悪しき祭司

「ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。」
(ルカ10:31「善いサマリア人」より)

 7月、車で大きな交差点に差し掛かろうとした際、ある光景が目の前に飛び込んできました。進行方向に向かって右側、その交差点の真ん中で、こちら側にフロントガラスと屋根を向けて一台の車が横転していたのです。事故直後で、交差点で信号待ちをしている多くの人々が携帯で撮影し、まだ、警察も来ておらず、交通整理も行われていませんでしたが、事故車に人影はなく、事故に遭った人は既にどこかへ退避している様子でした。沢山の車が徐行で通り過ぎ、私の車のすぐ前の車が事故車の隣を通り過ぎようとした時、その車が突然、おかしな行動をしました。その車は事故車の真横で一瞬急ブレーキをかけ、徐行のスピードを更に減速させ、ハザードランプを点滅させながら事故車の隣を通り過ぎました。その直後、車を一瞬、路肩に寄せたかと思うと、再び道路中央に戻り、走り去っていったのです。

 すぐ前の車の不可解な行動に私は肝を冷やし、眉間にしわを寄せつつも、そのまま車を徐行させ、次は私自身が事故車の真横を通り過ぎました。ハンドルを握りつつ、事故車を横目に見た瞬間、すぐ前を走っていた車の不可解な行動全ての意図に、ハッとしました。横転していた車の車内は大きく膨らんだ2つのエアバッグしか見えませんでしたが、そのエアバッグがうごめいていたのです。「まだ車内に人がいる!!」。その瞬間、私は「助けなきゃ!」と思い、咄嗟にブレーキを踏みました。そして、車を路肩に寄せるため数メートル徐行しました。しかし、その数秒のうちに、私の思いは変わりました。「交差点の中で車を停めたら大渋滞だ」、「自分一人ではどうにもできない」、「すぐに警察が来て、安全に助け出してくれるだろう」と。そして、私は運転していた車を道路中央に戻し、そのまま車を走らせました。そして、自分に言い聞かせました。「今から納骨式がある。そこに私が遅れる訳にはいかない」と。

 「善いサマリア人」の譬え話では、私たちひとり一人に「行って、あなたも(*あの善いサマリア人と)同じようにしなさい」(ルカ10:37 *は筆者加筆)と語ります。しかし、善いサマリア人のようになることを求められている私たちの現実は、なかなかその通りにはいきません。むしろ、私たちの現実は、追いはぎにあった人の向こう側を通り過ぎた祭司やレビ人と同じことの繰り返しではないでしょうか。「道の向こう側を通って行った」祭司と全く同じである司祭…、私自身。その自分自身を見つめながら、「道の向こう側を通って行った祭司もレビ人も、あれから私と同じように後悔したのだろうか?言い訳を自分自身に言い聞かせたのだろうか?」と思いつつ、こう思いました。

 「大切なのはゼロから善いサマリア人になることではない。祭司、レビ人としてマイナスから後悔し、懺悔し、そして、変えられて善いサマリア人になることである。それが私たちの現実に根ざしたみ言葉の受肉である」と。後悔から生まれ変わること。道の向こう側を通って行った祭司もレビ人も、その後、変われたのでしょうか?その変化を信じることこそが、罪人である私たちの大いなる希望なのではないでしょうか。

司祭 ヨセフ 下原太介(主教座聖堂 名古屋聖マタイ教会牧師)

北信五岳のもとで

長野県に赴任して2年が過ぎました。新生病院のある小布施町は、山あいの、花に囲まれた里といった感じのところです。病院からは、地元の人から「北信五岳」と呼ばれる山々を眺めることができます。飯綱山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山。それぞれが美しく、個性的な姿かたちをもっています。

堂々と佇んでいる、山の姿。季節ごとに変わりゆく緑に彩られつつ、変わることのない、その安定に魅かれます。山々はまるで、イエスの弟子達のように、私には感じられます。復活のイエスに出会って人生を変えられ、生きることの確かな拠り所を得て、信仰の旅路を歩き通した、諸先輩の姿のようにみえてくるのです。

私はこの山々のもとで、病院のチャプレンとして働いています。「病気と向き合っている患者さんやご家族と過ごす」という役割をいただいたことを、私は嬉しく思っています。その一方で、慌ただしい毎日の中、ふと自分が、足元ばかり見つめて歩いていることに気付きます。

夕の祈りを終えて職場を出るとき、「今日の働きを終えることができた」という安堵感と共に、今日病棟で出会った人や、見送った人のことを思います。交わされた言葉や、共に過ごした時間を思い起こし、「あれで良かったのだろうか」「こんな挨拶をしてみよう」「明日はどうしようか」などとあれこれ考え、頭がいっぱいになったまま家路につくことも少なくありません。

しかし、私の思いを越えて、目の前には、広々とした夕暮れの山脈の景色が広がっています。鳥の鳴く声が聞こえて、
顔を上げると、山々が雲をまとって、遥か向こうから見下ろしています。何も言わず、穏やかに、その場所にそれぞれに在り続ける山々の姿が、私の気持ちを解きほぐしてくれるのです。

かつて新生療養所(新生病院の前身)で看護師長を務めていたカナダミッションの宣教師、ミス・パウルは、「目を上げて、私は山々を仰ぐ」(詩編第121編1節)から始まる詩編を好んでおられたそうです。同じ景色を、ミス・パウルも眺められたのかと思うと、この場所で患者さんの看護のために人生を捧げた彼女に、時を越えた親しみをおぼえます。

6月より礼拝が再開し、信徒の皆様との祈りの時間が再び持てるようになったことは、心からの喜びです。夕の祈りに参加してくださる方々にも、力をいただいています。北信五岳のような確かさに憧れつつ、決してそうはなれない私ですが、本当はいつも、確かな存在に、そして信仰の家族である兄弟姉妹や、職員、ボランティア、患者さんやご家族など、沢山の人達に手を引かれて歩いているのです。

今日も私のことを、笑顔や嬉しそうな顔、苦しみに満ちた顔、悲しい顔、怒った顔、寂しげな顔など、様々な表情で迎えて下さる方々が、待っています。生きることの確かさは、やはりそれらの方々と一緒に、一日を精一杯過ごすことから生まれてくるのでしょう。

