良きお知らせ

今年の6月29日(土)に新潟聖パウロ教会のテモテ近藤修さんは洗礼・堅信を受けました。75歳になる近藤修さんは16年前に脳梗塞を患い、その後遺症で言葉を発することが困難で体が不自由な中で過ごしています。

毎月の聖餐式の後、集まった一人ひとりが日々考えることや出来事を通して気づいた神様の働きを語っている中、美智子さんは同伴者である修さんのことをよく話されていました。お会いしたいことをお伝えして、洗礼・堅信の準備の時が与えられました。

施設で過ごされている修さんを美智子さんと共に訪ねて、事前に美智子さんが伝えてくださった洗礼・堅信のことを説明し、もう少し考えますか?と尋ねる私の質問に対して即、今受けたいと答える修さんの返事が本当にうれしかったです。

村松では洗礼式も久しぶりとのことで、教父母を務めてくださる佐藤典さんと佐藤敦美さんを含め、聖餐式の後に皆で祈祷書を読みながらお祈りし学びの時を持ちました。

事前に施設の方々にもその旨を伝えて協力を得ることができ、修さんが過ごしているお部屋で洗礼・堅信式を行いました。

次の日は新潟聖パウロ教会の「パウロ祭」が行われ、近藤美智子さんが参加されました。洗礼・堅信の準備の期間中、喜びをもってお祈りしてくれた方々にお礼を言いたいとの気持ちで礼拝に出席し、クリスチャンでない修さんと結婚する時、教会で結婚式を挙げたいと希望していた美智子さんでしたが、修さんの反対で叶わなかったのがずっと心残りだったこと、親戚の結婚式の時に宣べられる「同意」の言葉を心に留めていたことを語ってくださいました。

「あなたは、結婚して夫婦となり、生涯その約束を守ることを願いますか。またこの女/男を愛し、慰め、敬い、健康なときも病気のときもこの女/男を守り、命の限りこの女/男との結婚に忠実であることを願いますか」

美智子さんは写真館で共働きしながら支え合っていたそうですが、信仰も違い色々あった夫婦生活は楽しいことばかりではなかったけれども、写真館の経営の責任をもって務めていた修さんが脳梗塞で倒れ数日間意識が戻らず不安だったこと、目を覚ました時は言葉による返事はできない修さんに、「良かった。心配しないで。私ができることは任せて。結婚する時、教会では健康な時も病気のときも守ると約束したのだから」と声を掛けたそうです。言葉を発することもできない修さんがその言葉を聞いて大きな涙粒を流していたことを思い出したそうです。

修さんが洗礼・堅信を受けたことは美智子さんにも信仰の人生の報いを受けたようでとてもうれしいと語ってくださいました。一人の喜びが私達信仰共同体の喜びとなり、その場に集った皆もとてもうれしかったです。「わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところの一切を、はるかに超えてかなえてくださることができる方に」感謝!

司祭 フィデス 金 善姫
(新潟聖パウロ教会牧師)

イングランド聖公会・教会成長研究報告書

2017年、教区宣教局の教育部・礼拝部の共同作業によって翻訳されたイングランド聖公会・教会成長研究報告書2011〜2013(以下、報告書)について紹介したいと思います。その題は「逸話から証拠へ」(From Anecdote To Evidence)で、一般的にキリスト教会が衰退している西欧でも、成長している教会があるという事例を通して一緒に考えるために良い資料です。「成長」という言葉が使われているということは、現在は衰退の程度が激しいために「成長」が求められているという意味でもあります。

教会成長の意味は、大きく数値的な成長と質的な成長に分けられます。西欧が帝国主義植民地政策を広げていた時代から現代に至るまで、長い間教会はマタイ28章の宣教命令を用いて数値的成長を最優先の価値として考えてきました。数値の増加ということは勿論、教会運営に直接関係するところであるために、端的には問いにくいことでもありますが、数値的成長と共に、今は質的な成長(輝かしい生き方)がキーワードとしてもっと大事に取り上げられ、内的成長・霊的成長・社会的成長の部分が重んじられています。

