要請書(安全保障関連法案)

内閣総理大臣 安倍晋三 様
防衛大臣   中谷 元 様
外務大臣   岸田文雄 様
衆議院議長  大島 理森 様
参議院議長  山崎正昭 様

要請書

2015年、日本は戦後70年を迎えました。日本は、かつてアジア・太平洋地域を武力侵略・植民地支配し、大きな犠牲を強いた戦争を引き起こしました。戦後、わたしたちは、破壊的な戦争の反省によって日本国憲法を作りました。この憲法は、戦争によって甚大な被害を受けた国内外の人々の尊い犠牲の上に作られたものです。特に憲法第9条は「武力による威嚇又は武力の行使の放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」を定め、国内外で平和憲法と認められています。この平和憲法があるからこそ、平和国家として信頼され、平和的外交をすすめることができるのです。
しかし、2014年7月1日、安倍政権は、歴代政府が日本国憲法9条のもとで許された「必要最小限の実力行使」の範囲を超えると解釈し、禁じてきた「集団的自衛権の行使」を容認する閣議決定をしました。そして、2015年「安全保障関連法案」を強行採決し、9月30日、「安全保障関連法」は公布されました。
安全保障関連法は、自衛隊が「いつでも」(国際平和支援法)・「どこでも」(重要影響事態法)・「切れ目なく」(グレーゾーン)、他国が起こす戦争に介入し、武力を行使できるようにする「戦争法」です。わたしたちは、自衛隊を他国で戦う軍隊に変え、戦争をする国にするような法を認めることはできません。
安倍政権が掲げる「積極的平和主義」は「戦争で平和を創る」ということであり、集団的自衛権の行使を認め、世界中の戦場へ自衛隊を派遣することは、憲法9条に違反します。
安全保障関連法は憲法違反であるということから、安全保障関連法の廃止を求めます。

戦後70年にあたり、わたしたちは、あらためて悲惨な戦争を二度と繰り返さないという決意を明らかにし、正義・真理・愛・自由・いのち・平和・共生を求めていきたいと思います。

「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書第2章4節)
以上

2015年11月23日
日本聖公会中部教区第87(定期)教区会

『タリタ、クム』

 神様から与えられた聖職者としての歩みを始めて10年以上が経ち、その働きの中で幾度もの病者訪問を行ってきました。その訪問先には、病を受け入れ、平安のうちに死を覚悟している方、病に立ち向かい、まさに闘病の最中の方、病の回復への希望と悪化への不安の狭間で葛藤している方、病に罹った現実に驚きと戸惑いを感じ、困惑の中にいる方、病の回復を実感し、安堵の中で喜びを感じている方など、実に様々な方々がいました。また、一人の方であっても、病の状況や過程によって、実に様々な心持ちがあることを感じていました。

 そのような方々と共に祈りを捧げ、時間を過ごす中で、ある時、ある一つの言葉を意識的に用いることを避けている自分自身に気が付きました。

 病に立ち向かい、まさに闘病の最中の方に対し、励ましの言葉として与えたいと思いながらも言えなかった言葉。病の回復への希望と悪化への不安の狭間で葛藤している方に対し、希望の光を指し示す大切な言葉として与えるべきだと思いながらも、それを語る勇気が持てなかった言葉。病の回復を実感し、安堵の中で喜びを感じている方に対し、病の回復の宣言として、また感謝の言葉として証しすべきだった言葉…。言えなかった、その言葉…。

 今年の6月21日に長女が生まれました。長女の出産は予期せぬ難産となりました。私も立ち会う、通常の自然分娩中、医師が声を上げました。「これは、だめだ!!」と。長女の頭より先に左手が出て来てしまい、肩と頭が出て来られず、更に、このままだとへその緒が絡まる危険があり、長女の命が危ないと言うのです。また、左肘まで出かかっており、これ以上出てしまうと、産道の下へと胎児を押し出す筋肉の収縮で、帝王切開しても腹部から取り出せないと。

 「最低でも30分以内に帝王切開で取り出さなければならない。でも、このケースは私一人では手術できないので、近隣の産科医に応援を要請しなければなりません。しかし、応援の医師を待っている間に、赤ちゃんがこれ以上出てしまったら、赤ちゃんだけでなく、お母さんの命まで危ない。このまま、お母さんを守り、赤ちゃんを諦めるか、一か八かで応援の医師を待ち、手術をするか、どうしますか?」。私は、医師のその言葉を聞き、正直、長女の命を諦めました。しかし、妻は応援の医師を待ち、手術を受けることを望みました。