感染症の流行や大規模な自然災害が、今世界中の人々を恐れと不安の中に巻き込んでいます。しかし、目を上げて、「わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」(詩編第121編2節)という願いを持ち続け、皆様と手を取り合い、歩んでいきたいと思います。

執事 洗礼者ヨハネ 大和孝明
(新生礼拝堂牧師補、新生病院チャプレン)

管理を委嘱されて

 中部教区の皆さま、この度、10月までの半年余りの間、中部教区の管理を仰せつかった入江です。どうぞよろしくお願いいたします。
 昨年11月の中部教区定期教区会での主教選挙で西原廉太司祭が選ばれ、中部教区の皆さま共々、3月の按手・就任式を喜びのうちに待っておりました。
 ところが、思いも寄らず、新型コロナウイルスの感染が広まり、按手・就任式は5月2日に延期となりました。そして、それに伴い、首座主教より管理を委嘱されました。
 当初は4月から5月2日迄の1か月ということで、委嘱をお受けしました。
 ところが、その後、感染はますます拡大し、主教按手・就任式は10月24日まで再度の延期ということになり、正直、少々戸惑いましたが、既にお受けしたことでもあり、引き続き10月までご一緒させていただくことにいたしました。
 さて、私の出身地は横浜なのですが、実際に生まれたのは長野県の小布施です。母方の実家が小布施にあり、母は里帰りをしてそこで私は生まれました。
 小学生の頃、夏休みに帰省ラッシュの中、上野駅で何時間も列車を待って小布施を訪れたことを覚えています。
 戦後は、伯母が当時の新生療養所で看護師をしていたこと、カナダから来られていた医師のことなどを母から繰り返し聞いています。
 久保田純一司祭は叔父に当たり、飯山復活教会に赴任していた頃、毎年、夏休みに1週間ほど従妹とそこで過ごしたもので、その頃、司祭館の縁側にはたくさんのクルミの実がありました。
 そのような懐かしい中部教区の管理を仰せつかり、教会をお訪ねする機会を楽しみにしていたのですが、ウイルスの感染は未だ収束に至らず、中部教区でも皆さまがいっしょに集まって礼拝をささげることができない状況が、なおしばらくは続くようです。
 そうした中で、皆さまがそれぞれの場所で心を合わせて祈りをささげ、み言葉に聞くことは、改めて私たちの信仰生活にとって大切なものとなっています。
 教役者はそれぞれ遣わされている教会で、主日を含めて日々の定時に礼拝をささげていますが、信徒の皆さまも、離れていても祈祷書と聖書を開き、一緒に祈りの時を持つことによって主にある豊かな交わりを保つことができると思います。
 その時はぜひ声に出して祈りをささげ、また聖書のみ言葉を読んでみてください。静かに黙読されてももちろんよいのですが、目で読み、それを声に出してその声を耳で聞くことで、一つ一つの祈りやみ言葉がよりいっそう確かなものとなって心に留まっていくことでしょう。
 困難な時ほど人間の本当の姿が現れます。このような時こそ、私たちが常に祈り、そして聞いたみ言葉に忠実に歩み、互いの痛みに心を砕き、他の人びとと共に助け合い支え合って、このような困難をご一緒に乗り越えて参りましょう。
 新主教の誕生までの間、どうぞご一緒ください。
 皆さまの上に、主の慰めと励まし、そして導きと御守りが豊かにありますようお祈りいたします。

管理主教 イグナシオ 入江 修
(横浜教区主教)

聖霊降臨日・特別メッセージ

2020年5月31日
主教被選者 司祭 アシジのフランシス 西原廉太

 

[以下動画の内容をテキストで掲載]

 おはようございます。私たちはペンテコステ、聖霊降臨日を迎えました。本日は、聖霊降臨日についてご一緒に黙想の時を過ごしたいと思います。

 聖霊降臨日の礼拝の起源は大変古いものです。4世紀頃、エテリヤ(エゲリヤ)と呼ばれる女性が、聖地、エジプト、小アジア、コンスタチノープル一帯の巡礼の旅をしました。その記録、紀行文のようなものが現在でも残されております。それは、『エテリヤ(エゲリヤ)の巡礼記』と呼ばれていますが、11世紀以降、所在が分からなくなっていたのですが、1884年に、スペインのガムリーニという人によって再発見されました。その『エテリヤの巡礼記』には、4世紀当時のエルサレムでは、どのような礼拝が守られていたかが書かれています。それによりますと、聖地では、エピファニー(顕現日)、イースターと共に三大祝日として、今日のこのペンテコステ(聖霊降臨日)が守られていたようです。

 西方教会でのペンテコステの礼拝は、当初は立ったまま行われていました。そして、礼拝の中ではアレルヤ唱が何度も唱えられ、また、少なくとも13世紀位までには、“Veni Sancte Spiritus”(「聖霊よ、おいでください」)という短い歌(セクエンティアと言いますが)が繰り返し歌われるようになりました。“Veni Sancte Spiritus”(「聖霊よ、おいでください」)と繰り返し歌いながら、人々は本当にキリストの息、神の息をその身に感じながら、ペンテコステの祭りを祝っていたのです。

 本日の聖霊降臨日の福音書である、ヨハネによる福音書第20章19節以下には、イエスさまの弟子たちが最初にこの聖霊を受けた出来事が描かれています。イエスさまが十字架に架けられ、息を引き取られ、そして墓に葬られてからまだ三日しか経っていない時のことです。弟子たちは、一つの隠れ家に集まり息をひそめていました。彼らもまたイエスの「一味」として追われる身であったのです。彼らは身の危険を感じ、ぶるぶると震えていました。福音書にもこのように記されています。

 「弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。」

 彼らは、本当に恐ろしかったのです。不安と絶望に打ちのめされていたのです。ところがその時、驚くべきことが起こりました。イエスさまが、弟子たちの真ん中に立っておられるのです。そして、こう弟子たちに語られました。