特に英国に於いてこの報告書は、今は、伝統的な教会から離脱していく現代人、若い世代の人たちと多文化住民たちに教会が合わせていくべき時代であると語っています。これからさらに急変していく時代を迎えて、そういう時こそ教会は敷居を低くして、「いらっしゃい」と言いながら待つ宣教ではなく、外に出て世の中の声を聞かなければなりません。時代の流れの中で、大きな変化への挑戦もなく、今までそのように待ってきた西欧の教会が、その危機の中でどう対処して来たかを覗き見ることが出来る報告書でもあります。

勿論、このようにすればわたしたち日本の教会も成長するという方法を提案している文書ではありません。どうやってキリスト教を伝えるかではなく、どうやって神様の御国の価値を伝えるかという観点から読んで頂きたいと思います。

聖書の「善きサマリア人」の物語を見ると、当時のユダヤ人の考えにはサマリア人は隣人の範囲に入っていませんでした(絶対破れない思考)。しかし、「誰が私たちの隣人なのか」という問いと答えを重ねながら、今のこの時代に於いて、私たちの新しい隣人を探し出すことが大切です(絶対破れない思考は無いという思考)。

現代の教会は、新しい隣人を積極的に探す働きを通して結果的に今までの伝統的な信仰の教会も共に成長することが出来ると思います。勿論、英国とキリスト教文化が主流ではない日本の教会の間には一定の距離がありますが、宣教的な状況には似ている点が多くあります。若い世代の移動によって既存の地域共同体が崩れつつあり、高齢化現象がより大きく浮き彫りにされていて、教会自体が若い層からの呼びかけの力を失っていく現象がその共通点だと言えます。

教会のこれからの宣教の対象は、現在、教会に出席している信徒のみではなく、教会が属している生活エリア全体がその対象であるという共通認識を信徒全体が共に持つことが大事です。そして信徒同士のみが宗教的安静を得ることではなく、社会を構成する皆が輝かしく豊かに生きるところ(神様の御国を味わうことが出来るようにするところ)に教会の目的があると思います。そういう意味からでも、また茶話の内容に用いて頂くためにも是非読んで頂きたいと思います。

司祭 イグナシオ 丁 胤植
(三条聖母マリア教会・長岡聖ルカ教会牧師)

教会の「宗教活動」

先日、東京教区の教役者研修会で、「教会の財務」がテーマになりました。その中で、近年バザーの収益に課税されたり、教会の倉庫を地域の防災用に開放したところ宗教活動ではないと見なされ、固定資産税課税の対象になったりした事例が紹介され、驚くと同時に、教会と直接関係を持たない役所が、教会の働きを勝手に限定するような振る舞いに、正直憤りをも覚えました。そして、このような税務署の見方は、わたしたち自身の教会観を問い直すものでもあるとも思いました。

「教会とは何であるか」とは神学の根本的なテーマの一つで、「教会論」と呼ばれますが、この分野で近年注目されている「コミュニオン(交わり)教会論」というものがあります。これはひとつの「考え方」であり、様々なバリエーションを含むものですが、小生はこれを日本における教会の強力なモデルであると考えています。

コミュニオン教会論は、様々な「コミュニオン」に焦点を当てることにより、教会の法的・制度的な理解を超える可能性を持ち、世界に広がる普遍の教会と個々の教会との間にある相互の関係を強調するものです。小生なりにこれを言い換えると、「教会とはただじっと立っている建物のことでも、組織として運営されている団体のことでもない。キリスト者がさまざまに動き、周囲とのさまざまな関係を作ろうと努める中で、そこに生まれる『コミュニオン』のうちにこそ教会の真の姿がある」ということです。

日本のような社会で、教会がこのようなコミュニオンを築こうと動く時、それが旧来の意味での「キリスト教」的な範疇にとどまらず、地域社会や様々な団体などとの交わりとなっていくのはむしろ当然のことであり、そこに日本の教会の可能性があると思います。小生は学校勤務の機会を長く与えられてきましたが、その経験から言っても、キリスト教学校の中には「教会」の姿が確かにあり、「キリスト教」の枠を超えたところでキリストが働いておられるということを確信しています。教会の活動はこのような意味においてなされているのであり、従来考えられてきた「教会」の枠を飛び越えたところに生まれる「コミュニオン」を様々な姿で拡げていくことが、日本という地における教会の大切な働きではないでしょうか。

