『「私は夢見る人です」 と堂々と言いたいのですが…。』 

私は新潟に来てから、夏のキャンプのシーズンがやってくると同じ夢を見る人になります。この2年間はキャンプから帰ってきたらいつも、子ども日曜学校を作ろうと思いました。夢見るだけの人でとどまっているのかも知れませんが……。
さて、今年も子どもたちに大きなことを学んだキャンプでした。チャレンジキャンプの日程は8月の10日からでした。新潟からは3人の子どもたちが参加しました。柏崎あたりを通っていたところ、急に、雷を伴う滝のような激しい雨が降り始め、前方が何も見えない状況の車の中でこういう話をしました。
「去年もキャンプファイアが出来なかったのに、今日も無理かな~? 残念だね」
そのとき、小学2年生の風間剛くんにこう言われました。
「先生、でもね、僕は雨がずっと続いて降って欲しいな」
「なぜ?」と聞いたら、
「雨が止んだら、虹がすごく綺麗に見えるでしょう」と答えました。
なるほど。夢とは今すぐ自分がやりたいキャンプファイアを求めるようなことではなく、思わぬところで現れる小さな感動を期待するようなことではなかろうかと気づかされました。結局、雨は止み、初日の夜はキャンプファイアが楽しめました。
キャンプの最後の日のことです。小学5年生の佐藤菫ちゃんが入っていたグループから、キャンプの中でいろんなことを教えてくれたり、手伝ってくれたりした大人の方々にお礼の歌をプレゼントしたいので、集まってもらいたいという話がありました。
初めて聞いた歌でしたが、最後の歌詞が「アイ ビリービン フューチャー 信じてる」で、メロディーも綺麗でした。何より感動したのは、子どもたちの心が感じられたことです。その感動を忘れたくなかったので、そのときの心をそのまま短い曲として残してみました(写真)。
夢とは心を動かせることで、動けば動くほどその動きが大きくなるようなことだと感じさせられました。
キャンプの間、プログラムディレクターとしてキャンプ全日程を活発にサポートしてくれた漆原隆二さんという人がいました。帰りの車の中で、小学4年生の風間光くんにその人の話をしながら、
「チョン先生はね、その人の明るい性格がうらやましいんだ」と言ったら、光くんはこう言ってくれました。
「先生もきっとそうなれるよ」って。
ただ、うらやましいと言うだけの夢、そして日曜学校を作りたいと思うだけの夢などは、何の力もなく無意味のように見えるかも知れません。しかし、いますぐでなくてもいつかは綺麗な虹が現れるだろうと、そして私と同じ夢を見る人が一人二人現れるだろうという期待をもって、激しい雨の中、ハンドルを握っていたときをもう一度思い浮かべてみました。

司祭 イグナシオ 丁 胤植
(新潟聖パウロ教会牧師)

『語り続けること』 

夏休みに子どもを誘って釣りに行こうと思ったが、あいにく台風が来てしまい行けずに終わった。「逃がした魚は大きい」と言うように次なる期待ばかりが大きくなる。
その題名も「ビック・フィッシュ」と言う映画がある。いつもホラばかり話している父親を嫌っている息子は、親子関係が疎遠になっている。しかし父親の死に接した時、父親がいつも語っていたホラ話の中に出てくる人々は、出会ったいろいろな人間模様、人生の姿であったことを知るのである。その喜びや悲しみを、布に織り上げるように自分の中でつむいで、父親なりの人生の真理を物語として語っていたのである。
8月上旬チャレンジキャンプ14をおこなった。今回は「ものがたり」がテーマである。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」(使18・9b~10a)をテーマの聖句とした。世界の様々な物語には多くの知恵や人間の豊かさが満ちている。物語ることの中に、人を癒したり和解させる力があって、私たちはそんな物語を語ることのできる一人一人であることを子どもたちと学んだ。神様が語り、私たちは聞く。使徒言行録では主イエスの弟子たちが聖霊に満たされ、主イエスの言葉や出来事を物語っていった。彼ら自身語りだすことによって立ち上がり、歩き始めるのである。彼らと彼らの話を聞く人々の思いや願い、そこには主イエスによって新しく生かされる人々の物語がある。私たちも深い悲しみや絶え間ない心の痛みがありつつも神に生かされ、うながされて神の福音を語るのである。
この9月、中部教区宣教130周年記念礼拝がおこなわれる。中部教区に、み言葉の種はまかれ、私たちはその実を頂いている。聖書をとおして神は私たちに救いのメッセージを語りかけている。そのメッセージは聖書の最後のページで終わったのではなく、私たちもまた救いの物語を語っていく一人とするのである。神によって救われ、養われる者は、み言葉の種をまいていくのである。主イエスの救いを私たちの物語として。

