御不能と高濃度放射能拡散である。学者たちは「人体に影響がないレベル」と言うが、私が工学部時代に学んだことは、それは急性障害が出るか否かだけで、人体にまったく影響がない放射能などないということだ。実は4年前に、福島原発は、チリ級津波が発生した際には冷却材喪失による過酷事故の可能性があると国会でも指摘されていた。そういう意味では、この原発事故はまったくの人災である。強烈な放射線が降り注ぐ中、身を挺して鎮圧作業に当たった人々を覚えたい。彼らの家族はどんな思いでこの作業を見守っていたであろうか。

私のもとにも、聖公会につらなる世界中の姉妹兄弟から祈りと励ましのメッセージが続々と送られてきた。カンタベリー大主教チャプレンのジョナサン・グッドオール司祭、アングリカン・コミュニオン・オフィス幹事のテリー・ロビンソン司祭によると、地震発生から30時間以内で、世界各地から数百通に及ぶ激励と祈りのメールが届けられたという。東北教区、北関東教区の信徒、教役者をはじめ、被災されたすべての人々は、今も極度の苦難と不安の内にある。被災者のみならず、私たちの誰しもが、言い知れぬ恐れを抱いている。けれども、私たちは独りではない。世界中の仲間たちがこの苦しみに共感して、自らの腸を痛め、叫びのような祈りで、私たちの手を握って離さないのだ。

今こそ、私たちの信仰が問われている。震えるマリアたちに、復活された主イエスは「恐れることはない」と力を与えられたではないか。絶望を永遠なる命へと変えられた復活の主イエス・キリストの、神から与えられた名は<インマヌエル>。この名は「主は私たちと共におられる」という意味だ。

被災地の瓦礫の中を、両手に水の入った大きな容器を持ちながら、歯を食いしばって歩く少年がいた。彼は、瓦礫の絶望の中を、それでも<いのち>という希望に向かって歩み出している。彼と共に、被災されたすべての人々と共に、そして、すべて私たち一人ひとりと共に、復活の主はあのエマオへと向かう道のように、私たちの隣を歩き、私たちの心を熱くしてくださる。

今年の復活日は特別な主日となる。それは、瓦礫の中に生え出でる小さな新芽のように、私たちが希望への新たな一歩を踏み出すための大切な時なのである。

司祭 アシジのフランシス 西原 廉太
(岡谷聖バルナバ教会 管理牧師・3月16日記)

「中部教区百年への準備の年…2011年」

教区の皆様は既にご承知のことと思いますが、中部教区は2012年に教区成立100周年を迎えます。1912年(大正元年)10月18日に、中部教区初代主教であるH・J・ハミルトン主教が中部地方部の主教に按手されてから100年になります。

来年の10月8日には記念礼拝を計画し、前日には記念行事も予定されています。「教区成立100周年記念事業実行委員会」(長・土井宏純司祭)も既に立ちあげられ、活動が始まっています。まだ教区全体としての盛り上がりには欠けるところがありますが、これから順次気運を盛り上げていきたいと思っております。カナダ聖公会からは首座主教のヒルツ大主教にもおいでいただくことになっています。

100周年を行う意味は何でしょうか。100周年などというお祭りは意味がないと思われる方もおられることでしょう。わたしも、単なるお祭りに終わるのなら全く意味のないことだと思います。しかし、わたしはこの100年は中部教区の次の100年につなげていく大事な年だと認識しています。今あるわたしたちの信仰と教会は、いわばカナダ聖公会からいただいたものです。次の100年には、いただいたものを引き渡していくのではなく、わたしたち自身の信仰を引き渡していかなければなりません。そのためには一人ひとりが信仰と宣教の担い手として、各自の信仰を更に豊かで生き生きとしたものにしていく必要があります。そういう意味でこの100周年を逃してはならないのです。今後様々な形で皆様には100年の情報をお届けし、お願いもさせていただくと思いますが、お一人おひとりが教区100年の担い手としてそれらを受けとめていただきたいと願っています。

『声を失って』 

始めてでした、こんなこと。時々声がガラガラ声になることはありましたが、経験したことなんかありませんでした。

降臨節前主日を明日にした土曜日です。数日前から声がかすれてきてはいましたが、発声するのに力まなければならなくなりました。月曜日に医者に行くつもりでしたが、日曜の朝には、口パクだけで声が出ない、焦りました。特に今日は収穫感謝と子ども祝福式の日。何とか根性出して乗り切りましたが案の定、翌日には全く声が出なくなってしまいました。

