会衆席で

先日の主日、大変恥ずかしいことをしてしまいました。午前にG教会で聖餐式・堅信式があり、午後はO教会で聖餐式でした。いずれも管理牧師と夏期実習中の聖職候補生が一緒でした。G教会での礼拝が終わり、食事を皆さんとご一緒し、O教会に向いました。教会に着き、さて、式服などの入った荷物を車から取り出そうと思ったところトランクに荷物がありません。何とG教会に忘れてきてしまったのです。しまったと思いましたが後の祭りです。片道4~50分の距離ですので取りに帰ることもできません。O教会では主に説教が役割でしたが、式服、祈祷書等はもちろん、説教の原稿も荷物の中に入れたままでした。
原稿がなくても説教ができないことはなかったのですが、この際、管理牧師におすがり(?)しようと思い、「説教も含めて聖餐式全部、お願いしてもいい?」と尋ねたところ、二つ返事で「いいですよ!」と言ってくれました。お陰様で助かりました。式服もありませんので、わたしは会衆席で聖餐式をお献げしました。主教になってからはもちろんですが、特別な場合を除いて主日に会衆席で聖餐式を献げたことはありませんでしたので思わぬ体験でした。
自分の注意不足で教会の皆さんに迷惑をかけ、しかも、これから聖職を目指す聖職候補生の前でこういう失態を犯すのは大変恥ずかしいことで大いに反省しなければと思ったことです。ちなみに、管理牧師さんは突然にもかかわらず大変良い説教をしてくれました。もちろん、説教原稿なしでです。感謝です。
蛇足ですが、わたしは時々、〝聖餐式が始まるというのに説教の原稿がなくてうろたえる〟という夢を見ることがあるのですが、それが正夢になってしまったように感じたのでした。

そこにいるということ

先日の巡回の折、しばらくぶりにある退職司祭(故人)のご夫人にお会いしました。前回の訪問時には少し体調が良くなかったようでお会いできませんでしたので、お元気なご様子に安心しました。ご挨拶をさせていただくと、お元気とのこと。「教会のことは何もできませんが…」と言われますので、ご夫人がいてくださるだけで皆さん嬉しいのですと申し上げました。
長く信仰生活を続けておられる方がいつも礼拝に出席しておられるということは何かホッとするものです。そこにおられるというだけで信仰を醸し出してくださるように感じます。
その少し前には別の教会を巡回しました。聖餐式の途中で小さい子供がむずかるためお母さんが気を遣って礼拝堂の外に連れていかれました。わたしは個人的には子供が多少むずかっても聖餐式という空間の中にいるということは大切なことだと思っています(泣き叫んでいる子を放置しておきなさいということではありません)。
小さな子供や赤ちゃんは聖餐式の意味や内容、説教も理解できないでしょう。しかし、理解できなくてもみんなが礼拝している空間にいるということが大切なのです。その場にいて礼拝の空気を全身で感じることにより、神様を知り、イエス様を知り、信仰の成長へとつながっていくのです。
 ところで、今月号をもって「平和の歌」が終了します。足掛け7年にわたり多くの皆様にご投稿いただきましたこと感謝です。
殊に、選者としてご奉仕くださいました黒田淑子さんは歌人としてのお忙しい身にもかかわらず、また、途中体調を崩されたにもかかわらず長い間ご奉仕くださいましたこと本当に感謝です。これからもご健康に留意されご活躍されますよう心よりお祈りしています。

