いつくしみ深き

 戦乱や疫病によって荒廃した15世紀ロシアの村。一人の少年がいました。鐘造り職人の父を失った彼は、「鐘造りの秘訣を知っている」と人々に呼びかけ、新しい鐘の鋳造の指揮をとることになります。少年は皆に協力を求め、仲間と懸命に働きます。
 困難を乗り越え、ついに鐘は完成します。多くの人々が見守る中、鐘は鳴り響きます。完成を見届けた少年は倒れこみ、涙を流し続けました。実は彼は、鐘造りの秘訣など、父から何も教わっていなかったのでした。
 これは、私が20代のころ観た映画『アンドレイ・ルブリョフ』の中の一場面です。
 当時私が通っていた大学院のゼミに、ロシアからの留学生の女性がいました。皆で昼食をとっているとき、私はその映画の話をしました。
 その際、正教会の信徒であり、いつも穏やかな表情をしていた彼女が、急に真剣な顔をして私にたずねました。
「その少年は、なぜ鐘を造ることができたと思いますか」
 当時まだ信仰を持っていなかった私は、そのまなざしに動揺しながら、「わかりません、どうしてだか」とだけ答えました。彼女はそれ以上何も聞きませんでした。少し眉をひそめて、眩しいような表情をしただけでした。
 あれから20年経ち、病院チャプレンとして多くの患者さん達と出会い、看取り、別れてゆく経験を続けていく中で、彼女の問いかけの意味が、わかってきたように思います。
 あの少年も、私もまた、ただ主のご恩によってのみ、仕事にとりかかり、取り組み、終えることができる。その方なしには、私たちは何一つできず、誰一人支えられない。私たちはただその方に、手で持ち運ばれ、用いられる器。
 でもその方は、私たちをその場所に遣わされ、どんな苦しみのさなかにも、いつくしみをもって守られる。そして多くの人々と出会わせ、そのみ業をなしとげてくださる。
 留学生の彼女は、信じて生きることと働くことの、不思議と喜びを、私に伝えたかったのだと思います。
 病院の職員は、患者さんが亡くなり、お見送りの祈りをする際に、「いつくしみ深き」(聖歌第482番)を一緒に歌います。多くの人が知っているメロディですので、初めてのご家族でも、つぶやくように歌ってくださいます。
 病床で出会い、ご一緒に日々を過ごした人と別れるのはつらいことです。時には、この歌をもうこれ以上歌いたくないとさえ思います。
 でも、この不思議な歌をお見送りの部屋で歌うたびに、悲しみの底にいるご家族のそばに、そして立ち会う私自身のもとに、静かに、主のまなざしと優しさが満ちていくように思います。そして世を去ったその方と私たちは、いつか再び出会い、抱き合って喜び祝う時が与えられるのではないかと感じられるのです。
 なぜ少年は、鐘を造ることができたのか。なぜ私は、この命と死の現場に立ち会わせていただいているのか。それはわかりません。主よ、わからないから私は、あなたのいつくしみにゆだねます。
 私たちは、少年の造った鐘が鳴り響くのを、必ずいつか、愛するすべての人たちと一緒に、聴くことになるでしょう。「いつくしみ深き 友なるイエスは 変わらぬ愛もて 導きたもう」(同聖歌3節)。
 ウクライナに、ロシアに、日本に、そしてこの地上に、平和がありますように。

司祭 洗礼者ヨハネ 大和孝明
(新生礼拝堂牧師)

北信五岳のもとで

長野県に赴任して2年が過ぎました。新生病院のある小布施町は、山あいの、花に囲まれた里といった感じのところです。病院からは、地元の人から「北信五岳」と呼ばれる山々を眺めることができます。飯綱山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山。それぞれが美しく、個性的な姿かたちをもっています。

堂々と佇んでいる、山の姿。季節ごとに変わりゆく緑に彩られつつ、変わることのない、その安定に魅かれます。山々はまるで、イエスの弟子達のように、私には感じられます。復活のイエスに出会って人生を変えられ、生きることの確かな拠り所を得て、信仰の旅路を歩き通した、諸先輩の姿のようにみえてくるのです。

私はこの山々のもとで、病院のチャプレンとして働いています。「病気と向き合っている患者さんやご家族と過ごす」という役割をいただいたことを、私は嬉しく思っています。その一方で、慌ただしい毎日の中、ふと自分が、足元ばかり見つめて歩いていることに気付きます。

夕の祈りを終えて職場を出るとき、「今日の働きを終えることができた」という安堵感と共に、今日病棟で出会った人や、見送った人のことを思います。交わされた言葉や、共に過ごした時間を思い起こし、「あれで良かったのだろうか」「こんな挨拶をしてみよう」「明日はどうしようか」などとあれこれ考え、頭がいっぱいになったまま家路につくことも少なくありません。

しかし、私の思いを越えて、目の前には、広々とした夕暮れの山脈の景色が広がっています。鳥の鳴く声が聞こえて、
顔を上げると、山々が雲をまとって、遥か向こうから見下ろしています。何も言わず、穏やかに、その場所にそれぞれに在り続ける山々の姿が、私の気持ちを解きほぐしてくれるのです。

かつて新生療養所(新生病院の前身)で看護師長を務めていたカナダミッションの宣教師、ミス・パウルは、「目を上げて、私は山々を仰ぐ」(詩編第121編1節)から始まる詩編を好んでおられたそうです。同じ景色を、ミス・パウルも眺められたのかと思うと、この場所で患者さんの看護のために人生を捧げた彼女に、時を越えた親しみをおぼえます。

6月より礼拝が再開し、信徒の皆様との祈りの時間が再び持てるようになったことは、心からの喜びです。夕の祈りに参加してくださる方々にも、力をいただいています。北信五岳のような確かさに憧れつつ、決してそうはなれない私ですが、本当はいつも、確かな存在に、そして信仰の家族である兄弟姉妹や、職員、ボランティア、患者さんやご家族など、沢山の人達に手を引かれて歩いているのです。

今日も私のことを、笑顔や嬉しそうな顔、苦しみに満ちた顔、悲しい顔、怒った顔、寂しげな顔など、様々な表情で迎えて下さる方々が、待っています。生きることの確かさは、やはりそれらの方々と一緒に、一日を精一杯過ごすことから生まれてくるのでしょう。

感染症の流行や大規模な自然災害が、今世界中の人々を恐れと不安の中に巻き込んでいます。しかし、目を上げて、「わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」(詩編第121編2節)という願いを持ち続け、皆様と手を取り合い、歩んでいきたいと思います。

執事 洗礼者ヨハネ 大和孝明
(新生礼拝堂牧師補、新生病院チャプレン)