12月の礼拝の予定

The dates for December services are as follows:

Sunday, Dec.4 at 10am (Second Sunday of Advent) Holy Mass
Rev.Taro Aihara

Sunday, Dec 25 at 10am (Christmas Day) Holy Mass
Rev.Taro Aihara

From January, Sunday Services will be held as usual on the first, third, and fifth Sundays of each month.

稲荷山諸聖徒教会が登録有形文化財に登録決定

2022年11月18日(金)、文化審議会の答申が出され、稲荷山諸聖徒教会が国の登録有形文化財に登録されることが決定しました。
新聞やNHKニュース等にも取り上げられました。
このことによって、この地に建てられた教会の喜びが広く知られ、この美しい礼拝堂から、ますます主の福音が伝えられますように。
長野県のNHKニュースは、以下のリンクからご覧いただけます。稲荷山くるみこども園の収穫感謝礼拝の様子、地域とのつながりも語られています。インターネット上で数日間、視聴できるそうです。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20221118/1010024708.html

130周年記念礼拝(岐阜)

岐阜聖パウロ教会は2020年に創立130周年を迎えました。
コロナにより延期となっていました130周年記念礼拝を以下の通り行います。

岐阜聖パウロ教会創立130周年記念聖餐式

2022年12月18日(日)午前10時30分〜正午

司式・説教:主教 アシジのフランシス 西原廉太(日本聖公会中部教区主教)
補式   :司祭 ヨハネ 相原太郎(岐阜聖パウロ教会牧師)

礼拝はどなたでも自由に参加できます。事前連絡も不要です。
また、当日は、当教会の関連施設の岐阜アソシアの創立80周年の記念プログラムも予定されています。こちらについては申し込みが必要となります。詳しくは岐阜アソシアまでお問い合わせください。

クリスマス礼拝(岐阜)

12月24日(土)午後7時から
9つの日課と聖歌によるクリスマスイブ礼拝
*キャンドルの光の中での礼拝です。
司式・説教:牧師 司祭 ヨハネ 相原太郎

12月25日(日)午前10時半から
降誕日聖餐式
司式・説教:司祭 イサク 伊藤幸雄

礼拝はどなたでも自由に参加できます。事前連絡も不要です。

いつくしみ深き

 戦乱や疫病によって荒廃した15世紀ロシアの村。一人の少年がいました。鐘造り職人の父を失った彼は、「鐘造りの秘訣を知っている」と人々に呼びかけ、新しい鐘の鋳造の指揮をとることになります。少年は皆に協力を求め、仲間と懸命に働きます。
 困難を乗り越え、ついに鐘は完成します。多くの人々が見守る中、鐘は鳴り響きます。完成を見届けた少年は倒れこみ、涙を流し続けました。実は彼は、鐘造りの秘訣など、父から何も教わっていなかったのでした。
 これは、私が20代のころ観た映画『アンドレイ・ルブリョフ』の中の一場面です。
 当時私が通っていた大学院のゼミに、ロシアからの留学生の女性がいました。皆で昼食をとっているとき、私はその映画の話をしました。
 その際、正教会の信徒であり、いつも穏やかな表情をしていた彼女が、急に真剣な顔をして私にたずねました。
「その少年は、なぜ鐘を造ることができたと思いますか」
 当時まだ信仰を持っていなかった私は、そのまなざしに動揺しながら、「わかりません、どうしてだか」とだけ答えました。彼女はそれ以上何も聞きませんでした。少し眉をひそめて、眩しいような表情をしただけでした。
 あれから20年経ち、病院チャプレンとして多くの患者さん達と出会い、看取り、別れてゆく経験を続けていく中で、彼女の問いかけの意味が、わかってきたように思います。
 あの少年も、私もまた、ただ主のご恩によってのみ、仕事にとりかかり、取り組み、終えることができる。その方なしには、私たちは何一つできず、誰一人支えられない。私たちはただその方に、手で持ち運ばれ、用いられる器。
 でもその方は、私たちをその場所に遣わされ、どんな苦しみのさなかにも、いつくしみをもって守られる。そして多くの人々と出会わせ、そのみ業をなしとげてくださる。
 留学生の彼女は、信じて生きることと働くことの、不思議と喜びを、私に伝えたかったのだと思います。
 病院の職員は、患者さんが亡くなり、お見送りの祈りをする際に、「いつくしみ深き」(聖歌第482番)を一緒に歌います。多くの人が知っているメロディですので、初めてのご家族でも、つぶやくように歌ってくださいます。
 病床で出会い、ご一緒に日々を過ごした人と別れるのはつらいことです。時には、この歌をもうこれ以上歌いたくないとさえ思います。
 でも、この不思議な歌をお見送りの部屋で歌うたびに、悲しみの底にいるご家族のそばに、そして立ち会う私自身のもとに、静かに、主のまなざしと優しさが満ちていくように思います。そして世を去ったその方と私たちは、いつか再び出会い、抱き合って喜び祝う時が与えられるのではないかと感じられるのです。
 なぜ少年は、鐘を造ることができたのか。なぜ私は、この命と死の現場に立ち会わせていただいているのか。それはわかりません。主よ、わからないから私は、あなたのいつくしみにゆだねます。
 私たちは、少年の造った鐘が鳴り響くのを、必ずいつか、愛するすべての人たちと一緒に、聴くことになるでしょう。「いつくしみ深き 友なるイエスは 変わらぬ愛もて 導きたもう」(同聖歌3節)。
 ウクライナに、ロシアに、日本に、そしてこの地上に、平和がありますように。

