「飯山復活教会のこと」

 昨年最後の巡回は12月28日の飯山復活教会でした。年末の忙しい時でしたが2014年最後の礼拝を飯山の皆さんと一緒にお献げすることができ感謝でした。
 飯山復活教会は市内で唯一礼拝堂を持った教会ですが―ちなみに他に教会は単立の教会(集会)一つのようです―、最近その存在がクローズアップされています。飯山市が礼拝堂に関心を持ち、市の活性化の中心にしようという計画があるのです。
 昨年の教区会で代議員の金子さんが報告しておられましたが、11月に「復活教会を中心とした地域再生を試作する」イベントとシンポジウムが礼拝堂を会場にして開催され、市長や美術家の方々が教会界隈の再生について話し合いました。
 シンポジウムに先立ちボランティアの方々により教会の周辺がきれいにされ、礼拝堂前ではオープン・カフェが設けられ、飲み物とケーキが無料で提供されました。
 また、シンポジウム終了後、夕方からは一夜限りですが礼拝堂がライトアップされ、暗闇の中にきれいにその姿が浮かび上がりました。(信州の情報誌にも掲載され、また、教会の方がカレンダーにもしておられます。)ライトアップに合わせて地酒とオードブルも振る舞われたとのこと。思わず行ってみたくなる情景です。
 教会を中心とした街づくりという概念は聖公会という教会の特徴でもあります。信徒の皆さんも教会が地域の人々に関心を持たれ、用いられることを積極的に受けとめ、協力を惜しみません。地方都市ならではの、顔と顔が見える関係の中で、教会の皆さんと地域の皆さんが協力し合うという一つの宣教の形がそこにはあるように思いました。飯山復活教会の今後に期待します。
 大斎節を迎えています。イエス様の受難・復活を覚えつつ信仰生活を送りましょう。

『命をひかり輝かせるように…』

昨年の11月4日~7日の日程で、九州教区主催の「ベテル・フェローシップ」説教セミナーが、九州教区センターと福岡ベテル教会を会場に行われました。福岡ベテル教会の古賀ミツ資金を用いて行われたこのセミナーは、各教区より1名の教役者が参加して行われ、中部教区からは、わたくしが参加させて頂きました。
セミナーは最初に、西南学院大学の片山寛先生の講義から始まりました。そこでは、起承転結のある分かりやすい、聞きやすい説教をするようにと教えて頂き、初心に帰って説教準備をする恵みを頂きました。グループで一つの説教の準備をするという、初めての経験に戸惑いながら、また、自分とは違う説教準備の方法に感心しながら、聖書のみ言葉に耳を傾けました。情熱を持って神さまのみ言葉に向き合う同労の教役者達の姿は、とても頼もしいものであり、わたしたちの日本聖公会が、神さまの愛の眼差しの中にあることを感じることが出来たセミナーでした。
このセミナーでの、み言葉から励まされる経験とは反対に、わたしの身近なところでは、み言葉によって傷つけられ、うちひしがれた人々の呻きに、呆然とさせられることがしばしば起こります。もちろん、神のみ言葉、聖書の言葉そのものが人を傷つけるものではないことは、言うまでもありません。み言葉を凶器に変えて、人に向けて振り下ろす。そんな説教が、教会の名の下になされているのです。
「聖書にこう書いてある、だから、お前は罪人だ」。「悔い改めなければ、地獄に落ちる」。そんな耳を疑うような断罪が、神のみ心に適わないけれども、神のみ名をかたって行われているのです。
わたしの説教は、そんな説教になっていないでしょうか。み言葉を使って、人を断罪し、その人の命の灯心をへし折るような仕業を、行ってはいないでしょうか。
今一度、聖書のみ言葉が、神さまの愛によって、人々の命をひかり輝かせるようにと記されていることを心に刻みたいと思います。そして、傷つき、うちひしがれている人々を、励まし、力づけられるように、み言葉にしっかりと耳を傾け、自分自身がみ言葉に励まされて、情熱を持って神さまの愛と恵みを語って行けるように、祈り求めて行きたいと思います。
「ベテル・フェローシップ」の会場になった福岡ベテル教会の敷地は、自然が溢れる2千坪近い癒やしの場所でした。九州教区センターで、ルカ武藤謙一主教、パウロ濱生正直司祭や参加の教役者と囲んだ水炊きは、格別なものでした。今年も引き続き行われる、「ベテル・フェローシップ」の説教セミナーに、また今年も参加したい気持ちでいっぱいですが、今年は、他の中部教区の教役者に譲らなければならないでしょうね。
どうぞわたしたち教役者が、情熱を持って説教の準備にあたることが出来るように、祈って頂ければ幸いです。
「わたしの岩、わたしの贖い主 わたしの言葉と思いがみ心にかないますように」祈祷書・詩編19・14

