聖公会神学院及びウイリアムス神学館体験入学

聖公会神学院では10月7日(水)~9日(金)、ウイリアムス神学館では10月13日(火)~15日(木)、体験入学が行われ授業への参加や懇談の機会があります。

戦後70年…改めて平和を考える

 今年も8月15日の終戦の日を迎えました。今年は戦後70年ということで、特に平和への思いを多くの皆さんが強く感じておられるのではないでしょうか。戦後70年経ったとはいえ、国内外における戦争の傷跡はいまだに癒えることはありません。戦争とはいつまでも消えることのない大きな苦しみを人々に与え続けるものなのです。ですからどんな理由があっても戦争はしてはならないのです。

 戦後70年間、日本は武力によって直接的に他国を攻撃・侵略はしてきませんでした。これは大いに世界に誇るべきことです。その一番の理由は憲法第9条の存在にあることは言うまでもありません。「…武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という9条を、過去の歴史への反省を込めて日本は堅持し続けてきました。

 ところがその9条がなし崩しにされようとしています。去る7月16日、衆議院において安全保障関連法案が可決され参議院に回されました。政府は今国会会期中にこの法案を可決させようとしています。この法案が可決されますといわゆる「集団的自衛権の行使」が可能になり、自衛隊が海外の紛(戦)争に直接的に関われることになります。つまり、武力によって国際紛争に関われるのです。「戦争が出来るようになる」と言い換えてもいいでしょう。

 この法案は多くの憲法学者がそう言っているように明らかに憲法第9条に違反しています。歴代の内閣も集団的自衛権の行使は違憲であるとしてきました。それにもかかわらず現政権はこの法案を押し通そうとしています。わたしたちはこの法案の廃案を、声を大にして叫ばなければなりません。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)のです。

『他宗教との共生と平和』

松本聖十字教会の耐震補強工事も具体的に礼拝堂への改修が始まりました。まだまだ工事目標額まではいきませんが、とりあえず必要なところから始めて、クリスマスには聖十字幼稚園の園児が松本聖十字教会の礼拝堂で過ごすことができるようにと努力していますので、これからも献金をお願いできればと思っています。

さて、耐震補強工事の関係で、ある工事関係者の方とお話をしていましたら、公園のなかに神社もあり、役所がその公園の整備をしたら宗教関係者から訴えられたという話を聞きました。そして、その方は、「宗教というのは、こういう争いごとばかりするから嫌だ」と、そして、「あの宗教は良くてこの宗教はいけないというなら、イスラム国(編者注:同国を名乗る過激派組織ISILのこと)のやっていることと同じではないか」と語られていました。私は、とても複雑な思いで聞いていましたが、確かにキリスト教をはじめとして宗教とは、互いに尊敬し合い協力し合って、苦しんでいる人々に具体的な喜びをもたらすものであるから、自分の宗教の利益だけを考え、自分の宗教だけが正しくてこれを信じなければ救われないという絶対主義はおかしいと感じました。

このように言いますと、唯一絶対の神を信じるキリスト教に反していると思われるかもしれません。しかし、キリスト教の絶対性を超えて、不寛容と独善を克服し、宗教が互いに尊敬し協力して、苦しんでいる人々が必ず救われるということを知らせ、示していくことの方が大切であると思います。歴史をさかのぼれば、キリスト教も相当ひどいことをしています。だからといって、キリスト教にも良い面がたくさんあるのですから、そのような目で、神道、仏教、イスラム教、ユダヤ教の良い面をみていくことができるのではないでしょうか。

アメリカの臨床心理学者、カール・ロジャースは、「来訪者中心療法」を提唱していますが、そこで大切なことは、カウンセラー(援助者)は、クライアント(相談者)の言葉、考え、感情、説明、そのすべてを受け止めること、すなわち受容し共感することであると言っています。ここで注意しなければならないことは、受け止めることと受け入れることは違います。よく間違えられますが、受け入れるということは、なんでも「その通り」ということになります。ですから、ISILの信仰も「その通り」と言うと、奴隷や殺人も受け入れてしまうことになります。カール・ロジャースが言っていることは、受け入れるということではなくて、受け止めるということ、立ち止まるということ、共感し、対話をする用意を持つということです。他の宗教と対立し、自分の宗教の拡大だけを目指すのではなく、他の宗教と共感し、共生する道を選ぶべきであり、これこそ、キリスト教が平和の器になることであると思います。

司祭 ヨセフ 石田雅嗣
(松本聖十字教会牧師、飯田聖アンデレ教会管理牧師)

軽井沢ショー祭2015(第16回)

8月1日(土)午後1時半より、軽井沢ショー記念礼拝堂において毎年恒例の軽井沢ショー祭(軽井沢町民祭)が開催されます。

沖縄に平和を!

