最近、年のせいか声の出が悪くなって困っています。加齢によって声帯も縮むとどこかに書いてあったような気がしますのでそのせいかもしれません。イースターには聖別祷の途中でおかしくなり往生しました。できるだけしっかりと声を出そうと心掛けている昨今です。
ですから、声が良く出ている方はうらやましく思います。しかし、あまり出すぎるということも時には困ることもあります。殊に、礼拝において一人だけ大きな声で唱えられますと、礼拝がその人に引きずられてしまうということがあり、礼拝の調和が少し乱れることがあります。聖歌も同じです。一人だけが大きな声で歌いますと、やはり礼拝の調和が乱れます。みんなが心を一つにして神様を礼拝するためにはやはり他の会衆と同じテンポや声の高さが求められるでしょう。
そのためには回りの声が聞けなければなりません。かつてある方から、聖歌を歌うときには回りの声を聞きながら歌いなさいと教えられたことがあります。自分が歌っているときに他の人の声も聞くということです。一生懸命すぎると他の声は聞こえません。回りの声が聞けるということは自分の声が図抜けていないということのバロメーターにもなるのです。お祈りも同じです。礼拝は大きな声でというのは間違いではありませんが、大きすぎると礼拝の妨げにもなるのです。少しくらいボリュームを下げても神様はちゃんと聞いてくださいます。
立教大学の名物チャプレンであった竹田鐵三神父さんの遺稿集の中に、「公同の祈りは聖歌で声に自信のあるのがひとりで大声で歌うと全体の気分を壊すようにお祈りも皆と一緒に平凡な声、平凡なアクセントで祈るのが上々」とあったのを思い出しました。
渋澤一郎
中部教区報「ともしび」に掲載された、渋澤一郎主教による連載エッセイや巻頭メッセージをご覧いただけます。
「保育園を考える」
このところ教区内の幼稚園・保育園では国の“子ども・子育て支援新制度”の施行が迫り、“施設型給付”制度に移行するのか、従来の“私学助成”に留まるのか、なかなか明確な方向が見い出せず苦慮しています。国の方向がしっかりと定まっていないことにも起因しているようです。いずれにしても、子どもたちにとって、園にとって最良の選択は何なのかを考えながら最終的な結論に向かうことと思われます。
その話し合いの中でふと気になったことがありました。それは保育園(所)に対する理解です。保育園は子どもを預かり、遊ばせ、食べさせ、お昼寝をさせて返すだけと思っている方がおられるようです。保育園は「保育所保育指針」に基づき、養護と教育を一体的に行い、保育に欠ける子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図り、家庭や地域の様々な社会資源とも連携を図りながら、保護者に対する支援や地域の子育て家庭に対する支援等を行う役割を担っている施設です。従いまして、保育園は子ども・家庭・地域の三者と大変深い関わりを持っているのです。なおかつ、女性の積極的な就労推進のための役割も果たしているのです。また、教会の宣教的な働きにも大きく関係していると言っていいでしょう。
保育園は子どもの大切な成長を幼い時から見守り、支援し、合わせて家庭や地域とも連携を取りつつ社会に奉仕する場なのです。0歳で入園した子どもがはいはいをし、言葉をしゃべり、歩きはじめ、友だちと人間関係を作りつつ、成長して卒園していく姿を見ることほど感動的なことはありません。保育園はただ子どもたちを遊ばせているだけではないのです。
かつて保育園に関わった者として一言書かせていただきました。
「喜んでささげる」
一昨年の教区会で「中部教区基金造成のための募金の件」が決議され、2013年4月から募金が開始されております。今年の6月末までに約1、500万円余りの献金が捧げられました。大変感謝です。募金委員の皆様にも各教会へのアピール等、御苦労いただいておりますこと感謝いたします。目標が1億円ですので皆様にはもう少しのご協力をいただかなければなりません。
募金の目標を改めて確認いたしますと、(1)教役者育成のため、(2)教区の新しい宣教活動のため(可児の働きも含めて)、(3)各教会の修改築等のための貸付金造成のため、となっています。改めて申し上げるまでもなく、いずれも現在教区にとって緊急の課題です。