司祭 マタイ 箭野 直路
(新生病院チャプレン)

『牧師の子ども』 

自分が牧師の子どもであることに気付き、そのことを意識し始めたのはいつ頃だったのだろうか、定かではない。気付こうが気付くまいが、生まれた時から確かに牧師の子どもであった。両親の主イエス・キリストを信じる信仰のもとに幼児洗礼を受けた。
聖公会に連なる幼稚園で、多くの主イエス・キリストを信じる先生方に可愛がられ、楽しい日々を過ごした。大学に入り、家を出るまでの大半の時期は教会に隣接する牧師館に住んだ。教会に来る多くの信徒の皆さんは、いつもわたしたち牧師の子どもに優しく暖かいまなざしをもって接してくださり、心を寄せてくださった。そんな恵まれた環境の中に育ち、自分が牧師の子どもであること、一人のキリスト者であることを、何のためらいもなく素直に受け入れることのできた時期がしばらく続いた。日曜日には日曜学校に出席し、やがて堅信式を受け、高校生の頃からは日曜学校の先生もした。休まず聖餐式に出席して陪餐することは、わたしにとって至極当然のことであった。
しかし、そのことを初めて意識的に捉え、立ち止まって考えたのは、思春期を迎えた頃の日常生活、教会の外での学校生活の中においてであった。牧師の子どもが特異な存在であり、キリスト者であることが特異な存在であるとは、それまで考えてもみなかった。牧師の子どもは、多くのノンクリスチャンの友人たちにとっては特異な存在であったに違いない。日曜日には礼拝を守る、食前にお祈りをする、真面目、礼儀正しい、お人好し、反面、どことなく堅い感じ、融通がきかない、そんな印象を与えていたのかもしれない。もし、自分がそのように見られていたとしたらそれは心外だそんな思いも持って過ごしていた。
「牧師の子どものくせに、あんなことをして!」などと言われたりすると、いつの間にか、「牧師の子どもはかくあるべきだ、かくあらねばならない」、そんな呪縛に捕らわれて、いわゆる「良い子」になるために偽善的な言動をしてしまったこともしばしばであった。その呪縛から解かれるためには、かなりの年月が必要であり、いまだ完全に解かれてはいない。それは、ありのままの自分を受け入れることなのだが、それがなかなか難しいからに他ならない。
この4月、33歳になる長男を不慮の死で失った。
牧師の子どもとして生まれ、育ち、自分と同じような轍の上を歩いて来た息子の死は、わたしに厳しい問いを突き付けた。あなたはどこかで無意識のうちに、あるいは意識的に息子に対して、「牧師の子ども(キリスト者)はかくあるべきだ、かくあらねばならない」という枷をかけていたのではないかと……。
同じように、牧師として信徒に対しても信徒(キリスト者)はかくあるべきだ、かくあらねばならないという枷をかけてきたのではないかと。
そんな気負ったわたしの魂の深みに、主イエス・キリストのみ言が熱く優しく呼びかけます。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」と。(マタ11・28、29)

司祭 サムエル 大西 修
(名古屋聖マタイ教会牧師)