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖ヨハネ教会牧師 愛知聖ルカ教会管理牧師)

『雪の下に春を待つ』

2月初めのこの時期、新潟、長野の地域は雪に覆われる日が多くあると思います。前夜からの雪が降り積もった早朝、除雪の道具を手にまっすぐ雪と向かい合うとき、全ての音が雪に吸収されてシーンという音が聞こえそうな感じがする中でひたすら作業にいそしみます。少しずつ明るさが増してくる周囲の中で雪の塊は薄く青い色を見せています。作業をする中で頭の中も雑念のない、澄んだすっきりした感じになっていきます。全てのものが白一色になっていますが、その雪の下には、確かに春が力強く準備を始めています。
教会の暦では、被献日から大斎に向かっていくこの時期、自然の暦もやがて来る節分から立春を待つことになります。雪に閉ざされた自然の摂理の中で全てのものはじっと力を蓄えているのかもしれません。
イエス・キリストは、洗礼を受けられた後、最初の弟子たちに声をかけられます。そして安息日に会堂で力強く教えを述べ始められます。「人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(マコ・1・22)と書かれています。イエス様が洗礼を受けられる前にどのように過ごされていたのかは知る由もありませんが、一旦、福音宣教の道を歩み始められると、ちゅうちょなくまっすぐに進んでおられます。おそらくは、力をためるのにじっと準備をされる時を過ごされたことでしょう。
今の日本は社会全体も冬の時代なのかもしれません。慢性的な経済不況、東日本大震災の被災地の復興、原子力発電所の事故による被災者のこと、沖縄の辺野古問題に代表される基地問題、周辺国との歴史認識問題、こういった社会問題が背景にあって生じる人間関係のゆがみなど、抱えている問題が多くあります。それぞれの問題に、直接向かい合っている人々は、日々努力していますが、全体としての解決にはなかなか向かっていきません。「面倒なことは後回しにする」といった考えに社会全体が陥ってしまうと何ともなりません。先ごろの選挙においても目先の経済問題に終始して、こうした社会的・根本的問題をどのように解決していこうとするのかは問題になりませんでした。一方で問題は長引くほど面倒になってくるわけで「後回しにする」といったことでいいわけがありません。先ごろの原子力発電問題講演会で、講師の岩城聰司祭は「神によって造られたいのち。神によって創造された自然。神によって与えられた平和なくらし」を守る、という2012年の日本聖公会の総会の声明についても触れられましたが、問題を自分の都合の良いように範囲を狭めて考えていいわけではありません。原発問題でいえば、問題が起こっても避難できない動物や植物、自然全体のことを考えていかなければいけません。
一つ一つのことについてきちんと考えていくこと、たとえいくらかの自己犠牲を伴うとしても根本的に解決しなければなりません。社会の問題は、私たちがすぐに解決できるということではありませんが、それに対応するための根本的考えと姿勢は、雪の下の芽のように、やがて来る春を信じて常に変わらないものを持ち続けたいと思います。

司祭 ペテロ 田中 誠
(名古屋聖マタイ教会牧師 飯田聖アンデレ教会管理牧師)