そのような状況を考えますと、どうしても基金の造成は必要になってくるのです。教区としても宣教事業等によって資金の造成・確保を行っていますが、やはり信徒の皆様からの献げものは何といっても教会活動の基本となるものです。
募金項目の一つに「各信徒は一人ひとり主から受けたものを喜んで捧げられる額とする」とあります。この募金は強制でも割り当てでもありません。主から受けたものを喜んで主に捧げるという、献金本来の意義を表すものなのです。
パウロは献金について「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」(コリント二9:7)と言っています。
喜んで与えるということは単に献金を捧げるということではなく、各自の信仰の表現でもあります。不承不承でもなく、強制されてでもなく、自分にできる範囲で喜んで捧げるということが神様に喜ばれることなのです。
引き続き皆様のご協力をお願い申し上げます。
『洗礼から陪餐へ』
洗礼から陪餐へ…洗礼の意義の再確認
去る5月27日から開催された日本聖公会第61(定期)総会において、「日本聖公会祈祷書一部改正の件」が決議(協賛)されました。改正の主たる文言は、「洗礼を受けた者は陪餐できる」です。現在の祈祷書では「堅信を受けた者は陪餐することができる」となっていますので、原則的に堅信を受けなければ陪餐できませんが、今回の決議により「洗礼によって陪餐できる」ということになります。
祈祷書の教会問答には、「キリストがすべての人の救いのために福音のうちに自ら定められた聖奠は何ですか」という問いがあり、答えは、「洗礼と聖餐です」とあります。つまり、すべての人の救いにとって必要な聖奠は「洗礼と聖餐」なのです。ですから、洗礼を受けた人が堅信を経ることなく陪餐できるということは自然なことといえます。
この改正のポイントは堅信の意義を後退させたということではなく、洗礼の意義の重要性を再確認したということです。わたしたちはだれでも洗礼によって神の子とされ、神の民に加えられ、イエス様の聖餐にあずかることができるのです。
堅信の必要性
では堅信は必要ないのでしょうか。全くそうではありません。堅信は改正の文言にもありますように、「聖霊により日々強められ、この世に遣わされる」ために必要な大切な聖奠的な式なのです。「洗礼さえ受けていれば堅信は必要ない」ということでは決してないのです。洗礼を受けたキリスト者はこの世に遣わされて、この世でキリスト者として生き、キリストを証し、宣教の業を行っていきます。そのためには聖霊による強めや促しが必要になってきます。その強めをいただくのが堅信式になるのです。ですから、受けても受けなくてもいいというものではなく、この世界でキリスト者として生きて行くために必要な式なのです。
わたしは「洗礼・陪餐・堅信」を一体のこととして理解する必要があると考えます。ですから、現在もそういう場合が多くありますが、洗礼と堅信が同時に行われ、そして陪餐という形が理想的とも言えるでしょう。もちろん、それが事実上不可能な場合もありますが、仮に、「洗礼→陪餐」の場合でも、洗礼の後、出来るだけ早い時期に堅信式が行われるべきであると考えます。
これからの方向
今回第1回目の決議(協賛)がなされましたが、祈祷書の改正は総会で2回の協賛が必要になります。次の総会までの2年間で様々な課題を解決しなければなりません。たとえば、現在受聖餐者の定義、統計表のこと、幼児の陪餐年齢について、幼児の時に洗礼を受け成人になっている人の陪餐はどうするのか、法規の改正、献金の問題、他教派からの人たちの場合、等々いろいろあります。
それらの課題を整理し、ある一定の方向付けをしてから実際には施行されることになります。主教会でもこの問題に対する教書やガイドラインが必要だと考えています。Q&Aも必要でしょう。この2年間で改正の意義と課題を周知徹底し、皆様にご理解をいただきながら施行へと向かうことになります。
主教 ペテロ 渋澤一郎
「一つの修女会の発展的解消」