最初の税務の例に戻れば、ここで私たちが問わねばならないのは「宗教活動」をごく狭い領域に限定する視点、バザーや地域との協力は「宗教活動」ではないとする考え方に対し、「キリスト教はそんな了見の狭い宗教ではない」ということを宣言し、実際に示していくことです。逆に、「教会は主日の礼拝さえしていればよい」という方向に教会が向くならば、それはこのような世間の見方を自分たちで肯定するものであると言えるでしょう。

「教会がコミュニオンである」ということをわたしたちが形にしていこうとする時、そこには今まで想像もしなかったような教会の姿が現われるはずです。そこにキリストが共におられ、共に働いてくださることを信じて、さまざまなアイデアを出し合っていきませんか。

司祭 ダビデ 市原信太郎
(東京教区出向・岡谷聖バルナバ教会協力司祭)

教会の政治的発言は、「政教分離」に反するの?

2月21日(木)、主教会と正義と平和委員会は、『天皇の退位と即位に関する声明「大嘗祭への国の関与は政教分離の原則に反します」』 を出して、大嘗祭を公的な行事とし国費を支出することが日本国憲法第二十条の「信教の自由の保障・政教分離」に反していることを指摘しました。また大嘗祭を公的な行事として位置づけることで、天皇が特別な存在であること、さらに神格化のイメージを植え付けることを危惧し、強く抗議をしています。

教会が政治的な発言をすると、マタイ福音書22章21節「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」という聖書の言葉を引用して、「政教分離の原則に反する」という批判を目にすることがあります。しかし、政教分離の原則は、わたしたちの日本では信教の自由と分かちがたく結びついていて、思想、信条自由や言論の自由とも深く関係するものです。憲法第二十条は次のように規定されています。

憲法 第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

この憲法第二十条第三項にあるように、政教分離の原則とは国家が宗教と分離していることを意味します。言わんとしていることは「国家と宗教」の分離であって、国家が特定の宗教に関わりを持つことを否定する原則で、基本的人権の信教の自由を保障するものです。「政」という漢字が使われてはいますが、政教分離の「政」は「政治」でも「政党」でもなく、「政治と宗教」の分離を言っているのではありません。

日本国憲法第二十条第一項の後段「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」を引き合いに出して、宗教団体が政治活動をすると政教分離に反するという誤解もあるようです。この規定は、国から特権を受ける宗教を禁止し、国家の宗教的中立性を明示したものです。

日本国憲法の精神が求める政教分離の原則は、戦前に国家と国家神道が一体となってアジアの多くの人々と日本の国民の命と基本的人権を侵害したことへの反省から規定されているものです。このことを抜きにして、この政教分離の原則と信教の自由を考えることは出来ません。繰り返しになりますが、国家の宗教的中立性を要求しているのであって、宗教者の政治的中立を要求しているのではありません。

むしろ、日本国憲法は「結社の自由」を保障しており、宗教団体にも結社の自由があります。神を信じるものが集まって宗教団体を組織することはもちろん自由で、その宗教団体が、自らの信仰に基づいて政治活動をすることも禁じられてなどいないのです。

むしろ教会は政治体制に拘束されることなく、福音宣教によって神さまの言葉を宣べ伝え、イエスさまの言葉と行いに基づいた、キリストの価値観をこの世に示していくことが、わたしたち教会の大切な責任ですらあります。

ですから、今回の「天皇の退位と即位に関する声明」は、過去にキリスト教会が「社会的儀礼」であるとして、信徒の神社参拝を許してしまい、日本国家と国家神道が一体となって、戦争に邁進することに協力をしてしまったこと、預言者的使命を果たすことが出来なかったことへの反省としても、教会の意思を表明せざるを得ないものなのです。

基本的人権は神さまによって与えられたものです。国が政教分離の原則をないがしろにし、基本的人権を侵害しようとするときには、教会は、聖書の言葉に従ってそれを正して行く預言者としての役割を果たさなければならないのです。

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖マルコ教会・愛知聖ルカ教会牧師)

