『命をひかり輝かせるように…』

昨年の11月4日~7日の日程で、九州教区主催の「ベテル・フェローシップ」説教セミナーが、九州教区センターと福岡ベテル教会を会場に行われました。福岡ベテル教会の古賀ミツ資金を用いて行われたこのセミナーは、各教区より1名の教役者が参加して行われ、中部教区からは、わたくしが参加させて頂きました。
セミナーは最初に、西南学院大学の片山寛先生の講義から始まりました。そこでは、起承転結のある分かりやすい、聞きやすい説教をするようにと教えて頂き、初心に帰って説教準備をする恵みを頂きました。グループで一つの説教の準備をするという、初めての経験に戸惑いながら、また、自分とは違う説教準備の方法に感心しながら、聖書のみ言葉に耳を傾けました。情熱を持って神さまのみ言葉に向き合う同労の教役者達の姿は、とても頼もしいものであり、わたしたちの日本聖公会が、神さまの愛の眼差しの中にあることを感じることが出来たセミナーでした。
このセミナーでの、み言葉から励まされる経験とは反対に、わたしの身近なところでは、み言葉によって傷つけられ、うちひしがれた人々の呻きに、呆然とさせられることがしばしば起こります。もちろん、神のみ言葉、聖書の言葉そのものが人を傷つけるものではないことは、言うまでもありません。み言葉を凶器に変えて、人に向けて振り下ろす。そんな説教が、教会の名の下になされているのです。
「聖書にこう書いてある、だから、お前は罪人だ」。「悔い改めなければ、地獄に落ちる」。そんな耳を疑うような断罪が、神のみ心に適わないけれども、神のみ名をかたって行われているのです。
わたしの説教は、そんな説教になっていないでしょうか。み言葉を使って、人を断罪し、その人の命の灯心をへし折るような仕業を、行ってはいないでしょうか。
今一度、聖書のみ言葉が、神さまの愛によって、人々の命をひかり輝かせるようにと記されていることを心に刻みたいと思います。そして、傷つき、うちひしがれている人々を、励まし、力づけられるように、み言葉にしっかりと耳を傾け、自分自身がみ言葉に励まされて、情熱を持って神さまの愛と恵みを語って行けるように、祈り求めて行きたいと思います。
「ベテル・フェローシップ」の会場になった福岡ベテル教会の敷地は、自然が溢れる2千坪近い癒やしの場所でした。九州教区センターで、ルカ武藤謙一主教、パウロ濱生正直司祭や参加の教役者と囲んだ水炊きは、格別なものでした。今年も引き続き行われる、「ベテル・フェローシップ」の説教セミナーに、また今年も参加したい気持ちでいっぱいですが、今年は、他の中部教区の教役者に譲らなければならないでしょうね。
どうぞわたしたち教役者が、情熱を持って説教の準備にあたることが出来るように、祈って頂ければ幸いです。
「わたしの岩、わたしの贖い主 わたしの言葉と思いがみ心にかないますように」祈祷書・詩編19・14

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖ヨハネ教会牧師 愛知聖ルカ教会管理牧師)