日本聖公会第61(定期)総会が先日終わりました。37の決議がなされましたが、その中に「神愛修女会の今までの働きに感謝する件」という決議がありました。
日本には聖公会の修女会が2つありました。「ナザレ修女会」と「神愛修女会」です。その神愛修女会が昨年の11月10日の礼拝をもってその活動を終えたのです。修女さんの減少(お二人だけ)と高齢化のためです。いままでの活動に対して日本聖公会として感謝の意を表しました。とは言え、一つの修女会がなくなってしまったということは大変寂しいことですし、残念なことです。
神愛修女会は、戦後、聖ヨハネ修士会の木村兵三神父を中心に群馬県の榛名で誕生しました。当時、結核保養施設であった「榛名荘」(現在は立派な施設に変貌している。)での看護と、幼児教育を中心にして修道生活が行われました。
その後、南紀(和歌山県上富田町)に活動の場を移し、特別養護老人ホームを設立し社会福祉にも活動を広げました。老人ホームの設立に際して、県関係者からは、「あなたがたのような人が設立してくれたら老人たちは喜ぶでしょう」と勧められたとのこと。地元の人たちも「修女会だから」と言って協力を惜しまなかったそうです。その活動は現在も継続されております。
しかし、修女さんたちの減少と高齢化はいかんともしがたく、昨年、修女会自体の活動は停止せざるを得なくなったのでした。京都の主教さんは、修女会は解散したが「修女会だから」という精神はその地に残るのであり、「発展的解消」と理解したいと言っておられました。長い間のお祈りと働きに感謝します。いつの日かその精神が復活することを願いつつ…。
「新館長と森巻耳先生」
「ともしび」5月号で紹介がありましたように、この4月から教区関連施設の責任者に新たに何人かの方々が就任されました。いろいろ御苦労もあるかと思いますがお働きの上に神様のお導きをお祈りいたします。
その中で、岐阜アソシア「視覚障害者生活情報センターぎふ」館長に山田智直さんが就任されました。山田さんはご本人も書いておられますが全盲の視覚障がい者です。
岐阜アソシアの前身である岐阜聖公会訓盲院の初代院長は森巻耳先生(伝道師)です。森先生は岐阜聖パウロ教会の信徒で、眼病のため失明されましたが、当時岐阜で伝道していたA・F・チャペル師と共に岐阜聖公会訓盲院を設立し、視覚障がい者の教育や生活の向上のために尽力されました。
森先生はご自分の目が見えなくなったのは「これ皆な神の聖旨なり、吾を盲人社会に用いて神の栄を表わさしむなり」と受けとめ、視覚障がい者の教育と福祉のために生涯を捧げられました。山田館長もその遺志を受け継ぎ、彼自身も書いておられるように視覚障がい者の方々の気持ちを共有し、その方々に寄り添った働きをしてくださることを信じています。
山田館長とはわたしが岐阜聖パウロ教会に赴任してからの関わりですので25年になります。実を言いますと、彼に出会い、彼の明るさと前向きさとバイタリティーにより、わたしの視覚障がい者に対する意識が変えられたのです。彼の言動から、目が見えないことは決してハンディではなく、ただ少し不自由なだけだということ、そして、その不自由さを取り除くことが晴眼者であるわたしたちの務めであり、それが共に生きるということなのだと教えられたのです。山田館長の活躍に期待します。
「平和と日本国憲法」
主イエス様のご復活をお喜び申し上げます。皆様の上にご復活の祝福とお恵みがありますようにお祈りいたします。
ヨハネ福音書によりますと、ご復活されたイエス様の、弟子たちへの第一声は、「あなたがたに平和があるように」(20・19)でした。また、マタイ福音書の山上の説教でイエス様は、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(5・9)と教えておられます。
イエス様の福音の中心的なメッセージの一つには間違いなく「平和」があります。イエス様が逮捕されそうになった時、一緒にいた者が剣(つるぎ)を抜き大祭司の手下に打ちかかりましたが、イエス様は、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう」(マタイ26・52~54)と言われ、剣や軍隊によっては神様の救いが実現されないことを断言しておられます。それは同時に「平和」も武力によっては実現しないということでもあります。