『豊かな祝福』

唐突な質問かと思いますが、人生をもし、できることなら時間を遡って修正したい、訂正したいと思うことが皆さんはありませんでしたか?
以前の若かった時にはやり直したいと思っていたことであっても、もう歳を重ねた今日に至っては、消し去りたいと思っていたことがあったからこそ、今の自分があるのではないか形成されてきたのではないか、その消し去りたい修正したいと思っているものがむしろ自分には必要なことであったように思えてきたりもします。
今、自分が受容できないと思うことがたとえあったとしても、そこには大袈裟に言うと、真理となるもの、玉となるものがあるのかも知れないのです。この如何ともし難い「現実」を前にしても、いずれ振り返ってみれば、違った意味となり恵みとなることを信じて歩む、それが希望を持って歩むことなのではないかと思います。そしてそれは、やがて今までとは違った希望がこの先に待っていることを信じて生きる生き方、家造りらが捨てた石が隅の親石とされた世界での歩み、なのではないでしょうか。
あるひとつの詩を紹介させて頂きたいと思います。毎年迎えるこの季節ではありますが、ひとつでも気付きが与えられ、天使と共に賛美の歌を奏でるようなアドヴェントを過ごしたいものですね。

「答えられた祈り」

私は神に 強さを求めた
何事かを成し遂げるために
すると私は弱くされた
従うことを謙虚に学ぶようにと

私は神に 健康を求めた
もっと偉大な仕事をするために
すると私には病が与えられた
恵み深い仕事をするようにと

私は神に 富を求めた
幸福になるために
すると私は貧しくされた
智恵ある者となるようにと

私は神に 力を求めた
人々の称賛を得ようと
すると私には弱さが与えられた
自分には神が必要であることを自覚するために

私は神に あらゆるものを求めた
人生を楽しむために
すると私にはいのちが与えられた
あらゆるものを楽しむようにと

求めたものは何一つ手に入らなかったが
望んでいたものは すべて与えられた

的外れの私の祈りにもかかわらず
神はことばにならない私のほんとうの願いを聴いてくださった

私はだれよりも豊かに祝福を受けている

(南北戦争時代の一兵士による)

司祭 エリエゼル 中尾志朗
(新潟聖パウロ教会牧師)

声明書(原子力発電所再稼働)

内閣総理大臣 安倍晋三 様
経済産業省  御中
原子力規制庁 御中

声明書

 2011年3月11日の東日本大震災において生じた東京電力福島県第一原子力発電所の事故による放射能汚染の問題は、3年8カ月過ぎた今も、その解決の方向性も定まっていません。廃炉には数十年もの時間がかかり、危険な作業が必要です。また、汚染地域で排出された放射能汚染物資は各地に山積みにされていて、中間貯蔵施設、最終処分場の目途さえ立っていません。避難生活を余儀なくされている方々は、はたして帰還できるのか、また、それがいつになるのか予想もつかず、大変な苦しみや悲しみの中、不安な日々を送られています。
日本聖公会は、2012年第59(定期)総会で「原発のない世界を求めて~原子力発電に対する日本聖公会の立場~」を決議しました。その決議文の最後は、「私たちは教派・宗派を超えて連帯し、原子力発電所そのものを直ちに撤廃し、国のエネルギー政策を代替エネルギーの利用技術を開発する方向に転換するよう求めます。そのために、利便性、快適さを追い求めてきた私たち自身のライフスタイルを転換することを決意します。苦しみや困難を抱える人々と痛みを分かち合い、学び合い、支え合って生きる世界を目指します。」と締めくくられています。
私たち日本聖公会中部教区第86(定期)教区会は、このような立場に立ち、すべての原子力発電所の再稼働に反対します。

