礼拝カレンダー2023年10月

秋と言えどもまだまだ暑い日が続きますが、礼拝カレンダーは10月号が完成いたしました!
各地でイベントなども復活し、礼拝時間が変更となっている箇所がありますのでご注意ください。

※9/21修正…名古屋聖ヨハネ教会10/8の礼拝時間を修正しました。
※9/25修正…長野聖救主は朝の礼拝休止。10/22(日)オープンハウスがあります。

犬と平和

 3年前、娘の中学入学を機に、我が家に1匹の犬が加わりました。
 近所のペットショップで、ある犬が「特売」になっていました。あとで分かったことですが、本当に子犬だった時期に病気をして売り場に出ることができず、いわば「売り時」を逃してしまったために、同じ犬種の犬の半額以下の値段がつけられていました。そんな人間の勝手な事情など思いもしない、けなげな姿に感情移入してしまい、この犬を我が家に迎えて、新しく家族の一員となりました。
 我が家の犬はペット犬で、いわゆる「生産性」はゼロです。朝夕の散歩に連れて行くなどの手間もかかりますし、犬を置いて旅行に行けないなどの不便もあります。でも、帰宅したら尻尾を振って迎えてくれたり、居間の椅子に座っていたら膝に飛び乗ってきたり、在宅勤務のデスクの隣で気持ちよさそうに寝ていたり。そんな姿が幸せを与えてくれます。
 6月23日の沖縄慰霊の日、追悼式の会場となった平和祈念公園には朝から多くのテレビカメラが入っていましたが、ニュースを伝えるレポーターの背後で、犬を散歩させている人々の姿が印象的でした。多くの人々が犠牲となったまさにその場所を、犬がのんびりと歩いている景色を見て、これこそが平和の姿なのではないかと思いました。イエス様の「空の鳥を見なさい」という言葉が、犬を家族として迎えて以来、「平和を守りなさい」という命令に聞こえてならないのです。
 第二次世界大戦中には、ペットである犬も供出の対象となりました。食糧不足で、軍用犬以外の役に立たない犬は処分してしまえという主張があったほか、毛皮を軍で利用するという目的もあったようです。また、空襲で焼け出された飼い犬が野良化し、狂犬病が流行することを恐れて、当局が犬を強制的に供出させて殺していきました。家族同然だった犬たちとの別れを強いられた人々、特に子どもたちの悲しみを思うと、こんなことを二度とさせてはならないと思うのです。
 戦争の中では、最も弱い、戦争の役に立たないものが、不要であると切り捨てられていきます。多くの犬たちはその犠牲となりました。そして、犬たちに留まらず、かけがえのない多くの人々の命が失われました。出かけていった家族が戦火に倒れ、帰ってこなかったという大きな悲しみを抱く人が、決して現れてはならないと強く思います。
 ウクライナでの戦争は、現代でもこんな悲しみが未だ続いていることを、私たちに突きつけています。我が家の犬の平和な姿を見るにつけ、空の鳥の小さい命をも大切にされたイエス様の思いに今こそ心を合わせ、この平和から遠いところにいる人々のことを決して忘れないように、そんな決意を新たにさせられるのです。
※アジア歴史資料センター「戦争にペットまで動員されたってホント?」
https://www.jacar.go.jp/glossary/tochikiko-henten/qa/qa24.html より

司祭 ダビデ 市原信太郎
(松本聖十字教会管理牧師〈東京教区出向〉)

