聖書に親しむ会

8月と12月を除き毎月開催されている中部教区センター企画・聖書に親しむ会の6月から来年3月までのスケジュールが決まりました。
聖書に関心のある方はどなたでも参加可能です。ご興味のある方はぜひ一度ご参加ください。

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さりげなく、なにげなく

モノクロの季節から色付く季節となり、桜の木も花から葉へと主役が変わる季節となった。そんな芽吹き時から3カ月位は、気を遣う時期でもある。

「江夏先生のPHSでしょうか?お話があるのですが…」という電話がかってくる。大抵、こう掛けてくる相手は研修医1年目の先生である。私は勤務先の病院では、本来の病理の仕事の他に、初期研修医(卒業後1、2年目)の担当責任者でもあり、総勢約30名の研修医を抱えている。

話の内容も様々ではあるが、研修がつらい、と言ってくるのが、この5月の連休前後から3カ月の間に多いのである。実は研修医がうつ病となったり、自ら命を落としたりするのも、この時期が多く、一般の方よりも自殺率が高いというデータもある。理想と現実のギャップによるストレス、同年代の研修医と比較して自分は出来ないという思い込み、将来への漠然とした不安など、メンタル面で落ち込んでしまうのである。

ある時、女性の研修医から2年間の研修を終える時に、「先生は私にとってお母さん的存在だったのです。分かりますか?大抵の先生は勉強しているか、仕事しているか、と聞いてきます。しかし、先生は私の顔を見ると、『ご飯はちゃんと食べているか?ちゃんと休んでいるか?実家には帰っているか?』と必ず聞いてくれました。この台詞どこかで聞いたなと思っていました。この間、実家に帰った時に母親が同じことを言っていました。その時から、私にとって先生は、お母さん的存在なのです」と言われたのである。医師として歩み出し、周囲からは先生と言われる立場になったとしても、よく考えてみれば大学卒後1年目、まだまだ社会人としては新人なのである。そんな新人に対して、上司である指導医は沢山いても、親代わりは少ないのかもしれない。また、病院見学に来た学生に、「私の父です」と紹介する研修医もいる。

このように研修医や、またいくつかの学校で学生とも関わっている。人を育てることや接するときにおいて肝に銘じていることがある。それは、感謝されることよりも感謝すること、人に仕え自分のために働くことである。自分のために働くというのは、自分が育てて貰っているという意味でもある。それは、教会生活においても同じである。神様や信徒に支えられ、育てて貰っている。そして、神様はいつも遠く近くでそっと見守っていてくださり、私達の祈りにも耳を傾けてくださっている。しかし、自分自身はどれだけ、神様がしてくださっている祈りに、耳を傾けてきたのか、自問自答する日々でもある。

今年も多くの研修医が巣立っていった。母親的存在、父ですと言った研修医も、今では自分自身が親となっている。

自分の子供や後輩を育てる側になった研修医だった先生、ちゃんと食べさせていますか?ちゃんと休ませてあげていますか?そして、そっと寄り添って歩いてあげてください。

執事 フランシス 江夏一彰
(軽井沢ショー記念礼拝堂勤務)

熊本地震への対応(第1報)

熊本地震への中部教区としての対応について、総主事から第1報が出されました。

 

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「首座主教会議」が語る「帰結」とは何か

2016年1月11日(月)から16日(土)まで、英国・カンタベリー大聖堂において、アングリカン・コミュニオン38管区の首座主教が一同に会する「首座主教会議」が開催された。今回の「首座主教会議」は5年ぶり、ジャスティン・ウェルビー=カンタベリー大主教着座後、最初の開催であった。同性愛者の聖職按手、同性婚の祝福などをめぐって対立を内包したアングリカン・コミュニオンは首座主教会議を開くことができず、この間、カンタベリー大主教は全世界の管区を訪問し、各首座主教とも親交を温め、ようやく招集にこぎつけたのである。

