今年も大斎節を迎えました。かつてはよく「大斎を失う者は一年を失う」と言われましたが、最近はあまりそういうことを聞かなくなりました。わたしも年のせいですか大斎節の緊張感が少し薄れてきているようで反省しているところです。わたしたちの信仰の根幹である主イエスの受難と復活を深く想いつつ大斎節を過ごしてまいりましょう。
大斎始日の礼拝式文には「一人びとりの内なる生活を顧みて悔い改め、祈りと断食に励み、自己本位な生き方から解かれて愛の業を行い、また神の聖なるみ言葉を熟読し、黙想することによって、この大斎節を忠実に守ることができますように」とあります。
「悔い改め」「祈りと断食」「自己本位な生き方からの解放」「愛の業」「み言葉の熟読と黙想」。これらを見ますと「大斎を失う者は一年を失う」ということの意味が良く分かります。これらに努めるということは何も大斎節に限ったことではなく、一年を通しての信仰者の在り方だからです。大斎節にそのような基本をしっかりと作っておくことにより一年の信仰生活をつつがなく送ることができるのです。
大斎節を迎え、わたしたちは自らを省み、神様の御心に適う生活を送るようにしてまいりましょう。詩編には「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません」(51:19)とあります。そのような心を大斎節に養いたいものです。
この3月末をもって箭野眞理司祭と松本正俊司祭が定年を迎えます。今までのお働きに感謝いたします。お二人は引き続き嘱託として勤務してくださいます。大変感謝です。4月からは相原太郎聖職候補生が聖公会神学院に入学します。主の導きのもと良き学びの時が与えられますようお祈りください。
エッセイ
主教が教区報「ともしび」に連載しているエッセイです。
今教区会期の課題
昨年の教区会において今教区会期の教区の課題についていくつかの提案が出されました。その後の常置委員会でもそれらを確認し、検討・実行して行くことを決めています。それは、①教区諸規定の見直し、②教区各センター事業(可児ミッションを含む)に対する教区の主体的な関わり、③教区の中・長期ビジョンの具体的な策定(2022年の宣教協議会も踏まえて)、④教区百年史の完成に向けての道筋を整える、です。 さらに付け加えますと、前教区会期から継続中の宣教資金拠出金を含めた財政問題も含まれてきます。これらの課題が今教区会期の最重要課題であると考えます。当然のことですが、これらの課題は常置委員会や運営会議だけの事柄ではなく教区全体の課題です。一人一人がこれらの課題を常に意識していただき、それぞれの場で建設的な意見を遠慮なく出していただきたいと思います。教区研修会でも大いに議論していただきたいと願います。 各常置委員もそれぞれの課題に主体的に関わることを申し合わせています。これらの課題について明確な方針を導き出し、今年の教区会に具体的な議案として提出されることを期待しています。思い切った変化があってもそれを受け止め、実行してまいりましょう。 最後に嬉しいお知らせがあります。昨年12月9日、中部教区第6代主教である植松従爾主教様が100歳を迎えられました。1976年教区主教に就任され、1986年末に定年退職を迎えられるまで“み言葉と祈り”によって教区を導かれました。わたしも主教様と同じ時に中部で働き始め、執事、司祭と按手をしていただきました。その主教様がご健在ということは個人的にも嬉しいことです。主教様ご夫妻に祝福とお守りをお祈りいたします。
日本聖公会の新しい歩み
9月下旬、主教会が開催され、「堅信前の陪餐」を実施するための「主教会牧会書簡」と「『堅信前の陪餐』に関わる一般原則」(ガイドライン)について話し合い、ほぼ内容を確定しました。この「ともしび」が発行される頃には、各教会に送られていることと思います。
「堅信前の陪餐」は2017年1月1日から実施されます。ただし、洗礼を受けていれば(受ければ)、即、その日から無条件で陪餐できるのかと言いましたらそうではありません。イエス・キリストの体と血である大事な聖餐をいただくわけですから、必要な準備を経てからになります。
