礼拝カレンダー2023年12月

教区会も終わり、教会歴もいよいよ降臨節前主日を過ぎ、年末感が漂ってきました。
12月の礼拝カレンダーが完成しましたのでお知らせいたします。コロナ禍で中止していたクリスマス礼拝カレンダーも今年は作成しましたので、合わせてご確認ください。

中部教区ポータルサイト開設のお知らせ

中部教区デジタル部は、デジタル技術を生かして教区の諸課題に取り組むことを目的として、昨年の教区会以降に新設されました。部内で検討した課題の一つに、教区や管区からのお知らせがなかなか信徒に行き届かない、というものがありました。おそらく皆様の教会におきましても、管区などからのニュースレターが受付に置かれていても、なかなか手にとって見ることができない、ということがあると思います。

 そこで、デジタル部では、こうした不便を解消するため、中部教区の信徒向けにポータルサイトを開設することにしました。ポータルサイトとは、インターネット上に広がっている情報に容易にアクセスするための入り口のようなものです。

 中部教区ポータルサイトでは、スマホひとつで、教区報「ともしび」のバックナンバーを読んだり、中部教区に関連する動画を視聴したり、管区のニュースレターを見たりすることができるようになっています。ぜひご活用ください。

http://chubunskk.3rin.net/

 ポータルサイトにはパスワードをかけています。その理由は、検索サイトなどによる不特定多数のアクセスを避けるためです。各教会でのパスワードの共有方法ですが、サイトに掲載されている内容は、「教会の受付に置いてあったり掲示板に貼ってあったりするもの」と理解できますので、たとえば週報などでお知らせいただいても問題ありません。(ウェブサイトへの掲載はご遠慮ください。)

 このポータルサイトは完成形ではありません。皆様が使いやすいように随時更新して改善していきますので、ご要望などがありましたらデジタル部(連絡先:中部教区センター)までご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします。

クリスマス礼拝(岐阜)

12月24日(日)午後7時から
9つの日課と聖歌によるクリスマスイブ礼拝
*キャンドルの光の中での礼拝です。
司式・説教:牧師 司祭 ヨハネ 相原太郎

12月25日(月)午前10時半から
降誕日聖餐式
司式・説教:司祭 ヨハネ 相原太郎

礼拝はどなたでも自由に参加できます。事前連絡も不要です。

オルガニスト研修会のお知らせ

礼拝音楽部からオルガニスト研修会のお知らせです。

教区のオルガニスト研修会が、前回の愛岐伝道区に続き、12月16日(土)稲荷山諸聖徒教会を会場に行われます。
添付チラシをご覧いただき、対象の方にご案内いただけますようお願い致します。
(殊に新潟、長野伝道区。各教会へは中部教区センターよりFAXでお知らせ済み)

課題聖歌は、申込みの際にどの曲を弾かれるか希望を伺います。
(シーズンですのでクリスマスの時期の曲となっています)
また、聴講のみの参加も大歓迎とのことです。

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(マタイによる福音書第14章27節)

 この度、保育士の資格とともに、幼稚園教諭1種免許状をいただくことになりました。これは、昨年、愛知県豊田市にある幼稚園の園長先生をはじめ教職員の皆様のご理解とご指導のもと、保育の仕事をすることのできた賜物です。神様の恵みに感謝するとともに、子どもたちを含め幼稚園の皆様のやさしさに感謝いたします。この経験を活かしまして、いま、新潟市にある公立の病院で入院中の子どもたちの保育のボランティアをしています。しかし、公立ですのでキリスト教の話は一切できませんから、今までとは全く違った環境です。それでも、お母さん、おばあちゃん、子どもから、将来の不安というか、そういうことを「聴く」機会もあり、寄り添うことしかできませんが、言葉ではなく「体」で、「聴く」という態度で、神様からいただいたミッションを果たすということができればと思っています。
 イエス様は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」という御言葉を、湖の上を歩くイエス様を見て驚く弟子たちに向かって話されました。「イエス様が湖の上を歩く」とはどういう意味があるのでしょうか。私はこれは比喩だと思っています。五千人への食事と同じようにです。
エミール・ブルンナーという神学者はこう言っています。イエス様の復活について、「彼らは嵐の湖で沈みかけているように見える人間になぞらえられる。実際はしかし彼らは、沈むことの出来る湖にいるのでは全然なく、溺れることのない浅い湖にいる、ただ、彼らはそれを知らないだけである」。どうでしょうか。イエス様が十字架にかかって死にそして復活しすべての罪ある人びとに聖霊をお与え下さったという出来事によって、
私たちの世界は、沈むと死んでしまう底の深い湖から、けっして溺れることのない浅い湖に変わったということを示しています。「イエス様が湖の上を歩く」とは、もうこの湖は浅いからおそれることはない、安心しなさいということを、身体をもって示しているのです。イエス様の十字架の死と復活によってこの世界が根本的に変わってしまったということ、イエス様のことを信じていようと信じていなかろうと関係なく、いま私たちが生きているこの世界は、浅い湖だということです。しかし、このことに気づいていない人々が多いのです。私も時々「ここは深い湖ではないか、舟が転覆したら、溺れて死んでしまうのではないか、結局、私は救われないのではないか」と不安と恐れを覚えてしまいます。しかし、本当に私たちすべての人は復活によって救われていますから、安心していいんです。怖れる必要はありません。
 これからもお祈りのうちに、イエス様からの「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」の声を聴いていきたいとおもいます。そして、イエス様の復活の意味、この世の湖の底は、イエス様がその上を歩くほど浅い、だから、あなたは、いまここで、ありのままで救われているということを、イエス様のように言葉だけでなく、態度をとおしても、宣べ伝えていきたいと思います。