以上

2014年11月22日
日本聖公会中部教区第86(定期)教区会

「口語祈祷書試用版の思い出」

 塚田理司祭が聖公会新聞に「私の思い出 中部教区高田降臨教会と父健作」を連載中ですが、最新号でHさんとお母さんのことに触れておられました。Hさんは幼稚園の教師として戦時中も教会や牧師を支えた方です。そして、お母さんとはわたしが高田の牧師時代、親しい交わりをさせていただきましたので懐かしく読ませていただきました。
 Hさんのお母さんはわたしの在任中、かなり高齢で体調も万全ではなく教会には時々しか来られませんでしたが、孫のような牧師に随分心を配ってくださいました。家庭聖餐にもお伺いしましたが、元村長さんの家ということで、茅葺の古い大きな立派な家で、夏でも家の中は涼しかった記憶があります。
 わたしがその方に一番感心させられたのは祈祷書のことです。当時、祈祷書の改訂作業が進められ、口語の試用版が出されそれを使っている頃でした。日本聖公会全体ではまだまだ口語には抵抗感があったようですが、植松従爾主教が祈祷書改正研究委員長ということもあり中部教区では他教区に先駆けて積極的に使用していました。
 その方は教会に来るときは小さな試用版を必ず持って来るのでした。わたしはその方のような高齢の方には口語はかなり抵抗があるのではないかと勝手に思い込んでいたのでしたが、いつもちゃんと持参され、口語でお祈りされる姿がとても印象的でもあり、感動的でもありました。当時、日曜学校の子どもの中には口語の主の祈りを“ こんなのお祈りじゃない”と言う子もいましたので、余計その方の姿が印象的でした。新しいことを受け入れるのに年齢は関係ないということを教えられ、また、口語祈祷書を使うことにも勇気づけられたのでした。

『セロ・パウルス司祭を偲んで ~バンクーバー日系人教会の出来事から~』

昨年7月、戦後の中部教区の発展に多大な貢献をなされ、個人的にも親しくお交わりをいただきましたカナダ聖公会のセロ・パウルス司祭が、バンクーバーにて天国に召されました。お元気なうちにもう一度お目にかかりたいと念願していましたが、叶いませんでした。昨年8月に行われた葬送式にも、私の体調がすぐれず、うかがうことができませんでした。しかし、今年100才になられたお連れ合いのマージョリーさんにお会いしたいと思い、この夏にバンクーバーを訪問し、日系人教会の聖十字教会にて再会し、葬送一周年の記念の祈りを共にお捧げいたしました。
バンクーバー滞在中に、現在、聖十字教会の管理牧師をされている任大彬司祭をはじめ教会の方々から興味深いお話をうかがいました。  戦前、バンクーバーには二つの聖公会の日系人教会があり、信徒も1500人ほどおりました。しかし、太平洋戦争の勃発によって人々は、カナダ全国の収容所に移され、その間、その土地財産を、所属するニューウエストミンスター教区(以下『NW教区』)が管理していました。しかし、NW教区は終戦直前と戦後に三つあった不動産を売却し、加えて教区委員会で「日系人伝道の必要はない」と決議しました。日系人教会の土地建物は、日系人の方々が苦労して購入した不動産でした。しかし教区は、その売却したお金は主教寄贈基金に繰り入れてしまいました。実は、この決議をした1949年5月には、各地の収容所から日系人がバンクーバーに戻り始めていた時期でした。ですから、明らかに日系人に対する排除の意図があったのです。
戦後、中山眞司祭が当時の教区主教に「あの教会はどうしたのか」と問いかけたところ、「処分した」という返答だけで、事実は明らかにされませんでした。
戦後60年を経た2008年に調査チームがつくられ、その結果、そのような事実が判明しました。この調査結果について、カナダ聖公会及びNW教区は、日系人に対する人種差別があったことを認め、2010年のNW教区会にてマイケル・インガム主教が公式に謝罪し、また2013年のカナダ聖公会総会にてその謝罪が公認されました。この調査については、当時の状況を知るパウルス先生が大きな貢献をされたとのことでした。
日本にキリストの心を伝えようとしたカナダ聖公会において、このように日系人を切り捨てるという『悪質な人種差別』があったという事実を知ったパウルス先生の心の痛みは想像に難くありません。
日本で生まれ育ち、日本人とカナダ人を愛し、両国の懸け橋として両教会の成長と交流を願ってこられたパウルス先生にとって、日本とカナダの教会の名誉を回復するという最後の仕事だったのかもしれません。
他方、遅きに失したとはいえ、過去の誤りを真摯に受けとめたカナダ聖公会とNW教区にも敬意を表します。
カナダ聖公会によって育てられた中部教区ですが、日系人教会との交流など新たな宣教協働の道が示されつつあるように感じます。パウルス先生をはじめ、中部教区において福音宣教に尽力された多くのカナダ人宣教師の働きを覚えつつ、両国聖公会の交流が深まることを願っています。

