礼拝カレンダー2026年2月

今シーズン最強寒波が到来し、中部教区でも信越地域から豪雪の便りが届きました。
2月の礼拝カレンダーが完成いたしましたので、お知らせいたします。
2月は暦の上では春ですが、まだまだ油断せずに寒さに気を付けて過ごしましょう。

※2/12修正…2/22大垣の礼拝は14:00からです。

礼拝カレンダー2026年1月号

中部教区に連なる皆さま、クリスマスおめでとうございます!
各地どのようなクリスマスをお迎えでしょうか?早いもので2026年1月号の礼拝カレンダーを掲載する時季となりました。教会は礼拝が続きますが、教区センターは本日が年内最後の開館日となりますので、皆さまどうぞよいお年をお迎えください。
教区センターFacebookでは、教区内各地の礼拝の様子をシェアいたしますので、是非そちらもご覧ください。

ギリシャ語とわたし

 ルカによる福音書第16章第1節以下には、「不正な管理人」のたとえという見出しがついています。すると、なにか管理人が不正を働いたと思うかもしれませんが、管理人が不正をしたのでないとも読めます。「不正の管理人」というのは、「不正なものについての管理人」と訳すことができるからです。すなわち、管理人が不正ではなくて、お金持ちの富が不正にまみれているという可能性です。それが前提であると、不正は金持ちの富にあり、この管理人はそれを正そうとしたという読み方になります。この金持ちは、自分の財産を管理人(=家令)に預けて管理させていました。今も資金運用会社とか管財人とか言われる人がいますが、主イエスの時代にも珍しくなかったと言われます。そして、お金持ちの富が不正にまみれているとすると、この管理人はドラマ『半沢直樹』の主人公のような、たとえ小さい事と思われるかもしれないけれども、不正なものがあればそれを拒否するという態度が見えてきます。『半沢直樹』でいえば部下である銀行員が上司の悪い誘いを断りますけれども、私も、組織の中で働いているとやはり長い物にまかれたくなってきますので、なかなかできないのですが、これが正義、神様の御心であれば、それを貫いていくという生き方は魅力があるとおもいますし、自分もそのような行動がとれればと思っていて、この福音書には励まされます。では、どうして「不正の管理人」というのは「不正なものについての管理人」と訳すことができるのでしょうか。ギリシャ語の文法では、属格名詞には、主格的属格と目的格的属格の二つに解釈の余地があり、主格的属格説に立てば「不正な管理人」(管理人が不正である)ということになりますが、目的格的属格説に立てば「不正な」は主体ではなく対象となるので「不正なものについての管理人」となるのです。だから、「不正なものについての管理人」もギリシャ語文法上は正しい読み方の一つなのです。
 聖公会神学院に入学し、一番楽しかったのは、挽地茂男先生のギリシャ語の授業でした。メイチェンのギリシャ語の文法書をとても分かりやすく解説していただいた後、挽地先生から、新約聖書のギリシャ語の勉強ノートを見せていただきました。それ以来、約25年間、毎週の主日の福音書の箇所を日本語ではなくギリシャ語で読みながら、挽地先生の新約聖書のギリシャ語の勉強ノートにしたがってノートを作って、ギリシャ語に親しんできました。挽地先生からは、日本語の翻訳は数ある翻訳可能な翻訳のうちの一例にすぎず、翻訳の可能性は無数にあること、だから、その代名詞は何を指すのか、その単語の本来の意味はなにか、文法的にも別の可能性があるので、それをしっかりと検討することなどを教えていただきました。このような視点で読みますと、翻訳というのは、ラテン語の翻訳も含めて、翻訳者の意図が明確に示されていると思います。福音書を書いた約2000年前の福音記者は、どのような意図をもって聖書を書いたのか、そのようなことに思いを馳せながら、ギリシャ語を読み、説教や宣教に生かしていくことができればと思います。

司祭 ヨセフ 石田雅嗣
(新潟聖パウロ教会 牧師)

礼拝カレンダー2025年12月号

街路樹の紅葉もそろそろ見納めで、いよいよ次主日からはアドベントに入りますね。
各教会でも慌ただしくアドベントのご準備されているのではないでしょうか。
今年もクリスマス礼拝カレンダーを作成する予定にしておりますが、
まずは礼拝カレンダー12月号をご確認ください。

礼拝カレンダー2025年11月号

宣教150周年記念行事も終わり、今は教区会に向けて準備を進めています。
今朝の聖堂の気温はエアコンをつけて20℃でした。信越の教会ではストーブが付き始めるじきでしょうか。皆さま、できるだけ体温調整のできる服装で教会にお越しください。

150周年記念・シンポジウム動画のお知らせ

2025年、中部教区は宣教150周年を迎えました。

先にアップロードしたZoomシリーズ①~③を踏まえ、カナダから来られた宣教師の思いと、現代に続く信仰のすがたを知っていただきたいと思います。

西原廉太主教(中部教区)とリンダ・ニコルス主教(前カナダ聖公会主座主教)とが語り合う、1時間10分の動画です。

動画の下部に書き起こし原稿もございますので、合わせてご覧ください。
(※原稿ファイルの文言を一部修正いたしました。)

シンポジウム「カナダ聖公会から中部教区への贈り物ーアングリカニズムと社会に向けられたまなざしー」

150周年記念のつどい・Zoomシリーズ動画のお知らせ

2025年中部教区は宣教150周年を迎えました。

この記念すべき年に、中部教区のこれまでを振り返り、現在地を確認し、未来に向けて『裸足の宣教』の道を歩みだすためのZoomシリーズが1月、3月、5月に開催されました。