司祭 ヨセフ 石田雅嗣
(新潟聖パウロ教会牧師)


今こそ〈裸足の宣教〉を

 9月17日(日)、18日(月・休)の2日間、上田聖ミカエル及諸天使教会を会場にして、中部教区研修会が開催されました。コロナ禍と昨年の台風による延期もあり、実に4年ぶりの対面での教区研修会となりました。私が教区主教に就任してから初めて、信徒、教役者が一同に会しての研修会でもあり、私自身、本当に励まされ、力を与えられた時でした。
 昨年の教区研修会で予定していた、私の「ランベス会議報告」もようやくさせていただくことができました。初日夜の教会ごとのご挨拶も非常に盛り上がり、対面での顔と顔を合わせることの重要性を確信した次第です。
 2日目には、丁胤植司祭、相原太郎司祭、大和玲子司祭、土井宏純司祭が、それぞれ明快なプレゼンテーションをしてくれました。教区が置かれる厳しい現実を前にして、茫然とせざるを得ませんが、しかしながら、私は今回の教区研修会で、私たちの中部教区には間違いなく夢も希望も可能性も満ち溢れているということを確信しました。
 今回のキーワードは「裸足の宣教」でした。この言葉は、2009年に日本聖公会宣教150周年記念聖餐式説教でローワン・ウィリアムズ第104代カンタベリー大主教が語られたものです。「宣教とは、地面の石くれによって、私たちの現実によって、傷つくこと、私たちの足の皮で直に地面を踏むことをも、進んで引き受けるということなのです。キリストの御足は、人間の歩みから生ずる妨げによって汚され傷つけられ、そして最後に拒絶という釘によって傷つけられるのです」(ウィリアムズ大主教)
 「今こそ原点に立ち返り裸足の宣教をしよう!裸足とは貧さを示す〈しるし〉。旅の終わりには必ずや足を洗ってくれる誰かがおられるのだ」
 これこそが、今回の教区研修会で私たちが共に確かめたことなのです。

礼拝カレンダー2023年11月

秋の日は釣瓶落としとよく言ったものですが、
いつの間にか日が短くなり、帰宅する頃には辺りは真っ暗になってきました。
着々と季節は移ろいでいきます。
さて、11月号の礼拝カレンダーが完成しましたのでお知らせいたします。
11月は11年ぶりに日本聖公会宣教協議会が清里で開催されます関係で変更が多くなっていますが、ご確認よろしくお願いいたします。

※10/25修正…11/5のマタイ教会聖餐式は司式・後藤司祭、奨励・柳川信徒宣教者。

軽井沢に関する記事

信濃毎日新聞2023年10月18日版に軽井沢に関する記事が掲載されました。
ハンセン病患者への支援を行った宣教師ハンナ・リデルとの関わりについてです。
よろしければごらんください。
偶然にも10月18日は中部教区成立記念日でした。
教区の色々な歴史がこれからも発掘されるよう願っています。

ハンセン病患者救済に奔走した宣教師の証し、軽井沢町で発見 「リデル」の名、刻まれた石造物|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト (shinmai.co.jp)