今回の首座主教会議には急な事情等で参加できなかった首座主教を除き、すべての首座主教が出席した。結果として、首座主教たちは、分裂ではなく、コミュニオンとして共に在り続けることを選択した。しかしながら、それには同時に、大きな代償が払われたことが、すぐに明らかになった。首座主教会議は、米国聖公会を向こう3年間、アングリカン・コミュニオンの教理と教会行政をめぐるあらゆる意思決定から排除することを決定したのである。これは、米国聖公会が前回総会で、同性婚を可能とする教会法規改正を決議したことの「帰結」である、と首座主教会議は表明している。破れた交わりを、真に回復する再出発の時となると期待されていただけに、誠に残念な結果である。カナダ聖公会は、本年7月の総会で、米国聖公会と同様の決議を予定しているが、未だ総会決議には至っていないため排除を免れた。

そもそも、「首座主教会議」は、アングリカン・コミュニオンを支える4つの「器」(instruments)(他の3つは、カンタベリー大主教、ランベス会議、ACC)の一つでしかなく、決議機関でもない。私は、「世界改革派教会-世界聖公会国際委員会」の委員であるが、米国聖公会の神学者=エイミー・リクター司祭は、私たちの国際委員会の中核的存在である。彼女抜きにこの国際対話は成立しない。

アングリカニズム神学者で教会法の権威であるノーマン・ドー教授は、今般の首座主教会議の「決議」について、そもそも、首座主教会議にそのような教会法的権限などなく、まったくナンセンスであり、ただ、この間、アングリカン・コミュニオンが議論してきた「聖公会契約」のプロセスが破綻したことを証明した効果しかない、と明言する。植松誠日本聖公会首座主教もこのように語られた。「私は、今回の首座主教会議の結果に関しては大変複雑な、重く沈んだ気持ちでいる。世界の聖公会が分裂せずに、共に歩むことは確かに嬉しいことではあるが、その代償を見たときに、それがあまりに大きく、しかも正しいとは思えない。」

首座主教会議の「決議」の直前に、米国聖公会のマイケル・カリー総裁主教は、列席した大主教たちにこう語ったという。「私たちがすべての者を包む教会となるために献身するのは、社会理論や文化的手法への従属ゆえではありません。そうではなく、十字架の上でイエスさまが広げられた御腕こそが、私たちすべてに差し伸べられた神さまの至高の愛の〈しるし〉なのだという、私たちの信仰に基づくものに他ならないのです。」

このメッセージにこそ、私たちにとっての真の「希望」がある。

司祭 アシジのフランシス 西原廉太
(岡谷聖バルナバ教会管理牧師、立教大学教授)

聖公会の混乱… 聖公会首座主教会議より

今年1月、世界の聖公会の首座主教会議が英国・カンタベリーで開かれました。日本からは植松誠首座主教が出席されました。その報告は管区事務所だよりに掲載されていますし、管区事務所のホームページでも見ることができます。
植松主教は〝緊張感みなぎる中での開催〟と表現しておられます。なぜならば、全世界の聖公会は以前から人間のセクシュアリティーの問題で大きく揺れ動いているからです。特にアメリカやカナダの聖公会と、アフリカや東南アジアの聖公会との間にはその理解に対して大きな隔たりがあります。
今回の会議ではいくつかの課題が話し合われましたが、やはり一番大きな課題はセクシュアリティーの問題でした。と言うのも、アメリカ聖公会が昨年の総会で同性婚を認める法規の改正をしているからです。それに対して保守的な各国聖公会からは、同聖公会の決議は男女間の伝統的な結婚の教理の変更であり、全聖公会の一致を大きく損なうものであるとの強い非難がありました。
その結果、今回の会議ではアメリカ聖公会が向こう3年間、エキュメニカル、及び宗教間の会議においては全聖公会を代表しないということ、また、全聖公会の常置委員には選任されないということ、そして、様々な会議においては意思決定権を持たないという勧告が採択されました。これはアメリカ聖公会の全聖公会からの締め出しと言えるかもしれません。植松主教の話ではアメリカ聖公会のマイケル・カリー総裁主教は大変落胆しておられたそうです。
とりあえず今回は分裂の危機は回避されたようですが、依然として混乱と危機は続くことでしょう。日本聖公会としても早晩この問題についての何らかの見解が求められそうです。

講演会:なぜドイツは原発をやめることにしたのか

なぜドイツは原発をやめることにしたのか
~原発政策ドイツと日本のちがい~
日 時  2016年4月16日(土)午後2時~
お 話  池住義憲さん
(元・立教大学特任教授,日本聖公会名古屋聖ステパノ教会信徒)
会 場  日本聖公会名古屋聖マタイ教会・ホール
名古屋市昭和区明月町2-53-1(名古屋柳城短期大学向い)
*駐車場がありませんので、公共交通機関でお越しください。