司祭 洗礼者ヨハネ 大和孝明
(新生礼拝堂牧師)

主に向かう道

2022年10月9日から11日にかけて、日本聖公会ナザレ修女会ナザレ修道院において、日本聖公会中部教区の教役者リトリートが行われました。西原主教が中部教区主教に就任して以来、初めて聖職団が対面で集まっての黙想会となりました。
黙想指導をしてくださったのは植松功さんでした。テゼの新しい歌『主に向かう道』もご紹介くださり、中部教区の聖職団で4声に分かれての合唱を指揮していただきました。
祈りと心を一つにしたハーモニーを是非ご覧ください。

楽譜はこちらです。
https://www.taize.fr/spip.php?page=chant&song=27568
copyright © Ateliers et Presses de Taizé, 71250 Taizé, France.

「わたしの家は祈りの家と呼ばれる。」―ナザレでいただいた恵み―

 1919年、英国聖公会からエピファニー修女会のシスターが来日、1936年に日本聖公会ナザレ修女会は発会しました。その修院である三鷹のナザレ修道院に、20年程前、初めて伺った時から、玄関には母マリアとヨセフとの間に御手を開いて立たれる、少年イエス様の像。聖家族礼拝堂の扉を開けると、そこには修女の方々の祈る後姿がありました。
 ナザレ(修道院)でいただいてきた御恵みを言葉で言い表すことはとてもできませんが、一つあげるなら、それは日に7度、定刻に捧げられる礼拝(聖務時祷・オフィス)です。初めて修女様たちが聖堂の左右の席から交互に唱える詩編を聞いた時、聖なるものを感じ、声を出すのが憚られました。のぶ霊母様から「(むしろ大きな声で)よく聞こえるように唱えてください」と言われて、修女の方々と共に心を向けて唱えてきました。後になって、詩編の交唱が共同生活の中で整えられていくものとお聞きしました。そして、期節ごとに日々定められた聖歌の美しさ。(『ナザレ修女会の記憶』68頁)静謐の中から発せられるその歌は、今も私の深いところに響いてきます。
 復活日までの数週間は修道院で大変大切にされています。この期間に受け入れていただいたことは私にとって何と大きな恵みだったことでしょう。通常の時であっても、玄関を入って右手の事務所前のフロアが、話をして構わない場所だと教えていただきましたが、大斎節は大沈黙となります。自由に話せないと聞くと、何と窮屈な、と思われるかもしれません。しかし、ここに来る人は、窮屈と真逆の、自由と希望を見出すのだと思います。私は滞在させていただく度、「ここは祈りの家」だと感じ、まさに主がおられる、故郷ふるさとナザレのように思われました。
 修道院のエピファニー館は、静想日リトリートを守り、主の前に憩う場所として作られたそうです。エピファニー(顕現)とは、目に見えない神様の御旨が明らかに示されること。ナザレ修道院が、日々の働きに疲れ、苦しむ人を迎え入れ、休ませ、御恵みに目を開かせてくれる場所であったのは、一生涯を懸けて主の御足もとに座って御教えを聞き、従う足を止めなかった彼女たちの祈りによるのだと思わずにはいられません。