わたしは現在、管区の「正義と平和委員会」の委員長を仰せつかっていますが、この委員会におりますと「平和」ということをいつも考えさせられます。 「20世紀は戦争の世紀」とよく言われますが、日本のことを考えて見ても明治維新の1868年から太平洋戦争敗戦の1945年までのわずか77年間に、「日清」「日露」「第一次世界大戦」「第二次世界大戦(太平洋戦争)」と四つの戦争がありました。
しかし、1945年の敗戦から2014年の今日に至るまでの69年間、日本は戦争をしていません。その一番大きな要因は「日本国憲法」にあると言っていいでしょう。日本国憲法第9条は、「日本国民は、…国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としています。そして、そのために「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあるのです。
改めて読み返してみますと何とも崇高な理念です。日本国民は戦争も、武力による威嚇や行使も「永久に」放棄するというのです。わたしはこの理念はまさに、イエス様の「剣をさやに納める」というお考えに通じると思うのです。
ところが、皆様もご承知のように憲法を「改正」しようとする動きが活発になっています。政権与党である自民党の改憲草案では「武力による威嚇や武力の行使は国際紛争を解決する手段としては用いない」となっていますが、「永久に放棄」するとはなっていませんし、「自衛権の発動を妨げるものではない」となっています。さらに、「国防軍を保持する」ことも明記されています。ですから、集団的自衛権の行使も含め、これは自衛権の発動ですよと言えば、「国防軍」が紛争解決のために出動することになるのです。日本が軍隊を持ち、それを行使する国になるということです。
しかも、その憲法「改正」をよりしやすくするために憲法96条を「改正」しようとしています。憲法改正のためには両院の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票によって改正の手続きに入ります。しかし、自民党草案では両院の過半数の賛成で発議できるとなっておりその基準を引き下げているのです。ということは、政権与党が両院で過半数の議席を占めていると簡単に憲法が変えられるということになるのです。
現憲法の規定に基づき、なおかつ国民の多くの議論を経て憲法改正が行われることを否定するものではありませんが、拙速な方法で日本国の原理・原則である憲法が変えられることは許されることではないのです。
現日本国憲法は「平和」憲法です。この憲法を大切に守っていくことはキリスト者として平和を守るということなのです。5月3日の憲法記念日を迎えるにあたり、わたしたちはあらためて日本国憲法の尊さを認識し、平和を考えなければならないのです。
「聖堂が再建されて」
去る3月1日、東北教区主教座聖堂仙台基督教会の礼拝堂聖別式に行って来ました。東日本大震災の被害のため取り壊されていた礼拝堂がようやく再建され、聖別式の運びとなったのでした。当日は他教区や海外からの出席者もあり、礼拝堂に入りきれないほど多くの方々が集い、加藤博道教区主教司式により聖別式が執り行われました。
説教者の越山健蔵司祭は、「礼拝堂は出来たが、教会は建物ではない。ここに信徒が集い、礼拝や交わりを通してお互いに愛し合うということがなければ教会は存在しない」と語られ、信徒の一致を強調されたのが印象的でした。
思い起こしますと、震災直後に仙台を訪れたとき、聖堂内部は埃にまみれ、壁には亀裂が入っていました。危険な状態ということで礼拝堂を閉鎖し、会館で礼拝を行っていたのでした。わたしも何度か会館での礼拝に参加させていただきました。