火曜日は定期教区会でした。点呼での返事もできず、代返を依頼しました。私はとうとう自分の声を喪失してしまったのです。

クリスマス物語では不思議な誕生の話が二人の女性によって展開されていきます。すぐには思い出せなくても誰もが良く知っている出生の秘密の物語です。

ひとりは言うまでもなくマリアとイエス様の懐妊です。もうひとりはエリサベツと懐妊です。さぁ誰でしょう。

エリサベツの夫はザカリヤという名の神殿に仕える祭司でした。この夫婦は子に恵まれず諦めていましたが、御使いが夫ザカリヤに妻の懐妊を伝えます。彼は常識や経験に基づいた判断に固執するあまり、(後の)ヨハネの誕生をあり得ないことだと主張したので、『時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから』と、神のお叱りを受けて声を取り上げられてしまいました。

このザカリヤが祭司であることと、降臨節という時節であることが相重なって、「今私に起きているこの状態や状況は何を意味し、私に何を告げようとしているのか」などという大層な宿題を意識させるクリスマスを過ごす羽目、いえ、過ごす恵みを与えて下さいました。

言葉を失い、主張する手段を失ったザカリヤは声を失った期間が悔い改めの時になりました。彼は静かな沈黙の内に神の言をかみしめることを求められました。語る声を失うことは、ただ人間の経験や常識の言葉だけをしゃべり続けようとする自己中の主張に対する警告でもありました。

私も同様ですか?とお尋ねしても返事は聞こえてきませんが、発言に制限が課せられたので、聴くことが必然的に多くなります。意識しない内に、すぐ言い返すようになっていることに気づきます。私が言い返さない・返せないことをいいことに、耳の痛いことを聴くだけ。又、外出しても、こんなに声を出しているのかと驚きます。会話でなくとも音声を発しないと存在自体に気づいて貰えない、それが自分の身の安全に直結しているのです。そんな危険に満ちた社会に私達は住んでいるのです。これには驚きました。

一ヶ月を経て少し回復はしていますが、まだ以前の状態には戻っておりません。声を失ったことで、対話は「話し方」ではなく「聴き方」にあること、声を出したくても声も出せずに存在までも気づいてもらえない者がいるのではないか…今年のクリスマスは主なる神が意識と関心を向けている場所を示されたように思うのです。

司祭 エリエゼル 中尾 志朗
(新潟聖パウロ教会牧師)

『ヨセフの決断…「正しさ」から「み言葉」へ』

主イエス様のご降誕おめでとうございます。

クリスマスには世界中の多くの人たちが「メリー・クリスマス」と挨拶を交わします。しかし、聖書を見ますと、イエス様の誕生はヨセフとマリアにとっては決しておめでたい、うれしいことではありませんでした。二人にとってイエス様の誕生はまさに青天のへきれきだったのです。

ヨセフはマリアと婚約していました。しかし、結婚する前にマリアが聖霊によって身ごもります。生まれてくるであろう子が自分の子ではないことはヨセフが一番よく分かっていました。マリアが他の男性と関係を持ったことは明らかでした。彼は「正しい人であったので」マリアとの婚約を解消しようとします。この場合「正しい人であったので」婚約を解消しようと思ったということには少し矛盾があります。なぜならば、ここで言う「正しい」とは彼が律法に忠実であるという意味だからであり、律法的な正しさから言えばマリアは姦淫の罪で石打ちの刑にならなければならないからです。ですから、彼が正しい人であることを貫こうとしますと、彼女の罪を白日のもとにさらけ出さなければならないのです。

しかし、ヨセフはマリアがそうなることには耐えられません。ですから、彼女のことを表ざたにしないで婚約を解消しようとします。それは彼の優しさでもありました。しかし、律法的にはそれは「正しい」ことではありません。ここに彼の「正しさ」は行き詰まり、挫折します。結局、律法の正しさは人間を生かさないということなのです。

しかし、彼が律法の正しさから挫折したことで神様の計画が実現に向かいます。人間の正しさは時として神様の計画を妨げることもあるのです。それまでヨセフはマリアへの疑いや、自分が律法に忠実になりきれなかったことで苦悩の中にいました。しかし、天使の言葉を聞き、夢から覚めると決然としてマリアを妻にするのでした。ヨセフは自分の正しさよりも神様のみ言葉に従うことを選んだのです。その決断がなければクリスマスはあり得ませんでした。神のみ言葉が彼の正しさを越えたのです。神様はいつもわたしたち人間の正しさを包み込み、ご自分のみ心の成就へと変えてくださるのです。しかも、律法の正しさによってではイエス様を神の子として信じることが難しいということも降誕物語はわたしたちに教えてくれます。ヨセフは天使が伝えた神のみ言葉に従ってマリアを受け入れ、イエス様を受け入れました。

