シェイクスピアが活躍し、文芸の栄えた16世紀イギリスで親しまれた歌曲−マドリガル。軽井沢最古の礼拝堂でお聞きになりませんか?
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〝塗油のすすめ〟
去る4月18日・聖木曜日、聖油聖別の聖餐式が行われました。聖油は祈祷書の「病人訪問の式」の「塗油」で使用されます。祈祷書には、「教会はその初めから病人に塗油し、その体と魂の回復を祈ってきた」とありますが、新約聖書のヤコブの手紙の「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます」から来ています。また、福音書にも使徒たちが油を塗って病人を癒したこと書かれていますので、塗油はイエス様の大事な業の一つなのです。
塗油は病気の人の体と心の癒しを目的としていますが、多くの場合、病気がかなり重篤になってから用いられることが多いようです。塗油は決して終わりに用いるものではなく—もちろん、その場合にも使われますが—体と魂(心)の回復を祈るものですから、どんな病気に用いてもいいのです。風邪をひいて熱がある、というような時でもいいのではないでしょうか。塗油は決して魔術ではありません。主イエス様の名によって祈ることが大事なのです。その祈りと共にイエス様がいてくださり、病気の人が身体的にも精神的にも元気になるように—起き上がることができるように—力を与えてくださるのです。聖油が大いに用いられますように。
4月6日、退職されて大阪にお住まいであった村岡明司祭が91歳で逝去されました。村岡司祭は1986年、大阪教区から中部教区に移籍され、主に上田、軽井沢で宣教・牧会に従事されました。今日の軽井沢ショー記念礼拝堂の基礎も築かれました。村岡司祭の魂の平安をお祈りいたします。
お知らせ/Notice
+主のご復活をお喜び申し上げます。
大型連休中の問い合わせ窓口についてお知らせいたします。
・中部教区センター
4月27日(土)~5月6日(月) 予約・会議を除き休館。
留守電、メールでお問い合わせいただいた件は、5月7日(火)以降に対応いたしますので、ご了承ください。
・中部教区各教会への連絡
電 話・・・各教会へ直接お問い合わせください。
※可児聖三一教会の電話は中部教区センターへとつながりますので、5月7日(火)以降にお願いいたします。
メール・・・ホームページ経由のお問い合わせについては、一旦教区センターへ送られます。転送が遅くなる場合がありますので、お急ぎの方は、各教会へ直接お電話をお願いいたします。
主に在りて
中部教区センター
Notice
Happy Easter
Chubu Diocesan Center
Please note that we will be closed during Golden Week from Saturday, April 27 to Monday, May 6. Inquiries by phone or email during the above dates will be replied after Tuesday, May 7.
Churches of the Diocese of Chubu
Please contact each church directly for inquiries.
※ The telephone number to Kani Holy Trinity Church on our website is directed to Chubu Diocesan Center, therefore, phone messages will be replied after May 7.
※ Email · · · Any inquiries through our website is directed to Chubu Diocesan Center. There may be delays in email forwarding. Please call each church directly when replies are needed immediately.