◎「洗礼・堅信・陪餐」の準備を終えて洗礼を受けた人の場合、堅信がなくても陪餐できるのか。その場合、堅信はどうするのか。◎嬰児や幼児、小児の受洗者の場合の陪餐についてはどうなのか。◎子どもの陪餐の準備や手続き、陪餐方法はどうするのか。◎他教派から転入した人の場合はどうなるのか。◎洗礼を受けただけで長く教会から離れていた人の陪餐はどうなるのか。そんなことが主な内容になっています。
各教会で信徒と教役者がこの「主教会牧会書簡」と「『堅信前の陪餐』に関わる一般原則」を十分に学んで実施へと向かって行くことになります。教役者協議会でも内容を十分に理解しなければなりません。「堅信前の陪餐」が実施されることにより日本聖公会が聖餐を中心にした宣教の共同体としてより豊かにされることを願います。
〝教会の5要素・宣教の5指標〟
このたび管区事務所より「教会の5要素・宣教の5指標」のカードが送られてきました。皆様も既にお持ちのことと思います。まだの方はどうぞお持ちになり、祈祷書等に挟むなどして、たびたび取り出して見ていただきたいと思います。
「教会の5要素」は去る2012年に開かれた日本聖公会宣教協議会で確認された、それ以降10年間の日本聖公会の宣教の指針となるものです。わたしたち日本聖公会の各教区・教会はこれらの要素を踏まえながら、それぞれの宣教方策を考え、実行しているところです。また、「宣教の5指標」は1998年のランべス会議に基づき全世界の聖公会が宣教の目標に特定しているものです。
教会が少し元気を失いつつある現在、もう一度宣教の原点に戻り、これらの要素・指標を確認しつつ、教区・各教会の宣教を推進してまいりましょう。皆さん一人一人がこの「要素・指標」をいつも意識しながら―祈りながら―信仰生活を送ることにより、具体的な方向が必ず与えられると信じます。
先のリオ・オリンピックでは男子400mリレーで日本は銀メダルを取りました。4人のリレーメンバーには世界トップクラスのランナーは誰もいませんでした。にもかかわらずバトンパスの見事な連携でアメリカをも凌ぎ銀メダルに輝いたのです。
わたしたちはスーパースターである必要はありません。自分たちの身の丈に合った「み言葉(ケリュグマ)・奉仕(ディアコニア) ・証し(マルトゥリア)・礼拝(レイトゥルギア)・交わり(コイノニア)」を実践すればいいのです。信仰生活のちょっとした工夫や視点を変えることによってより良い宣教方策が見えてくるのではないでしょうか。10月の研修会ではいろいろな意見を出し合いましょう。
祈祷書の改正について
6月の日本聖公会総会において祈祷書改正委員会の設置が決議され、いよいよ祈祷書の改正が始まります。現行祈祷書が改正されたのが1991年6月ですから25年が経過したことになります。ついこの間改正されたと思っていましたら、もう四半世紀が過ぎたことになります。
祈祷書はわたしたちの信仰生活の導き手であり、わたしたちの信仰生活に直結するものです。それだけ大切なものです。聖公会の教会はその初めから祈祷書による信仰生活を守ってきました。祈祷書にはわたしたちの生涯における信仰生活に必要な事柄がほとんど含まれています。洗礼、堅信、聖餐式、朝夕の礼拝、昼の祈り、就寝前の祈り、聖婚式、誕生感謝の祈り、葬送式、嘆願、個人懺悔、聖職按手式、礼拝堂聖別式、牧師任命式、諸祈祷…等々です。
祈祷書による祈り(成文祈祷)は時として自由祈祷を妨げるという批判もありますが、様々な人々が様々な思いを持ちつつも、心を一つにして祈りを捧げることができるのはやはり祈祷書があるからなのです。祈祷書が改正されることによりわたしたちの信仰生活がより豊かにされ、今の時代にふさわしい在り方で神様を賛美し、イエス・キリストを証していくことができるよう願うものです。
ところで、祈祷書改正に関して皆様にお伝えしたいことがあります。それは、現在、東京教区に出向中の市原信太郎司祭がこの度、祈祷書改正の実務担当者(専従者)に就任されたことです。東京教区の牧会にも関わりつつ祈祷書改正の実務に専念されることになります。市原司祭の知識と経験を大いに生かして祈祷書改正の働きに携わっていただきたいと思います。わたしたちも祈りをもって市原司祭の働きを支えていきましょう。
洗礼による陪餐