「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」

 そのように語られてから、イエスさまは、「聖霊を受けなさい」と、弟子たちに息を吹きかけられた、と記されています。

 「聖霊」とは、主イエスの「息」なのでありました。確かに、聖霊とは「息」であります。ヘブライ語で「聖霊」は、「ルアッハ」と言います。これは「息」あるいは「風」を意味します。聖霊とは神の息であり、神の風であります。何か体に受ける力、エネルギーのようなものです。
 主イエスの息、聖霊を受けた弟子たちは、この瞬間から、生きる力を回復します。希望を取り戻します。あれほどまでにも、不安と絶望の内に震えていた彼らが、死んだようになっていた彼らが、命を回復したのです。そして、弟子たちは、大胆に主イエスをキリストとして証ししていきます。この力こそが聖霊です。キリストの息、神の息なのです。
 イエスの十字架上での死によって絶えたはずの主イエスの福音は、こうしてよみがえりました。神の息を受け、聖霊を体に満たしたこの弟子たちは、再び福音を宣べ伝えていく勇気を取り戻しました。

 聖霊は、打ちのめされた者、絶望の淵にある者、痛み、苦しみにある者、疲れた者に与えられる生きる力です。私たちが”Veni Sancte Spiritus”(「聖霊よ、おいでください」)と唱える時、私たちは、神の息に満たされ、苦しみや疲れは癒され、明日への希望と勇気が備えられるのです。
 預言者エゼキエルがイスラエルの罪に満ちた現実に直面し、腰から砕け落ちた時、神はエゼキエルにこう言われました。「人の子よ、自分の足で立て。」すると、聖霊がエゼキエルの中に入り、エゼキエルを自分の足で立たせた、と書かれています。神の聖霊が息のように彼らの体に入り、自分の足で立たせた、のであります。

 さて、実は本日の福音書には、もう一つ非常に大切なことが記されています。それは、20節にあります。イエスは、「そう言って、手とわき腹とをお見せになった」という箇所です。イエスさまは手とわき腹を見せられた。すなわち、十字架上で釘を打ち抜かれた手とわき腹の傷跡をお見せになったのです。
 本日の福音書は23節までが読まれましたが、すぐあとの24節以降には、トマスがこのイエスのわき腹の傷に直接手を当てて、主を信じる物語が置かれています。イエスさまは、トマスにこう言われます。

「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」

 そして、トマスはうめくように、振り絞るように言葉を発します。

「わたしの主、わたしの神よ。」

 トマスに声をかけられたイエスは、栄光のイエスではありませんでした。復活されたイエスとは、光輝く天の衣をまとい、金の王冠をかぶったイエスではなかったのであります。トマスと弟子たちの前によみがえられた主とは、手に傷を負い、わき腹から血を流し、荊の冠をかぶらされたままの姿であった、のであります。おそらくトマスは実際に、その主の傷に、自らの手で触れたのだと思います。

 主イエス・キリストは、傷を負われたまま、よみがえられました。その傷とはいったい何であったのでしょうか。イエスさまは、その短い公生涯の間、虐げられた人々、病める人々、体の不自由な人々、捨て置かれた人々の痛みと傷を自ら負われ、ついには十字架に架かられました。そして、その無数の痛みと傷を担われたまま、主イエスはよみがえられました。まさに、この事実に、トマスはただ、「わたしの主、わたしの神よ」という、この世で、最も短く、同時に最も完全な信仰告白の言葉を発することができたのでありました。

 また、イエスさまの手とわき腹の傷は、他ならない、私たちの傷でもあります。イザヤ書第53章には有名な「苦難の僕」の記述があり、よく、イエスの十字架はこの「苦難の僕」とのつながりの中で考えられます。このような記述です。

「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。」「彼が担ったのはわたしたちの病。彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに」。

 イエスさまは、私たちの苦しみ、悲しみをこそ担われ、それゆえに十字架の上で「荊の冠」をかぶせられ、そして、私たちの痛みと傷を負われたまま、よみがえられます。私たちは、それゆえに生きていくことができるのです。

 弟子たちは、主の息をその身に感じ、そして主の傷にその手で触れることによって、「わたしの主、わたしの神よ」と証しすることができました。主イエス・キリストの息と傷についての弟子たちの記憶が、その後弟子から弟子へと伝えられ、それがやがてキリストの体としての教会となっていきました。そういう意味では、「教会」とは「イエスの息と傷を記憶し続ける共同体」であると言うことができると思います。その記憶は、今や全世界に伝えられました。2000年の後の今、私たちが聖霊降臨を祝っているのも、主の息と傷についての、弟子たちの具体的な記憶が絶えることなく受け継がれてきたからに他なりません。

 今、私たちは、新型コロナウィルス感染症の蔓延のために、今日の聖霊降臨日も、共に礼拝堂に集まることができません。私たちは、教会で、お互いの息も感じることもできず、「主の平和」を互いに手を触れ合いながら交わすこともできません。それは教会としては大変寂しいことです。
 けれども、私たちは、そのような状況であるからこそ、2000年前の主の弟子たちを思い起したいのです。彼らも、イエスさまの息を感じ、その傷を手に触れることはできなくなりました。しかし、彼らは、そのあと、主イエス・キリストの息と傷を、「記憶」として、その後の者たちに受け継いでいったのでした。いつかまた、イエス・キリストが、私たちのもとに来られるその時まで、イエスさまの息と傷を記憶しながら、ひたすらに「待つ」ことに生きたのでした。私たちも、このような時であるからこそ、主イエス・キリストの息と傷についての弟子たちの「記憶」を、深いところで黙想したいのであります。

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 さて、ここに、私が大切にしている一冊の写真集があります。『家族の日記』と題された、小倉英三郎さんという方が撮られたものです。小倉さんのおつれあいである亮子さんが、27歳の若さでガンを宣告され、そして亡くなるまで、小倉さんは最愛の妻と二人の幼い子どもたちにカメラを向け、シャッターを切り続けられました。それが一冊にまとめられたのが、この写真集です(小倉英三郎『家族の日記』未来社、1995年)。
 池袋の文芸座という名画座のアルバイトを通して出会われたお二人は、結ばれて鉄平くんという男の子を授かり、幸せな生活を送っておられました。ところが、二人目の子どもがお腹の中にいて、もう直に出産という時に、亮子さんは、第3期の乳ガンであることを宣告されます。出産が済むまでは抗ガン剤などの治療を受けられずに、病状は進行してしまいました。

