講演会:なぜドイツは原発をやめることにしたのか

なぜドイツは原発をやめることにしたのか
~原発政策ドイツと日本のちがい~
日 時  2016年4月16日(土)午後2時~
お 話  池住義憲さん
(元・立教大学特任教授,日本聖公会名古屋聖ステパノ教会信徒)
会 場  日本聖公会名古屋聖マタイ教会・ホール
名古屋市昭和区明月町2-53-1(名古屋柳城短期大学向い)
*駐車場がありませんので、公共交通機関でお越しください。

入場無料。

池住さんは、今回のドイツへの旅で、確信と勇気を得て帰国された。ドイツの脱原発倫理委員会の6つの結論のポイント、
①原発の安全性が高くても、事故は起こり得る
②原発は事故が起きると、他のどんなエネルギーよりも危険
③次の世代に廃棄物処理などを残すことは倫理的問題
④原子力より安全なエネルギー源が存在する
⑤地球温暖化問題があるので、化石燃料を代替として使うことは解決策ではない
⑥再生可能エネルギー普及とエネルギー効率化政策で、原子力を段階的にゼロにしていくことは、将来の経済のためにも大きなチャンス
以上のことを、わたしたちも確認し、脱原発へ向けて歩みを進めるためのきっかけとなるようにお話をいただく予定です。

共催:日本聖公会中部教区 宣教局社会宣教部
いっしょに歩こう!プロジェクト中部

お問合せ:TEL.052-858-1007
メール:office.chubu@nskk.org

日本聖公会の出発点…長崎

昨年8月9日、長崎原爆の日に長崎聖三一教会で行われた九州教区の長崎原爆記念礼拝に出席し、午後、日本聖公会のルーツを巡る短いフィールド・トリップに参加しました。
教会からオランダ坂を登った一角に、アメリカ聖公会最初の宣教師であり、日本聖公会生みの親の一人でもあるウイリアムズ主教(当時・司祭)が住んでいた家のあった場所があります。ウイリアムズ主教が住んでいた場所に立てるとは思ってもいませんでしたので大変感激でした。また、少し離れたところには聖公会最初の会堂(礼拝所)のあった場所もありました。(いずれも、〝ここがそうだ〟という案内の標識が立っているだけですが。)
更に、出島に行きますと、日本聖公会としてはもちろんのこと日本のプロテスタント教会最古の神学校でもあった「聖アンデレ神学校」が―現在は資料館として―残されていました。聖アンデレ神学校は1877年(明治10)、英国聖公会宣教師のモンドレル司祭によって建てられました。現在は解体・修理が行われ復元された建物ですが、当時の面影を偲ぶことができます。明治の初めに建てられた神学校が残っているとは知りませんでしたのでこちらも驚きでした。
長崎は日本聖公会の宣教が実質的にスタートした地です。ウイリアムズ主教をはじめ初期の宣教師たちはまず長崎に上陸し、日本伝道に向かったのでした。当時は各教派のほとんどの宣教師が長崎に上陸し日本各地に散って行きました。そういう意味では長崎は聖公会に限らずプロテスタント教会の宣教の出発点でもあるのです。
原爆の日に当たり、犠牲者を覚え、核のない平和な世界を祈りつつ、合わせて日本聖公会の草創期の宣教に思いを馳せたのでした。

イースター

厳冬期、雪におおわれて、死んだようになっていた自然に、ようやく若芽があふれています。

茶色がかった緑、萌黄色の緑、白っぽい緑、色とりどりの緑が一杯です。

今や若い生命を示すように緑が溢れようとしています。

冬の間、澄み渡った空を突き刺すような木々の枝が、新しい生命の躍動に芽ぶき始め、大気も冬の厳しい鋭さが和らぎ、丸みをおびています。

新しい生命の若芽の「漲る」春です。

植物において、花が咲き、実が実った後、枯れてしまっても、種子が地に落ちて、翌年、再び、芽を出して育つ、あるいは、茎や葉は枯れても根が残っていて、そこから春になると、芽が出てくるという自然現象を初代教会の人々も見ていたと思います。

生命みなぎる喜びの春、イエス様のご復活を記念し、祝う復活日=イースターは、クリスマスよりずっと古く紀元一世紀から祝われてきたキリスト教の一番大きな祭りです。

日曜日に、学校や会社が休みになるのも、金曜日に十字架にかかって死なれたイエス様が、日曜日の朝早く、復活なさったことを記念し、教会の礼拝に行くためです。

イエス様の十字架の死は、全き人間として、死なれることでもありましたが、罪に陥っている私たち人間の罪を背負っての身代わりであり、深く、広く、高い愛の実践でした。

イエス様の復活とは、愛であるイエス様が、神様の生命に生かされ、この世での命とは別な新しい、神様の「永遠の命」に生きていることです。

イエス様は、言われました。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る、わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。」(ヨハ12・24b~26b)