 去る6月23日、沖縄教区「慰霊の日」礼拝―戦後70年記念平和礼拝―が、北谷諸魂教会で行われました。戦後70年の節目ということで、日本聖公会の全教区主教が参加し、合わせて、管区主催の「沖縄の旅」の参加者60名、更には大韓聖公会からお二人の主教さんたちとソウル教区オモニ(母)聖歌隊40名の参加者も加わり、多くの方々で慰霊の日の礼拝(聖餐式)をお捧げすることができました。
 司式は植松誠首座主教、説教は磯晴久大阪教区主教でした。磯主教は長年の沖縄との関わりから、沖縄の担ってきた苦難と平和の大切さを語られました。
 昼食後はオモニ聖歌隊のコンサートが礼拝堂で行われ、その後、韓国の方々は平和祈念公園にある韓国人慰霊塔に行き、韓国人犠牲者のために祈りを捧げられました。
 慰霊の日の礼拝を6月23日に行うのは、この日が沖縄戦における日本軍の組織的な戦いが終わった日と位置付けられているからです。しかし、組織的な戦いが終わったということは戦いがすべて終わったという意味ではなく、軍司令官が自決し指揮命令系統が消滅しただけであり、その後も戦いは続き、実質的に戦いが終わるのは9月に入ってからでした。6月23日からそれまでの間に数万人もの人たちが亡くなっているのです。
 沖縄は日本本土防衛のための「捨て石」でした。そのために県民の4人に1人が犠牲になったのです。現在も沖縄は「捨て石」にされていると言えないでしょうか。日本にある米軍基地の74%が沖縄に集中しています。沖縄の戦争はまだ終わっていません。沖縄から基地がなくなり、平和な沖縄が戻ったとき本当の意味の戦後が始まるのです。その責任は本土のわたしたちに負わされているのです。

安全保障関連法案に対する緊急抗議声明

閣総理大臣 安倍 晋三 様
衆議院議長  大島 理森 様
参議院議長  山崎 正昭 様

安全保障関連法案に対する緊急抗議声明

わたしたち日本聖公会中部教区宣教局社会宣教部は、安倍政権が掲げる「積極的平和主義」は「戦争で平和を創る」ということであり、集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法案は憲法違反であるということから、安全保障関連法案の撤回・廃案を求めます。
また、安部総理大臣が「国民の理解は進んでいない」と答弁しながら、7月15日に特別委員会にて安全保障関連法案の採決を強行したこと、7月16日に衆議院本会議にて可決したことに断固抗議いたします。

安全保障関連法案は、自衛隊が「いつでも」(国際平和支援法)・「どこでも」(重要影響事態法)・「切れ目なく」(グレーゾーン)、他国が起こす戦争に介入し、武力を行使できるようにする「戦争法案」です。わたしたちは、自衛隊を他国で戦う軍隊に変え、戦争をする国にするような法案を認めることはできません。

日本国憲法は、破壊的な戦争の反省によって作られた憲法であるとともに、この戦争によって甚大な被害を受けた国内外の人々の尊い犠牲の上に作られた憲法です。特に憲法第9条は「武力による威嚇又は武力の行使の放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」を定め、国内外で平和憲法と認められています。この平和憲法があるからこそ、平和国家として信頼され、平和的外交をすすめることができるのです。
集団的自衛権の行使を認め、世界中の戦場へ自衛隊を派遣することは、憲法9条に違反します。

わたしたちは、「平和を実現する人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイによる福音書5章9節)とのみ言葉に生きる者です。戦争が平和を実現することは決してありません。
わたしたちは、安全保障関連法案の撤回・廃案を求め、強行採決に断固抗議いたします。
以上

2015年7月16日

宗教法人日本聖公会中部教区
宣教局社会宣教部

ポン菓子売りのおばさん

 去る5月29日~6月1日、中部教区「戦後70年韓国平和巡礼」で韓国に行って来ました。日本が犯した負の歴史の事実を現場に立つことによって改めて認識することができました。公式な報告は岩田牧夫さんがしていますのでわたしは少し面白いエピソードを紹介します。
 31日、主日礼拝を大聖堂で終え、西大門刑務所の見学に行きました。1台のタクシーのグループが刑務所のすぐ向かいで降りたのですが、そこからどう行ったらいいのか分かりません。仕方ないので道端でポン菓子を売っているおばさんに刑務所の住所を見せますと、おばさんは説明してくれるのですが当然韓国語ですから分かりません。とにかく言われた方向に向かって歩き出したら、そのおばさんは仕事をほっぽって後を追いかけてきて更に説明してくれるのでした。
 丁度その時心配して探しに来た丁司祭と出会い、事なきを得たのでした。ところがそのおばさんは説明してくれただけでなく、親切にも売っていたポン菓子を”食べなさい”とくれたのでした。
 それに感激したN氏、”これは帰りにポン菓子を買ってあげなければいかん”と、帰りにそのおばさんのところでポン菓子を買い込んだのです。そうしたらそのおばさん、またまたおまけにたくさんのポン菓子をくれたのでした。お蔭でわたしたちも甘いポン菓子のお相伴に与ることができました。たわいのない出来事ですが、ポン菓子売りのおばさんの親切に触れた出来事でした。

