軽井沢ショー記念礼拝堂聖別120周年

9月6日(日)、軽井沢ショー記念礼拝堂聖別120周年記念聖餐式(兼:長野伝道区合同礼拝)と記念式典が軽井沢ショー記念礼拝堂にて、祝賀会がホテル音羽ノ森にて行われました。

詳しくは中部教区Facebookにて。

「聖書に親しむ会」についてお知らせ

中部教区センターでは、毎月1回、「主教と共に聖書に親しむ会」を開催してきましたが、9月より名古屋近辺の教役者の持ち回りで開催することになりました。9月24日(木)は後藤香織司祭、10月22日(木)と12月17日(木)は田中誠司祭、11月26日(木)は渋澤一郎主教が担当します。毎回完結した内容です。申込は不要ですので、どうぞお気軽にご参加ください。

『礼拝堂の掃除』

この夏、困った珍事件が起きました。例年にない猛暑が続いた日の朝、礼拝堂を開けに行くと、祭壇の周り一面に木屑が散乱しているのです。古い建物ですから、尖塔の下などは風の強かった翌朝にはホコリや吹き込んだ枯れ葉が落ちていることも少なくないのですが、こんな惨状は初めてでした。嫌な予感が頭をよぎり、お世話になっている大工さんに診てもらうと、案の定原因はアリ(シロアリではなく腹部の赤い大型のアリ)の大量発生によるものでした。早速殺虫剤などを用いて駆除作業に取り掛かると、天井板の隙間から次々と落下…、元気なアリは床に落ちても礼拝堂のあちこちへと逃げ回り、掃除機を手に汗だくになりながら、おそらく数千匹のアリと格闘する羽目になりました。お陰で現在は沈静化した模様で、結果として礼拝堂の隅々まで綺麗になり、来訪者からは「掃除が行き届いて気持ちがいい」とお褒めの言葉までいただきました。

当教会に赴任した年の忘れられない出来事があります。礼拝堂入口の机の上に常設してある来訪者ノートに、ある日このような書き込みがありました。「テレビで観るより古く、がっかりです。整理整頓して下さい。」本当にショックで、嫌がらせかと怒りの気持ちさえ禁じ得ませんでした。なぜなら毎日欠かさず掃除をしていましたし、同日の続く書き込みには「当時そのままの姿に感動しました。今のまま長く維持していただけるように祈っております。」「こんなチャペルで子供達を挙式させたいと思います。」と気遣いとも思える温かいメッセージが並んでいたからです。

しかし、2年前に協働関係にあるホテル音羽ノ森の社員旅行(宗教施設を巡る旅)に同行した折、ある気付きを与えられました。最初に名古屋聖マタイ教会を表敬訪問した後、伊勢神宮に立ち寄り、目的地である京都では金閣寺や清水寺など代表的な寺院を訪問しました。2月の真冬であったにも拘らず、どの寺社も観光客で賑わっていましたが、(有料とは言え)何よりどの施設も内部だけではなく境内地も整然と手が入れられ、何とも言えない清々しく凛とした空気に包まれていました。その時以来、もしかしたらあの書き込みをした人は、そのような空気を求めていたのかもしれないと思うようになり、完璧にという訳にはいきませんが、出来る限り心を込めて掃除をするようになりました。

仏教では、僧侶の修行の基本中の基本はお経や座禅よりも、まず掃除であると聞きます。それは一見おろそかにされがちな掃除が、実は心を磨き豊かな人格を養うために、絶対不可欠な要素であるとの考えからだそうです。そしてそれはキリスト教をはじめ、すべての宗教にも相通ずるものがあるように感じるのです。

私たちの教会は、今年礼拝堂聖別120周年を迎え、9月6日には記念礼拝を長野伝道区合同礼拝として行うことになっています。聖霊の宮とも言われる教会に集ってくださる方々が、少しでも爽やかに気持ちよく祈りと賛美をささげられるように、喜びをもって準備していきたいと思います。

司祭 テモテ 土井宏純
(軽井沢ショー記念礼拝堂牧師、新生礼拝堂管理牧師)

聖公会神学院及びウイリアムス神学館体験入学

聖公会神学院では10月7日(水)~9日(金)、ウイリアムス神学館では10月13日(火)~15日(木)、体験入学が行われ授業への参加や懇談の機会があります。

戦後70年…改めて平和を考える

 今年も8月15日の終戦の日を迎えました。今年は戦後70年ということで、特に平和への思いを多くの皆さんが強く感じておられるのではないでしょうか。戦後70年経ったとはいえ、国内外における戦争の傷跡はいまだに癒えることはありません。戦争とはいつまでも消えることのない大きな苦しみを人々に与え続けるものなのです。ですからどんな理由があっても戦争はしてはならないのです。