 小倉さんが写真集を作ろうとされた理由が後書きに書かれています。

「彼女が出産を控えた微妙な時期に、深刻な病気を宣告された、ということもあって、私たちには選択の余地も時間的な余裕もありませんでした。私たちは、お互い心の整理もつかぬまま、先行していく運命に追いつこうと必死でした。今まであったはずの日常生活はもうありませんでした。だから行き先のわからない運命にとまどいながらも懸命に生きている、亮子や子どもたちの日々を記録することで、家族の存在を確認したかったのだと思います。亮子にしてみれば、生まれてくる赤ちゃんのこと、1年と10ヶ月、片時も離れずに暮らしてきた鉄平のこと、自分の乳房を失うこと、そしてそんな代償をはらっても油断できない病気のことに、どれだけ心を痛めていたかわかりません。母として、妻として、そして女としてあった自分の居場所を見失って心細くしていたと思います。」

 写真集は長男の鉄平くんと、生まれたばかりの青佳(はるか)ちゃんを抱きながら病気と闘う亮子さんの姿が残されています。結局、1994年10月4日のことですが、28歳の誕生日を10日後に控えたその日、早朝、亮子さんは亡くなられました。

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 たくさんの写真の中でも、私が最も心を揺り動かされるのが、この写真です。病院から一時帰宅を許された亮子さんが、電車の中で、鉄平くんをぐっと抱きしめて離さない写真です。今日、この写真集をご紹介しようと思いましたのは、私はこの1枚の写真からいろいろな黙想を促されたからです。

 イエスさまが弟子たちに息を吹きかけられた時、きっとイエスさまはこんな風に弟子たちの一人一人をぐっと抱きしめられていたのではないか、と思うのです。息は、遠くからでは決して届かない。こんな風に、抱きしめられながら、鉄平くんが体の温もりの中、亮子さんの息遣いをその頬に受けたように、弟子たちもまた主イエスの息づかいを感じていたのではないか、と思うのです。

 小倉さんは、あるエッセーの中でこう書かれています。

「妻の手術の傷を直接この手に触れ、そして直面する運命にひきずられるように写真を撮り続けた。そして今、私の手は妻の傷をはっきりと覚えている。一枚一枚の写真は、確かに亮子が生きていたことの大切な証しである。いや今そうやって、亮子は私たち家族の中に生きているのだ。」

 写真評論家の飯沢耕太郎さんは、この写真集を、『終わらない家族』と評されました。

 弟子たちも、もはやイエスさまとじかに触れあうことが許されなくなったけれども、しかしながら、主イエスの傷をその手にはっきりと覚え続けたはずです。そうやって、主は弟子たちの中に生き続けたのです。確かに、私たちの教会とは、主イエスの息と傷を記憶し続ける、『終わらない家族』であるのかも知れません。私たちも、主の息を頬に感じ、この手に主の傷を覚えて生きていきたい、と思うのです。♰

2020年イースター・メッセージ

2020年4月12日
主教被選者 司祭 アシジのフランシス 西原廉太

[Youtubeで字幕機能をONにすると字幕が表示されます]

[以下動画の内容をテキストで掲載]

 私たちは、主のご復活を祝う復活日、イースターを迎えました。しかしながら、今年、2020年のイースターは、後のキリスト教の歴史においても、異常な事態の中で迎えたと特別に記録されることでしょう。本来は、主のご復活を、日本聖公会、中部教区のすべての教会で、豊かにお祝いするはずでしたが、今般の、新型コロナウイルス感染症の急速な蔓延、世界的なパンデミックという状況の悪化に直面し、教区としても、大変残念なことに、聖週、イースターも含めて、5月24日までの主日及び週日の礼拝は、教役者・信徒が一堂に会して行うことを休止する、という苦渋の決断をすることとなりました。3月28日に予定していました中部教区主教按手式も一度は5月2日に延期したものの、10月24日へと再度延期せざるを得なくなりました。その間は、横浜教区の入江主教さまが、私たち中部教区の管理主教を担ってくださりますので、どうぞご安心ください。

illust-anglican 教会に集うことができず、共に聖餐式や祈りをおささげできないことは、私たち聖職たち、そして信徒の皆さんにとって、これ以上に辛いことはありません。しかし、大切なことは、だからと言って、私たちは教会を閉じているわけではない、ということです。世界の聖公会、アングリカン・コミュニオンの公式ホームページを開きますと、このような素敵なイラストが出てきます。そして、ここに重要なメッセージが記されています。

「教会は閉じているのではありません。ただ、建物だけを閉じているのです。なぜなら、私たちが教会だからです。私たちこそが、主イエス・キリストの生ける<からだ>だからです。そして、私たちはこの世界中、至るところに存在しているからです」

皆さんお一人おひとりが教会なのです。仮に聖堂という建物に集うことができなくても、皆さんお一人おひとりが、それぞれの場で、心を合わせて祈られる時に、そこに、主イエス・キリストの生ける<からだ>が実現しているのです。ですので、ぜひ、この異常な事態の中にあっても、私たちは、主にすべてを委ねて、主を信頼して、共に祈りを合わせたいのです。今、それぞれの場で祈っている教会の仲間たちを覚えて、また、新型コロナウイルス感染症のために苦しんでいる方々、そのご家族、困難の中、治療にあたられている医師や看護師の方々を覚えて、この世界中で、言い知れない不安の内に、心を痛めているすべての方々を覚えて、心を合わせて祈りましょう。

さて、そのような恐れと不安の内にある私たちにとって、本日の復活日の福音は、深い励ましを私たちに与えてくれます。イエスさまが十字架に架けられ、墓に葬られた。その週の初めの日の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアが、墓に行った、とあります。なぜ葬られた直後ではなかったかというと、ちょうど安息日が重なり、彼女は何もできなかったからです。安息日が終わると、まだ夜も明けない暗い内に、彼女はすぐに、いてもたってもいられずに、イエスさまが葬られた墓に駆け出して行きました。

彼女は、少しでも早く、イエスさまの遺体に香油を塗ってあげたかった。イエスが十字架に架けられ絶命し、さらに槍でわき腹を突かれ、血を流されたその姿を、マグダラのマリアは目の当たりにしていました。ヨハネによる福音書第19章25節にはこう記録されています。「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた」。マグダラのマリアはその場にいながら、ただただ茫然と立ち尽くすしかなかった。彼女は、おそらく言い知れない無力感に打ちのめされたに違いありません。あれほど愛して、つき従っていた主イエスが今、死に行こうとしているのに、何一つすることができないのです。彼女の中には、「なぜ」という言葉が渦巻いていたはずです。「なぜ」私たちの主が、この地上から、私たちのもとから取り去られなければならないのですか。神さまは「なぜ」、私たちの愛する主をお守りくださらないのですか。「なぜ」このような試練を私たちにお与えになるのですか、と。

