魂の教育

 今夏、立教大学で開催された聖公会関係学校教職員研修会の講師には、私の盟友でもある神学者の森本あんり先生にお願いしました。
 森本先生は5歳の時にお母さんを病気で亡くされました。それ以来、大変な苦労をされながら、今に至られました。50歳を越えた頃、生母のことを何も知らないことに思い至り、お母さんが教会に通っていたことを手掛かりに調べ始めました。そして、お母さんが洗礼を受けられた教会が判明し、牧師から、教会に記録があるとの手紙も送られてきました。手紙には、お母さんが書かれた信仰告白も添えられていました。森本先生はこう書かれています。

 「わたしは、その時までまったく知らなかった。自分の母が洗礼を受け、一年足らずの後に亡くなったことを。はじめて見た母の直筆が信仰告白であった。当時28歳だった母は、4歳のわたしを抱え、次第に弱ってゆく自分を見つめながら、こんなふうに綴っている。
 『一年あまりをかけて、ようやくキリスト者として生きる決心をすることができた。将来の不安はあるが、すべてをよきにはからってくださる神を信じて、与えられた残りの日を過ごしてゆきたい。特に、後に遺してゆく子どもを、神の手に委ねる。この子の魂の教育を、主なる神に委ねたので、そのことについては、今自分は安心しで死を迎えることができる』
 わたしは、半世紀も前の母の思いをようやく受け取ることができたように思った。自分は、不幸な子ども時代を過ごし、ひたすらそこから抜け出すことを願い、一人で洗礼を受け、一人で決心し、一人で牧師になったつもりでいた。けれども、そこには幼い自分を神の手に委ねて、魂の教育を祈った母がいたのである」

 私たちのキリスト教学校は、そして私たちの教会もまた、確かに、神さまから託された「魂の教育」を精一杯に担う者たちなのです。

確かな錨、希望の灯台として

 中部教区とフィリピン聖公会北中央教区との宣教協働が2004年に始まって間もなく、同教区から「岐阜に在住するフィリピン聖公会信徒の霊的ケアができないだろうか」との相談が寄せられました。この呼びかけが、思いもよらない実りを結ぶこととなります。
 当時、岐阜県可児市周辺に暮らしていた彼らの願いは、「定期的に礼拝を捧げたい」という素朴なものでした。その願いは2009年の伝道所開所を経て、2013年、可児聖三一教会の設立へと結実しました。
 その歩みの中で、中部教区は、礼拝を守るだけでなく、
「可児ミッション」として保育事業を展開することになりました。しかし諸般の事情が重なり、2017年にはこの事業を閉じざるを得なくなりました。それでも、「礼拝を捧げ続けたい」という信徒の願いが途絶えることはなく、礼拝は守られ続け、今日に至っています。
 可児聖三一教会について、かつてこの教会に約2年通い、現在は他国で働いている方が、SNSで次のように記しています。
 「海外労働者にとって、キリスト教徒が少数派の国で『わが家』と呼べる教会を見つけるのは容易ではありません。しかし幸いなことに、私たちは可児市で、英語による礼拝があり、コルディリエラ地方出身のフィリピン人が多く集う教会に出会うことができました。日本に来て以来、この教会は私たちにとって、まさに『スピリチュアル・アンカー(魂の錨)』でした。そこは単なる礼拝の場所ではなく、確かな『家族』であり、生涯の友情を築く場所にもなりました。同胞の皆さん、近くに来られた際はぜひ足を運び、このコミュニティの温かさと信仰の強さを体験してください。」
 ここで用いられている「スピリチュアル・アンカー」という言葉は、ヘブライ人への手紙6章19節の「私たちはこの希望を、魂のための安全で確かな錨として携え、垂れ幕の内側へと入って行くのです」という聖句を思い起こさせます。生まれ育った国を離れ、言葉や文化の異なる地で働き、生活する彼らにとって、可児聖三一教会は、神の愛に固くつながっていることを示す確かな「錨」であり、人生の航路を照らし続ける「灯台」として、豊かに用いられていることを強く思わされます。
 現在、可児聖三一教会の主日礼拝出席者数は、中部教区内においてトップクラスの規模となり、若いファミリー層を中心に、礼拝堂には子どもたちの声が響き渡っています。復活日や降誕日には50名を超える方々が集い、礼拝堂に入りきらず、外にまで人があふれるほどです。また、洗礼式はもちろん、誕生会、自家用車や自宅の祝福式なども頻繁に行われています。昨年1月の葬儀では、フィリピンの伝統文化である「ウェイク」(何日にもわたって昼夜を問わず次々と人々が訪れて祈りを共にする時)を執り行うこともできました。これは、礼拝堂が与えられているからこそ果たし得たことでした。
 これからも可児聖三一教会が、異国の地で歩む一人ひとりを神の愛にしっかりと結び留める確かな錨となり、希望の灯台であり続けることを願ってやみません。

司祭 ヨハネ 相原太郎
(一宮聖光教会牧師)
(可児聖三一教会 管理牧師)

礼拝カレンダー2026年10月号

早いもので2026年も3/4が過ぎようとしています。まだ少し暑い日はありますが、もうすっかり秋といった感じでしょうか。礼拝カレンダー10月号が完成しましたのでお知らせいたします。教会も関連施設も秋の行事が多く予定されていることと思いますが、お体に気を付けてお過ごしください。

※9/29修正…10/25の高田降臨教会はみ言葉・信徒の礼拝です。

礼拝カレンダー2026年9月

♰主の平和がありますように!