『『いま』 泣いているひとは幸い』

2005年5月のメッセージ
マタイによる福音書で有名な「山上の説教」は、ルカによる福音書では「平地の説教」となる。実は、私は「平地の説教」の方が好きだ。平地に集まった人々には、一つの目的があった。それは、「病を癒していただくため」。そのために主に触れることであった。「群集は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気を癒していたからである。」「癒される」経験というのは、イエスと直接に触れることによって、イエスの力が、弱く、苦しむ人々の中に入り、力を与えるという出来事である。最近良く使われる言葉に、”empowerment”(エンパワーメント)というものがある。力無き人に力を注入することだけではなく、その人が本来持っている力をむしろ引き出すこと。力だけではなく、その人自身気がつかなかったり、あるいは外的な条件によって覆い隠されている、その人のそもそもの存在や価値を引き出すことを意味するものである。私は、主イエスの癒しの業とは、まさにこの”empowerment”ではないかと考えたい。イエスに触れる。それがたとえ小さな接触であったとしても、生きているイエスに直接触れることができた者は、自分の存在や意味を回復することができる。失われていた尊厳を取り戻すことができる。それこそが、主イエスの癒しの働きであり、奇跡の行為が意味するところなのである。
同時に、主イエスは、人々にご自身の力を”empower”されることによって、ご自分の力を消費し続けられた、という事実を私たちは忘れてはならない。イエスにとって、他者と出会い、触れ、癒すということは、ご自分の力を与えることと同時に、力を使い果たすことであった。主イエスは、ついに十字架の死に至るまで、力を使い果たされる。これがイエスにとって、人と出会うことであり、人を愛するということであった。
さて、この平地において、人々に言葉を与えられ、癒されたイエスは、弟子たちに向き直り、非常に大切な主の教えを伝えられる。「いま、泣いている人々は、幸い」と。「平地の説教」の中で繰り返し使われているのは、実は『いま』という言葉である。これほどの能力があるから幸いなのではない。これほどまでに努力しているから幸いなのではない。イエスが言われるのはこういうことである。「いま、そのままのあなたが幸いだ」。『いま』、貧しさの内にあるあなたそのままを主は祝福してくださる。貧しき者であるがゆえに、主はあなたを祝福される。それゆえにあなたは満たされる。『いま』、泣いているあなたのその涙そのものを主は祝福される。それゆえに、あなたは笑うようになる。
「いま、そのままのあなたが幸いなのだ」。『いま』重荷を背負う者、破れの内にある者、悲しみの中に生きる者。そのような者こそが、『いま』神さまを本当に必要としている。そして、神さまも『いま』、そのような者こそを探し求められている。それゆえに幸いなのである。これこそが、主イエス・キリストの福音の本質に他ならない。
司祭 アシジのフランシス 西原 廉太
(立教大学教員・岡谷聖バルナバ教会管理牧師)

『「せっぱつまって・・・!」』

『しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません。』  (詩編51:19)
ある日、ナタンがダビデ王を訪ね、謎めいた話を語り始め、王としてこの話をどうお思いになるかと訊ねると、王は「そんなことをした男は死罪だ」と激怒します。ナタンは静かに王に向かい「その男はあなただ」と告げるのです。
部下をアンモン人との戦いに出陣させ、自分ひとりエルサレムに残り、情欲のために部下の妻を召し入れ、女が身ごもるやその悪事を糊こ塗とするためにその夫である部下のご機嫌をあれこれ取るものの、それが上手くいかずと知るや故意にその部下を戦死させ、夫の死の悲しみにくれる女を召し入れて妻とする。読むたびに何とひどいことを・・・。憤りを覚えるところです。
ダビデは誰にも知られぬようにひた隠しにしていた罪を暴かれてしまいます。当時は王の故に居直ってもおかしくない時代であるにもかかわらず、彼は懺悔の祈りをせずにはおられませんでした。やはりダビデのダビデたるところでありましょう。王であることも、人目をはばかることも忘れ、神の前にただ一個の罪人として泣き崩れた彼の砕けた心を歌ったのがこの詩編なのです。
同じくヘロデ王も姦淫の罪を犯します。彼は自分に向かって意見したバプテスマのヨハネを投獄し、悩みながらも処刑してしまいます。ヘロデはその後、神の前にその罪を悔いることなしに生涯を終えることになります。
『人間というものは知らず知らずの内に、変わっていってしまうものなの・・・。
せっぱつまった状態に置かれると、そうすることが正しいかどうかを見極めずに、取り敢えず問題を解決しようと飛びついてしまう・・・。そのうち、それが正しいという錯覚に陥り、そういう生き方をするうちにそれに慣れて道理を見失い、目先の事しか見えなくなってしまう・・・。』 (韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」より)
罪を犯してもなかなかそれを認めようとせず、これくらいは誰でもしているではないかと思ってしまい、素直な砕けた心を持つことができなくなっていきます。自分はヘロデとは違うと誰が胸を張って言えるでしょう。それは個人のレベルにおいても然り、国や、国と国とのレベルにおいても、権力や武力、はたまた正義をかさに押さえつけ、自らの非や罪悪を認めるどころか、自らを正当化することに専心します。
しかしダビデはヘロデと違って自分の罪を悔いたのです。神の前にいかに自分が罪深く、自分ではどうすることもできない罪を悔い、ひたすら神に救いを求めます。それ故神に選ばれた王としての歩みを続けることを許されたのです。罪に泣いたダビデに与えられた救いの約束、それは将まさに、イエスの十字架によって今の私達にももたらされている救いの約束でもあることを今一度心に留め、赦され、生かされていること、そして、なにゆえ生かされているのか、と考えずにはおられないところではないでしょうか。
司祭 エリエゼル 中尾 志朗
(松本聖十字教会牧師)