そんな彼女が、最後に主イエスにして差し上げられる唯一のことが、イエスさまのお体に香油を塗ることでした。しかし、マグダラのマリアがイエスさまの葬られた墓に辿りついた時、そこには驚くべきことが起こっていました。墓から石が取りのけてあり、墓の中にあるはずのイエスさまの体がなかったのです。彼女は、急いでペトロのところに駆けつけてこう報告しています。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私には分かりません」。それを聞いたペトロたちも墓に走って確認しに来ます。この時の様子を伝えるヨハネによる福音書の記述は実に興味深いものです。ペトロたちは、墓の中を検分し、「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れたところに丸めてあった」ことを確認し、それで、彼らは「信じた」、納得したというのです。きわめて冷静に墓の中を調べ、それで納得できてしまうものなのか、と正直思います。マグダラのマリアは違いました。20章11節にはこうあります。「マリアは墓の外に立って泣いていた」。彼女は、ペトロたちが納得して帰った後も、ずっと墓の外で泣き続けていたのです。彼女は言葉にもできない、悲しみと不安、恐れの中で、ただひたすらに、ぶるぶると震えながら、墓の外で泣き続けていた。彼女の中には、さらなる「なぜ」が溢れてたはずです。「なぜ」イエスさまのお体さえもが取り去られてしまうのですか。「なぜ」、主のからだに油を塗ることさえも許されないのですか。「なぜ」神さまは、こんな不安と悲しみ、恐れを私たちにお与えになるのですか、と。

そんな彼女のそばに、いつの間にかイエスさまが立たれていました。20章15節をもう一度お読みします。

イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」

主イエスは、マリアにこう語りかけられるのです。「なぜ泣いているのか」と。あなたはなぜ泣いているのか。ここできわめて大切なことは、実は、イエスさまは、マリアが泣いているその理由を尋ねておられるのではない、ということです。彼女が立ち尽くし、打ち震えながら泣いているその理由は、すでにイエスさまご自身が十分に知っておられるのです。イエスさまがマリアに、「なぜ」とこう語りかけられたのは、彼女の涙の理由を知りたいからなどではなく、「あなたは、なぜ泣いているのか、泣く必要など何もないのだ」ということを、彼女に気づかせたいからでありました。私があなたの傍に今もいるのだから、何も恐れることはない、あなたはもう泣かなくてもいい。主はそのことを、彼女に伝えようとされていたのです。

実はこの「なぜ」というのは、マグダラのマリアがずっと抱えていた問いに他なりませんでした。「なぜ」私たちの主が、この地上から、私たちのもとから居なくならなければならないのですか。神さまは「なぜ」、私たちの愛する主をお守りくださらないのですか。「なぜ」このような試練を私たちにお与えになるのですか。「なぜ」イエスさまのお体さえもが取り去られてしまうのですか。「なぜ」、主のからだに油を塗ることさえも許されないのですか。「なぜ」神さまは、こんな不安と悲しみ、恐れを私たちにお与えになるのですか、と。

この「なぜ」という問いは彼女の「無力さ」とも裏表です。私には、十字架に架けられたイエスさまを前にして何もできなかった。ただただ茫然と立ち尽くすのみであった。唯一の彼女ができる最後の主に対する奉仕のはずであった、遺体に香油を塗ることすらも許されなかった。何という無力さでしょうか。

この「なぜ」という問いと「無力さ」は、マリアだけのものではなく、私たち一人ひとりの「なぜ」であり、「無力さ」でもあります。私たちもそれぞれの日常の中で、いつも何かしら、この「なぜ」を神さまに問い、「無力さ」に打ちひしがれる存在です。神さまはなぜ、私に、こんな抱えきれないような重荷を背負わされるのですか。なぜ、あなたは、こんな悲しみや苦しみを私にお与えになるのですか。あるいは、あの時、なぜ、私は、こうしなかったのか。私はなぜ、あの時に、あの人の傍に居てあげられなかったのか。私たちにはそのような「なぜ」もあります。

今、私たちは、新型コロナウイルス感染症の急速な蔓延、多くの方々が治療のかいなく死にゆく事態に直面し、まさしく神さま「なぜ」と叫ばざるを得ません。目には見えない得体の知れないものに対する恐怖と不安の中で、私たちの心も蝕まれています。医療や看護に献身的に、犠牲的に携わる方々は、必要な措置も出来ぬまま、救えなかった命を前にして、絶望と無力さに苛まれておられると聞きます。そのような医療従事者の方々ご自身が、感染されてしまうという事例を耳にする時、私たちには祈る言葉すらも見つからなくなるのです。

イタリア政府は、4月6日の時点で、新型コロナウイルスに感染した方が13万2547人、亡くなった方が1万6523人に至ったと発表しました。そのイタリアで、北部ロンバルディア州ベルガモ県カスニーゴのローマ・カトリック教会司祭長のジュゼッペ・ベラルデッリ神父さまは、新型コロナウイルスに感染され、重篤となられました。しかしながら、報道でもご承知のように、イタリアでは人工呼吸器が圧倒的に足りません。ベラルデッリ神父さまは、ご自分が使用していた人工呼吸器を、若い感染者に譲って欲しいと医師たちに懇願し、人工呼吸器が外されて間もなく、3月15日に、ベルガモ県の病院で息を引き取られ、主のもとに召された、ということです。72歳でした。ベラルデッリ神父が司祭長を務める地域の住民たちは、神父の死を知ると、窓越しから「慈悲の殉教者」と拍手で称えた、と言います。

今、私たちも不安でいっぱいです。また、無力さに打ちのめされています。本当は、こうして人々が極限の苦難に遭っている時にこそ、皆で教会に集い、祈り、そして、苦しんでいる人々のもとに駆け付けて奉仕をしたいのです。しかし、それは叶いません。私たち自身のいのちを守るためだけではなく、私たちが移動することによって感染を拡大し、私たちが教会に集うことによって、いわゆる感染のクラスターを発生させるということがあってはならないからです。私たちキリスト者、教会にとって、本来クリスマス以上に大切な最大の聖日である「復活日」すらも教会に集わない、集えないという、誠に苦渋の決断を、私たちもせざるを得ませんでした。私たちは神さまに問いたいのです。「なぜ」と。なぜ、ご復活日にさえも、教会に集って共に祈ることさえ許されないのですか、と。しかし、この私たちの「なぜ」は、主イエスのお体に油を塗ることさえも許されなかった、マグダラのマリアの「なぜ」とまさしく同じものなのです。