in Christ
Chubu Diocesan Center
第3回軽井沢ショー記念礼拝堂「チャペルコンサート」
2019年5月26日(日)、礼拝後の11:30ごろよりチャペルコンサートを行います。ぜひお越しください。
〝いる〟ということ
2月の終わりに、神学校で2年先輩だった他教区のある司祭が逝去されました。都合がつき、通夜の祈りに参列することができました。その司祭とは神学校で1年間だけ一緒で、あとは教区が違いましたので、なかなか顔を合わせる機会はありませんでした。特別親しいという関係ではありませんでしたが、それでも時たま顔を合わせるとごく自然に安否を問うことが出来る、そんな近さを感じさせる方でした。1年間だけの神学校生活でしたが、同じ空間で生活を共にしたという経験がそのような近さを感じさせてくれたのでしょう。
先日、管理教会に礼拝に行った折、ある高齢の方から、自分は最近耳が悪くなり、説教も聞こえにくいので礼拝に出ていいものかどうか迷っている、どう思うかと尋ねられました。わたしは、耳が聞こえず説教も聞きづらいということは不自由さを感じるだろうが、礼拝に出ているということは、神様やイエス様と一緒にいるということだから、是非出席し続けてくださいとお願いしました(ちなみに、その方は補聴器のことも考えておられます)。
イエス様は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28章20節)と約束され、旧約聖書においても神様は、「わたしは『ある』 (新しい聖書協会共同訳では『いる』)という者だ」(出エジプト3章14節)と言っておられます。父なる神様もイエス様も、そして、もちろん聖霊なる神様も間違いなく「おられ」、しかも、わたしたちと共におられるのです。
教会は、そしてそこで行われる礼拝は神様がおられる空間であり、そこにわたしたちが〝いる〟ということが、神様やイエス様に出会うことができ、聖霊の力をいただくことができる一番の近道なのです。
執事職と「太公望」
先月16日、大和玲子、大和孝明両聖職候補生の執事按手式が行われました。執事職は使徒言行録によれば食物の分配問題から派生した職務です。ギリシア語を話すユダヤ人クリスチャンからヘブライ語を話すユダヤ人クリスチャンに、自分たちの仲間の寡婦に対する食料の分配が少ないと苦情が出たのです。その問題に対処するために立てられたのが執事職です。食料の分配をいかに公平にするのか…それが執事の当座の務めでした。極めて現実的な務めです。
それで思い出すのが上田市の、あるタウン紙に掲載された「太公望」の話でした。中国の故事によりますと、当時の中国・周の国王が一人の年老いた釣人と話をしているとその老人が非常に博学であり、その人物こそ父王(太公)が望んでいた人物だろうというので「太公望」と呼んで、師と仰いだというものです。そこから釣をする人を「太公望」とも言います。
しかし、太公望の故事には別の説もあるというのです。それは太公望が肉屋であったという説です。10人くらいの人たちを相手に上手に肉を切り分けたのを見て、太公が気に入り、召し抱えたというものです。当時、分配をちゃんとやれる料理人はそれだけ尊敬されたということです。
執事職の起源が食料の分配をいかに公平にするのかであったことを考えますと、太公望の料理人説とも重なり興味深い思いがします。食料に関わらず、何事においても、殊に人と人との間の公平さを保つということはなかなか難しいことですが、新執事のお二人も最初の執事たちのように〝霊と知恵〟に満たされ、その大切な務めを十分に果たしてくださることを願っています。
〝新しい歌を主に歌う〟
昨年の12月1日、東京教区聖アンデレ教会において女性の司祭按手20年の感謝礼拝が行われました。普段、女性の教役者が一堂に会するという機会はあまりありませんので、なかなか壮観でもあり、日本聖公会には女性の教役者がたくさんおられることを改めて認識し、力強く感じました。
当日の聖餐式の説教者は英国聖公会のテリー・ロビンソン司祭(全聖公会中央協議会事務局「教会と社会における女性部門」ディレクター) で、幾つかの点について話されましたが、わたしが印象に残った言葉は…
「女性は十全に神に仕えることが許されない地(追放された地)からやって来た。しかし、その記憶は、他者から『よそ者』と分け隔てられている人々を理解し、世界の片隅に押しやられている共同体と連帯することにおいて助けになる」、「キリスト者は…それまで確実だと思ってきたことを、あえて手放して初めて新しい可能性に満ち溢れた何かを発見し、手に入れることができるということも知っている」「女性の司祭按手を含めた様々な習慣の変化は、世界の聖公会においてもしばしば不安と恐れを伴う。…しかし、それまで馴染んできた考え方やふるまいを一旦手放すことが時には必要になり、そうする時にわたしたちは自由になり、様々な発見ができるようなる」…でした。最後に、「恐れるな! 思い切って新しい歌を主に向かって歌いましょう」と締めくくられました。
神様への奉仕職には誰もが例外なく招かれていると信じます。変化は恐れを伴います。しかし、神様を信じ、祈りと勇気をもってその変化を受け入れていく時、祝福に満ちた神様の恵みが与えられるのです。女性の司祭按手はそのことを教えていると思います。