 応援の医師が駆けつけたら、すぐに緊急手術を始められるように、妻が分娩室から手術室へと運ばれていく最中…、妻が手術室に姿を消し、一人、その手術室の前の廊下で立ち尽くしている間…、「3分経ったら教えろ!!」、「何分経った?!」、「絶対に間違うな!!」、医師が看護師に指示する、その切迫した言葉の一つ一つが手術室から廊下にまで漏れ、それを目を閉じながら聞き、心が握り潰されそうだったその瞬間…。私は祈りながら、ある言葉を求めていました。

 その時、私にとっても、妻にとっても、そして、生まれて来ようとする長女にとっても、最も重要であり、最も必要であった、その言葉。医師が私たちに対し、宣言してくれなかった、その言葉。そして、これまで、病者訪問の際に、共に祈った方に、私が口にできなかった、その言葉。

 主イエスは、その言葉を、それを最も必要としている人々に対し、迷いなく大胆に語り、宣言します。「タリタ、クム!(少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい)」と。今、私の心に、この言葉は「大丈夫。心配ない。私がいるから何があっても大丈夫!」と聞こえます。

 この世に生きる全ての人々に必要な、この言葉。しかし、誰もが簡単に口にできるようなものではない、この言葉。この世界に、一体、何人、「大丈夫。心配ない。私がいるから何があっても大丈夫!」と、私たち一人ひとりに語ってくれる人がいるでしょうか?そして、ただ言葉だけでなく、現実にも、それを実現してくれる人が…。

 妻が手術室に姿を消して15分後、応援の医師が駆けつけ、何とか、長女が無事に生まれ、妻も翌日の午後、目を覚ましました。目を覚まし、少しやつれた妻は、私に、こう言いました。「赤ちゃん、大丈夫?」と。私は「大丈夫。心配ない(タリタ、クム)」と答えると、妻は、心から安らぎを得たような笑顔を浮かべました。

 やはり、全ての人々にとって、神様からの「大丈夫。心配ない(タリタ、クム)」という言葉は希望の言葉であり、救いの言葉なのです。

司祭 ヨセフ 下原太介
(上田聖ミカエル及諸天使教会牧師、福島教会管理牧師、聖ミカエル保育園園長)

野村潔司祭、逝去

 去る9月10日、野村潔司祭ががんのため逝去されました。63歳でした。一昨年肺細胞腫を患い、大きな手術をしましたが、無事に乗り越え復帰されました。しかし、今年に入り肺にがんが見つかり抗がん剤の治療を行い、更には食事療法などの治療を試みていた矢先の逝去でした。

 野村司祭は1980年から名古屋学生(青年)センターにおいて中部教区での働きを始められました。野村司祭と言いますとすぐに学生センターが思い浮かびます。センター活動を盛んにし、現在の建物を建築したのも野村司祭の時でした。センター活動の性格上、社会的な働きが多かったと思いますが、それは野村司祭が教会の働きとして目指したものでもありました。

 天皇制のこと、部落差別問題のこと、沖縄のこと、フィリピンとの関わり等、これらの活動は今では当たり前のように教区内に位置づけられていますが、当初はなかなか理解が得られず、教区会などではかなり議論があったことを記憶しています。野村司祭が忍耐強くこれらの活動の必要性を説いていたことを覚えています。

 また、教区の組織的・行政的な働きに対しても野村司祭の手腕は発揮されました。かつての宣教事業委員会の立ち上げ、そして、現在の「運営会議」体制も野村司祭が中心になり作り上げたものです。

 しかし、野村司祭の働きは社会的なこと、組織的なことだけに限られていたわけではもちろんありません。牧会者としていくつかの教会の牧師・管理牧師をされ、信徒や教会に関係する人たちに大変丁寧に関わって来られました。また、教誨師という細やかな配慮が求められる働きにも長年にわたり誠実に関わって来られました。

 野村司祭の働きに感謝し、魂の平安を心よりお祈りします。

広島・長崎原爆記念礼拝

 8月5日~9日、広島平和礼拝、長崎原爆記念礼拝に参加してきました。5日は広島復活教会で被爆証言を聞き、グループで分かち合いをし、その後、平和公園内の原爆供養塔前でのカトリック教会との合同の祈り。引き続き、カトリック世界平和記念聖堂まで平和行進をし、記念聖堂において「平和のための祈りの集い」が開かれました。カトリック、聖公会に加えて世界教会協議会(WCC)の巡礼団も参加しての祈りでした。チベット僧の声明もありユニークな礼拝でした。