そんなマリアに、イエスさまは、「あなたは、なぜ泣いているのか」と語りかけられるのです。そんな私たち、一人ひとりに、主は語りかけられるのです。「あなたは、なぜ泣いているのか」と。主は、私たちの尽きることのない「なぜ」を取り上げられるのです。そして逆に、私たちに「なぜ」と問いかけられる。主は、私たちがなぜ泣いているのかは、すでに十分に知っておられる。主は、「なぜ」なのかと悲しみ嘆くその私たちの「なぜ」をそのまま引き受けてくださる。そして、こう私たちに語りかけられるのです。「あなたは、なぜ、泣いているのか。あなたはもう、泣く必要はないのだ」と。

この時、私たちは気づかされるのです。本当は、この「なぜ」を問うことができるのは、唯、主のみであることを。私たちが「なぜ」と問う時に、私たち自身の人生の主人公はあくまでも「私」です。けれども、私たちが主から、「あなたは、なぜ、泣いているのか」と問われる時に、「なぜ」を語るのは主のみであり、私たちは、神さまによって、息を与えられ、私たちの人生は主のみによって導かれていることに、あらためて気づかされるのです。「あなたは、なぜ泣いているのか。私を信じ、すべてを私に委ねなさい。私は必ずあなたと共にいる。だから、あなたはもう泣かなくていい」。私たちは、その主の問いかけに、ただひたすらに、ただ一言、「アーメン」と応えて、主につき従うだけでいい。

マリアは、最初、「なぜ泣いているのか」と問われた方が、どなたかは分かりませんでした。聖書には、園丁だと思っていた、とあります。しかし、20章16節には、さらにこう記されています。

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

まだ朝早く暗い中で、「マリア」と呼びかけられたその声は、彼女にとって忘れもしない、あの懐かしく、優しい主の声であったに違いありません。私たちは、それぞれの人生の中で、それぞれの日々を生きる中で、決して答えの出ない「なぜ」という問いに躓き、私たちの無力さに、涙を流します。しかし、「私はよみがえりであり、命である」と宣言されるご復活の主は、そんな私たちを無条件に抱きしめてくださる。迷える子羊を見つけ出して、その両手でしっかりと抱きかかえる羊飼いのように、ご復活の主はどこまでも皆さんお一人おひとりを愛し、包んでくださる。そして、あの優しく懐かしい声で語りかけてくださる。「あなたは、もう泣かなくても良い。私が必ずあなたと共にいるのだから」と。

私たちのあらゆる「なぜ」を引き受けてくださる主に、すべてを委ねましょう。そして、ただひたすらに「アーメン」と応えながら、主のご復活の道を共に歩みましょう。

 

お祈りいたします。いつくしみ深い神さま、新型コロナウイルスの感染拡大によって、今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。病に苦しむ人に必要な医療が施され、感染の終息に向けて取り組むすべての人、医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、尽きることのない安らぎに満たされますように。不安と混乱に直面しているすべての人に、支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神さま、世界のすべての人々と共に手を携えて、助け合って、この危機を乗り越えることができるよう、お導きください。
ご復活の主なる神さま、あなたは、言い知れない不安と恐れの内にあるマリアに、「あなたは、なぜ泣いているのか」と語りかけられました。「私は必ずあなたと共にいる。だから、あなたはもう泣かなくていいのだ」と招かれる主に、私たちが、ただひたすらに「アーメン」と応え、主につき従うことができますように、どうぞ、強め、導いてください。
この祈りを、ご復活の主イエス・キリストのみ名を通して、み前におささげいたします。

アーメン

「エクレシア」としての教会―新型コロナウイルスに向かい合う―

新型コロナウイルス感染症が世界的な流行を見せる中、教会でも感染の防止のため様々な対策を取ることが求められています。

本稿執筆の時点(3月15日)で、日本聖公会の11教区中5教区が公開の礼拝を休止しています。中部教区では、今のところ全面的な礼拝休止はしていませんが、近隣での感染者発生のため一時的に主日礼拝を休止した教会があり、今後の状況によっては当教区でも礼拝休止に踏み切らざるを得ない可能性もあります。

今回のウイルスは具体的症状がないうちに他人に感染する場合があり、これは自分で自覚がなくても感染源になる、また周囲にいる人から感染している、という状況が確率の問題で起こりうるということです。また厚生労働省からは、感染を防ぐために「換気が悪く、人が密に集まって過ごすような空間に集団で集まること」を避けるよう勧められていますが、多くの教会はまさにこの条件に当てはまりますし、教会には不特定の方が出入りする可能性もあります。このことから考えれば、緊急対応としての礼拝休止にはやむを得ぬところがあります。

一方、教会がその本質として「エクレシア(集会、集まること)」であることを考えれば、「危険なので礼拝を止めます」で済む話でないことは言うまでもありません。しかし、今回の感染症は条件によっては命の危険につながるものでもあり、通常の風邪などと同様に扱うことはできません。教会がいのちを大切にする共同体であればこそ、この問題には慎重に対処することが求められます。

小生が出向中の東京教区では、礼拝休止中の対応の一つとして、主教が捧げた聖餐式の録画映像を配信しており、多くの方にご利用いただいています。その中で、予想しなかったような使われ方が浮上してきました。

ある牧師が病院におられる信徒さんを訪問し、この映像をスマホで見せたところ、「ずっと教会に行けないのでとても嬉しい」と涙を流して喜ばれたそうです。また、自宅にいる時間が長い年配の方が、毎日ビデオを繰り返し見て、聖歌を歌っておられるとも伺いました。私たちは日曜日教会に行けない、聖餐にあずかれない、と言う前に、こういう方々をこれまでどれほど心にかけてきたのかと省みるべきではないか、と思わされました。

先日、カトリック教会やルーテル教会とのエキュメニズム対話の会合でも、この問題が話題になりました。ルーテル教会では当面聖餐式を執行しないこととし、またカトリックの長崎教区ではミサを中止している間、家族などで一緒に当日の聖書を読み、分かち合いをするよう勧めておられるとのことでした。今回の出来事は、私たちがみ言葉によって生かされ、それを身近な人びとと分かちあうように招かれていることを思い起こす時でもあると、両教会から教えられたように思います。

エクレシアである教会は、いかなる時にも「集まる」ことをやめてはなりません。しかし、具体的な「集まり方」には多くの可能性があることにも開かれていなければなりません。神さまは、この困難なときに、教会がどこを向いて、どう行動するように促しておられるのでしょうか。

司祭 ダビデ 市原信太郎
(主教座聖堂付 東京教区出向)

教区の新しい方向に向かって!