この度、講演会部分の動画が完成しましたのでZoomシリーズによるお話しを是非ご覧ください。

第1回:A.C.ショー司祭(語り手:江夏一彰司祭)
第2回:J.G.ウォーラー司祭(語り手:大和玲子司祭)
第3回:マーガレット・ヤング宣教師(語り手:後藤香織司祭)

主イエスの足元に集い(中部教区宣教150周年の記念礼拝を準備しながら)

 いよいよ、10月12日(日)~13日(月・休)に、中部教区宣教150周年記念礼拝が献げられます。
 礼拝準備チームでは、神様への献げものである礼拝をどう準備するかについて検討してまいりました。150周年を迎える祈りを作成して、年の初めから皆さんに呼掛けて、一緒に祈っていただき、今に至りました。大きな骨組みと言えば、改正祈祷書(試用版)を用いることでした。これまで管区の祈祷書改正委員会が中心になって進めてきた、改正作業の成果を取り入れようという判断からでした。慣れていない新しい言い回しや数多くの祈祷文の選択肢の中から私たちは「150周年に相応しいあなたの御心をください」という祈りを献げながら臨みました。
 礼拝と言えば、集う一人ひとりが心はもちろん、各自の物語(信仰の歴史)を持って神の御前に立つ(イエス様の足元に集う)ことです。各自と各教会や伝道区、そして関連施設を通して、神様の導きの物語が生きていて、信仰の証しが語られる礼拝が献げられたら嬉しいという思いを大事にしながら今日を迎えることが出来ました。宣教師・教役者・信徒さん、先達の方々のお働きがイエス様と共に今も私たちと一緒に呼吸するイメージを描いての礼拝をみなさんと共に献げられることを期待しています。
 夕の祈りではまず、教区内のこどもたちの活動を画面で紹介します。こどもたちや皆が制作した灯り(ランプ)から光を受けて、主の導きのうちに礼拝を始めます。その後、説教の代わりに中部教区の歴史を短く振り返って黙想をする、という進行を考えています。
 感謝聖餐式では英国や米国、そしてカナダ聖公会の伝統を受け継いだ上に、大韓聖公会やフィリピン聖公会との交流があっての中部教区であることを表す為の要素も考えています。それに、教区内の各教会の信徒さんで結成された聖歌隊と豊かな楽器が調和を作る礼拝になることを希望しています。
 中部教区は2001年10月7日~8日に、中部教区フェスティバル「平和への巡礼in 21」を名古屋で開催しました。特に、ユースコーディネーターさんの多大な尽力もあり、青年たちが中心となって教区の全教会をまわった十字架の巡礼のこと、そして「古今聖歌集増補版 ’95」の全聖歌を録音した事を思うと胸がいっぱいになります。毎週土曜日、名古屋聖マルコ教会に集い、クッキーを作り、交通費を備えては十字架を背負って各教会を訪ねました。ところが、私たちは記憶の中でのみ、「確かにそういう時もあったな~」と回想する寂しい終わりにはしたくない想いもあるかと思います。
 あの時から既に二十数年が経ち、私たちはもう一つの節目を迎えています。あっという間に時間が流れ、気づいてみたら大変な局面に向き合っている現実を通して、私たちが挙げたキーワードは「裸足の宣教」です。
 イエス様が、掲げられていた十字架から降ろされ、血まみれになって命をも落とされたまま、お母様に抱かれて、まさしくすべての希望がオールストップしたような寂寞感に満ちていた時を聖書は私たちに伝えています。そうであったからこそ、亡くなったイエス様の足元に集まった極めて少数の人たちが居て、その少数の人たちを通して十字架の救いの道が開かれた事を覚えたいと思います。

司祭 イグナシオ 丁 胤植
(名古屋聖マルコ教会牧師)

御巣鷹山で生涯を終えた親友との「再会」

 この8月末、私が理事長をつとめているキリスト教学校教育同盟の協議会が、京都にある同志社高校を会場にして開催されました。同志社高校は、何と言っても私の母校です。1981年に卒業して以来、周囲を車で回ったことはあったのですが、学校の中に入るのは、卒業以来の実に44年ぶりのことでした。
 協議会は、同志社高校のチャペルで行われましたが、高校生当時、私はまだ洗礼も受けておらず、毎朝の礼拝欠席多数で校長訓戒まで受けたという不届き者でしたので、そんな私が高校チャペルの壇上でご挨拶をしているのも、何とも不思議なことでもありました。
 2010年に校舎などが全面的に改築されたので、懐かしい建物はほとんどありませんでしたが、体育館の壁面に、「四方秀和MEMORIAL」という銘板を発見した時は、胸が揺さぶられました。四方秀和君は、私の同志社高校3年A組の同級生で親友でしたが、1985年の御巣鷹山、日航ジャンボ機墜落事故で亡くなりました。22歳の若さでした。東京の知人に会いに出かけた帰りで、初任給で買ったチェックシャツ姿のまま発見されました。
 「息子の名前をつけた奨学金をつくって、後輩の子が息子のように楽しい高校生活を送る後押しがしたい」というご両親の思いを、私たちのクラス担任であった先生が受けとめられ、ご両親からの寄付金をもとに、1991年、四方秀和君の名前を冠した奨学金がつくられました。「四方秀和MEMORIAL」として、今もこうして彼の名前が同志社高校の中に刻まれていること、そして彼の死後ちょうど40年を経た記念の時に、彼の名前と再会できたことに、思わず落涙してしまいました。
 私たちが、「逝去者記念の式」で祈るように、「世を去った者」と「今なお世にある者」は、このようにして確かに結び合わされているのだと、あらためて告げられた瞬間でもありました。