礼拝堂再建にはいろいろな意見があったと聞いています。震災復興がまだまだなのに礼拝堂を建てるのか。復興が先ではないか。時期尚早である…等々です。しかし、主教座聖堂の再建は震災復興の目に見える一つのしるし、また、希望でもあり、教区一致の象徴でもあると思うのです。大きな苦難を経験された東北教区の皆様が祈りと交わりと奉仕の場である主教座聖堂を再建し、その聖堂が震災復興の核となっていくとしたらこれこそ神様が望んでおられることではないでしょうか。そういう意味でも礼拝堂が再建されたということは喜ばしいことです。
どなたかが、これからが大事だと言っておられました。私もそう思います。この立派な聖堂が祈りと交わりと奉仕の“垢”がどんどんつくようになることを願っています。東北教区に祝福がありますように。
「小さな事に忠実である」
N司祭が昨年末、胆嚢摘出の手術を受けました。医者によると胆嚢はあってもなくてもいいものだそうです。N司祭がその話をある主教にしたところその主教は「神様が創ったものにあってもなくてもいいものはない」と言われたとのこと。
その話を聞いて渡辺和子シスター著『面倒だから、しよう』の中に「この世に雑用という用はない。用を雑にした時に生まれる」という言葉を思い出しました。シスターは修練時代、修道院で食事の時に食器を並べる仕事を知らず知らずのうちに知的な刺激の少ない単純作業と考えてしまい、ある時、修練長から「あなたは時間を無駄にしている」と注意をされ、自分がいつの間にか不遜な人間になってしまっていたことに気付いたそうです。それをきっかけにお皿を並べる時には一人ひとりのシスターを思い浮かべ、愛と祈りを込めて並べるようにしたとのことです。時間の使い方は命の使い方であり、用を雑にした時に、雑用は生まれるのだということを心に叩き込まれた一コマだったと書いておられます。
神様の働きはなかなか結果の見えない単純作業のようなところがあります。礼拝もそうかもしれません。いつの間にか単純だ、マンネリだ、つまらないと思ってしまうこともあるでしょう。しかし、神様がわたしたちに与えていてくださるものはすべて意味のあることであり、必要のないものは何一つないのです。今自分が置かれている状況や与えられている働きを「雑」と捉えるのか、それとも神様が今自分に一番必要なものとして与えていてくれる大切なものと捉えるのか、その違いは大きいのです。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16・10)のです。
「戦後70年を迎えて」
寒中お見舞い申し上げます。本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、今年は太平洋戦争の終結(敗戦/終戦)から数えて70年目になります。戦後70年という年を迎え、わたしたちは改めて先の戦争に思いを向けたいと思います。日本聖公会主教会では今年の8月、全主教が沖縄に集結して戦後70年を覚え、平和のために礼拝を献げることになっています。また、広島、長崎における平和記念礼拝、原爆記念礼拝にもできるだけ参加することを申し合わせています。また、管区や教区においても70年を迎えての計画が考えられることと思います。一人でも多くの皆様が何らかの形で関わっていただきたいと願っています。
1985年5月、当時の西ドイツ大統領であったヴァイツゼッカー大統領が、ドイツの敗戦40周年を記念して「荒れ野の40年」という記憶に残る演説を連邦議会で行いました。同大統領は「5月8日(ドイツ敗戦の日)を心に刻まなければならない」と言い、そして「心に刻む」とは「ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い浮かべることである」と言っています。
過去の出来事(歴史)、殊に「負」の出来事を思い浮かべることはつらいことです。しかし、その出来事に誠実に向き合わない限りその後の和解や平和はないのです。
日本聖公会は1996年の総会において、「日本聖公会の戦争責任に関する宣言を決議する件」を採択し、戦前・戦中における日本国家による植民地支配と侵略戦争を支持・黙認した責任を認め、その罪を告白しました。
その決議から20年が経とうとしていますが、日本の現状を見るとき、「戦後70年」を今改めて心に刻むことが求められているように思えるのです。