 唱えられていたアンジェラスの祈りにこうあります。「…どうかわたしたちの心に恵みを注ぎ、み子の苦しみと十字架をとおして復活の喜びに導いてくださいますように…」
 今年6月の閉院の時まで、修女の方々が、世界のため、教会のため、私たちのために祈り続けられた年月と、主のお苦しみを苦しまれ、復活の喜びに導かれていたお姿を思った時、ナザレに示された恵みとは、復活の希望だったではないか、と思い至りました。御恵みは決して絶えることがないと。私たちは受けた恵みを絶やさず繋いでいくように促されているのだと思います。
 ナザレ修道院で唱えた頌栄
「栄光は|| 父と子と聖霊に
 初めのように、今も||
 世々に限りなく」
 今、神様と共にいる。そしてこれからも。
 私は今、教会で同じ祈祷書の祈りを唱えます。この祈祷文がどうかナザレであったように生きた祈りとされますように。そしてナザレ修道院が、これまでそうであったようにこれからも、祈りの家であり続けることを祈り続けます。

司祭 マリア 大和玲子
(長野聖救主教会牧師)

2022年ランベス会議に参加して

 7月26日(火)から8月8日(月)にかけて英国・カンタベリーで開催された「ランベス会議」に出席させていただきました。正式な報告は、また別途の機会にさせていただきますが、ここでは特に印象に残ったことについてご紹介します。
 私は1998年、2008年のランベス会議にもスタッフとして参加しましたが、今回、驚いたのは、出席した女性の主教の多さでした。1998年は「ランベス・イレブン」と呼ばれた11人の女性の主教が参加、前回は18人、そして今回のランベス会議には、笹森田鶴主教も含めて、実に98名もの女性の主教が参加されました。もはや世界聖公会は彼女たち、女性の主教たちの存在なしにはその働きを十全にはなしえないということです。
 一方で、セクシュアリティをめぐっては依然として深刻な分断がコミュニオン内にあることが浮き彫りになりました。今回のランベス会議では決議ではなく「ランベス・コール」という文書を採択する方式が採られたのですが、起草段階ではなかった同性婚を否定する1998年ランベス会議決議を裏書きする文言が最終文案に挿入されたため、米国、カナダ、ウェールズなどの聖公会をはじめとして世界各地からこのプロセスに対する批判が集中し、カンタベリー大主教は急遽、この草案から当該箇所を削除することを発表しました。ランベス会議に参加したグローバルサウスの保守派主教たちは、今回出席している同性愛を公としている6名の主教たちと陪餐の列には並べないとして、カンタベリー大聖堂での開会聖餐式では席を立たず陪餐を拒否しました。
 日本においても同性愛に対する無理解とそれがもたらす差別が、キリスト教の枠組みから語られることが後を絶ちません。それぞれのセクシュアリティはカラフルなものであり、その人の存在そのものと直結している。誰一人としてその人間としての尊厳が傷つけられてはいけないことを、私たちも粘り強く語り続けていかなければならないことを、あらためて確認する機会ともなりました。