『インマヌエル』

見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
イエス・キリストの誕生物語は、マタイ福音書とルカ福音書の二つにあるが、この聖句はマタイ1章23節で、「インマヌエル」という言葉でよく知られている。
インマヌエルは旧約聖書のイザヤ書7、8章に出てくる言葉で、冒頭の聖句中のインマヌエルは7章14節のものである。ギリシャ語で「神はメトゥ(と共に)・ヘーモーン(我々)」となる―マタイ福音書の誕生物語を読む場合、この言葉を覚えておこう。そしてマタイ福音書の特徴を見てみよう。
ルカ福音書には無くマタイ福音書特有のこの聖句について考えてみたい。インマヌエルはヘブライ語で、意味は「神は我々と共におられる」である。「我々と共に」であり、「われと共に」ではない。
マタイ福音書の誕生物語では、イエスは「王」として生まれる。占星術の学者たちのヘロデ王への言葉は、「ユダヤ人の『王』としてお生まれになった方は、どこにおられますか」とある。このことによってヘロデは自分の「王位」が危ないと不安を感じ、急いで祭司長たちや律法学者たちに調べさせ、誕生の地は「ベツレヘム」であると教えられる。ヘロデ王は「見つかったら知らせてくれ」と言って送り出し、「私も行って拝もう」などと心にも無いことを口にする。
イエスが王として述べられる記事はさらに続く。「彼らはひれ伏して幼子を拝み、贈り物をささげた」と。そこには、身ごもっているマリアとヨセフの、人口調査のための旅も馬小屋も出てこないし、羊飼いという社会の底辺を生きる人たちも登場しない。
しかし、マタイ福音書のイエスは単なる権勢を誇る「王」ではなく無力な王なのである。それは以下の物語と地上の生涯でわかる。占星術の学者たちがヘロデ王に知らせないで帰国の途に着くと彼は大いに怒り「ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、ひとり残さず」殺すのである。幼子はマリア、ヨセフと、その危難の直前に天使の言葉に従いエジプトに逃れた。ようやくヘロデ後の時代になったので帰還しようとするが、大王の子供たちが支配していて危険なので、ナザレの町へひきこもる。王になる人物らしくない。
続く物語は他の福音書と同じくイエスの地上の生涯の叙述であり、神の国についての教え、病人のいやしが述べられる。そして十字架の死、復活が詳述される。
最終章28章に至り、イエスは11人の弟子たちに全世界への宣教命令を与える。その最後の文章に注目したい。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」であるが、最後の最後でまたインマヌエルとよく似た言葉が出てくる。メトゥ(と共に)・ヒューモーン(あなたがた)。
「神は我々と共におられる」「わたしはあなたがたと共にいる」。この「わたし」とはイエス・キリストのことである。マタイ福音書は、神があるいはイエスが我々教会と共にいるという、初めと終わりの宣言で、何と囲まれている福音書なのである。
主教 フランシス 森 紀旦