切り株のように

数年前に太い枝の落下が相次ぎ、事故防止のため2本のモミの大木を伐採した。少々淋しくもあったが陽光がよく射し込むようになり、冬期に礼拝堂前の地面が凍り付くこともなくなった。司祭館の執務室から目線を上げると、その一つの切り株がいつも正面に見える。しばらくして、その切り株で興味深い現象が日々繰り返されていることに気がついた。年輪を数えたり、腰を下ろして休んでいる光景を目にすることが多いのだが、若い世代や子どもたちは切り株を舞台にしてポーズを取りながらスマホ撮影を楽しんでいる。春や秋には長時間座って読書をしたり、絵を描くといった姿もしばしば見かける。しかし何より興味深いのは、目の前に建つ礼拝堂に足を踏み入れる人は来訪者の半数にも満たないのに、切り株には洋の東西を問わず、また年齢、セクシュアリティ等を超えて、あらゆる人々が引き寄せられているということだ。切り株には何か人間の本能をくすぐる不思議な力が備わっているのではないか…とさえ感じる。

切り株で思い起こすのは、子どもの頃日曜学校で観た「それで木はうれしかった」というスライドである。その原作はシェル・シルヴァスタインの絵本『The Giving Tree』であることを後で知ったが、10年ほど前に村上春樹氏が翻訳したことで少し話題にもなった。その内容は、一本のりんごの木と一人の少年との関係が、少年の子ども時代から老年に至るまでの生涯にわたって描かれている。木は少年が成長していく節々で、求めに応じて自らの果実を、枝を、そして幹をすべて与え続け、最後には年老いた少年にゆっくり座って休むための切り株を提供して話は終わる。木が自らを与え続ける度に繰り返されるフレーズが「それで木はうれしかった(And the tree was happy)」である。この絵本は様々な観点から読まれる必要があるとは思うが、かつて日曜学校で初めてこのスライドを観た時、子ども心に強烈な印象を受けたことを覚えている。純粋に神さまとはこのりんごの木のような存在なのだと理解した。特に、人生のたそがれを迎えた老人が木に促されて切り株に腰掛ける最後の場面は、その余韻とともに脳裏に深く焼き付いている。そして、その時に感じた神さまのイメージは、私の中で今なお根本的には変わっていないように思う。

主イエスのおられる所には、いつも大勢の人々が集まって来たことを各福音書は伝えている。その人々を主イエスは愛をもって受け容れ、一人ひとりが神さまの豊かな祝福のうちに生かされていることを教え、そして言われた。

「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28)その主イエスの人々に対する溢れる愛は、最終的にはご自身を献げるという形で、十字架の道へと繋がっていった。孤独と苦しみの極限状態の中でも、主イエスの人々に対する愛は変わることはなく、それどころか何度も主を裏切り、自己本位に生きようとする弱い人々(=私たち)のために祈ってくださった。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです。」(ルカ23:34)

過去最長の10連休となったゴールデンウィークが終わった。この連休中も切り株の周りでは観光客が賑わい、多くの人々の人生の一コマが刻まれていった。やがて殆どの人の記憶からは忘れ去られていくのかも知れない。しかし、その一人ひとりの尊い人生の一コマを、いつもどっしりと、静かに無条件に受けとめている切り株の姿に、主イエスが重なって見えた。そんな切り株のような存在に、少しでも近づけたらと思う。
(引用の聖句は、聖書協会共同訳を用いました。)

司祭 テモテ 土井宏純
(軽井沢ショー記念礼拝堂牧師)

クォ・ヴァディス・ドミネ

ポーランドの作家シェンキェヴィチの有名な作品『クォ・ヴァディス』の一場面、ネロによる迫害と官憲による逮捕を逃れて、使徒ペテロとひとりの少年が夜明け前のアッピア街道を南へ急いでいた場面が強烈で、決して忘れることなど有り得ないほどに焼き付いているのです。