6月、日本聖公会総会が開かれ、祈祷書の一部改正が可決されました。これにより、堅信前の陪餐が可能になります。施行は2017年1月1日の予定です。施行までに主教会教書や具体的なガイドラインが準備されます。
この決議により、堅信を受けなくても洗礼による陪餐が可能になります。これは、堅信は必要なく洗礼を受ければ陪餐できるという単純なことではありません。今回の決議は救いにおける洗礼の重要性(十全性)を再確認するものでもあります。わたしたちは洗礼によってキリストと共に死に、キリストの新しい命に生き、キリスと一体とされます。ですから、キリストの命に生きる者がキリストの聖餐をいただくことは極めて当然のことなのです。その点をしっかり認識しなければなりません。
では堅信は必要ないのでしょうか。全くそうではありません。洗礼を受けキリストの聖餐にあずかった者は堅信の恵みにもあずかり、聖霊によって強められ、キリスト者としてこの世界に派遣されて行くのです。堅信は陪餐の前提ではありませんが、わたしたちがキリスト者としてこの世界で福音宣教の務を担っていくために必要な恵みの式なのです。ですから、可能な限り洗礼と堅信と陪餐が同時に行われることが望ましいのです。
また、堅信前の陪餐のためには準備も必要になります。イエス様の体と血をいただくのですから相当の準備と自覚を持って聖餐にあずからなくてはなりません。必ずしも「洗礼即陪餐」ということではないのです。子供の場合には初陪餐の年齢の目安も必要になります。また、洗礼は受けたが堅信はまだの成人の信徒も十分な準備ののち陪餐ということになるでしょう。そのような課題への対応を明確にしつつ施行へと進んで行くことになります。
憲法改正?
この夏の参院選では憲法改正が争点の一つになるようです。選挙の結果、参院でも与党が三分の二以上の議席を確保すると憲法改正が現実味を帯びてきます。この場合の改正案は言うまでもなく自民党案です。主な改正内容は以下の通りで、改正されたら概ねこうなります。
◎天皇は「象徴」から「元首」に。◎「自衛隊」は「国防軍」に。現憲法9条の事実上の有名無実化。(いずれ徴兵制もあるでしょう。) ◎「家族が互いに助け合う」ということまで憲法に明記されます。余計なお世話ではと思うのですが。◎憲法の改正は現行の「三分の二以上の国会議員の発議で国民投票に」から「過半数の国会議員の発議」でよくなります。時の為政者の意思で簡単に憲法が変えられてしまう可能性が出てきます。◎憲法の厳守義務を負う者は現在、「天皇と国会議員及びすべての公務員」(立憲主義)ですが、今度は国民も憲法尊重義務を負うことになります。お前のところは家族が助け合っていないから憲法を尊重していないと言われるのでしょうか。◎個人の自由・表現の自由には〝公益や公の秩序に反しない〟という縛りがかけられます。旧大日本帝国憲法の「臣民は(帝国の)安寧秩序を妨げない範囲で信教の自由を有す」を思い起こさせます。公益や秩序を乱すのを判断するのは誰でしょうか。◎宗教的なことでは、地鎮祭は宗教行事ではなく社会的儀礼・習俗的行為とみなされ玉ぐし料の公費支出も認められてしまいます。
憲法は本来、国家(政治)を正しく治めていくために国や地方の政治に携わる者が守るべき法律であり、国民を縛るためのものではないはずです。このような改正(悪)は国家に国民を隷属させようとすることに他ならないのです。
それぞれの力に応じて
去る4月14日に発生した熊本、大分を中心とする九州地方の地震はその後も大きな余震が続き、なかなか落ち着きを取り戻していません。被害を受けた皆さんが一日も早く安心した生活を取り戻せますようお祈りいたします。また、亡くなられた方々の魂の平安、ご遺族の方々へのお慰め、そして、未だ行方不明の方の発見を願うばかりです。
九州教区はいち早く支援室を立ち上げ活動を始めています。ただし、人的な制限もあるようです。必要なことは遠慮なく申し出ていただき、わたしたちもできる限りの支援をさせていただきたいと思います。
思い起こしますと中部教区では古くは濃尾地震、新潟地震、松代地震、中越地震、中越沖地震、松本地震、長野県北部(栄村)地震、三条水害等、多くの災害を経験し、多くの方々の祈りと支援をいただいてきました。他の人たちが自分たちのことを気にかけていてくれるということは本当に心強いことです。