『雪の下に春を待つ』

2月初めのこの時期、新潟、長野の地域は雪に覆われる日が多くあると思います。前夜からの雪が降り積もった早朝、除雪の道具を手にまっすぐ雪と向かい合うとき、全ての音が雪に吸収されてシーンという音が聞こえそうな感じがする中でひたすら作業にいそしみます。少しずつ明るさが増してくる周囲の中で雪の塊は薄く青い色を見せています。作業をする中で頭の中も雑念のない、澄んだすっきりした感じになっていきます。全てのものが白一色になっていますが、その雪の下には、確かに春が力強く準備を始めています。
教会の暦では、被献日から大斎に向かっていくこの時期、自然の暦もやがて来る節分から立春を待つことになります。雪に閉ざされた自然の摂理の中で全てのものはじっと力を蓄えているのかもしれません。
イエス・キリストは、洗礼を受けられた後、最初の弟子たちに声をかけられます。そして安息日に会堂で力強く教えを述べ始められます。「人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(マコ・1・22)と書かれています。イエス様が洗礼を受けられる前にどのように過ごされていたのかは知る由もありませんが、一旦、福音宣教の道を歩み始められると、ちゅうちょなくまっすぐに進んでおられます。おそらくは、力をためるのにじっと準備をされる時を過ごされたことでしょう。
今の日本は社会全体も冬の時代なのかもしれません。慢性的な経済不況、東日本大震災の被災地の復興、原子力発電所の事故による被災者のこと、沖縄の辺野古問題に代表される基地問題、周辺国との歴史認識問題、こういった社会問題が背景にあって生じる人間関係のゆがみなど、抱えている問題が多くあります。それぞれの問題に、直接向かい合っている人々は、日々努力していますが、全体としての解決にはなかなか向かっていきません。「面倒なことは後回しにする」といった考えに社会全体が陥ってしまうと何ともなりません。先ごろの選挙においても目先の経済問題に終始して、こうした社会的・根本的問題をどのように解決していこうとするのかは問題になりませんでした。一方で問題は長引くほど面倒になってくるわけで「後回しにする」といったことでいいわけがありません。先ごろの原子力発電問題講演会で、講師の岩城聰司祭は「神によって造られたいのち。神によって創造された自然。神によって与えられた平和なくらし」を守る、という2012年の日本聖公会の総会の声明についても触れられましたが、問題を自分の都合の良いように範囲を狭めて考えていいわけではありません。原発問題でいえば、問題が起こっても避難できない動物や植物、自然全体のことを考えていかなければいけません。
一つ一つのことについてきちんと考えていくこと、たとえいくらかの自己犠牲を伴うとしても根本的に解決しなければなりません。社会の問題は、私たちがすぐに解決できるということではありませんが、それに対応するための根本的考えと姿勢は、雪の下の芽のように、やがて来る春を信じて常に変わらないものを持ち続けたいと思います。

司祭 ペテロ 田中 誠
(名古屋聖マタイ教会牧師 飯田聖アンデレ教会管理牧師)

『豊かな祝福』

唐突な質問かと思いますが、人生をもし、できることなら時間を遡って修正したい、訂正したいと思うことが皆さんはありませんでしたか?
以前の若かった時にはやり直したいと思っていたことであっても、もう歳を重ねた今日に至っては、消し去りたいと思っていたことがあったからこそ、今の自分があるのではないか形成されてきたのではないか、その消し去りたい修正したいと思っているものがむしろ自分には必要なことであったように思えてきたりもします。
今、自分が受容できないと思うことがたとえあったとしても、そこには大袈裟に言うと、真理となるもの、玉となるものがあるのかも知れないのです。この如何ともし難い「現実」を前にしても、いずれ振り返ってみれば、違った意味となり恵みとなることを信じて歩む、それが希望を持って歩むことなのではないかと思います。そしてそれは、やがて今までとは違った希望がこの先に待っていることを信じて生きる生き方、家造りらが捨てた石が隅の親石とされた世界での歩み、なのではないでしょうか。
あるひとつの詩を紹介させて頂きたいと思います。毎年迎えるこの季節ではありますが、ひとつでも気付きが与えられ、天使と共に賛美の歌を奏でるようなアドヴェントを過ごしたいものですね。

「答えられた祈り」

私は神に 強さを求めた
何事かを成し遂げるために
すると私は弱くされた
従うことを謙虚に学ぶようにと

私は神に 健康を求めた
もっと偉大な仕事をするために
すると私には病が与えられた
恵み深い仕事をするようにと

私は神に 富を求めた
幸福になるために
すると私は貧しくされた
智恵ある者となるようにと

私は神に 力を求めた
人々の称賛を得ようと
すると私には弱さが与えられた
自分には神が必要であることを自覚するために

私は神に あらゆるものを求めた
人生を楽しむために
すると私にはいのちが与えられた
あらゆるものを楽しむようにと

求めたものは何一つ手に入らなかったが
望んでいたものは すべて与えられた

的外れの私の祈りにもかかわらず
神はことばにならない私のほんとうの願いを聴いてくださった

私はだれよりも豊かに祝福を受けている

(南北戦争時代の一兵士による)

司祭 エリエゼル 中尾志朗
(新潟聖パウロ教会牧師)