朝もやの中から不思議な光の球が近づいて、その中に人の姿が見えてきた。それはまぎれもなくキリスト・イエスであった。老いたペテロは跪き、手を差し伸べ、むせびながら訊ねた。「クォ・ヴァディス・ドミネ」(主よ、何処へおいでになるのですか)すると、悲しげな、しかし、爽やかな声で「あなたが私の民を見捨てるなら、私はローマへ行ってもう一度十字架にかかろう」という言葉がペテロの耳に響いた。ペテロと一緒に歩いていた少年には何も見えず、何も聞こえなかった。失神したように倒れていたペテロは立ち上がり、震える手で杖をあげ、今逃げてきた都へと向きを変えた。少年はそれを見ながらペテロに訊ねる。「クォ・ヴァディス・ドミネ」ペテロは小さな声で「ローマへ」と答える。ローマに戻ったペテロはパウロと同じく殉教の死を遂げる。自ら、逆さ磔の刑を願って。
(この物語は2世紀末頃に生まれた伝説を元に書かれたと言われている)

私は、この場面を思い起こす度に、胸が熱く打ち震えるような感動を覚え、しばし落ち着くと、何かしら、叱られているようで、また一方で励まされてもいるようにも感じるのです。

「真理とは何か」

今年も間もなく受難週を迎えますが、ユダヤ総督ピラトが官邸でイエスに一連の尋問の後、最後に放った問いであります。しかしピラトは真剣に問うたのではなく、応酬の勢いで口にしたようでもあり、むしろ、甘っちょろい真理などあろうはずがない、という心情なのではないかと想像しています。彼が今の地位に就くまで、いや就いて尚更、生き馬の目を抜くような権謀術数が飛び交い、虚偽欺瞞こそ常識であるような、当たり前の真理とされる世界に生きていたのではないかと思うのです。その後ピラトはこの問いについて当然の如く関心は失せてしまいます。

「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14章16節)

イエスに出会うということは、今までの自分の生き方、価値観を激しく揺さぶられる経験です。自分を自分とならしめていた色々なものが崩されてしまうような危ない経験です。しかしながら、何か新しい可能性が自分にも与えられ、生まれてくるような、自分でも何かイエス様の手伝いが、ご用ができるような思いや願いが自分の内に湧いてくることを感じられるような、そんな驚きもあるのではないでしょうか。

イエス様との出会いは自分にとって苦い経験を伴うものであっても、新しい人間として生きる希望と可能性を与えられる出会いでもあるのだと思うのです。

真理とは何か…

私たちは知っています。

真理とは誰か…

司祭 エリエゼル 中尾志朗
(一宮聖光教会牧師)

九十年変わらぬ聖堂とその意味

岡谷聖バルナバ教会は、昨年11月16日、国の「登録有形文化財」に登録された。「英国教会の伝統を受け継ぐ構造を有している一方で、かつて岡谷の蚕糸業を支えた「女工」の願いで設けた畳敷きの礼拝堂など、地域の歴史文化を伝える建築物」(文化庁文化審議会答申)としての評価を受け、すべての新聞、テレビ等でも報じられた。

90年前の1928年11月20日、岡谷聖バルナバ教会の聖堂は聖別された。当時、諏訪湖周辺を伝道していたカナダ聖公会の宣教師、ホリス・コーリー司祭は、諏訪地方のどこに教会を建てるのかという選択に迫られた。カナダ聖公会宣教協会は、より賑やかな温泉地で有名な上諏訪に教会を建てよと指示していたが、コーリー司祭は、諏訪の一帯で、最も重荷を背負わされている人々のために聖堂を建てたいと考えた。それは、岡谷の製糸工場で働く「女工」さんたちのためであった。それに対し宣教協会は、彼女たちは季節労働者で定着しないし、経済的な支えにはならず、教会を維持できるわけがないと反対した。しかしコーリー司祭は、「お金のことは神さまが何とかしてくださる」と応えた。

工場では一日16時間労働で、立ちっぱなしか、硬い木の椅子に座り続ける彼女たちが、教会に来たときには自分の実家に戻ったような思いになってもらいたいと、聖堂を畳敷きにした。当時からの信徒であった深澤小よ志さんは、かつてこう語ってくれた。「教会に駆けつけると、階段の下で青い目の司祭さんが待ちかまえていて、よく来たねと言って、私を抱きしめてくれた。お説教の意味はほとんどわからなかったけれども、司祭さんが抱きしめてくれた温かさに、私は涙が溢れた。教会は確かに天国だった。」