使徒言行録にはユダヤ地方に大飢饉が起こったとき、アンティオキアの教会の弟子たちがそれぞれの力に応じてユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ったとあります。また、コリントの教会はエルサレム教会の窮乏に際して、「進んで慈善の業と奉仕に参加した」とパウロは書いています。さらにパウロはその支援を「自分の持っているものでやり遂げることです。進んで行う気持ちがあれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです」と言っています。
一人一人の力は小さくてもその一人一人が祈りと具体的な支援において〝それぞれの力に応じる〟ことにより、精神的にも物質的にも大きな力と支えになっていくのです。引き続き皆様のお祈りとご支援をお願い申し上げます。
聖公会の混乱… 聖公会首座主教会議より
今年1月、世界の聖公会の首座主教会議が英国・カンタベリーで開かれました。日本からは植松誠首座主教が出席されました。その報告は管区事務所だよりに掲載されていますし、管区事務所のホームページでも見ることができます。
植松主教は〝緊張感みなぎる中での開催〟と表現しておられます。なぜならば、全世界の聖公会は以前から人間のセクシュアリティーの問題で大きく揺れ動いているからです。特にアメリカやカナダの聖公会と、アフリカや東南アジアの聖公会との間にはその理解に対して大きな隔たりがあります。
今回の会議ではいくつかの課題が話し合われましたが、やはり一番大きな課題はセクシュアリティーの問題でした。と言うのも、アメリカ聖公会が昨年の総会で同性婚を認める法規の改正をしているからです。それに対して保守的な各国聖公会からは、同聖公会の決議は男女間の伝統的な結婚の教理の変更であり、全聖公会の一致を大きく損なうものであるとの強い非難がありました。
その結果、今回の会議ではアメリカ聖公会が向こう3年間、エキュメニカル、及び宗教間の会議においては全聖公会を代表しないということ、また、全聖公会の常置委員には選任されないということ、そして、様々な会議においては意思決定権を持たないという勧告が採択されました。これはアメリカ聖公会の全聖公会からの締め出しと言えるかもしれません。植松主教の話ではアメリカ聖公会のマイケル・カリー総裁主教は大変落胆しておられたそうです。
とりあえず今回は分裂の危機は回避されたようですが、依然として混乱と危機は続くことでしょう。日本聖公会としても早晩この問題についての何らかの見解が求められそうです。
日本聖公会の出発点…長崎
昨年8月9日、長崎原爆の日に長崎聖三一教会で行われた九州教区の長崎原爆記念礼拝に出席し、午後、日本聖公会のルーツを巡る短いフィールド・トリップに参加しました。
教会からオランダ坂を登った一角に、アメリカ聖公会最初の宣教師であり、日本聖公会生みの親の一人でもあるウイリアムズ主教(当時・司祭)が住んでいた家のあった場所があります。ウイリアムズ主教が住んでいた場所に立てるとは思ってもいませんでしたので大変感激でした。また、少し離れたところには聖公会最初の会堂(礼拝所)のあった場所もありました。(いずれも、〝ここがそうだ〟という案内の標識が立っているだけですが。)
更に、出島に行きますと、日本聖公会としてはもちろんのこと日本のプロテスタント教会最古の神学校でもあった「聖アンデレ神学校」が―現在は資料館として―残されていました。聖アンデレ神学校は1877年(明治10)、英国聖公会宣教師のモンドレル司祭によって建てられました。現在は解体・修理が行われ復元された建物ですが、当時の面影を偲ぶことができます。明治の初めに建てられた神学校が残っているとは知りませんでしたのでこちらも驚きでした。
長崎は日本聖公会の宣教が実質的にスタートした地です。ウイリアムズ主教をはじめ初期の宣教師たちはまず長崎に上陸し、日本伝道に向かったのでした。当時は各教派のほとんどの宣教師が長崎に上陸し日本各地に散って行きました。そういう意味では長崎は聖公会に限らずプロテスタント教会の宣教の出発点でもあるのです。
原爆の日に当たり、犠牲者を覚え、核のない平和な世界を祈りつつ、合わせて日本聖公会の草創期の宣教に思いを馳せたのでした。