「口語祈祷書試用版の思い出」

 塚田理司祭が聖公会新聞に「私の思い出 中部教区高田降臨教会と父健作」を連載中ですが、最新号でHさんとお母さんのことに触れておられました。Hさんは幼稚園の教師として戦時中も教会や牧師を支えた方です。そして、お母さんとはわたしが高田の牧師時代、親しい交わりをさせていただきましたので懐かしく読ませていただきました。
 Hさんのお母さんはわたしの在任中、かなり高齢で体調も万全ではなく教会には時々しか来られませんでしたが、孫のような牧師に随分心を配ってくださいました。家庭聖餐にもお伺いしましたが、元村長さんの家ということで、茅葺の古い大きな立派な家で、夏でも家の中は涼しかった記憶があります。
 わたしがその方に一番感心させられたのは祈祷書のことです。当時、祈祷書の改訂作業が進められ、口語の試用版が出されそれを使っている頃でした。日本聖公会全体ではまだまだ口語には抵抗感があったようですが、植松従爾主教が祈祷書改正研究委員長ということもあり中部教区では他教区に先駆けて積極的に使用していました。
 その方は教会に来るときは小さな試用版を必ず持って来るのでした。わたしはその方のような高齢の方には口語はかなり抵抗があるのではないかと勝手に思い込んでいたのでしたが、いつもちゃんと持参され、口語でお祈りされる姿がとても印象的でもあり、感動的でもありました。当時、日曜学校の子どもの中には口語の主の祈りを“ こんなのお祈りじゃない”と言う子もいましたので、余計その方の姿が印象的でした。新しいことを受け入れるのに年齢は関係ないということを教えられ、また、口語祈祷書を使うことにも勇気づけられたのでした。

『セロ・パウルス司祭を偲んで ~バンクーバー日系人教会の出来事から~』

昨年7月、戦後の中部教区の発展に多大な貢献をなされ、個人的にも親しくお交わりをいただきましたカナダ聖公会のセロ・パウルス司祭が、バンクーバーにて天国に召されました。お元気なうちにもう一度お目にかかりたいと念願していましたが、叶いませんでした。昨年8月に行われた葬送式にも、私の体調がすぐれず、うかがうことができませんでした。しかし、今年100才になられたお連れ合いのマージョリーさんにお会いしたいと思い、この夏にバンクーバーを訪問し、日系人教会の聖十字教会にて再会し、葬送一周年の記念の祈りを共にお捧げいたしました。
バンクーバー滞在中に、現在、聖十字教会の管理牧師をされている任大彬司祭をはじめ教会の方々から興味深いお話をうかがいました。  戦前、バンクーバーには二つの聖公会の日系人教会があり、信徒も1500人ほどおりました。しかし、太平洋戦争の勃発によって人々は、カナダ全国の収容所に移され、その間、その土地財産を、所属するニューウエストミンスター教区(以下『NW教区』)が管理していました。しかし、NW教区は終戦直前と戦後に三つあった不動産を売却し、加えて教区委員会で「日系人伝道の必要はない」と決議しました。日系人教会の土地建物は、日系人の方々が苦労して購入した不動産でした。しかし教区は、その売却したお金は主教寄贈基金に繰り入れてしまいました。実は、この決議をした1949年5月には、各地の収容所から日系人がバンクーバーに戻り始めていた時期でした。ですから、明らかに日系人に対する排除の意図があったのです。
戦後、中山眞司祭が当時の教区主教に「あの教会はどうしたのか」と問いかけたところ、「処分した」という返答だけで、事実は明らかにされませんでした。
戦後60年を経た2008年に調査チームがつくられ、その結果、そのような事実が判明しました。この調査結果について、カナダ聖公会及びNW教区は、日系人に対する人種差別があったことを認め、2010年のNW教区会にてマイケル・インガム主教が公式に謝罪し、また2013年のカナダ聖公会総会にてその謝罪が公認されました。この調査については、当時の状況を知るパウルス先生が大きな貢献をされたとのことでした。
日本にキリストの心を伝えようとしたカナダ聖公会において、このように日系人を切り捨てるという『悪質な人種差別』があったという事実を知ったパウルス先生の心の痛みは想像に難くありません。
日本で生まれ育ち、日本人とカナダ人を愛し、両国の懸け橋として両教会の成長と交流を願ってこられたパウルス先生にとって、日本とカナダの教会の名誉を回復するという最後の仕事だったのかもしれません。
他方、遅きに失したとはいえ、過去の誤りを真摯に受けとめたカナダ聖公会とNW教区にも敬意を表します。
カナダ聖公会によって育てられた中部教区ですが、日系人教会との交流など新たな宣教協働の道が示されつつあるように感じます。パウルス先生をはじめ、中部教区において福音宣教に尽力された多くのカナダ人宣教師の働きを覚えつつ、両国聖公会の交流が深まることを願っています。