 6日は午前8時から広島復活教会で平和祈念礼拝。8時15分の原爆投下時刻には犠牲者の方々に思いを馳せ、しばし黙祷を捧げました。〝もし今この時が70年前の8月6日だとしたら〟…そんな思いがよぎりました。

 9日は長崎聖三一教会での原爆記念礼拝でした。11時2分の原爆投下時刻には窓が開けられ外の音を聞きながらしばらく黙祷。長崎港に停泊中の船から鳴らされた汽笛が印象的でした。

 二つの礼拝に参加し、改めて原爆の悲惨さ、そして、平和の大切さを痛感させられました。長崎では被爆者の方が体調不良のため礼拝に来ることができず証言を聴くことができませんでしたが、70年の時の長さを感じさせます。しかし、70年経っても原爆被害の傷跡は癒えませんし、消えません。福島の現状も併せて考えますと「核」はやはり恐ろしいものであり、この地上に必要ないものなのです。

 韓国の主教さんたちもこれらの礼拝に参加されました。韓国の方々は先の戦争について、また原爆について、おそらくわたしたち日本人とは異なった思いがあることでしょう。しかし、原爆被害者のため、平和のために共に祈りを捧げてくださったことは大変感謝でした。

『網を降ろしなさい』

 秋の味覚の季節、多くの恵みに与る季節を迎えています。豊橋には日本一の生産量を誇る次郎柿があります。収穫ができるようになって100年が経ちます。松本次郎吉さんが、1844年(弘化元年)に幼木を見つけ、豊橋に植えたのが始まりとのことです。「柿が赤くなれば、医者が青くなる」と言われるほど、ビタミンCが(レモンよりも)豊富です。時々牧師館に信徒の方が送られてきた旬の果物を、時には報告書を届けるついでにこれを食べてとか、「魚の配達人でーす」と、ご主人の釣果の魚を持ってきてくださったりなど、山海の恵みに与る機会があります。その一つ一つが人々の手によってもたらされ、さらなる恵みに気づかされます。信徒の皆さんは、季節の恵みを届けるだけでなく、あなたは神様の恵みに生かされ、それに応えて教会の業に励んでくださいね、と祈ってくださっているように思います。

 ルカ福音書5章には漁師たちを弟子に招くイエス様がいます。イエス様は漁師に「網を降ろしなさい」と声をかけますが、その時漁師たちは「夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と疲れ切っており、イエス様のみ言葉を聞く状況ではありません。けれどシモンは、イエス様から自分の姑が苦しみから癒されたことを聞いていたのでしょう(4章)。それならば、と網を降ろします。するとおびただしい魚がとれました。シモンはこの収穫を見て、有頂天にもならず、やっと苦労が報われたとも言いませんでした。「主よ、私は罪深い者です」と、悔い改めに導かれます。「網を降ろしなさい」という言葉はギリシャ語では「カラサテ(カラソウ)」が用いられています。降ろすとか、緩めるという意味に使われます。自分たちの収穫だけに目を向け、思いっきり力を入れて引っ張り上げることばかり考えてしまったり、こっちの方に収穫があるのではと、あらぬ方向に網を降ろしたりしてしまう私たちです。力を緩め、それぞれに与えられた賜物である網をイエス様のみ言葉に身をゆだね、降ろす時、シモンのように神様の恵みに包まれ生かされている私がここにいる、ということに導かれることでしょう。なぜお弟子さんたちの中に漁師が多いかは、イエス様しかご存じありませんが、自分の力ではどうしようもなく、イエス様によって、ただ恵みに生かされている自分であることを一番知っていた人たちではなかったかと思います。

司祭 マルコ 箭野眞理
(豊橋昇天教会牧師、豊田聖ペテロ聖パウロ教会管理牧師)

「安全保障関連法」の強行採決に抗議し、断固廃止を求めます

内閣総理大臣 安倍 晋三 様

「安全保障関連法」の強行採決に抗議し、断固廃止を求めます

「戦争法案絶対廃案」の声が日本中に渦巻き、世論調査でも「反対」が「賛成」を上回る中、政府は9月17日参議院特別委員会で、9月19日参議院本会議で安全保障関連法案の強行採決を行いました。
この間、国内では法案への反対や不安の声が広がり、説明不足が叫ばれ、理解が得られない中、強行採決に踏み切ったということは、安倍政権は民意を無視し、国会を軽視し、民主主義の根幹を揺るがすようなことをしたということです。いまや日本の立憲主義と民主主義は史上最大の危機を迎えたと言えます。
一内閣の解釈変更と立法手続きだけで、実質的改憲と憲法破壊をしてしまったことに恐ろしささえ感じます。
わたしたちは安倍政権が掲げる「積極的平和主義」は「戦争で平和を創る」ということであり、集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法案は憲法違反であるということから強行採決に抗議するとともに、安全保障関連法の廃止を断固求めます。
わたしたちは、「平和を実現する人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイによる福音書5章9節)とのみ言葉に生きる者です。戦争が平和を実現することは決してありません。
わたしたちは、憲法違反の法律を認めません。重ねて安全保障関連法の廃止を断固求めます。
以上