平和を想う時

先日、岐阜市で開催されていた「子どもたちに伝える平和のための資料展」を見てきました。岐阜市は1945年(昭和20)7月9日深夜から10日にかけて米軍の空襲を受け、市の中心部のほとんどが焼かれ、約900人の犠牲者が出ました。
岐阜市は7月9日を「平和の鐘の日」とし、空襲での犠牲者を追悼し、戦争の悲惨さ残酷さを後世に語り継ぎ、平和への祈りを込めて鐘を鳴らします。この資料展もその一環として開催されています。主催は岐阜市ですが、企画・制作は「岐阜空襲を記録する会」が行っており、会の事務局長は岐阜の教会のメンバーが務めておられます。
資料展の規模は小さなものですが、畑を耕している小学生の様子や空襲前と空襲後の市内を写した写真、実際の焼夷弾などが展示されています。アメリカ軍が空襲1ヶ月前に撮影した岐阜市の航空写真は実に鮮明です。
当時の岐阜市中心街は空襲による火災の延焼を防ぐため道路が拡張されましたが―岐阜の教会もその時に強制的に撤去させられました。(戦後、現在の場所に移りました)―いざ空襲になりますと焼夷弾の威力の前には道路の拡張など何の意味もありませんでした。市内は焼け野原と化したのです。
8月は平和を想う(願う)時です。戦争は国と国、人と人とが争い、殺し合うことであり―しかも、無垢な非戦闘員が一番の犠牲になります―、平和な生活がすべて灰燼に帰すことを意味しています。
旧約のイザヤは「剣を打ち直して鍬とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない」(2・4)と預言していますが、戦争の気配を感じさせるような昨今、武力では決して平和な世界は生まれないということをわたしたちは過去の戦争の経験から学ぶのです。

「共謀罪」の恐ろしさ

去る5月23日、十分な論議がし尽くされたとは思われない状況の中で、衆議院本会議において「共謀罪」法案が政府与党によって強行採決されました。この法律の怖さは何と言っても一般の国民がテロの調査・捜査対象にされ得るということにあります。もちろんテロは絶対に許されるべきではなく、その防止のためには十分な取り締まりが必要であることは言うまでもありません。
政府は、一般市民はテロ捜査の対象にはならないと言っていますが、テロを画策する人(々)は一般の市民と区別のつかない状況の中で、しかも極めて秘密裡にそれを行います。と言うことは一般市民であっても少しでも疑わしいと思われれば―捜査する側がそう判断すれば―いくらでも、誰にでも捜査が及ぶということを意味しているのです。
戦前、「治安維持法」という悪法がありました。当時の司法相は議会で「無辜の民にまで及ぼすことのないよう十分研究考慮した」と言ったそうです。ところが、実際に法律が施行されると全くそうではありませんでした。一般市民はもちろん、宗教団体もその対象とされたことは改めて申し上げるまでもありません。
中部教区主教であった佐々木鎮次主教は―戦争中には東京教区主教に転出しておられましたが―スパイ容疑で憲兵隊に拘禁され、寿命を縮めるほどの厳しい取り調べを受けました。南東京(横浜)教区の須貝止主教もそうでした。他の何人かの司祭たちも同様です。
恐ろしいことは官憲がある人(々)をスパイと特定すれば簡単に拘束することができてしまうということです。「共謀罪」はまさにそのような法律なのです。「治安維持法」の二の舞にならないと一体誰が保証できるでしょうか。

くるみの木のこと

教区内の幼稚園・保育園がだんだんと認定こども園に移行しつつあります。既に三条、直江津がこども園化され、この4月からは松本、稲荷山も幼保連携型認定こども園に移行しました。それぞれの園が子どもたちへの教育と保育、そして子育て支援に今まで以上に努められますよう願っています。
先日、稲荷山で開園記念式典がありましたが、稲荷山幼稚園は幼保連携型認定こども園「稲荷山くるみこども園」という名称に変わりました。なぜ「くるみ」なのか平部延幸園長が説明しておられました。かつて稲荷山の教会にはたくさんのくるみの木があり、戦前戦後を通じて教会や幼稚園の財政を支えてきたそうです。今はなくなってしまいましたが、そのことを忘れないために「くるみこども園」と名付けたそうです。
そう言われてみますと、長野県の多くの教会には確かにかつて大きなくるみの木がたくさんあったように記憶しています。推測ですが、その背景には教区最初期の宣教師の一人であり、長野の教会で長く牧会されたウォーラー司祭がくるみの木を植えることを奨励したためではないかと思われます。
長野聖救主教会発行の「ウォーラー司祭―その生涯と家庭」にはウォーラー館の庭のくるみを盗みに入った子どもたちが同司祭からこっぴどく叱られたこと、また、くるみは大切に乾燥させ、売却代金は教会会計に入ったことが記されています。神学生のためにも使われたと聞いています。
ですから、単純に教会の庭にくるみの木がたくさんあったということではなく、一本の木にも教会の働きに奉仕するという存在意義があったのです。くるみの木にもそのような歴史があることを稲荷山の開園式典に出席して改めて感じました。