*昨年来の私の病気療養につきまして、多くの方々からお祈りとご心配をいただきました。お蔭で4月から職務に復帰いたしました。この紙面をお借りして心から感謝申し上げます。

司祭 テモテ 野村 潔
(名古屋聖マルコ教会牧師)

「心を合わせて、声も合わせて」

最近、年のせいか声の出が悪くなって困っています。加齢によって声帯も縮むとどこかに書いてあったような気がしますのでそのせいかもしれません。イースターには聖別祷の途中でおかしくなり往生しました。できるだけしっかりと声を出そうと心掛けている昨今です。
 ですから、声が良く出ている方はうらやましく思います。しかし、あまり出すぎるということも時には困ることもあります。殊に、礼拝において一人だけ大きな声で唱えられますと、礼拝がその人に引きずられてしまうということがあり、礼拝の調和が少し乱れることがあります。聖歌も同じです。一人だけが大きな声で歌いますと、やはり礼拝の調和が乱れます。みんなが心を一つにして神様を礼拝するためにはやはり他の会衆と同じテンポや声の高さが求められるでしょう。
 そのためには回りの声が聞けなければなりません。かつてある方から、聖歌を歌うときには回りの声を聞きながら歌いなさいと教えられたことがあります。自分が歌っているときに他の人の声も聞くということです。一生懸命すぎると他の声は聞こえません。回りの声が聞けるということは自分の声が図抜けていないということのバロメーターにもなるのです。お祈りも同じです。礼拝は大きな声でというのは間違いではありませんが、大きすぎると礼拝の妨げにもなるのです。少しくらいボリュームを下げても神様はちゃんと聞いてくださいます。
 立教大学の名物チャプレンであった竹田鐵三神父さんの遺稿集の中に、「公同の祈りは聖歌で声に自信のあるのがひとりで大声で歌うと全体の気分を壊すようにお祈りも皆と一緒に平凡な声、平凡なアクセントで祈るのが上々」とあったのを思い出しました。

『愛を愛でもって応える』

新幹線と在来線を乗り継いで、軽井沢から職場のある東京の西国分寺へと、通勤している。毎日同じ時間の電車に乗るので、相手の方は知らないと思うのだが、此方は勝手に、「おはよう」と心の中で声をかけている顔馴染みさんがいる。新幹線では、ランドセルを背負った小学生の姉妹、いつも本を読んでいる中学生の双子の姉妹、宿題をやっている小学生の男の子、在来線のホームにも、顔馴染みさんがいる。この顔馴染みさん達の姿が見えなくなると、在来線でも座ることが出来る。夏、冬、春休みの時季である。なので、大抵、在来線では立っていることが多く、また、本を読める程に空いてもいない。
しかし、嘆くことはなく、楽しみも見つけている。それは、車窓からの風景である。季節によって色んな表情を見せる風景は、目を楽しませてくれる。そして、車窓からも顔馴染みさんがいる。老人ホームと思しき窓から、外を眺めている車椅子に乗った白髪のご婦人である。今日も、お元気そうだな、膝掛けをする季節になったのだな、また、明日もお姿を見せて下さいと、勝手に話し掛けている。しかし夏前には、そのお姿が見えなくなり、ご自宅に戻られたのか、それとも体調を崩され、臥せっておられるのかと案ずる日々である。
考えてみると、当り前のことなのだが、同じ様な繰り返しの毎日ではあっても、同じ日は一日もなく、時間が過ぎ去って行くこと、同じ所には留まってはいないということを改めて感じたのである。しかし、楽しい時はこのままでいたい、この時間に留まっていたいと変化を望まない。悲しい時、辛い時は早く逃れたいと変化を願うのではないだろうか。
この願いというのは、人の力だけでは、如何することも出来ないことがある。この如何することも出来ないこと、これが苦しみなのかと思う。苦しみの中にある人と向き合い、関わっているのか、また、気付くことが出来ているのだろうか。
私は嘗て、救急救命の講義の中で、声を上げている患者と、静かにしている患者の何方が緊急を要するかという話を聞いたことがある。何れの患者も緊急性はあるのだが、より緊急性があるのか判断を迫られるのは、静かな患者の方である、というのである。つまり、声なき声に耳を傾け、その声を拾い上げることが出来るのかということである。
これは、今の社会においても同じではないだろうか。声を上げられない人、声を上げることさえ許されない人がいる、この人達に代わって、目を向け耳となり口となって働いているのか、自分自身が隣人となっているのか、マタイ伝22:39を読む度に、問われている気がする。
イエスは、私達の隣人として歩まれた生涯でした。そして、イエスは十字架を通した愛を私達に常に降り注いで下さっているのであり、そして、私達もその愛の内に働きなさいと語りかけても下さっている。作家C・S・ルイスは聖書にある愛は、一方的に与える愛であると本に書いているが、私自身、愛を愛でもって応えられる力を神様が与えて下さることを祈るばかりである。