『11月に思うこと』

北信濃にある飯山は、今、晩秋を迎えようとしています。春霞にけむる千曲川のほとり一帯に咲く黄色い花の大群落、高野辰之作詞、文部省唱歌、「おぼろ月夜」のモチーフとなった鮮やかな菜の花畑。蝉の声と共に深い緑につつまれた夏。そして今、突き抜けるような青空に、鮮やかな赤や黄色に染まりゆく秋を迎えようとしています。
上杉謙信が、川中島合戦の拠点として築城し、12年間の合戦の間にも、武田信玄の攻めに落城しなかった「堅固な城」。名利を求めず、ひたすら修業に打ち込み、多くの民衆の信望を得た名僧が修業した20余の古刹がたたずむ雪国の城下町、寺の町は、知識を蓄えた長い歴史に裏付けされた静けさを与えてくれます。

さて、11月は、教会暦一年の最後の月であり、降臨節が迫り来る月であり、そして、また、逝去者記念の月でもあります。

「(永遠の)命を得るために、(中略)神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明し」(テモテへの手紙一6・12b)神に望みを置き、一生懸命に生き抜き、信仰の戦いを立派に戦い抜いた人々の魂を大切に考え、記念・・し、主にある交わりを共にし、祈ります。この記念・・(アナムネーシス)とは、単なる過去の追憶ではなく、より積極的な意味であり、時間と空間を越えて再び現実のものとなり、死者と生者が、主イエス・キリストにある交わりにあずかることであり、やがて私達も、主と一つになる霊的な交わりに入れられることであり、ここに、私達の勇気と希望が与えられます。全ての亡くなられた方々の魂の平安を祈りたいと思います。

2004年も、まもなく過ぎ去ろうとしています。世界各国で続く、戦火、テロ、暴力の連鎖、長引く経済の低迷、漠然とした閉塞感。暗い時代が続いているように思います。脱亜入欧、富国強兵、明治以降の日本は、西欧文明を追い求めてきました。それは、積極性、能動性、生産性、効率性といった力の論理を重視、絶対化した弱肉強食といった力と強さの思想です。戦後、特に米国の文化が日本に影響を与えたように思います。アメリカンドリームに代表されるアメリカ的文化は、明るさ、健康に価値を置き、人間の弱さや悲しみのような影の部分をマイナスの価値として切り捨ててきたように思います。本当は、弱さも悲しみも大切であるのに、生産や効率の役にたたないからと言って切り捨ててきました。その結果、一面的にしか社会、世界をとらえられなくなり、相手の屈折や影の部分を想像できず、自分達の価値観で押し切ろうとする社会です。それがもたらしたのは、生命、生活の基礎となる生態系の破壊であり、環境汚染です。人間にとって、重要なことは、自分とは違う価値観をもつ他者の存在であり、異質な他者によって初めて見えなかった自分の姿が見えてくるように思います。他者を見失った同質な集団や均質な社会は危ういように思います。

さて、今月28日からは、教会暦の新しい年が始まります。柴の色が用いられるこの期節、イエス様の誕生を迎える準備の期節としての降臨節を慎み深く過ごし、意義深いクリスマスを迎える心の準備の時として過ごしたいものです。

司祭 テモテ 島田 公博
(飯山復活教会勤務)

『教会の「祈り」』

2004年10月のメッセージ

4月から慣れない短大勤めをするようになり、今までとは違った生活の中で戸惑うことも多くなりました。その一つは、「祈る」ということについてです。これまでは、教会に定住していたこともあり、朝と夕の祈りの時間を曲がりなりにもとることができていたのですが、サラリーマン時代と変わらないような生活になって以来、その習慣を守ることがとたんに難しくなってしまいました。このことについては自分でも危機感を持っているのですが、同時に「祈る」ということの意味を改めて考える機会を与えられているような気もしています。
わたしが修士論文のテーマにしたのは「信徒が司式する主日の礼拝」でした。この中で、信徒の奉仕職の基礎は教会「外」での生活にあり、その生活と主日の礼拝とをつなげていくことが信徒の奉仕職にとって、そして教会にとって大切なことなのだと主張しました。わたし自身は、聖公会の聖職という立場で短大に勤めているわけですが、しかしそれでもなお、わたし自身が直面している祈りの課題とはこのことに尽きるのではないかとも思っているのです。