初めまして。川島創士さん

 私は今年の4月から、名古屋聖マルコ教会の牧師館に移り住んでいます。聖マルコ教会は現在、聖堂の耐震工事が行われていて、毎日のように建設会社のトラックが駐車場に停まって木材などの建築材料が搬入されたりしています。工事現場である聖堂内には埃をかぶったブルーシートがオルガンや長椅子などを覆っています。入口の鉄門には、「工事関連で危ないため通行の際に注意して欲しい」というようなメッセージの紙が貼られています。確かに落ち着いてない環境です。
 そのような状況ではありますが、初日から私の目に入ったことがありました。それは、教会に入るためには駐車場に面している鉄門を通らなければならないですが、その門は多くの部分で塗料がはがれて、真っ赤にさび付いていたことでした。さらにそこから教会の方をみると牧師館に上がる外付け階段も真っ赤になっていることがまる見えです。
 「先ずあれを綺麗にしなきゃ」と思いましたが私も実施できず5か月が経ってしまいました。その5か月間、毎日階段を昇ったり降りたり、鉄門を開けたり閉めたりしながら言葉と思いにだけとどまっている自分の情けなさが鏡のようにさび付いた鉄門にうつっていたことを感じました。
 耐震工事が終われば今よりはきっと多くの方々が出入りするようになるでしょうし、それを期待して塗料を塗って綺麗にすれば、誰かがきても入口のほうから歓迎される感じを受けることが出来るのではないかと思いました。
 この度、川島創士聖職候補生の教区実習を私が指導することになりました。初日の主日は後藤香織司祭のもとで名古屋聖マタイ教会での実習、そしてその翌日からは、NPO法人ルカ子ども発達支援ルーム「そらのとり」と柳城幼稚園、名古屋学生青年センター、最後の日は愛知聖ルカ教会での奨励実習という計画で日程を組みました。その間に、名古屋聖マルコ教会での勤務を2日間入れました。1日目は「草むしり」、2日目はこの機会にということで「塗装作業」を入れました。単純に労働だけで終わることではなく、信徒さんに声を掛けて一緒に草取りをしてから彼を囲んで昼食の交流会を持ちました。お弁当を買ってきて、簡単なことではあるけれど皆で一緒に野菜を洗ってサラダを作ったり、お湯を沸かしてスープを作ったりデザートを作ってはわいわい楽しい時間を過ごしました。
 「塗装」予定の日は雨が降ったため残念ながら実施は休止としました。個人的には5か月前から思っていたことで、川島さんがいる今がチャンスだと意味づけて鉄門と階段の塗装作業をしようと塗料や道具まで買っておいたけれども、5か月前からの思いは叶いませんでした。その代わりに、川島さんと一緒に信徒さんを訪ねて食事とお茶をしながらリアルな教会の話を聞く時間も持ちました。
 私個人としても、聖職候補生の実習指導をしたことは初めての経験で非常に意味ある時間でした。川島さんとも今回初めてお会いしたので、新しい人に出会って色々なことを一緒にしましたし、彼を囲んで信徒さんとも様々な話し合い・交流会が出来たことなどを通して、交わることの大事さを改めて感じることが出来ました。そして新しい色々なことが見え始めて、新しい動機付けとともに名古屋でのこの5か月間を振り返るきっかけにもなりました。

司祭 イグナシオ 丁 胤植
(名古屋聖マルコ教会牧師)

「やさしいまなざし」

 『日本経済新聞』の文化面に「交遊抄」というコラムがあります。私は著名人でも何でもないのですが、お声をかけていただき、先日9月1日に、掲載されました。タイトルは「やさしいまなざし」。森美術館館長の片岡真実さんとのつながりを紹介しましたが、片岡真実さんのお父さんは、私たち中部教区の先達である菊田謙司祭です。以下に、「交遊抄」で書かせていただいた記事を紹介させていただきます。
 約250万の発行部数を誇る日経新聞という全国紙に、日本聖公会中部教区、そしてこの9月にちょうど逝去8周年を迎えた野村潔司祭の名も登場したことは、誠に嬉しいことでもありました。

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 森美術館館長の片岡真実さんは飲み友だちであり、同志でもある。その出会いは1980年代後半、私が京都大学工学部を卒業し、英国国教会の流れをくむ日本聖公会中部教区の名古屋学生センター主事として赴任したころに遡る。
 片岡さんの父は同教区の司祭を務める牧師だった。キリスト教と身近な環境で育った彼女とは、日雇い労働者への炊き出し、偏見や差別に苦しむ人々への支援を通じて会話をするようになった。
 その後、片岡さんは大学を卒業して本格的に美術の世界で活動し、私も神学の道に進んだこともあって交流は途絶えていた。片岡さんがキュレーター(学芸員)として海外で活躍する姿を知ったときなどは、うれしい気持ちになった。
 再会のきっかけは2015年、共通の恩師である野村潔司祭の葬送式でのこと。「野村先生は常に社会的に弱い立場にある人々に手を差しのべ一緒に行動した」という私の説教を聞き、深く心に響いたとメールを寄せてくれた。教会の果たす役割に悩んできた私が歩むべき道を確かめることができた言葉でもあった。
 縁あって今夏の森美術館での企画展で立教大生や教員が協力している。いまも人へのやさしいまなざしを忘れない片岡さんとの対話を大事にしていきたい。

(にしはら・れんた=立教大学総長)