今年の2月2日、岡谷聖バルナバ教会の聖堂で、中国から働きに来ている王旭さんの洗礼堅信式が行われた。王さんは中国、山東省青洲市の出身で、岡谷市にあるピストンリングを製作する工場で、2016年から勤務されている。この工場には現在、60人ほどの中国からの女性たちが働いているという。ふと通りがかりに見つけたこの教会に、熱心に通い続けてくれた。彼女は3月で中国に帰国することが決まり、ご本人の願いもあって、洗礼式を行うことになった。中国には現在、聖公会の教会がないので、堅信式ができないのが気がかりであったが、急遽、渋澤一郎主教が岡谷に来てくださり、洗礼堅信式が実現した。日本語は十分にはお出来にならないため、市原信太郎司祭が作ってくださった日中対訳の洗礼堅信式文を用いた。私の問いに、王さんが中国語で応答する。洗礼名は、「馬利亜」。言い知れない感動に聖堂が包まれた。

取材に来ていた中日新聞の記者が、「あなたにとってこの教会はどのような場所であったのか」と尋ねた。彼女はこう答えた。「この教会は最高の場でした。親切で温かくて、いつも癒されました。」

岡谷はもう製糸女工の町ではない。しかし今は、中国などから来られた多くの外国人女性労働者たちが住んでおられる。歴史的文化財として認められた喜びと同時に、この聖堂が、決して過去の歴史遺産などではなく、90年前と通底するミッションのために、今も生き続けていることに感謝したいのである。

司祭 アシジのフランシス 西原廉太
(岡谷聖バルナバ教会管理牧師)

ちいさいけれど

朝、目が覚めると「あれっ、雪が積もっているかな?」と布団の中でも気が付くことがある。暗くても何となく明るい気がするし、静かすぎるときは、だいたい雪が積もっているのである。子どもの時は、雪が降るのをとても楽しみにしていた。何して遊ぼうか、授業も急遽変更してグランドで雪遊びをした記憶も楽しい思い出として残っている。しかし、大人になると事情が少々異なってくる。通勤の電車は大丈夫だろうか、雪掻きはどうだろうかなど、心配の方が先立つ感がある。実際、5、6年前に軽井沢に観測史上を更新する積雪量の雪が降ったことがある。一夜にして外の風景が、綺麗というよりも、どうしようという思いの方が勝るような景色となっていた。現に、道路は峠越えの出来ないトラックが連なり、家から出られなくなった方もおられた。自宅の周りでは、雪が小康状態になったのを見計らって、誰彼となく除雪車を通すために雪掻きが始まり、作業は長い時間かけて行われた。その掻いた雪を積み上げた所では、子どもたちが遊び始めていた。段ボールを見つけてそり遊び、穴を掘ってかまくら作りと、手や顔を真っ赤にしながら遊んでいた。

子どもたちの遊ぶ姿を微笑ましく見ながらの作業も終わろうとしていた時、ふと服に着いた雪に目が留まった。普段なら、なに気にすることもなく雪を払ってしまうのだが、雪に目が留まった。雪の結晶をはっきりと見ることが出来たのである。生まれて初めての経験だった。その雪の結晶を見て、大学生の頃に読んだ、物理学者である中谷宇吉郎の雪に関する随筆を思い出した。寒い中、顕微鏡で覗いた雪の結晶が幾種類も描かれ、そして、「雪は天からの手紙である」という文章である。天からの手紙は神さまからいただいた手紙ではないかとも思う。優しい文章のときもあれば、厳しい文章のときもある。厳しいと思うのは受け手側の勝手な思いもあるのかもしれない。地位や立場など、色々なしがらみで厳しいと思うこともあるだろう。いずれにしても、神さまは私たちに手紙を投げかけて下さっている。そして、手紙を出し続けても下さっている。その手紙を私たちは受け入れているだろうか。都合の良い手紙だけ目を通していないだろうか。自分自身も省みなくてはいけない。

ひとつひとつの天からの手紙は小さくても、ひと晩で世の中を真っ白に覆いつくすことが出来る。私たちひとりひとりの働きも小さいかもしれないが、働き続けることが大切ではないだろうか。神さまからの言葉を聖書に押し込めたままにすることなく、日常の生活に顕せる働きをしたいものである。