〝ともしび〟に現職として執筆させていただくのは今回が最後になります。3月31日、定年退職を迎えます。想い起こしますと1976年4月に実習聖職候補生として名古屋聖マタイ教会に赴任してから足掛け44年、中部教区で働かせていただいたことになります。

その間、勤務した教会は定住教会としては8教会、管理を含めますと20教会になるでしょうか。そして、最後の10年は教区主教として働かせていただきました。すべてにおいて十分な働きができたかどうかは分かりませんが、この小さな器を神様の働きのために用いていただいたことは感謝以外の何ものでもありません。今までの皆様からのお支えに心より感謝申し上げます。

わたしは現職を退かせていただきますが、西原廉太司祭が次期の教区主教に決まり、西原主教のもと−もちろん主教だけではなく教区の信徒・教役者みんながその役割を担うのですが−中部教区の礼拝・宣教・牧会の働きがますます豊かにされますよう祈っています。もちろん、わたしも退職聖職として可能な限り協力をさせていただきたいと思っております。

西原主教の教区主教就任は中部教区の礼拝・宣教・牧会の働きに大きな変化をもたらすことになるでしょう。教区主教としての働きがわたしまでの主教の在り方とは異なってくると思われるからです。具体的な変化はこれからのことになると思いますが、信徒も教役者も意識を変えその変化に対応していかなければならないでしょう。

そういう意味で、西原主教の就任は中部教区に新しい方向性を与えるものであり、聖霊の導きがそこにあるのです。ですから、かねてから懸案であった教区組織の変革もためらうことなく思い切って行っていいのではないでしょうか。

また、管区的には現在の教区制についての在り方に問題提起がなされています。「伝道教区制(仮称)」という考え方も主教会から出されていますが、今年の日本聖公会総会の大きな議論になってくるのは間違いないでしょう。中部教区として教区制の課題にどう向き合うのか、それも教区のこれからの在り方に深く関わってきます。

しかし、いろいろ課題があっても大事なことは、どんなに組織や体制が変わろうとも神様へのわたしたちの信仰は変わらないということです。教会は組織ではありません。一人一人の信仰があるところに教会があります。ですから、わたしたち一人一人の信仰をしっかりと保ちましょう。難しいことではありません。わたしは、礼拝も宣教も牧会も何か特別なことをしなければ前に進まないとは思いません。むしろ、信仰的に基本的なことを大切にし、一人一人の小さな魂に、また、一つ一つの小さなことに心を向けること。それが宣教や牧会の基本になるのであり、そこに誠実で丁寧であることによって、その先の宣教や牧会の新たな展望が見えてくると信じるからです。

イエス様の働きはガリラヤ地方における小さな働きでした。しかし、その小さな働きこそが父なる神様の偉大な働きだったのです。各個教会のごく小さいと思われる活動や関わりを大切にすること、それが教区、教会の更なる活性化につながるのです。

主イエスの祝福と恵みが皆様と共にありますように。

主教 ペテロ 渋澤一郎

クリスマスの招待状

稲荷山くるみこども園では、この冬もクリスマス会のページェントが行われました。ページェントの始めに聖書朗読とお話をするチャプレンの私にも、手作りの招待状が届きました。練習が始まると、はちきれそうに元気な子どもたちの歌声が礼拝堂に響きます。望んだ役になれず、涙したと聞いた子どもたちも一生懸命頑張っています。衣装を着けた姿に、私が子どもの頃もあんな衣装だったと、当時の思いが鮮やかによみがえってきて驚きました。

普段元気な子どもたちが、本番が近づくと緊張した面持ちになります。イエス様のお誕生という大きな喜びの知らせを受け取ったマリア、ヨセフ、羊飼いらに、天使が「恐れるな」と語ったことが思われました。彼らは初め、驚き、恐れた。けれど神様からの知らせを受けて、簡単ではない旅に出発するのです。

見慣れたはずの子どもの顔、声としぐさが聖書の人物に重なり、聖書に記された出来事が生き生きと迫ってきました。ヨセフさんにはこんな表情もあったのかもしれない。二人で宿屋を一軒一軒たずねて歩き回るのはどんなに大変だったことだろう。小さいと思っていた子ども一人ひとりが意思を持って動く姿に、頼もしさを感じます。

本番当日、礼拝堂いっぱいに詰めかけたお家の方たちが見つめる中、白いコッターを着た年中の子どもたちの語りで物語が始まりました。年少の「星の子ども」たちが可愛らしいしぐさで歌い、年長の子どもたちが、ヨセフとマリア、天使たち、宿屋の主人たち、羊飼い、羊、そして博士を演じます。親切な宿屋さんは、「ほんとにお気の毒、うちはただいま満員で」と歌い、隣の宿屋を指さします。羊飼いと羊の歌が本当に素晴らしく、クライマックスで博士一人ひとりが宝物を捧げて歌う姿に、誰もが主役なのだと思わずにはいられませんでした。

クリスマスの物語は、それぞれの場所で生きる私たちへの、神様からの喜びの招待状と言えるのではないでしょうか。神様はきっとこんなふうに皆のことをかけがえのない存在として見ておられる。そして、クリスマスの主役、神の御子イエス様は、招かれる全ての命を輝かせてくださる。

脚本が素晴らしいと思ったのは、羊飼いと羊、博士、宿屋の主人たちが皆、「マリアさん、ヨセフさん、おめでとう」と言って、生まれたイエス様を拝みに馬小屋に来るところでした。天使も加わり、全員がイエス様を囲みます。「おめでとう」それはマリアたちだけが受けた言葉なのではない。「クリスマスおめでとう」とは、主があなたのところに来られた、神様がこの私たちのただ中に来てくださった、という喜びの挨拶なのだと気付かされる場面でした。子どもたちの声と姿、その命を通してみ言葉を聴き、見ることのできるページェントは、何とクリスマスに相応しいのだろうと思います。