最近、柳城の学生たちが頻繁に隣のマタイ教会におじゃまするようになりました。マタイ教会は柳城のチャペルでもありますので、彼らが気楽に出入りしてくれていることをチャプレンとして喜んでいます。これは、同世代の下原先生目当てだったり、静かにお昼を食べる場所を求めてであったり、ピアノや劇の練習のためであったり…と、いろんな目的でやってきています。彼らがやってくるのは平日の、学校がある日が主ですので、その存在に気づいておられない方々も多くおられると思いますが、平日に学生たちが教会を訪れていることと、その同じ建物で教会の礼拝が捧げられていることとは決して別々の二つのことではなく、一つの出来事であることをわたしは確信しています。

まだ半年弱の教員生活ですが、その短い時間の中でもいろいろな形で学生の「祈り」に触れる機会がありました。ほとんどの場合、彼らはキリスト教的な言葉を使って「祈って」いるわけではありませんが、でも確かに「祈って」いるのです。紙面では抽象的にしか申し上げられませんが、そう言わざるを得ない状況の中で一生懸命生きようとしている、その彼らの傍らでわたしもまた、共に祈っていたのです。この彼らの「祈り」をどう受けとめていくことができるのか、日々問われ続ける中でわたしは毎日を送っています。そして同時に、これは教会全体の課題でもあって欲しいと思うのです。

神の光に照らされて生きるわたしたち一人一人の毎日は、そのままわたしたちの祈りであり、朝と夕の「時の祈り」は、その日々の時間に特別な意味を与えます。そして、教会にわたしたちが集まって祈ることは、この毎日の祈りを持ち寄ることだと思います。これらが一つになったとき、わたしたちは、そして教会はほんとうに祈っていると言えるのではないでしょうか。そしてその中で教会は、学生たち一人一人の心の叫びを受けとめていく場となることができるのだと思います。

執事 ダビデ 市原信太郎
(名古屋柳城短期大学チャプレン)

『誰のために?』

去る7月13日未明から新潟県中越地方を記録的な集中豪雨が襲いました。その甚大な被害の中、私も支援活動に参加させていただきました。〝泥の竜巻に襲われた街″というのが市街を廻った私の印象でした。私は被害の深刻さに圧倒され、街の復興を遥か遠くに感じ、何らかの働きにより支援したいと考えていた私の力など何の助けにもなれないと思い、泥を掻き捨てるスコップを握る手に熱が入りませんでした。
しかし、そのような私の傍らには、ひたすら復旧作業を続けている幼稚園の先生方の姿がありました。先生方は自分たちも豪雨の被害に遭い、日々を何とか過ごしていくだけで精一杯であるはずなのに、何かに突き動かされるように復旧作業を続けていました。私は、その先生方の姿を見ながら、〝何が、ここまで先生たちを突き動かしているのだろうか?〟と考え、また、熱の入らない私自身と照らし合わせていました。

そして、先生方の復旧作業を見ているうちに、先生方を突き動かしているものを感じ取ることができるようになってきました。泥にまみれた遊具を一つ、一つ丁寧に洗っている先生方の姿、水没したピアノを何とか修繕しようとする先生方の姿の向こうに、その遊具で楽しそうに遊び、そのピアノが奏でる曲に声を合わせて元気に歌う園児の姿が見えたのです。先生方は、〝再び園児が楽しく遊び、安全に過ごすことができるように″〝すべては園児のために〟という使命と希望により突き動かされ、また支えられていたのです。

スコップを握り、泥を掻き捨てる私の手には、そのような 〝誰のために、何のために、何をしたいのか″という思いがなかったのです。そのことが私の心の中に無力感を生み、支えもなく、諦めの中でしか働けない自分を作り上げていたのです。

私は、先生方の姿に支えられ、自分が誰のために、何のために、何がしたいのかを求めながら復旧作業を始め直していきました。そして、園庭で楽しく遊び回る園児、嬉しそうにウサギに餌をあげる園児を思いながら、園庭の汚泥を掻き、ウサギ小屋の汚泥と糞を洗い流しました。すると、自然と作業の中に復興の希望を持てるようになっていたのです。私の働きが本当に少しでも園児の生活の中に生き、先生方を突き動かしている使命と希望の支えになれるかもしれない。その思いが私の働きの希望と支えとなり、私を突き動かしたのです。