執事 フランシス 江夏一彰
(軽井沢ショー記念礼拝堂勤務)

「保育園を考える」

 このところ教区内の幼稚園・保育園では国の“子ども・子育て支援新制度”の施行が迫り、“施設型給付”制度に移行するのか、従来の“私学助成”に留まるのか、なかなか明確な方向が見い出せず苦慮しています。国の方向がしっかりと定まっていないことにも起因しているようです。いずれにしても、子どもたちにとって、園にとって最良の選択は何なのかを考えながら最終的な結論に向かうことと思われます。
 その話し合いの中でふと気になったことがありました。それは保育園(所)に対する理解です。保育園は子どもを預かり、遊ばせ、食べさせ、お昼寝をさせて返すだけと思っている方がおられるようです。保育園は「保育所保育指針」に基づき、養護と教育を一体的に行い、保育に欠ける子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図り、家庭や地域の様々な社会資源とも連携を図りながら、保護者に対する支援や地域の子育て家庭に対する支援等を行う役割を担っている施設です。従いまして、保育園は子ども・家庭・地域の三者と大変深い関わりを持っているのです。なおかつ、女性の積極的な就労推進のための役割も果たしているのです。また、教会の宣教的な働きにも大きく関係していると言っていいでしょう。
 保育園は子どもの大切な成長を幼い時から見守り、支援し、合わせて家庭や地域とも連携を取りつつ社会に奉仕する場なのです。0歳で入園した子どもがはいはいをし、言葉をしゃべり、歩きはじめ、友だちと人間関係を作りつつ、成長して卒園していく姿を見ることほど感動的なことはありません。保育園はただ子どもたちを遊ばせているだけではないのです。
 かつて保育園に関わった者として一言書かせていただきました。

