9月17日(日)、18日(月・休)の2日間、上田聖ミカエル及諸天使教会を会場にして、中部教区研修会が開催されました。コロナ禍と昨年の台風による延期もあり、実に4年ぶりの対面での教区研修会となりました。私が教区主教に就任してから初めて、信徒、教役者が一同に会しての研修会でもあり、私自身、本当に励まされ、力を与えられた時でした。
昨年の教区研修会で予定していた、私の「ランベス会議報告」もようやくさせていただくことができました。初日夜の教会ごとのご挨拶も非常に盛り上がり、対面での顔と顔を合わせることの重要性を確信した次第です。
2日目には、丁胤植司祭、相原太郎司祭、大和玲子司祭、土井宏純司祭が、それぞれ明快なプレゼンテーションをしてくれました。教区が置かれる厳しい現実を前にして、茫然とせざるを得ませんが、しかしながら、私は今回の教区研修会で、私たちの中部教区には間違いなく夢も希望も可能性も満ち溢れているということを確信しました。
今回のキーワードは「裸足の宣教」でした。この言葉は、2009年に日本聖公会宣教150周年記念聖餐式説教でローワン・ウィリアムズ第104代カンタベリー大主教が語られたものです。「宣教とは、地面の石くれによって、私たちの現実によって、傷つくこと、私たちの足の皮で直に地面を踏むことをも、進んで引き受けるということなのです。キリストの御足は、人間の歩みから生ずる妨げによって汚され傷つけられ、そして最後に拒絶という釘によって傷つけられるのです」(ウィリアムズ大主教)
「今こそ原点に立ち返り裸足の宣教をしよう!裸足とは貧さを示す〈しるし〉。旅の終わりには必ずや足を洗ってくれる誰かがおられるのだ」
これこそが、今回の教区研修会で私たちが共に確かめたことなのです。
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礼拝カレンダー2023年11月
秋の日は釣瓶落としとよく言ったものですが、
いつの間にか日が短くなり、帰宅する頃には辺りは真っ暗になってきました。
着々と季節は移ろいでいきます。
さて、11月号の礼拝カレンダーが完成しましたのでお知らせいたします。
11月は11年ぶりに日本聖公会宣教協議会が清里で開催されます関係で変更が多くなっていますが、ご確認よろしくお願いいたします。
※10/25修正…11/5のマタイ教会聖餐式は司式・後藤司祭、奨励・柳川信徒宣教者。
軽井沢に関する記事
信濃毎日新聞2023年10月18日版に軽井沢に関する記事が掲載されました。
ハンセン病患者への支援を行った宣教師ハンナ・リデルとの関わりについてです。
よろしければごらんください。
偶然にも10月18日は中部教区成立記念日でした。
教区の色々な歴史がこれからも発掘されるよう願っています。
ハンセン病患者救済に奔走した宣教師の証し、軽井沢町で発見 「リデル」の名、刻まれた石造物|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト (shinmai.co.jp)
「やさしいまなざし」
『日本経済新聞』の文化面に「交遊抄」というコラムがあります。私は著名人でも何でもないのですが、お声をかけていただき、先日9月1日に、掲載されました。タイトルは「やさしいまなざし」。森美術館館長の片岡真実さんとのつながりを紹介しましたが、片岡真実さんのお父さんは、私たち中部教区の先達である菊田謙司祭です。以下に、「交遊抄」で書かせていただいた記事を紹介させていただきます。
約250万の発行部数を誇る日経新聞という全国紙に、日本聖公会中部教区、そしてこの9月にちょうど逝去8周年を迎えた野村潔司祭の名も登場したことは、誠に嬉しいことでもありました。
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森美術館館長の片岡真実さんは飲み友だちであり、同志でもある。その出会いは1980年代後半、私が京都大学工学部を卒業し、英国国教会の流れをくむ日本聖公会中部教区の名古屋学生センター主事として赴任したころに遡る。
片岡さんの父は同教区の司祭を務める牧師だった。キリスト教と身近な環境で育った彼女とは、日雇い労働者への炊き出し、偏見や差別に苦しむ人々への支援を通じて会話をするようになった。
その後、片岡さんは大学を卒業して本格的に美術の世界で活動し、私も神学の道に進んだこともあって交流は途絶えていた。片岡さんがキュレーター(学芸員)として海外で活躍する姿を知ったときなどは、うれしい気持ちになった。
再会のきっかけは2015年、共通の恩師である野村潔司祭の葬送式でのこと。「野村先生は常に社会的に弱い立場にある人々に手を差しのべ一緒に行動した」という私の説教を聞き、深く心に響いたとメールを寄せてくれた。教会の果たす役割に悩んできた私が歩むべき道を確かめることができた言葉でもあった。
縁あって今夏の森美術館での企画展で立教大生や教員が協力している。いまも人へのやさしいまなざしを忘れない片岡さんとの対話を大事にしていきたい。
(にしはら・れんた=立教大学総長)
礼拝カレンダー2023年10月
秋と言えどもまだまだ暑い日が続きますが、礼拝カレンダーは10月号が完成いたしました!
各地でイベントなども復活し、礼拝時間が変更となっている箇所がありますのでご注意ください。
※9/21修正…名古屋聖ヨハネ教会10/8の礼拝時間を修正しました。
※9/25修正…長野聖救主は朝の礼拝休止。10/22(日)オープンハウスがあります。
キリスト教と科学
BSA(一般社団法人日本聖徒アンデレ同胞会)から「信徒叢書23」として、拙書『キリスト教と科学』が発刊されました。本書で書き記したかったことは、キリスト教と科学の本来的な近接性です。
西欧においては「科学」と「技術」の間に明確な分岐があり、住み分けがなされていました。「科学」(自然哲学)は「知」の領域として「大学」において担われ、工学で扱うような「技術」はむしろギルドなどの職人の人々によって、しっかりと為されていました。日本には、最初から「科学」と「技術」の峻別は存在しませんでした。私たちも「科学技術」とひとかたまりで呼称し、理解することの方が多いのではないでしょうか。それは、まさに日本が、「知」とは何かという問いや、「神学」と「科学」の歴史的な親密性という文脈を抜きに近代化に踏み出したからにほかなりません。なぜ「神学」ぬき、「工学」ありの学校を西欧では「大学」と呼ばないのかを理解できなかったのです。
ニュートンまでの自然科学者たちが目指していたのは、実は神の存在証明でした。それ以降は、「神」を一切介在させずに、自然や宇宙の成立やシステムを合理的に完璧に説明できる、神学から完全に独立した科学の確立という方向性に向かったことは間違いありません。いわゆる「科学万能」の世界です。しかし、ビッグバン理論など、現代科学の一つの結論は、宇宙発生以降、生命発生以降のプロセスについては科学によって説明可能であるけれども、では、そもそもビッグバンがなぜ起こったのか、原初の生命がなぜ発生したのかについては「分からない」と言わざるを得ない、ということです。
現代科学によって、すべてを説明することはできません。そして、そこにおいて、神学が貢献すべき領域と責任は限りなく大きく、深いのです。
礼拝カレンダー2023年9月号
礼拝カレンダー9月号が完成しましたのでお知らせいたします。
8月は大型の台風の上陸や猛暑が重なりましたが9月は過ごしやすい気候になることを切に願っています。また、9月17日・18日は教区研修会(於:上田聖ミカエル及諸天使教会)が予定されています。
※9/12修正…9/17長野聖救主教会の8:00の聖餐式はありません。