クリスマスから新年を迎えようとしています。1年があっという間だったということを感じます。生物学者の福岡伸一氏は、『動的平衡』という本の中で、メモリーを書き込むような記憶物質は人の体には存在しないと言います。しかし時間が過ぎた感覚は誰にもあります。同じ1年が、子どもの頃よりも大人になるとあっという間に年末だと感じないでしょうか。私たちの細胞分裂は、タンパク質の分解と合成のサイクルに左右されています。なので加齢とともに新陳代謝の速度が遅くなって、私たちの体内時計の「秒針」である新陳代謝が遅くなっている事に気付かないのです。「まだ1年の3分の2ぐらいしか経っていない」と感じるその時には、実際の1年が過ぎていて「あっという間の1年だ」と感じるのだそうです。時代の変化、身体の変化、さまざまな変化にウロウロするばかりです。パウロは「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と私たちに呼びかけます。私たちの1年、生涯を振り返ると、喜びよりも悲しいことの方が多いような気がするのではないでしょうか。そう思うのは、私たちの人生は自分の思い通りにならないからではないでしょうか。自分のいたらなさに加え、思いもよらない病や災害があるかも知れません。喜びがあっても、空しくさせるような現実に人の弱さやもろさを知ります。み子イエスはその中に来られたのです。主イエスの降誕のまわりには、神の訪れを喜びとして受けとめる人々がいます。心の底から自分を満たしてくれるのは神しかいないという渇望する人々です。ヨセフは無力感の中でインマヌエル(神は我々とともにおられる)という名を教えられました。占星術の学者たちは、遠く暗闇の中で行くべき道を求めました。自分自身の弱さを知れば知るほど、神は私たちのところに来てくださいます。み子イエスの降誕を喜べるのです。「主において常に喜ぶ」ことができるのは、絶望の深みの苦しさにありながら、その中で神の愛にゆだねる者が真の喜びにあるのです。クリスマス近くになると書店にはクリスマス向けの絵本が並びはじめます。私が、なかなか好きになれなかった絵本に「アンパンマン」がありました。どこか暗く、寂しげな絵だといつも感じていたからです。でもそれは、私の勝手な思い込みと偏見でした。アンパンマン誕生の経緯やキャラクターについての話をまとめた、『アンパンマン伝説』という本があります。作者のやなせたかしさんは、「アンパンマンをいつ、どうやって思いついたかはわからないくらい、迷い道を歩くような日陰暮らしの中で生まれたのだ」と言います。評論家の評判も悪く、出版社の編集者からも「あれはやなせさんの本質ではない。もう2度と書かないでほしい」とまで言われたそうです。ところが保育園や幼稚園の子どもたちの中からアンパンマン人気が出てきました。子どもたちがアンパンマンを生み出したのかも知れません。私たちが弱さの中にある時、そこは神の救いが与えられる時です。私たちが人生を迷って歩いていても、主イエスはともに歩いてくださるのです。主において喜ぶ事ができるのです。クリスマスの喜びを皆さんとともに、感謝をもって歌いたいと思います。
司祭 マタイ 箭野直路
(旧軽井沢ホテル音羽ノ森チャプレン・軽井沢ショー記念礼拝堂協働)