植松主教様を偲んでもう一言

 植松従爾主教様の逝去については先月号でお知らせいたしましたが、もう一言付け加えさせていただきます。主教様が退職された直後の『ともしび』に故・森一郎司祭様が、「主教様の大切な教えは、信徒一人ひとりの重要さということです。『一人の信徒は神さまから十二分に愛され、聖霊が与えられているので、何を考えてもよいし、何をするにも十分に力が与えられている』という主張をなさいました。私たちは十年間、同じ説教を聞かされてきたのです。次の十年間は信徒一人ひとりがこの主教様の教えを、自覚的に、自由に、創造的に生きて、実現したいものだと思います」と書いておられます。
わたしも主教様の「信徒は聖霊を与えられているので何でもできる」というお言葉を良く記憶しています。主教様の信仰の確かさを表しているお言葉であり、聖霊の働きへの確固とした信頼から来るお言葉です。そして、その信頼は―これも主教様の十年間の変わらない教えでしたが―「み言葉」と「祈り」から来るものでした。聖書を読み、お祈りをする。信仰者の基本中の基本を繰り返し教えられました。そして、「クリスチャンにとって最も大事なこの二つのことがもし欠けているとしたら…これはまさに致命的です」と言っておられます。主教様はそのことをご自身の生き方をもってわたしたちに教えてくださいました。
主教様が退職されて30年。この信仰の基本は永遠に変わるものではありません。むしろ、教会に少し元気がなくなってきている今だからこそ、その基本が本当に求められていると強く感じます。わたしたちが自覚的、創造的に信仰を実践するためには「み言葉」と「祈り」を決して欠かすことはできないのです。

”神に信頼をおく”

大斎節も残り少なくなりました。主イエス様の十字架、そして、ご復活を深く黙想しつつ残りの大斎節を過ごしてまいりましょう。
わたしたちの信仰生活はいつも平穏無事というわけには残念ながら行きません。些細なことでも信仰生活を脅かす困難さは必ずあるものです。そんな時、神様は必ず良い道を備えてくださると信じていても、時には神様に弱音を吐いたり、不安になったり、愚痴を言ったり、疑ったりしてしまうのです。それがわたしたちの信仰生活の現実です。
「コリントの信徒への手紙二」の中でパウロは、福音宣教のために被った苦難があまりにも激しかったので、「生きる望みさえ失い、死の宣告を受けた思いだった」と記し、「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」(1・9)と書いています。
パウロがそれまで神様を頼りにしていなかったわけではないでしょうが、彼のような信仰の持ち主でも想像を超えた様々な苦難に遭遇したときには死の不安に駆られてしまうのです。しかし、彼は続けて言います。「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、…これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」。
パウロは自分たちがいかに大きな危険に晒されてきたか、しかしそんな時でも神様はいつも救ってくださったではないか、これからも救ってくださらないはずがない、と神様への信頼を確認し、福音宣教への思いを強くしているのです。
信仰が揺らぎそうになった時こそ神様に信頼をおいて信仰生活を送ってまいりましょう。神様はどんな時でもわたしたちに最も良い道を備えてくださるのです。
ご復活の祝福をお祈りいたします。