イエス様に従うならば、私たちもまた、春の新しい生命のように、イエス様と共に新しい命に生き生きと生かされていくと思います。

これは、キリスト教の一番初めからの中心的信仰です。

クリスマスは、よく知られ、多くの人々に、抵抗なく受け入れられていますが、イースターは、毎年、異なった日にくるせいもあり、イエス様の死からの甦りは、仲々分かりにくいことです。

しかし、必ず死ななければならない私たちの死が、私たちのすべての終わりでも、虚無になってしまうのでもなく、イエス様に従うのならば、死は新しい生命への門口であり、神様の生命に生かされることである、との希望を持つことのできるのは、この上なく大きな喜びです。それがイエス様の復活への信仰であり、イースターを祝う意味です。

司祭 テモテ 島田公博
(主教座聖堂付)

ワンダイム

 新生病院ではこのたび、医療活動に加えて新たに二つのNPO法人を立ち上げつつあります。一つは「NPO法人パウル会」で戦前戦後、新生療養所の総婦長であったミス・パウルの名をいただいた法人で、サービス付高齢者住宅やグループホームなどの社会福祉施設を主に運営します。

 もう一つが「NPO法人ワンダイム」です。〝ワンダイム〟はカナダの10セント銀貨〝one dime〟のことです。この名称は新生療養所建設にあたりカナダ聖公会が各教会に募金を呼びかけたとき、日曜学校の幼い子どもがワンダイムをきれいに磨いて献金したという話から来ています。新生病院の歴史、理念を継承していこうとする法人です。

 ワンダイムは「歴史・理念の継承」「海外医療協力・被災地支援」「環境・交流事業」を活動の柱としています。具体的には現在の「ミス・パウル記念館」(ミス・パウルの元住居)を敷地内の他の場所に移築し、歴史資料の展示・保管や喫茶、売店の設置により新生病院のこれまでの歩みを紹介していきます。

 また、新生病院の海外医療協力は今までも行われてきましたが、これからはワンダイムがその働きを継続していきます。かつてカナダ聖公会が日本の結核治療のために奉仕されたように、新生病院も医療を必要としている海外の国々のために奉仕をしていきます。また、被災地への支援も引き続き行っていきます。

 更には、カナダ聖公会の思いを伝えていくためカナダメイプル(かえで)の種を蒔き、苗を育て、「メイプルの森」の実現を目指します。

 これらの活動は中部教区も様々な面で関わりを持ちながら進められることと思います。皆様にも是非この活動を知っていただき、ご支援・ご協力をいただきたいと願っています。

『感謝と賛美の聖祭』

2、3年前のことですが、某司祭から次のような言葉を投げかけられました。「最近、あなたのように〝聖餐、聖餐〟と言う司祭は少なくなってきましたねぇ」と。その方がどのようなお気持ちからそのような発言をされたのか、その時にあまりにとっさのことで、確かめることが叶いませんでしたが、考えさせられました。

確かに私たちの教会は1960~70年代まで〝ハイチャーチ〟〝ローチャーチ〟というそれぞれの伝統によって教区・教会の在り方・姿勢が特徴づけられていました。しかし、この60~70年代は世界の激動期にあたり、様々に世界観や歴史観、宗教観が厳しく鋭く問われました。カトリック教会では第2ヴァチカン公会議、プロテスタント教会ではWCC総会で、又聖公会もランベス会議において、この世・この世界に対して、キリスト教会はどう在るべきなのかということが真剣に議論され、教会の刷新・改革がなされた時代でした。ですから、その折に礼拝(典礼)についても多くの教派(正教会や福音派系のプロテスタント教会を除く)が、礼拝学の成果を踏まえて新しくされていったのでした。日本聖公会でも、この世界の動きを受けて、礼拝(典礼)が整えられてきたので、この時点で〝ハイチャーチ〟〝ローチャーチ〟という言い方の礼拝観は無効になったと言っていいと思われました。

もう1点、60~70年代の教会の姿を表して〝社会派〟〝教会派〟と言う言い方もありました(日本基督教団や歴史的プロテスタント教会、聖公会でもそのような言い方があった)。あえて乱暴な言い方を致しますが、内向きに教会内で礼拝・お祈りだけ為されても「キリストの福音に生きる」ことにならないという考えが〝社会派〟で、それに対して教会人は、外向きに政治的社会的活動することより、「みことばに生かされて」必要な人のため祈ることの方がもっと大切というのが〝教会派〟だと思いますが、この両者は分離し、時には対立していました。しかしこの分離・対立を包み込み乗り越える考え方が、今まで述べてきた時代背景の中から形成されてきました。つまり両者を包み込み乗り越える原理は、新たに生まれてきた〈聖餐論〉だったのです。