*昨年来の私の病気療養につきまして、多くの方々からお祈りとご心配をいただきました。お蔭で4月から職務に復帰いたしました。この紙面をお借りして心から感謝申し上げます。

司祭 テモテ 野村 潔
(名古屋聖マルコ教会牧師)

「心を合わせて、声も合わせて」

最近、年のせいか声の出が悪くなって困っています。加齢によって声帯も縮むとどこかに書いてあったような気がしますのでそのせいかもしれません。イースターには聖別祷の途中でおかしくなり往生しました。できるだけしっかりと声を出そうと心掛けている昨今です。
 ですから、声が良く出ている方はうらやましく思います。しかし、あまり出すぎるということも時には困ることもあります。殊に、礼拝において一人だけ大きな声で唱えられますと、礼拝がその人に引きずられてしまうということがあり、礼拝の調和が少し乱れることがあります。聖歌も同じです。一人だけが大きな声で歌いますと、やはり礼拝の調和が乱れます。みんなが心を一つにして神様を礼拝するためにはやはり他の会衆と同じテンポや声の高さが求められるでしょう。
 そのためには回りの声が聞けなければなりません。かつてある方から、聖歌を歌うときには回りの声を聞きながら歌いなさいと教えられたことがあります。自分が歌っているときに他の人の声も聞くということです。一生懸命すぎると他の声は聞こえません。回りの声が聞けるということは自分の声が図抜けていないということのバロメーターにもなるのです。お祈りも同じです。礼拝は大きな声でというのは間違いではありませんが、大きすぎると礼拝の妨げにもなるのです。少しくらいボリュームを下げても神様はちゃんと聞いてくださいます。
 立教大学の名物チャプレンであった竹田鐵三神父さんの遺稿集の中に、「公同の祈りは聖歌で声に自信のあるのがひとりで大声で歌うと全体の気分を壊すようにお祈りも皆と一緒に平凡な声、平凡なアクセントで祈るのが上々」とあったのを思い出しました。

『愛を愛でもって応える』

新幹線と在来線を乗り継いで、軽井沢から職場のある東京の西国分寺へと、通勤している。毎日同じ時間の電車に乗るので、相手の方は知らないと思うのだが、此方は勝手に、「おはよう」と心の中で声をかけている顔馴染みさんがいる。新幹線では、ランドセルを背負った小学生の姉妹、いつも本を読んでいる中学生の双子の姉妹、宿題をやっている小学生の男の子、在来線のホームにも、顔馴染みさんがいる。この顔馴染みさん達の姿が見えなくなると、在来線でも座ることが出来る。夏、冬、春休みの時季である。なので、大抵、在来線では立っていることが多く、また、本を読める程に空いてもいない。
しかし、嘆くことはなく、楽しみも見つけている。それは、車窓からの風景である。季節によって色んな表情を見せる風景は、目を楽しませてくれる。そして、車窓からも顔馴染みさんがいる。老人ホームと思しき窓から、外を眺めている車椅子に乗った白髪のご婦人である。今日も、お元気そうだな、膝掛けをする季節になったのだな、また、明日もお姿を見せて下さいと、勝手に話し掛けている。しかし夏前には、そのお姿が見えなくなり、ご自宅に戻られたのか、それとも体調を崩され、臥せっておられるのかと案ずる日々である。
考えてみると、当り前のことなのだが、同じ様な繰り返しの毎日ではあっても、同じ日は一日もなく、時間が過ぎ去って行くこと、同じ所には留まってはいないということを改めて感じたのである。しかし、楽しい時はこのままでいたい、この時間に留まっていたいと変化を望まない。悲しい時、辛い時は早く逃れたいと変化を願うのではないだろうか。
この願いというのは、人の力だけでは、如何することも出来ないことがある。この如何することも出来ないこと、これが苦しみなのかと思う。苦しみの中にある人と向き合い、関わっているのか、また、気付くことが出来ているのだろうか。
私は嘗て、救急救命の講義の中で、声を上げている患者と、静かにしている患者の何方が緊急を要するかという話を聞いたことがある。何れの患者も緊急性はあるのだが、より緊急性があるのか判断を迫られるのは、静かな患者の方である、というのである。つまり、声なき声に耳を傾け、その声を拾い上げることが出来るのかということである。
これは、今の社会においても同じではないだろうか。声を上げられない人、声を上げることさえ許されない人がいる、この人達に代わって、目を向け耳となり口となって働いているのか、自分自身が隣人となっているのか、マタイ伝22:39を読む度に、問われている気がする。
イエスは、私達の隣人として歩まれた生涯でした。そして、イエスは十字架を通した愛を私達に常に降り注いで下さっているのであり、そして、私達もその愛の内に働きなさいと語りかけても下さっている。作家C・S・ルイスは聖書にある愛は、一方的に与える愛であると本に書いているが、私自身、愛を愛でもって応えられる力を神様が与えて下さることを祈るばかりである。