先日、教会のクリスマスイブ礼拝に初めて来られた女性がいました。聞くとミッションスクールの卒業生で、「クリスマスらしいことをしたいと思って」と笑っていました。彼女もかつてクリスマスの物語を聞いたに違いありません。2020年も、主が私たちのところに来られた、この喜びをこの地で共に語り継ぎ、歌い続ける教会でありたいと祈ります。

執事 マリア 大和玲子
(長野聖救主教会牧師補)

待ち望むわたしたち

年の瀬が近づくと十大ニュースなどが取り上げられ、これも今年だったかと思うことがあります。江戸時代、庶民は除夜の鐘を聞きながら「七味、五悦、三会」を家族で話し合ったそうです。この1年食べて美味しかったものが七つ、楽しかったことが五つ、新しい出会いが三人いれば、「今年はいい年だったなあ」と喜び合ったそうです。なかなか粋な年末の過ごし方だと思います。スマホが身近なものになってきたこの頃ですから、撮りためた写真などを見返してみると色々出てきそうです。どんな年も悲しいことや災害が起こります。それでも少しずつ記憶をたどりながら、嬉しいことや感謝すべきことがあったと気がつかされるのではないでしょうか。そんなふうに行く末から来し方を待ち望むことができるならば、きっと新しい年も静かな気持ちで迎えられることでしょう。

「主の救いを黙して待てば、幸いを得る」(哀歌3:26)

神様を待ち望むことはたやすいことではないと誰もが思います。神様の摂理は大きくて遠いものです。長い時間神様を待ち望むなかで受け入れ難いことが起これば、主の救いを疑ってしまい、理性も信仰もゆすぶられ、私たちの思いは乱れてしまうかもしれません。クリスマスの礼拝でイザヤ書が読み上げられます。

救い主降誕の700年以上前にも関わらず、それはすでに起こったかのように「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」と語っています。キリストの誕生は、神の語る言葉であり神の意思ですから、確実に実現され、「もうすでに」起こった出来事としてイザヤは心に受け止めたのです。救い主を待ち望むことは起こるかどうかわからないことをただ待つのではなく、心惑わされることなく、時の長さにも動揺することなく、ひたすら神を信頼するというところに真理である救い主が与えられるのです。

主の言葉に従って旅立ったアブラムは、なかなか土地を得られず、子も与えられる気配もありませんでした。彼には、砂漠の乾いた風の音は虚しく、「そんなことはあり得ない」と聞こえたかもしれません。

しかしアブラムは、遠くの星、暗闇の中の光を見つめながら、神に対する信頼を持ち続けました。クリスマス物語の始めに、ルカ福音書は天使の言葉に戸惑い不安になるマリアを描いています。「どうしてそのようなことがありえましょうか」(ルカ1:34)しかしマリアは、神様の最大の約束が救い主の誕生であり、神ご自身であることに気づき、待ち望む者とかえられました。わたしたちもまた主を待ち望む者です。

「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ローマ8:24b〜25)

クリスマスの準備が始まっています。喜び待ち望むことは、それが確かな喜びだからです。救い主が私たちの間に生まれます。神様がすでに始められた救いと愛と赦しを信頼しつつ、降臨節をすごしてまいりましょう。

司祭 マタイ 箭野直路
(軽井沢ショー記念礼拝堂協働司祭 旧軽井沢ホテル音羽ノ森出向)

自らが否定されることを恐れてはならない

立教新座中学校・高等学校のチャプレンとして遣わされて半年以上が経ちます。中部教区の皆さまとお会いする機会が少なくなり、本当に寂しく思いますが、近況をご報告させていただければと思います。

立教新座中学校・高等学校の「わたしたちの学校とキリスト教」というハンドブックに、立教新座中学校・高等学校学則第1条(目的)の「本校はキリスト教に基づく人格の陶冶を旨とし」について解説がされています。そこでは、「キリスト教の教えに基づいて教育を行うことを目的にし、キリスト教の信仰を強要する学校ではありません」と記載されています。どうも、立教新座中学校・高等学校のチャプレンの働きは、安易に「生徒を一人でも多く洗礼に導く」というものではなさそうです。例えば、西原廉太先生が『聖公会が大切にしてきたもの』で、聖公会の学校は、国教会である聖公会の伝統により、パリッシュに住む全地域住民に対する牧会的配慮という視点から建学されたのであって、信徒を増やすための伝道のツールとして建学されたのではないと書いておられますが、立教新座中学校・高等学校も同じであると思っています。そこで、私は、生徒や保護者の皆さまに、立教建学の精神を引き継いでいる「キリスト教の教えに基づいて教育を行うことを目的にし、キリスト教の信仰を強要する学校ではありません」を引き合いに出して、立教新座中学校・高等学校における「信教の自由」を積極的に伝えています。

このようなことを言っていますと、「甘い」「仕事をしていない」とご指摘いただくことになるかもしれません。しかし、決してそうではありません。フランク・グリズウォルド元米国聖公会総裁主教は、「聖公会学校とは真理を味わう場であり、学生、教員とは、真理を探究する旅人だ。聖公会学校は真理を探究するために常に開かれていなければならない。閉じられてはならない。自らが試される、自らが否定されることを恐れてはならない。ことにキリスト教を規範とする聖公会学校はそのような意味で〈危険な場〉でならなければならないのだ」と語っておられます。「信教の自由」すなわち「お家の宗教が仏教や神道であったら、あるいは無宗教でもいいですが、それを大切にしてくださいね」と宣言することは、キリスト教「自らが試される、自らが否定されること」でもあり、とても〈危険な場〉となることです。しかし、これを「恐れてはならない」のだと思います。この道は逆にとても厳しい道ですが、「私たちは真理を知っていますと断言しない」VIA MEDIAの教会、聖公会の学校として当然の道でもあると考えています。このような生徒たちとの真理を探究する旅のなかで、生徒たちがイエス様の愛の教えの素晴らしさを知り、そのうえで受洗者が神様から与えられるというのが、本来の姿であると感じています。

司祭 ヨセフ 石田雅嗣
(立教新座中高チャプレン・立教学院聖パウロ礼拝堂勤務)