神様は時として人間に厳しさを強いることがあります。クリスマスの出来事は特にそうです。若いカップルには耐えられないほどの試練でした。しかし、ヨセフもマリアもみ言葉を受け入れることによってその試練を乗り越え、他の誰もが与えられなかった大きな恵みが与えられました。わたしたちは聖書のみ言葉を自分の都合に合わせて聴こうとしたり、自分の都合に合わせて解釈しようとしたりしがちです。しかし、わたしたちはみ言葉に”聴く”者です。み言葉をわたしたちに合わせるのではありません。わたしたちがみ言葉に聴き従う時、神様の大きな恵みと祝福にあずかることができることをクリスマスの物語はわたしたちに明確に語っています。

主教 ペテロ 渋澤 一郎

「ヨセフの決断…『正しさ』から『み言葉』へ」

主イエス様のご降誕おめでとうございます。

クリスマスには世界中の多くの人たちが「メリー・クリスマス」と挨拶を交わします。しかし、聖書を見ますと、イエス様の誕生はヨセフとマリアにとっては決しておめでたい、うれしいことではありませんでした。二人にとってイエス様の誕生はまさに青天のへきれきだったのです。

ヨセフはマリアと婚約していました。しかし、結婚する前にマリアが聖霊によって身ごもります。生まれてくるであろう子が自分の子ではないことはヨセフが一番よく分かっていました。マリアが他の男性と関係を持ったことは明らかでした。彼は「正しい人であったので」マリアとの婚約を解消しようとします。この場合「正しい人であったので」婚約を解消しようと思ったということには少し矛盾があります。なぜならば、ここで言う「正しい」とは彼が律法に忠実であるという意味だからであり、律法的な正しさから言えばマリアは姦淫の罪で石打ちの刑にならなければならないからです。ですから、彼が正しい人であることを貫こうとしますと、彼女の罪を白日のもとにさらけ出さなければならないのです。

しかし、ヨセフはマリアがそうなることには耐えられません。ですから、彼女のことを表ざたにしないで婚約を解消しようとします。それは彼の優しさでもありました。しかし、律法的にはそれは「正しい」ことではありません。ここに彼の「正しさ」は行き詰まり、挫折します。結局、律法の正しさは人間を生かさないということなのです。

しかし、彼が律法の正しさから挫折したことで神様の計画が実現に向かいます。人間の正しさは時として神様の計画を妨げることもあるのです。それまでヨセフはマリアへの疑いや、自分が律法に忠実になりきれなかったことで苦悩の中にいました。しかし、天使の言葉を聞き、夢から覚めると決然としてマリアを妻にするのでした。ヨセフは自分の正しさよりも神様のみ言葉に従うことを選んだのです。その決断がなければクリスマスはあり得ませんでした。神のみ言葉が彼の正しさを越えたのです。神様はいつもわたしたち人間の正しさを包み込み、ご自分のみ心の成就へと変えてくださるのです。しかも、律法の正しさによってではイエス様を神の子として信じることが難しいということも降誕物語はわたしたちに教えてくれます。ヨセフは天使が伝えた神のみ言葉に従ってマリアを受け入れ、イエス様を受け入れました。

神様は時として人間に厳しさを強いることがあります。クリスマスの出来事は特にそうです。若いカップルには耐えられないほどの試練でした。しかし、ヨセフもマリアもみ言葉を受け入れることによってその試練を乗り越え、他の誰もが与えられなかった大きな恵みが与えられました。わたしたちは聖書のみ言葉を自分の都合に合わせて聴こうとしたり、自分の都合に合わせて解釈しようとしたりしがちです。しかし、わたしたちはみ言葉に”聴く”者です。み言葉をわたしたちに合わせるのではありません。わたしたちがみ言葉に聴き従う時、神様の大きな恵みと祝福にあずかることができることをクリスマスの物語はわたしたちに明確に語っています。

『11月』

信州は今、晩秋を迎えております。例年になく暑さが厳しかった今年の夏。しかし、木々の葉は活発に光合成を行い、まもなく到来する冬に備えるため養分を蓄え、昼と夜の寒暖の差が大きく開くこの時期、山々は美しい紅葉に変わります。

11月は、教会暦、最後の月です。11月1日の「諸聖徒日」で始まり、11月28日は、降臨節第1主日、そして、11月30日の使徒聖アンデレ日と続きます。

11月1日は「万聖節」、凡ての、もろもろの聖である人たちの魂を記念するという意味で、「諸聖徒日」と言い、亡くなった凡てのキリスト者の魂を記念し、その方々のために神様に祈る日であり、翌日、11月2日は、「諸魂日」と言い、世を去った凡ての人々の魂を記念し、神様に祈る日です。

教会では、毎日曜日の礼拝の中で、亡くなった人々の魂のために神様に祈っておりますが、11月は、「諸聖徒月」とも言い、一生懸命に生き、亡くなった人々のことを想い、その魂を安らかに休ませて下さるように神様に祈ります。「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。」(テモテへの手紙二・4章7~8節)

11月1日に、この日を記念するようになったのは、ローマ教皇グレゴリー3世(731~741)の時代、ヴァチカン大聖堂の中に諸聖人崇敬のための礼拝堂を奉献し、礼拝したことに始まります。