 戦後70年間、日本は武力によって直接的に他国を攻撃・侵略はしてきませんでした。これは大いに世界に誇るべきことです。その一番の理由は憲法第9条の存在にあることは言うまでもありません。「…武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という9条を、過去の歴史への反省を込めて日本は堅持し続けてきました。

 ところがその9条がなし崩しにされようとしています。去る7月16日、衆議院において安全保障関連法案が可決され参議院に回されました。政府は今国会会期中にこの法案を可決させようとしています。この法案が可決されますといわゆる「集団的自衛権の行使」が可能になり、自衛隊が海外の紛(戦)争に直接的に関われることになります。つまり、武力によって国際紛争に関われるのです。「戦争が出来るようになる」と言い換えてもいいでしょう。

 この法案は多くの憲法学者がそう言っているように明らかに憲法第9条に違反しています。歴代の内閣も集団的自衛権の行使は違憲であるとしてきました。それにもかかわらず現政権はこの法案を押し通そうとしています。わたしたちはこの法案の廃案を、声を大にして叫ばなければなりません。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)のです。

『他宗教との共生と平和』

松本聖十字教会の耐震補強工事も具体的に礼拝堂への改修が始まりました。まだまだ工事目標額まではいきませんが、とりあえず必要なところから始めて、クリスマスには聖十字幼稚園の園児が松本聖十字教会の礼拝堂で過ごすことができるようにと努力していますので、これからも献金をお願いできればと思っています。

さて、耐震補強工事の関係で、ある工事関係者の方とお話をしていましたら、公園のなかに神社もあり、役所がその公園の整備をしたら宗教関係者から訴えられたという話を聞きました。そして、その方は、「宗教というのは、こういう争いごとばかりするから嫌だ」と、そして、「あの宗教は良くてこの宗教はいけないというなら、イスラム国(編者注:同国を名乗る過激派組織ISILのこと)のやっていることと同じではないか」と語られていました。私は、とても複雑な思いで聞いていましたが、確かにキリスト教をはじめとして宗教とは、互いに尊敬し合い協力し合って、苦しんでいる人々に具体的な喜びをもたらすものであるから、自分の宗教の利益だけを考え、自分の宗教だけが正しくてこれを信じなければ救われないという絶対主義はおかしいと感じました。

このように言いますと、唯一絶対の神を信じるキリスト教に反していると思われるかもしれません。しかし、キリスト教の絶対性を超えて、不寛容と独善を克服し、宗教が互いに尊敬し協力して、苦しんでいる人々が必ず救われるということを知らせ、示していくことの方が大切であると思います。歴史をさかのぼれば、キリスト教も相当ひどいことをしています。だからといって、キリスト教にも良い面がたくさんあるのですから、そのような目で、神道、仏教、イスラム教、ユダヤ教の良い面をみていくことができるのではないでしょうか。

アメリカの臨床心理学者、カール・ロジャースは、「来訪者中心療法」を提唱していますが、そこで大切なことは、カウンセラー(援助者)は、クライアント(相談者)の言葉、考え、感情、説明、そのすべてを受け止めること、すなわち受容し共感することであると言っています。ここで注意しなければならないことは、受け止めることと受け入れることは違います。よく間違えられますが、受け入れるということは、なんでも「その通り」ということになります。ですから、ISILの信仰も「その通り」と言うと、奴隷や殺人も受け入れてしまうことになります。カール・ロジャースが言っていることは、受け入れるということではなくて、受け止めるということ、立ち止まるということ、共感し、対話をする用意を持つということです。他の宗教と対立し、自分の宗教の拡大だけを目指すのではなく、他の宗教と共感し、共生する道を選ぶべきであり、これこそ、キリスト教が平和の器になることであると思います。

司祭 ヨセフ 石田雅嗣
(松本聖十字教会牧師、飯田聖アンデレ教会管理牧師)

軽井沢ショー祭2015(第16回)

8月1日(土)午後1時半より、軽井沢ショー記念礼拝堂において毎年恒例の軽井沢ショー祭(軽井沢町民祭)が開催されます。

沖縄に平和を!