『東日本大震災を覚えて』 

東日本大震災より3年6ヶ月以上になります。この間、余震や台風、津波と聞くたびに、「被災地は大丈夫だろうか」と案じてきました。
犠牲となられた2万人近い方々の魂の平安を祈り、今なお不安な生活を送っておられる被災地の方々に、心よりお見舞い申し上げます。
今なお盛んに今回の地震、津波、原発事故について科学的現象としてとらえ、「なぜ起きたのか」と原因やメカニズムを究明し、検証しつつあります。やがて、その説明は完全なかたちで私たち国民の前に明らかにされると思います。
特に、原発事故は天災ではなく、「人災」と言われています。重大な過失に対して、「想定外」という言葉で責任をあいまいにしている関係者の姿勢に、いらだちを覚えました。
日本の科学技術は地震の予知ができるし、原子力の制御も可能であるかのように思っていた点があります。しかし今回の震災によって、原子力の利用についても警鐘を鳴らす役割を、唯一の被爆国である日本が皮肉にも担うことになりました。
私たちは、優れた科学技術をもちながら、人間の力や知恵の及ばないことがあることを受けとめ、心の姿勢を正していかなければならないと思います。
復興の要である政治に仕える人々や原発に責任を負う人々に目を向けても、この点が欠落しているように思います。その傲慢な姿勢を改めないかぎり、同じ過ちを繰り返すと思います。
旧約聖書にも天変地異や民族の興亡が記され、それは一見、厳しい神の裁きのように描かれています。しかし、突き詰めて読んでみると、神は民に対して愛と善しか試さず、預言者を遣わして民が悔いて立ち帰ることを求めておられます。日本の真の復興は大いなるお方の前に姿勢を正し、祈ることから始まると思います。
私たちは豊かな大自然の恩恵に浴してきました。その一方で自然災害に遭うたびに己の小さな存在を自覚し、姿勢を正し、野に出でて、畏れと祈りをもって天を見上げて祈る民でした。
人間が人間以上の大いなるお方の存在を仰ぐとき、心は澄み魂は清まっていきます。このような民族の霊性をもって素晴らしい国づくりをしてきたのが日本です。被災地の復興は停滞を許されません。しかし、何よりも、私たち国民の一人ひとりの内の精神的土台、すなわち祈りの土台が据えられなければ、真の復興にはなっていかないと思います。
震災の報道を読んでいると、月日が経つにつれて「宗教」に触れる記事が多くなりました。「宗教の役割は何か。巨額の義援金を集めたり、大勢のボランティアを動員したりすることなのか。それもよいことだが、心痛む被災者に寄り添い、その悲しみ、痛みに耳を傾けることではないか」と。亡くなられた方々の魂の平安を祈り、遺族でもあり、被災者でもある方々の拭いがたい痛みを癒やすことです。
このたびの震災を振り返ると世界からも賞賛される日本人の美徳が発揮されました。それは魂の中に流れている自己犠牲の精神が現われたことです。私たちはこの尊い精神を受け継いで生きてゆきたいと思います。
一方では復興の指導者の欠如や、風評被害、被災地のガレキ受け入れ拒否等、利己的な面もあらわになり、重い課題を残しています。このようなことを含め、日本はもっと精神的に目覚めてゆかなければならないと思います。
私たちは、2万人にも及ぶ犠牲者の死を記憶し、被災地の痛みを心に刻み、これからも震災に向き合い続ける必要があります。そして、一人ひとりが復興の基となるものが何であるかを深め、応えてゆかなければなりません。
この精神的目覚めがなされる限り、今後、日本が大震災に見舞われても必ず真の復興を遂げると思います。また、そのことが災害で苦しむ世界の国々の希望となることを信じ、祈らずにはおられません。

司祭 テモテ 島田公博
(主教座聖堂付)

「喜んでささげる」

 一昨年の教区会で「中部教区基金造成のための募金の件」が決議され、2013年4月から募金が開始されております。今年の6月末までに約1、500万円余りの献金が捧げられました。大変感謝です。募金委員の皆様にも各教会へのアピール等、御苦労いただいておりますこと感謝いたします。目標が1億円ですので皆様にはもう少しのご協力をいただかなければなりません。
 募金の目標を改めて確認いたしますと、(1)教役者育成のため、(2)教区の新しい宣教活動のため(可児の働きも含めて)、(3)各教会の修改築等のための貸付金造成のため、となっています。改めて申し上げるまでもなく、いずれも現在教区にとって緊急の課題です。
 そのような状況を考えますと、どうしても基金の造成は必要になってくるのです。教区としても宣教事業等によって資金の造成・確保を行っていますが、やはり信徒の皆様からの献げものは何といっても教会活動の基本となるものです。
 募金項目の一つに「各信徒は一人ひとり主から受けたものを喜んで捧げられる額とする」とあります。この募金は強制でも割り当てでもありません。主から受けたものを喜んで主に捧げるという、献金本来の意義を表すものなのです。
 パウロは献金について「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」(コリント二9:7)と言っています。
 喜んで与えるということは単に献金を捧げるということではなく、各自の信仰の表現でもあります。不承不承でもなく、強制されてでもなく、自分にできる範囲で喜んで捧げるということが神様に喜ばれることなのです。
 引き続き皆様のご協力をお願い申し上げます。