そして、ある時、ふっと思ったのです、〝愛するとは、こういうことであるかもしれない〟と。まだ見ぬ園児の笑顔を思い、祈り、働くことができる。そして、そのために働く先生方を思い、自らを園児に捧げることを教えられる。今、私は、あの時、先生方に園児を愛するということを教わり、園児を少しでも愛することができたかもしれないと思っています。

私が三条を離れる時、ある一人の先生が〝たくさん、お手伝いしていただいて、ありがとうございました″という本当に素敵な言葉を私にくださいました。しかし、本当にお礼を言わなければならないのは私であると思いました。保育士を志す多くの学生が通う名古屋柳城短期大学の学生と関わりのある私は、学生たちがこのような、園児を愛することのできる先生になれるよう祈り続けていきたいと思います。
聖職候補生 ヨセフ 下原 太介
(名古屋聖マタイ教会勤務)

『「主の祈り」を祈ろう』

司式者:主イエス・キリストが自らお授けくださったこの祈り(主の祈り)を、日夜折あるごとに祈り、キリストに学び、キリストの道を歩みなさい。
洗礼志願者:アーメン

(日本聖公会祈祷書「入信の式」より)

8月号にふさわしい内容でよろしく、と原稿を依頼されました。戦乱に明け暮れる世界を見渡して、平和についての感慨を述べるようにということかも知れないが、それは他の機会に譲るとし、かねてより私が感じている、「『主の祈り』を祈る」ことについて、思うところを記させていただきたい。

ご承知の通り、私自身がいわゆるスローモーなたちで、しゃべったり、行動したりするのが人一倍遅く、半分ひがみもあるかも知れないが、つい数か月前の、日本聖公会総会や教区教役者会などに参加して、他の多くの人々と共に「主の祈り」を祈る機会を与えられたが、すらすらと、何のよどみもないように唱え続ける他の人たちに遅れをとるまいとすればするほど、息が詰まるようになり、神様との交わりを楽しむ至福の境地を味わうどころか、苦痛に感じることもありました(これまで幾度も体験したように)。

ある決まった文句を、調子をとりながら声に出して読んでいく「唱える」作業は、外からみれば、インパクトに富む、エネルギッシュな行為ですが、神に向き合い、神に聞く「祈り」の行為とは少し違うのではと思います。

限られた時間内に捧げる公同の礼拝で、個人的な感傷だけにひたることが許されないのは当然ですが、スロー・ライフとか、スロー・フードがもてはやされる昨今、ほんの数秒、数分だけ、もう少しゆったりと「主の祈り」の一字一句をかみしめながら、神に向かって立つことは出来ないものでしょうか。

古来、私たちはさまざまな種類の祈りに支えられてきましたが、『主の祈り』は、少し時間をかければ幼児でも容易にそらんじることが出来る真に心地良い祈りです。

でも、天とはどんな世界か?み名とは? 聖とするとはどういうことか? み国とは?みこころとは? 日ごとの糧とは? 罪とは? ゆるしとは? 誘惑とは? 悪とは?等々、一つ一つの言葉に思いをはせれば、一言では語り尽くすことができなくとも、イエス様と私たちを結ぶ味わい深い奥義にたどりつき、日々新たにされていきます。

神に対する信仰を告白し、神に応答していくという「祈り」の本質に立ち返って、一言一句、イエス様が教えてくださったイメージを思い浮かべ、心に描きながら祈っていくうちに、すばらしい世界に招き入れられるのを実感できると思います。

そして冒頭の「入信の式」の「主の祈りの授与」にあるように、『主の祈り』を(ただ、走り読むのでなく)よく祈り、キリストに学び、キリストの道を歩んでいくことが出来れば幸せです。

最後に、私が多くを教えられた、ある先輩聖職のメッセージ「聖歌は早く、祈りを遅くしなさい」を皆様と共に味わい、祈りつつ、日々を過ごしていきたいと願います。
司祭 ルカ 森田 日出吉
(高田降臨教会牧師)