 去る6月23日、沖縄教区「慰霊の日」礼拝―戦後70年記念平和礼拝―が、北谷諸魂教会で行われました。戦後70年の節目ということで、日本聖公会の全教区主教が参加し、合わせて、管区主催の「沖縄の旅」の参加者60名、更には大韓聖公会からお二人の主教さんたちとソウル教区オモニ(母)聖歌隊40名の参加者も加わり、多くの方々で慰霊の日の礼拝(聖餐式)をお捧げすることができました。
 司式は植松誠首座主教、説教は磯晴久大阪教区主教でした。磯主教は長年の沖縄との関わりから、沖縄の担ってきた苦難と平和の大切さを語られました。
 昼食後はオモニ聖歌隊のコンサートが礼拝堂で行われ、その後、韓国の方々は平和祈念公園にある韓国人慰霊塔に行き、韓国人犠牲者のために祈りを捧げられました。
 慰霊の日の礼拝を6月23日に行うのは、この日が沖縄戦における日本軍の組織的な戦いが終わった日と位置付けられているからです。しかし、組織的な戦いが終わったということは戦いがすべて終わったという意味ではなく、軍司令官が自決し指揮命令系統が消滅しただけであり、その後も戦いは続き、実質的に戦いが終わるのは9月に入ってからでした。6月23日からそれまでの間に数万人もの人たちが亡くなっているのです。
 沖縄は日本本土防衛のための「捨て石」でした。そのために県民の4人に1人が犠牲になったのです。現在も沖縄は「捨て石」にされていると言えないでしょうか。日本にある米軍基地の74%が沖縄に集中しています。沖縄の戦争はまだ終わっていません。沖縄から基地がなくなり、平和な沖縄が戻ったとき本当の意味の戦後が始まるのです。その責任は本土のわたしたちに負わされているのです。

安全保障関連法案に対する緊急抗議声明

閣総理大臣 安倍 晋三 様
衆議院議長  大島 理森 様
参議院議長  山崎 正昭 様

安全保障関連法案に対する緊急抗議声明

わたしたち日本聖公会中部教区宣教局社会宣教部は、安倍政権が掲げる「積極的平和主義」は「戦争で平和を創る」ということであり、集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法案は憲法違反であるということから、安全保障関連法案の撤回・廃案を求めます。
また、安部総理大臣が「国民の理解は進んでいない」と答弁しながら、7月15日に特別委員会にて安全保障関連法案の採決を強行したこと、7月16日に衆議院本会議にて可決したことに断固抗議いたします。

安全保障関連法案は、自衛隊が「いつでも」(国際平和支援法)・「どこでも」(重要影響事態法)・「切れ目なく」(グレーゾーン)、他国が起こす戦争に介入し、武力を行使できるようにする「戦争法案」です。わたしたちは、自衛隊を他国で戦う軍隊に変え、戦争をする国にするような法案を認めることはできません。

日本国憲法は、破壊的な戦争の反省によって作られた憲法であるとともに、この戦争によって甚大な被害を受けた国内外の人々の尊い犠牲の上に作られた憲法です。特に憲法第9条は「武力による威嚇又は武力の行使の放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」を定め、国内外で平和憲法と認められています。この平和憲法があるからこそ、平和国家として信頼され、平和的外交をすすめることができるのです。
集団的自衛権の行使を認め、世界中の戦場へ自衛隊を派遣することは、憲法9条に違反します。

わたしたちは、「平和を実現する人は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイによる福音書5章9節)とのみ言葉に生きる者です。戦争が平和を実現することは決してありません。
わたしたちは、安全保障関連法案の撤回・廃案を求め、強行採決に断固抗議いたします。
以上

2015年7月16日

宗教法人日本聖公会中部教区
宣教局社会宣教部

ポン菓子売りのおばさん

 去る5月29日~6月1日、中部教区「戦後70年韓国平和巡礼」で韓国に行って来ました。日本が犯した負の歴史の事実を現場に立つことによって改めて認識することができました。公式な報告は岩田牧夫さんがしていますのでわたしは少し面白いエピソードを紹介します。
 31日、主日礼拝を大聖堂で終え、西大門刑務所の見学に行きました。1台のタクシーのグループが刑務所のすぐ向かいで降りたのですが、そこからどう行ったらいいのか分かりません。仕方ないので道端でポン菓子を売っているおばさんに刑務所の住所を見せますと、おばさんは説明してくれるのですが当然韓国語ですから分かりません。とにかく言われた方向に向かって歩き出したら、そのおばさんは仕事をほっぽって後を追いかけてきて更に説明してくれるのでした。
 丁度その時心配して探しに来た丁司祭と出会い、事なきを得たのでした。ところがそのおばさんは説明してくれただけでなく、親切にも売っていたポン菓子を”食べなさい”とくれたのでした。
 それに感激したN氏、”これは帰りにポン菓子を買ってあげなければいかん”と、帰りにそのおばさんのところでポン菓子を買い込んだのです。そうしたらそのおばさん、またまたおまけにたくさんのポン菓子をくれたのでした。お蔭でわたしたちも甘いポン菓子のお相伴に与ることができました。たわいのない出来事ですが、ポン菓子売りのおばさんの親切に触れた出来事でした。