人の死後について、確かなことはわかりません。或る人は、何もかも無くなってしまうと考えており、他の人は、肉体は無くなるが、魂は生きていると考えています。

大昔から、多くの人々の願い、期待、希望として、死後も人の魂は生きていると信じられてきました。もし、人の死後が何もない、虚無であるとすれば、今、私達は希望も何もない虚無に向かって必死に生きていることになり、人生は空しいものになってしまいます。

聖書は、この世の務めを終わった人の魂は眠り休んでいるが、やがて最後の時、命の源である神様の許に行くのであると教えています。

ですから、今、生きている私達は、世を去った人々のために、この方の魂を受け容れて下さるようにと祈ると共に、私達が生きている間、神様に喜ばれるような充実した人生を送れるようにと、導きと守りを祈りつつ、希望を持って生き続けることができるのです。

世を去った多くの方々の魂のために祈りましょう。

司祭 テモテ 島田 公博

「宣教会議を終えて」

9月4日、教区宣教会議が開かれました。約80名の参加がありました。7月に出された主教書簡に基づいてこれからの教区の宣教の在り方を一緒に考える集まりでした。このように多くの方々が集まった会議は久しぶりのような気がしました。忌憚のない意見がたくさん出され、活発な議論があり、大変有意義な会議だったと思っています。教区会では様々な制約があり宣教について自由に意見を述べ合うということがなかなか困難です。また、いろいろな委員会でも、委員の方々は熱心に討議をし、決定をいたしますが、その熱意を教区の他の方々が共有するのもなかなか難しいのが現実です。

そういう意味では、今回の宣教会議は各教会からの参加者を得て、多くの皆さんの自由闊達な意見をお互いに出し合い、聞き合う場となったことは喜ばしいことです。皆さん、教区や教会に対していろいろな思いがありますし、同時にいろいろなアイデアもたくさんあるのです。教会・教区を何とかしなければという強い思いを皆さんが持っておられます。そのような思いを教区は最大限に吸収し、宣教へと結びつけなければならないことを改めて感じさせられました。信徒も教役者もお互いに自由に意見を出し合うところに元気な教会・教区が生まれてくるのだと思います。

今回の会議では殊に教役者への期待が大きいことを強く感じました。こういう危機の時代にこそ教役者のリーダーシップが求められているように思えるのです。教役者中心主義であっては困りますが、しかし、教役者はもっと牧会的・宣教的な面においてその方向性を指し示すことが求められていることも確かだと思います。信徒、教役者が一体となって宣教に向かって進みましょう。

『可児伝道所から』

可児伝道所は、日本聖公会の中でも、フィリピンから働きに来ている信徒を主な対象に開かれた唯一の教会です。フィリピン人会衆は皆、このような教会が自分たちの住む地域にできたことに心から感謝をしています。人口の85%以上がクリスチャンという国柄、フィリピン人にとっては、主日の礼拝を中心においた生活がごく当たり前だからです。コリントの信徒への手紙2の9章11節~12節にはこのように書かれています。「あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです」。

昨年の毎主日の礼拝参加者はおおよそ20人~30人でしたが、最近は、15人~25人に減少しています。世界的な経済不況によって多くの人が解雇され、幸い転職できた人がいる一方で、職が見つからず帰国を余儀なくされた人が大勢いるからです。それぞれの生活はとても不安定で大変ですが、私たちは信仰のゆえにこのような状況に堪え、希望を持つことができています。

可児伝道所は、この地域の中でとても大切な存在になっています。フィリピンから働きに来ている信徒たちのための、仕事や生活に関する相談窓口としての役割を担っているばかりでなく、学習会や集会、会議など、いろいろな活動の場としても用いられているからです。マタイによる福音書25章35節~36節に「お前たちはわたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」とあります。

この地に居住しているとはいえ、可児伝道所に集うフィリピン人はまだまだ訪問者に近い存在です。しかし、このような者に対して、国籍を超えて心を寄せ、共に生きようとして下さる信仰の友が大勢いることは、私たちの心を本当に温かく、豊かにしてくれます。教会は、礼拝に出席するだけでなく、互いに助け合い、喜びを分かち合うコミュニティーそのものだと実感しています。

嬉しいことに、5月30日には一宮聖光教会の伊藤司祭と信徒の方々、8月22日には愛知聖ルカ教会の信徒の方々がそれぞれ可児伝道所に来て下さり、共に聖餐に与り、聖餐式後には暖かい交わりのときが与えられました。また、8月29日には、可児伝道所の信徒と共に一宮聖光教会に行き、新たな交わりのときを持つことができました。このような輪がますます広がり、神の国を作り出す器として、共に歩んで行けたらと願っております。

執事 山下 グレン
(可児伝道所勤務)