2015年9月20日

宗教法人日本聖公会中部教区 宣教局社会宣教部

軽井沢ショー記念礼拝堂聖別120周年

9月6日(日)、軽井沢ショー記念礼拝堂聖別120周年記念聖餐式(兼:長野伝道区合同礼拝)と記念式典が軽井沢ショー記念礼拝堂にて、祝賀会がホテル音羽ノ森にて行われました。

詳しくは中部教区Facebookにて。

「聖書に親しむ会」についてお知らせ

中部教区センターでは、毎月1回、「主教と共に聖書に親しむ会」を開催してきましたが、9月より名古屋近辺の教役者の持ち回りで開催することになりました。9月24日(木)は後藤香織司祭、10月22日(木)と12月17日(木)は田中誠司祭、11月26日(木)は渋澤一郎主教が担当します。毎回完結した内容です。申込は不要ですので、どうぞお気軽にご参加ください。

『礼拝堂の掃除』

この夏、困った珍事件が起きました。例年にない猛暑が続いた日の朝、礼拝堂を開けに行くと、祭壇の周り一面に木屑が散乱しているのです。古い建物ですから、尖塔の下などは風の強かった翌朝にはホコリや吹き込んだ枯れ葉が落ちていることも少なくないのですが、こんな惨状は初めてでした。嫌な予感が頭をよぎり、お世話になっている大工さんに診てもらうと、案の定原因はアリ(シロアリではなく腹部の赤い大型のアリ)の大量発生によるものでした。早速殺虫剤などを用いて駆除作業に取り掛かると、天井板の隙間から次々と落下…、元気なアリは床に落ちても礼拝堂のあちこちへと逃げ回り、掃除機を手に汗だくになりながら、おそらく数千匹のアリと格闘する羽目になりました。お陰で現在は沈静化した模様で、結果として礼拝堂の隅々まで綺麗になり、来訪者からは「掃除が行き届いて気持ちがいい」とお褒めの言葉までいただきました。

当教会に赴任した年の忘れられない出来事があります。礼拝堂入口の机の上に常設してある来訪者ノートに、ある日このような書き込みがありました。「テレビで観るより古く、がっかりです。整理整頓して下さい。」本当にショックで、嫌がらせかと怒りの気持ちさえ禁じ得ませんでした。なぜなら毎日欠かさず掃除をしていましたし、同日の続く書き込みには「当時そのままの姿に感動しました。今のまま長く維持していただけるように祈っております。」「こんなチャペルで子供達を挙式させたいと思います。」と気遣いとも思える温かいメッセージが並んでいたからです。

しかし、2年前に協働関係にあるホテル音羽ノ森の社員旅行(宗教施設を巡る旅)に同行した折、ある気付きを与えられました。最初に名古屋聖マタイ教会を表敬訪問した後、伊勢神宮に立ち寄り、目的地である京都では金閣寺や清水寺など代表的な寺院を訪問しました。2月の真冬であったにも拘らず、どの寺社も観光客で賑わっていましたが、(有料とは言え)何よりどの施設も内部だけではなく境内地も整然と手が入れられ、何とも言えない清々しく凛とした空気に包まれていました。その時以来、もしかしたらあの書き込みをした人は、そのような空気を求めていたのかもしれないと思うようになり、完璧にという訳にはいきませんが、出来る限り心を込めて掃除をするようになりました。

仏教では、僧侶の修行の基本中の基本はお経や座禅よりも、まず掃除であると聞きます。それは一見おろそかにされがちな掃除が、実は心を磨き豊かな人格を養うために、絶対不可欠な要素であるとの考えからだそうです。そしてそれはキリスト教をはじめ、すべての宗教にも相通ずるものがあるように感じるのです。

私たちの教会は、今年礼拝堂聖別120周年を迎え、9月6日には記念礼拝を長野伝道区合同礼拝として行うことになっています。聖霊の宮とも言われる教会に集ってくださる方々が、少しでも爽やかに気持ちよく祈りと賛美をささげられるように、喜びをもって準備していきたいと思います。

司祭 テモテ 土井宏純
(軽井沢ショー記念礼拝堂牧師、新生礼拝堂管理牧師)