キリスト教と科学

 BSA(一般社団法人日本聖徒アンデレ同胞会)から「信徒叢書23」として、拙書『キリスト教と科学』が発刊されました。本書で書き記したかったことは、キリスト教と科学の本来的な近接性です。
 西欧においては「科学」と「技術」の間に明確な分岐があり、住み分けがなされていました。「科学」(自然哲学)は「知」の領域として「大学」において担われ、工学で扱うような「技術」はむしろギルドなどの職人の人々によって、しっかりと為されていました。日本には、最初から「科学」と「技術」の峻別は存在しませんでした。私たちも「科学技術」とひとかたまりで呼称し、理解することの方が多いのではないでしょうか。それは、まさに日本が、「知」とは何かという問いや、「神学」と「科学」の歴史的な親密性という文脈を抜きに近代化に踏み出したからにほかなりません。なぜ「神学」ぬき、「工学」ありの学校を西欧では「大学」と呼ばないのかを理解できなかったのです。
 ニュートンまでの自然科学者たちが目指していたのは、実は神の存在証明でした。それ以降は、「神」を一切介在させずに、自然や宇宙の成立やシステムを合理的に完璧に説明できる、神学から完全に独立した科学の確立という方向性に向かったことは間違いありません。いわゆる「科学万能」の世界です。しかし、ビッグバン理論など、現代科学の一つの結論は、宇宙発生以降、生命発生以降のプロセスについては科学によって説明可能であるけれども、では、そもそもビッグバンがなぜ起こったのか、原初の生命がなぜ発生したのかについては「分からない」と言わざるを得ない、ということです。
 現代科学によって、すべてを説明することはできません。そして、そこにおいて、神学が貢献すべき領域と責任は限りなく大きく、深いのです。

礼拝カレンダー2023年9月号

礼拝カレンダー9月号が完成しましたのでお知らせいたします。
8月は大型の台風の上陸や猛暑が重なりましたが9月は過ごしやすい気候になることを切に願っています。また、9月17日・18日は教区研修会(於:上田聖ミカエル及諸天使教会)が予定されています。

※9/12修正…9/17長野聖救主教会の8:00の聖餐式はありません。

その道を歩む者はだれも平和を知らない(イザヤ書59章8節)

 8月は、6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」、そして15日の敗戦記念日がありますので、平和について考えざるを得ない月です。
 「平和」と聞くときに、わたしたちはまず戦争をしていない状態を、思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、たとえ戦争をしていなくても、
餓えや貧困に人々が苦しみ、環境が破壊され人権侵害が起こるなど、「いのち」が蔑ろにされている状態にあるのなら、それは平和な状態であるとは言えません。
 奇妙なことに、わたしたち人間は「正義と平和」のためという、お題目のもとに戦争を始めます。この正戦論の立場からは、武力で「悪である敵」を、うち伏せること無しには「平和」は実現せず、「戦争」は「平和」への大切なプロセスですらあります。
 旧約聖書の戦いの考え方には、確かに〝万軍の主が戦う〟のだから、わたしたち人間も武器を持って戦うという考え方の流れを見ることが出来ます。しかし、その考え方はあくまでも支流にしか過ぎません。旧約聖書の戦いの考え方の本流は、〝万軍の主が戦う〟のだから、わたしたち人間は武器を手にして戦う必要が無いのだというものです。神さまが戦ってくださるのだから、その神さまに信頼するときに、わたしたち人間は武器を手に戦う必要がないというのが、わたしたちの信仰に他なりません。
 やはり「平和」の実現には、「戦争」は必要ありませんし、武力を用いて実現される「平和」は、「キリストの平和」には程遠いものだとしか思えません。なぜならば「正義と平和」とは、すべての人、ひとりひとりが大切にされる状態の実現だからです。
 世界経済フォーラム(WEF)が発表した、2023年のジェンダーギャップ指数は125位で、過去最低でした。驚くべきことにWEFの報告書では、世界の男女平等の達成は「2154年」になると予測されており、わたしたちが生きている間には、男女平等は実現しないことが指摘されています。また、難民・移民の人々をより困難な状況へ追い込む、入管法の改悪が6月の参議院本会議でなされました。LGBTQ+への理解を増進し、差別を解消することを目的としていた「性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(LGBT法)も同じ参議院本会議で成立しました。このLGBT法も当事者からは「無い方がマシ」と評価されているように、むしろ差別することを容認する方向に働く可能性を持った法律が成立しています。このように、わたしたちの社会は、多様性を許容することが出来ない残念な状況に未だあります。
 多様性を、人と違うことを認められないのは、わたしたちの社会がひとりひとりを大切にしていないことの証拠です。互いの違いを認められず、受け入れ合うことが出来ない社会は、争いを生み、いのちを奪い合う生き方に、わたしたちを追いやって来たのです。
 改めてこの8月に、わたしたちの歩みが平和に向かう歩みになるように、ひとりひとりの人を大切にするには、どう変われば良いのかを考え始めたいと思います。