8月はまだ1主日残っていますが、9月の礼拝カレンダーが完成しましたので、お知らせいたします。9月はマタイ教会の創立記念礼拝や教区研修会がある関係で、変更が生じている教会がございますので、ご確認をよろしくお願いいたします。

変更がございましたら、中部教区センターまでお知らせください。

※8/31修正…9/27名古屋聖マルコ教会に修正がありました。
※9/1修正…9/20稲荷山諸聖徒教会に修正がありました。

縦と横、十字に広がる「アーメン」の響き

 私たち聖公会が行う聖餐式がローマ・カトリック教会による第二バチカン公会議の影響を受けつつ、東面礼拝から対面礼拝へと変遷し、今60年近くが経とうとしています。
 全ての礼拝者が愛と信仰を合わせ、一つの共同体として〝日出ずるところから来られる神〟(エゼ43章1節~2節)と対峙し、同時に自らの「心も体も生きた供え物」として献げることを象徴する東面礼拝の伝統的礼拝理解に、最後の晩餐で使徒たちが主イエスを中心として共に同じ食卓を囲み、神の家族としてみ言葉と祈り、そして聖餐を分かち合った真理を祈念し、今その聖卓に私たち自身も招かれ続けていることを感謝する対面礼拝の聖書的礼拝理解が織り重なり合う神秘の祭壇の中で、私たちは毎週祈りを捧げることができています。これほどまでに深淵で、美しく、整えられた祈りの歴史の積み重ねを私は心から誇りに思います。そしてその誇りと喜びを胸に目を輝かせ、私は毎回皆さんと共に聖卓を囲み、皆さんを見つめ、皆さんと私が見つめ合う、その只中に主イエスを探します。
 しかし、皆さんを見つめる私の目に映るのは、いつも皆さんのつむじばかりです。私が求める皆さんの眼差しは、いつも祈祷書に注がれ、私は皆さんの瞳から信仰の喜びも希望も、生きる苦しみや悲しみも、そして祈祷文の思いを遥かに超えて捧げられる祈魂の叫びも見出すことが難しく、自らのただ一つの視線が聖堂を彷徨う寂しさを感じます。そして心の中で〝対面礼拝ではなく書面礼拝では?〟という思いが過ります。
 ある早朝、私はそのような思いを心の片隅に押し込みながら聖餐式を司式し、式は陪餐へと移り、信徒の方々が私の前に一列に並びました。私はその列の前を聖体を分餐しながら進み、ある求道者の方へ祝福を行いました。すると祝福を受けたご本人が「アーメン」と唱えるのと同時に、その方の隣にいた信徒の方も小さく「アーメン」と唱えている声に耳を奪われました。そして平静を装いつつも、心の中では本当に大きな感動を覚えていました。〝凄い!あの方の「アーメン」という祈りには、自分と神との縦の関係だけではなく、自分と隣人との横の関係がはっきりと存在しており、自分が神からの祝福と恵みを受けるためだけに祈るのではなく、隣人が神からの祝福と恵みに与ることができるようにと、その隣人の祈りに自らの「アーメン」(私も、あなたが神からの祝福と恵みを得られるよう切に願っている。あなたのために「アーメン」)を寄り添わせている。これほどまでに生き生きとした共同体としての祈りを耳にしたことがない〟と。
 私たちが東面であろうと対面であろうと、そして書面であろうと、礼拝において何よりも大切にしていることは、私たちが共にいるということを肌身と存在の底から実感し、祈りと心と信仰を通わせ合い、繋がり合い、自分自身と隣人の存在の息吹と祈りの息遣いを活き活きと色鮮やかに、そして時に生々しく感じ合うことなのではないでしょうか?このことが大切にされ、神と自分、そして隣人の繋がりが鼓動のように強く脈打ち振動する時、縦と横、十字に広がる「アーメン」の響きが私たちを包むのです。
 だからこそやはり、こう思います。〝時には祈祷書から目を離し、顔を上げ、天を仰ぎ、祭壇を見つめ、隣人の祈遣い、生き様に自らの「アーメン」を寄り添わせてみては?〟と。

司祭 ヨセフ 下原太介
(立教学院出向)

真に和解を望むなら

 6月27日から7月5日まで北アイルランド・ベルファストで開催された「第19回・全聖公会中央協議会」(ACC-19)に参加させていただきました。サラ・ムラリー第106代カンタベリー大主教も全期間参加され、親しい交わりの時ともなりました。
 会議期間中、私たちは北アイルランド、ロンドンデリーの街を訪れたのですが、その中で伺った「血の日曜日事件」の被害者の方の証言には大きく胸を揺さぶられました。「血の日曜日事件」とは1972年1月30日、平和的にデモ行進中の市民27名が英国陸軍落下傘連隊に銃撃され14名が死亡し多数の負傷者が出た事件です。セント・オーガスティン教会で私たちはリチャード・ムーアさんの話に耳を傾けました。当時、10歳だったムーアさんは、その日、兵士が発射したゴム弾に直撃され失明されました。それから30年以上が経過した後、ムーアさんはその責任者である兵士を探し出し、面会を果たしたのです。そのチャールズ・イネスという元兵士と向かいあう時を振り返りながら、ムーアさんはこう語られました。
 「彼は私や母、父を傷つけた者なのです。私には、自分の仲間や他の犠牲者たちを裏切ることになるのではないかとの躊躇もありました。それでも、私は、彼に会いたかったのです。状況がどれほど困難に見えても、相応しい支えと愛、そして思いやりがあれば、他者の人生にも貢献できるし、直面している困難を乗り越え、それを前向きな力に変えることができるのです。真に和解を望むなら、それは自分自身の中から始めなければならないと私は信じています。自分の心を和解させることができれば、他の人々に手を差し伸べることができるのです」
 出会い、そして、ゆるしへと至るムーアさん自身の道のりについての語りは、世界中から集まった聖公会の人々の心を深く動かしたのです。