言うまでもなく、〈聖餐〉は救いに必要な二大サクラメントです。(教会問答15.)〈聖餐〉とは、「主イエス・キリストがお定めになった感謝・賛美の祭りであり、教会はこれを主からの賜物として受けた。わたしたちはこれを行うたびに、主が再び来られるまで十字架の犠牲の死と復活、昇天、聖霊降臨を記念し、キリストの命に養われ、主の救いのみ業を宣べ伝えるのである」と聖餐式文冒頭の解説ルブリックにありますが、私たちは裂かれたご聖体を頂くことによって、ただ心とからだの養いにとどまらず、〈聖餐〉によって、その時その場で宣教的力が具現化されているという宣教=聖餐という理解を持ちたいし、そのような〈聖餐〉の恵みの奥義をさらに追い求め、豊かに受容できるような信徒の群れ(教会)でありたいと願うものです。

司祭 パウロ 松本正俊
(新潟聖パウロ教会牧師、三条聖母マリア教会管理牧師、長岡聖ルカ教会管理牧師)

聖公会神学院短期集中講座

2月16日(水)~19日(金)、『歴史の現場からの「語り」~戦後70年と宣教・牧会の検証』をテーマに開催されます。講師は、森元美代治さん(IDEAジャパン主宰)、金永泰さん(社会福祉法人サワリ代表)、花崎皋平さん(社会思想家・哲学者)。全期間参加の場合は食費・宿泊費込みで30,000円。1セッション単位での参加の場合は1コマ2,000円です。問い合わせ・申込は聖公会神学院(03-3701-0575)まで。

死刑執行に断固抗議します

2015年12月18日

内閣総理大臣  安倍 晋三 様
法務大臣    岩城 光英 様

死刑執行に断固抗議します

本日、東京拘置所において津田寿美年さん、仙台拘置支所において若林一行さんに対して死刑が執行されました。極めて遺憾であり、死刑執行に断固として抗議します。
死刑制度の存置が犯罪抑止力にならないことは統計上からも明白であります。また、足利事件、志布志事件、東電OL殺人事件、そして記憶に新しい袴田事件など冤罪事件が続発しており、今もなお冤罪を訴え続けている死刑囚がおります。ひとたび死刑が執行されれば、取り返しがつきません。
国際的に、死刑制度は廃止される傾向にあり、世界で死刑を廃止または停止している国は140か国に上ります。OECD(経済協力開発機構)加盟国(34か国)の中で死刑制度を存置している国は、日本・韓国・アメリカの3か国のみですが、韓国とアメリカの19州は死刑を廃止または停止しており、死刑を国家として統一して執行しているのは日本だけです。
わたしたちは現在、死刑の判決後キリスト教の信仰を受け入れ、受洗した死刑囚と共に信仰生活を送っております。また、これまでに、自分の犯した罪に真摯に向き合い、「生きて罪を償いたい」と贖罪の日々を送っていた5名の同宗の友を、死刑の執行によって奪われました。わたしたちの、死刑制度廃止を求める願いには切なるものがあります。
わたしたちは、神より与えられたすべての人の生命と尊厳、そして人権を守るキリスト教信仰にたって、一日も早い死刑制度の廃止を訴えます。岩城法務大臣には、是非とも多くの死刑制度廃止を訴えるわたしたち国民の声に耳を傾け、内閣及び国会の場において、死刑制度廃止に向け努力されますように、また、その法改正がなされるまで、決して死刑の執行をしないよう強く要請いたします。

以上

宗教法人日本聖公会中部教区
宣教局社会宣教部

『「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(ヨハネによる福音書1章14節)』

 今年もクリスマスがやって来ます。私たちの置かれた現実のただ中にみどりごイエス様がお生まれになります。お迎えするにふさわしい備えができるでしょうか。心からお祝いができるでしょうか。この原稿を書いている今はまだ11月中旬、日々の事柄で、てんてこ舞いしています。健康が与えられて働けるというのは大きなお恵みですが、ときにしんどくなることもあります。