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖マタイ教会牧師)

93年前のある女性の伝道師を覚えて

 6月の教区教役者レクイエムで覚える逝去教役者の中に、広瀬鋹子伝道師のお名前を見つけました。教区の資料では、1875年生まれ、1955年6月8日に、79歳で主のもとに召されたとあります。その他、「1902年に伝道師に認可、名古屋聖ヤコブ教会等でミス・トレントと共に働く」という記述がありますが、それ以上の情報はありませんでした。
 ただ、ふと以前、カナダ、トロントにあるカナダ聖公会の資料室を調査した際に、カナダ聖公会の機関誌である『リヴィング・メッセージ』の中に、「Miss Trent and Mrs. Hirose」というタイトルがつけられた一枚の写真があったことを思い出しました。それは、1929年にカナダ、ヴァンクーバーで撮影されたもので、花束を持った広瀬伝道師の満面の笑みが輝く、忘れ難い一枚でした。さらに調べると、広瀬伝道師はトレント先生と共に、1929年6月から10月にかけてカナダへの修養の旅に出られていたこと、また帰国後に教区の各教会を訪問し、カナダでの経験を報告されていたことを伝えるトレント先生の手記を発見したのです。松本、新潟、長岡、稲荷山、長野の各地で熱情をもって、貴重な経験を語られる広瀬先生の姿が生き生きと描かれています。中でも、岡谷での報告会の記事には胸を揺さぶられました。
 「岡谷には世界最大級のシルク工場があり、3、4万人の若い女性たちが働いています。H.H.コーリー司祭と夫人がこの地を宣教の拠点とし、彼女らのために教会(セント・バルナバス)を建てたのは、この地が必要とすることに応えたからです。夕方の集まりには約40人の工女たちが集まってきました。晩祷の後、広瀬さんは彼女たちに、彼女の幼い頃に経験した困難と、その後いかにしてキリストに召されたか、そして、『救い主のもとに来なさい』と愛情深く訴えたのでした。彼女たちはどれほど心を動かされたことでしょう!」
 93年も前の中部教区には、船で海を渡って海外の地で豊かな経験をし、その後、中部教区のそれぞれの地にある者たちに熱い思いで証をし、主の救いを宣べ伝えていた女性の宣教者が確かにいたことを、私たちも覚え、そして倣いたいのです。

礼拝カレンダー2023年8月

暑い暑い夏が来ました!皆さまお元気でお過ごしでしょうか。
礼拝カレンダー8月号も完成しましたのでお知らせいたします。

教区報「ともしび」の発送に合わせて少し早めの発行に変更いたしましたので、ともしびと一緒に各教会へも到着する予定です。

※7/27修正・・・8/6の松本聖十字

京都教区・小学生キャンプのお知らせ

京都教区さんより、「小学生キャンプ」のお知らせをいただきました。

〇 対象が小学4~6年生となっておりますので、基本的には、保護者の責任において京都教区センターまたは北小松研修所まで送り迎えをしていただきますよう、お願いします。
〇 チラシに「遠方より参加される方には交通費の補助を考えています」とあります。中部教区からの参加者に対しても、同様の対応を検討しています。
キャンプのスタッフも募集しているということですので、関心のある信徒さんがいらっしゃいましたらどうぞお知らせください。

※申し込み用紙が必要な方は、中部教区センターまでお問い合わせください。