神さまからの手紙によって、この世界が光で覆われる日が来ることを祈りたい。また、光で覆われるように、その働きを教会とともに歩んでいきたい。雪は春とともに消えてしまう。神さまの言葉を消すことなく、大切に持ち続けたい。

司祭 フランシス 江夏一彰
(上田聖ミカエル及諸天使教会牧師)

言は肉となって わたしたちの間に宿られた。ヨハネによる福音書1章14

何年ぶりかで青年時代からの友人に会いました。私よりも少し年上のこの方は、まだ二人のお子さんが幼い頃、ご主人と突然の死別をした人です。それから彼女は夫が起ちあげた司法書士事務所を引き継ぎ、子どもを育て、夫の母親と共に家庭生活を営んできました。彼女の穏やかな笑顔を見ながら、この人はこれまで喜びと共に、どれほどの悲しみや苦しみを味わってきたのだろうとぼんやり思いました。

自己責任という残酷な言葉が飛び交い、富の不平等や不当な抑圧がより深刻化していく社会に生きている私たちに、今年もクリスマスがやってきます。神の子イエス・キリストの御降誕はすべての人々への大きな福音です。深い悲しみを抱える人々にクリスマスの光を届けることができるのは誰でしょうか。そこには大いなる逆説が潜んでいます。慰めようとして反対に相手から慰められる。助けようとして逆に助けられる。そんな経験があなたにはありませんか。

目先の損得に執着したり、自分の栄光を求めたりするような生き方から決別し、より大きな喜びに生きるよう、イエスさまは招いてくださっています。イエスさまご自身が現してくださった神の本質である愛の姿、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣」かれたイエスさまの生き方に少しでも倣おうとすることをとおして、クリスマスの光が私たちの中にも差し込んでくるのではないでしょうか。

クリスマス、それは喜び、希望、感謝の出来事です。暗闇に生きる人たちのところへ神が人間となって来てくださった。ご自身が貧しい者となられ、愛と喜びの人生を生き、その究極である十字架上の死を遂げられた。この御子イエス・キリストを神は復活させ天にあるご自分の右の座につけられました。この方を私たちは我が主として信頼し、時にふらつきながらもついていきたいと願うのです。

司祭 イサク 伊藤幸雄(直江津聖上智教会・高田降臨教会牧師、飯山復活教会管理牧師)

諸 聖 徒 日

11月1日は、すべての、もろもろの聖である人たちの魂を記念する日という意味で、「諸聖徒日」と言います。亡くなったすべてのキリスト者の魂を記念し、そのために神様に祈る日であり、更に翌日の11月2日は、「諸魂日」と言い、世を去ったすべての人々の魂を記念し、神様に祈る日です。11月を「諸聖徒月」とも言います。
教会では、毎日曜日の礼拝で、亡くなった方々の魂のために、常に神様に祈っていますが、このように、11月は特に亡くなった人々のことを想い、その魂を安らかに休ませて下さるようにと神様に祈ります。ちょうど、我が国のお盆のような時です。
人の死後について、確かなことは誰も知りません。ある人は、何もかも無くなってしまうと考えており、他の人は、肉体は無くなるが、魂は生きていると考えています。共に、確かな証拠はありませんが、大昔から、多くの人々の願い、あるいは、期待、希望として、死後の人の魂は生きていると、信じられてきました。もし、人の死後が何もない、虚無であるとすれば、今、私達は、希望も何もない虚無に向かって必死に生きていることになり、人生は空しいものになってしまいます。また、お葬式やお墓参り、法事、キリスト教の逝去者記念式などは全く無意味なものになってしまいます。
聖書は、この世の務めを終わった人の魂は眠り休んでいるが、やがて最後の時に、命の源である神様の許に行くのであると教えています。

ですから、今、生きている私達は、世を去った人々のために、神様にこの人の魂を受け容れて下さるようにと祈ると共に、私達が生きている間、神様に喜ばれるような充実した人生を送れるようにと、御導きと御守りを祈りつつ、希望を持って生き続けるのです。世を去った多くの人々の魂のために祈りましょう。

司祭 テモテ 島田公博(主教座聖堂付、長野聖救主教会、稲荷山諸聖徒教会、新生礼拝堂主日勤務)