執事 フランシス 江夏一彰
(軽井沢ショー記念礼拝堂勤務)

辺野古での基地建設のためのボーリング調査即時中止を求める

内閣総理大臣 安倍晋三 様
防衛大臣   江渡聡徳 様
沖縄防衛局長 井上一徳 様

辺野古での基地建設のためのボーリング調査即時中止を求める

8月18日より名護市辺野古沖への米軍新基地建設のための海底ボーリング調査が強行開始された。
このボーリング調査を実施する上で、当事者が根拠にしている理由は、沖縄の大多数の有権者が承知したものとは言い難いものです。この基地建設を実施するために、アセスの手続きが行われたが、2011年12月末に提出された評価書は未明に運び込まれ、受理はされたものの、おおよそ正式に提出されたものではなく、内容もそれまでに示された意見に十分応えたものではない。そして、県外移設を公約して当選した現沖縄県知事は2013年末に、公約を撤回し、国の辺野古埋め立て申請を承認してしまった。直後の県内世論調査では、7割の県民が公約違反であると答えている。県知事を支えてきた与党からも多くの批判の意見が出された。この事態を受けて、1月19日実施された名護市長選は基地建設反対の現職が大差で当選した。辺野古埋め立て着手のもう一つの根拠は地元名護漁協の同意である。しかし、名護漁協の組合員で辺野古を漁場として利用しているのはごく一部の人だ。辺野古の海は、漁業組合だけのものではない。政府は税金を、少数の有力者の買収とみえるような不当な使途に使い、住民を分断しているようにみえる。9月7日の名護市議選では、建設に反対するグループが引き続き多数派となった。9月3日には、県議会でもボーリング調査中止の意見書が可決されている。直近の沖縄県の世論調査でも8割が移設中止すべきと回答している。ボーリング調査反対を訴える市民に、本来市民を守るべき、警察や海保を差し向け、暴力まで振るわせるとは何事か。国連人種差別撤廃委員会も過度な基地集中に対して8月末に沖縄の人々の権利を保護するように日本政府に勧告している。
1995年の米兵少女暴行事件で、沖縄県民が求めたことは、二度とそのような悲劇が起こらぬよう日米地位協定を改定することだったが、県民の要求は聞き入られず、普天間基地移設に問題をすり替えて今日まで時間が過ぎてきた。普天間基地即時閉鎖返還されるべきものだが、返還されたとしても、沖縄の十分な負担軽減には繋がらない。このような状況下、もう一つの当事国アメリカでも、住民不同意の基地建設強行に親日の有力者からも懸念が表明され、また、自然文化を保護する法律(NHPA)下でジュゴン裁判の再審が受理された。
私たち、平和を希求するキリスト者はかつて創世記1章28節の「地を従えよ」を読み違え、自然環境を破壊してきた過ちから反省し、詩編24章1節「地とそれに満ちるもの、世界とそのなかに住む者とは主のもの」を託されたものとして、豊穣の海を埋め立てて、国のエゴを通すために小さくて弱い罪なき生命を奪う軍事基地の建設に反対し、基地建設準備のためのボーリング調査の即時停止を願うものである。

2014年9月12日
日本聖公会中部教区社会宣教部沖縄プロジェクト