大斎節を迎えて

今年も大斎節を迎えました。かつてはよく「大斎を失う者は一年を失う」と言われましたが、最近はあまりそういうことを聞かなくなりました。わたしも年のせいですか大斎節の緊張感が少し薄れてきているようで反省しているところです。わたしたちの信仰の根幹である主イエスの受難と復活を深く想いつつ大斎節を過ごしてまいりましょう。
大斎始日の礼拝式文には「一人びとりの内なる生活を顧みて悔い改め、祈りと断食に励み、自己本位な生き方から解かれて愛の業を行い、また神の聖なるみ言葉を熟読し、黙想することによって、この大斎節を忠実に守ることができますように」とあります。
「悔い改め」「祈りと断食」「自己本位な生き方からの解放」「愛の業」「み言葉の熟読と黙想」。これらを見ますと「大斎を失う者は一年を失う」ということの意味が良く分かります。これらに努めるということは何も大斎節に限ったことではなく、一年を通しての信仰者の在り方だからです。大斎節にそのような基本をしっかりと作っておくことにより一年の信仰生活をつつがなく送ることができるのです。
大斎節を迎え、わたしたちは自らを省み、神様の御心に適う生活を送るようにしてまいりましょう。詩編には「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません」(51:19)とあります。そのような心を大斎節に養いたいものです。
この3月末をもって箭野眞理司祭と松本正俊司祭が定年を迎えます。今までのお働きに感謝いたします。お二人は引き続き嘱託として勤務してくださいます。大変感謝です。4月からは相原太郎聖職候補生が聖公会神学院に入学します。主の導きのもと良き学びの時が与えられますようお祈りください。

今教区会期の課題

昨年の教区会において今教区会期の教区の課題についていくつかの提案が出されました。その後の常置委員会でもそれらを確認し、検討・実行して行くことを決めています。それは、①教区諸規定の見直し、②教区各センター事業(可児ミッションを含む)に対する教区の主体的な関わり、③教区の中・長期ビジョンの具体的な策定(2022年の宣教協議会も踏まえて)、④教区百年史の完成に向けての道筋を整える、です。

さらに付け加えますと、前教区会期から継続中の宣教資金拠出金を含めた財政問題も含まれてきます。これらの課題が今教区会期の最重要課題であると考えます。当然のことですが、これらの課題は常置委員会や運営会議だけの事柄ではなく教区全体の課題です。一人一人がこれらの課題を常に意識していただき、それぞれの場で建設的な意見を遠慮なく出していただきたいと思います。教区研修会でも大いに議論していただきたいと願います。

各常置委員もそれぞれの課題に主体的に関わることを申し合わせています。これらの課題について明確な方針を導き出し、今年の教区会に具体的な議案として提出されることを期待しています。思い切った変化があってもそれを受け止め、実行してまいりましょう。

最後に嬉しいお知らせがあります。昨年12月9日、中部教区第6代主教である植松従爾主教様が100歳を迎えられました。1976年教区主教に就任され、1986年末に定年退職を迎えられるまで“み言葉と祈り”によって教区を導かれました。わたしも主教様と同じ時に中部で働き始め、執事、司祭と按手をしていただきました。その主教様がご健在ということは個人的にも嬉しいことです。主教様ご夫妻に祝福とお守りをお祈りいたします。

日本聖公会の新しい歩み

9月下旬、主教会が開催され、「堅信前の陪餐」を実施するための「主教会牧会書簡」と「『堅信前の陪餐』に関わる一般原則」(ガイドライン)について話し合い、ほぼ内容を確定しました。この「ともしび」が発行される頃には、各教会に送られていることと思います。

「堅信前の陪餐」は2017年1月1日から実施されます。ただし、洗礼を受けていれば(受ければ)、即、その日から無条件で陪餐できるのかと言いましたらそうではありません。イエス・キリストの体と血である大事な聖餐をいただくわけですから、必要な準備を経てからになります。

◎「洗礼・堅信・陪餐」の準備を終えて洗礼を受けた人の場合、堅信がなくても陪餐できるのか。その場合、堅信はどうするのか。◎嬰児や幼児、小児の受洗者の場合の陪餐についてはどうなのか。◎子どもの陪餐の準備や手続き、陪餐方法はどうするのか。◎他教派から転入した人の場合はどうなるのか。◎洗礼を受けただけで長く教会から離れていた人の陪餐はどうなるのか。そんなことが主な内容になっています。

各教会で信徒と教役者がこの「主教会牧会書簡」と「『堅信前の陪餐』に関わる一般原則」を十分に学んで実施へと向かって行くことになります。教役者協議会でも内容を十分に理解しなければなりません。「堅信前の陪餐」が実施されることにより日本聖公会が聖餐を中心にした宣教の共同体としてより豊かにされることを願います。