 今、日本全国の私立幼稚園は岐路に立たされています。「子ども・子育て支援新制度」が今年の4月から施行され、地域差はありますが遅かれ早かれ各幼稚園は決断し変わっていかなければなりません。園としてこの新制度に乗るのか乗らないのか、認定こども園(「教育」と「保育」を一体的に行う施設)へと移行するのかしないのか、さらには認定こども園の中でも幼保連携型をめざすのか幼稚園型をめざすのか。選択は自由だと国は言っていますので、ますます困惑します。私が園長を務めている幼稚園は園舎が1974年に建てられたものであり、築41年、老朽化は否めません。建て替えたいのですが問題は資金で、公的な補助金が戴けるとしても園負担が必要となってきます。幼保連携型認定こども園へ移行するに伴う園舎改築だったら補助金が4分の3戴けるので園負担は4分の1で済みます。仮に総事業費3億円としても園負担は7千5百万円なので、なんとか手が届きそうと希望の火を燃やし、この3年間上越市にアタックし続けてきましたが、このたび結論を言い渡されました。少子化の中、この地区にはすでに保育園が多数あり供給は充分足りているので、これ以上保育園ないし保育機能を持つ施設を増やす必要はないと市は認識している。必要がないところに市が多額の投資をする理由がない、とのことでした。うちの園がある地区が子どもの数に対して保育園の収容人数が上回っているというのは重々承知で、しかし近年1歳2歳の子どもの入園問い合わせが多く来ているのも現実です。このことや当園の内情を赤裸々に話してなんとか助けてもらえないかとお話してきたのに、切羽詰まってからの回答でした。

 文字通り寝ても覚めてもこのことで頭はいっぱいです。私の判断、私の行動が及ぼす影響の大きさ、責任の重さを痛感しています。90年前にカナダから派遣されたパウルス主教(当時、司祭)がここ高田の地にかかげた幼児教育の灯を、消してはならないと思っています。

建園の精神
 「幼児の生命と人格を尊重し、個々の内に与えられている能力を充分に伸ばさせる。」
 聖公会紅葉幼稚園は1925(大正14)年、日本社会の健全な発達のためには真の民主主義教育が、幼児の内から行わなければならないことを痛感したカナダ聖公会派遣宣教師P・S・C・パウルス司祭によって開設されました。

 来週、上越市の担当課と面談予定です。どう話が進んでいくのか不安です。この文章が皆さまのお目に触れる頃はすでに結論が出ているかもしれません。でもどんな結果になろうとも、生きておられる神様の導きを信じ「イエス様、一緒にくびきを負ってください」と祈るものであります。

司祭 イサク 伊藤幸雄
(高田降臨教会、直江津聖上智教会牧師)

要請書(安全保障関連法案)

内閣総理大臣 安倍晋三 様
防衛大臣   中谷 元 様
外務大臣   岸田文雄 様
衆議院議長  大島 理森 様
参議院議長  山崎正昭 様

要請書

2015年、日本は戦後70年を迎えました。日本は、かつてアジア・太平洋地域を武力侵略・植民地支配し、大きな犠牲を強いた戦争を引き起こしました。戦後、わたしたちは、破壊的な戦争の反省によって日本国憲法を作りました。この憲法は、戦争によって甚大な被害を受けた国内外の人々の尊い犠牲の上に作られたものです。特に憲法第9条は「武力による威嚇又は武力の行使の放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」を定め、国内外で平和憲法と認められています。この平和憲法があるからこそ、平和国家として信頼され、平和的外交をすすめることができるのです。
しかし、2014年7月1日、安倍政権は、歴代政府が日本国憲法9条のもとで許された「必要最小限の実力行使」の範囲を超えると解釈し、禁じてきた「集団的自衛権の行使」を容認する閣議決定をしました。そして、2015年「安全保障関連法案」を強行採決し、9月30日、「安全保障関連法」は公布されました。
安全保障関連法は、自衛隊が「いつでも」(国際平和支援法)・「どこでも」(重要影響事態法)・「切れ目なく」(グレーゾーン)、他国が起こす戦争に介入し、武力を行使できるようにする「戦争法」です。わたしたちは、自衛隊を他国で戦う軍隊に変え、戦争をする国にするような法を認めることはできません。
安倍政権が掲げる「積極的平和主義」は「戦争で平和を創る」ということであり、集団的自衛権の行使を認め、世界中の戦場へ自衛隊を派遣することは、憲法9条に違反します。
安全保障関連法は憲法違反であるということから、安全保障関連法の廃止を求めます。

戦後70年にあたり、わたしたちは、あらためて悲惨な戦争を二度と繰り返さないという決意を明らかにし、正義・真理・愛・自由・いのち・平和・共生を求めていきたいと思います。

「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書第2章4節)
以上

2015年11月23日
日本聖公会中部教区第87(定期)教区会