『新生病院で出会ったKさんの「愛している」との言葉から』 

新生病院のチャプレンとして新たな歩みを始めた私は、前任者の石田雅嗣司祭からの引き継ぎ通り、朝8時半と午後1時半に4階の緩和ケア病棟で行われるミーティングに出るようにしています。朝、夜勤を終えた看護師から日勤の看護師に連絡事項を伝えるその場は、医師、看護師、ソーシャルワーカー、チャプレンなど多職種の人々による連携のための大切な役割を果たしています。
Kさんとの出会いと交わりを紹介したいと思います。
Kさんは、入院の時からチャプレンとのお話を希望されている方の一人でした。「一生懸命に働いて来たし、退職してからも色んな趣味も楽しめたし、悔いはない」と言われていました。ピアノの音が好きなKさんは、ピアノを弾きたいとのことで、部屋の片隅に鍵盤を置き、自ら弾いたり、訪ねてくるお嫁さんに弾いてもらってその曲を楽しんだり、音色を聞きながら眠ることも度々ありました。
両目が不自由で、しかも難聴でもあり、熱が出たり、眠って過ごしたりする時間がだんだん長くなり、お話できる機会が少なかったのですが、体調の良いある日、隣で付き添っているお連れ合いさんに色々と説明を加えていただきながら、家族のこと、仕事のこと等、様々なお話を伺うことができました。
自分が農家の長男でありながらも教員の仕事を続けることができたのは、お連れ合いさんが畑について責任を持ってくれたおかげであり、今まで本当にありがたかったとお話されました。そんなお話をしていると、隣でお連れ合いさんが「私のような者が嫁に来ちゃった」と言いました。するとKさんは「そう言われるととても寂しい」と話しながら、手でハートを描き、「愛している」気持ちを表現し、大切に思っていることを伝えたのでした。お連れ合いさんは「どうしたの?今までそんなこと言われたこともない」と驚きながらも嬉しい気持ちを隠せませんでした。
別の日には、私の顔が見えないとおっしゃるので、お連れ合いさんがメガネを掛けようと顔を近づけると、手でその顔を何度も何度もなでるのでした。目が悪くなってきたこともあり、目で顔を見る代わりに、手で顔をしっかりと確認しているかのようでした。お連れ合いさんも照れながらも嬉しそうにその手の暖かさを受け入れていました。
病院のチャプレンの仕事は多くの患者さんと一緒に過ごし、時には死にゆく場面にも立ち会うこともあることから、色々な方に、毎日大変ではないかとよく聞かれます。
しかし、スタート博士は病院の勤務者に配布するために書かれた数ページの冊子の中で、患者さんと接することは「神様が癒してくださることへのお手伝い」であると述べていたと伺いました。新生病院にたずさわる者は、神様の癒しを経験して生きていることを常に心がけているわけです。医師や看護師だけでなく、私自身も神様の癒しの業に参加していることを日々感じたいと思います。病の中でこれまでの人生を振り返る方々との出会いを通して、私自身も多くを感じ、その方々の尊厳と命の強さを学ばせていただいています。主に感謝。

司祭 フィデス 金 善姫
(新生病院チャプレン、新生礼拝堂副牧師、飯山復活教会管理牧師)

死刑執行に断固抗議します

     2015年6月25日

内閣総理大臣  安倍 晋三 様
法務大臣    上川 陽子 様

 死刑執行に断固抗議します

本日、名古屋拘置所において神田司さんに対して死刑が執行されました。極めて遺憾であり、死刑執行に断固として抗議します。
死刑制度の存置が犯罪抑止力にならないことは統計上からも明白であります。また、足利事件、志布志事件、東電OL殺人事件、そして記憶に新しい袴田事件など冤罪事件が続発しており、今もなお、名張毒ぶどう酒事件など、冤罪を訴え続けている死刑囚がおります。ひとたび死刑が執行されれば、取り返しがつきません。
国際的に、死刑制度は廃止される傾向にあり、世界で死刑を廃止または停止している国は140か国に上ります。OECD(経済協力開発機構)加盟国(34か国)の中で死刑制度を存置している国は、日本・韓国・アメリカの3か国のみですが、韓国とアメリカの18州は死刑を廃止または停止しており、死刑を国家として統一して執行しているのは日本だけです。
わたしたちは現在、死刑の判決後キリスト教の信仰を受け入れ、受洗した死刑囚と共に信仰生活を送っております。また、これまでに、自分の犯した罪に真摯に向き合い、「生きて罪を償いたい」と贖罪の日々を送っていた5名の同宗の友を、死刑の執行によって奪われました。わたしたちの、死刑制度廃止を求める願いには切なるものがあります。
わたしたちは、神より与えられたすべての人の生命と尊厳、そして人権を守るキリスト教信仰にたって、一日も早い死刑制度の廃止を訴えます。上川法務大臣には、是非とも多くの死刑制度廃止を訴えるわたしたち国民の声に耳を傾け、内閣及び国会の場において、死刑制度廃止に向け努力されますように、また、その法改正がなされるまで、決して死刑の執行をしないよう強く要請いたします。

以上

宗教法人日本聖公会中部教区
宣教局社会宣教部