入場無料。

池住さんは、今回のドイツへの旅で、確信と勇気を得て帰国された。ドイツの脱原発倫理委員会の6つの結論のポイント、
①原発の安全性が高くても、事故は起こり得る
②原発は事故が起きると、他のどんなエネルギーよりも危険
③次の世代に廃棄物処理などを残すことは倫理的問題
④原子力より安全なエネルギー源が存在する
⑤地球温暖化問題があるので、化石燃料を代替として使うことは解決策ではない
⑥再生可能エネルギー普及とエネルギー効率化政策で、原子力を段階的にゼロにしていくことは、将来の経済のためにも大きなチャンス
以上のことを、わたしたちも確認し、脱原発へ向けて歩みを進めるためのきっかけとなるようにお話をいただく予定です。

共催:日本聖公会中部教区 宣教局社会宣教部
いっしょに歩こう!プロジェクト中部

お問合せ:TEL.052-858-1007
メール:office.chubu@nskk.org

日本聖公会の出発点…長崎

昨年8月9日、長崎原爆の日に長崎聖三一教会で行われた九州教区の長崎原爆記念礼拝に出席し、午後、日本聖公会のルーツを巡る短いフィールド・トリップに参加しました。
教会からオランダ坂を登った一角に、アメリカ聖公会最初の宣教師であり、日本聖公会生みの親の一人でもあるウイリアムズ主教(当時・司祭)が住んでいた家のあった場所があります。ウイリアムズ主教が住んでいた場所に立てるとは思ってもいませんでしたので大変感激でした。また、少し離れたところには聖公会最初の会堂(礼拝所)のあった場所もありました。(いずれも、〝ここがそうだ〟という案内の標識が立っているだけですが。)
更に、出島に行きますと、日本聖公会としてはもちろんのこと日本のプロテスタント教会最古の神学校でもあった「聖アンデレ神学校」が―現在は資料館として―残されていました。聖アンデレ神学校は1877年(明治10)、英国聖公会宣教師のモンドレル司祭によって建てられました。現在は解体・修理が行われ復元された建物ですが、当時の面影を偲ぶことができます。明治の初めに建てられた神学校が残っているとは知りませんでしたのでこちらも驚きでした。
長崎は日本聖公会の宣教が実質的にスタートした地です。ウイリアムズ主教をはじめ初期の宣教師たちはまず長崎に上陸し、日本伝道に向かったのでした。当時は各教派のほとんどの宣教師が長崎に上陸し日本各地に散って行きました。そういう意味では長崎は聖公会に限らずプロテスタント教会の宣教の出発点でもあるのです。
原爆の日に当たり、犠牲者を覚え、核のない平和な世界を祈りつつ、合わせて日本聖公会の草創期の宣教に思いを馳せたのでした。

イースター

厳冬期、雪におおわれて、死んだようになっていた自然に、ようやく若芽があふれています。

茶色がかった緑、萌黄色の緑、白っぽい緑、色とりどりの緑が一杯です。

今や若い生命を示すように緑が溢れようとしています。

冬の間、澄み渡った空を突き刺すような木々の枝が、新しい生命の躍動に芽ぶき始め、大気も冬の厳しい鋭さが和らぎ、丸みをおびています。

新しい生命の若芽の「漲る」春です。

植物において、花が咲き、実が実った後、枯れてしまっても、種子が地に落ちて、翌年、再び、芽を出して育つ、あるいは、茎や葉は枯れても根が残っていて、そこから春になると、芽が出てくるという自然現象を初代教会の人々も見ていたと思います。

生命みなぎる喜びの春、イエス様のご復活を記念し、祝う復活日=イースターは、クリスマスよりずっと古く紀元一世紀から祝われてきたキリスト教の一番大きな祭りです。

日曜日に、学校や会社が休みになるのも、金曜日に十字架にかかって死なれたイエス様が、日曜日の朝早く、復活なさったことを記念し、教会の礼拝に行くためです。

イエス様の十字架の死は、全き人間として、死なれることでもありましたが、罪に陥っている私たち人間の罪を背負っての身代わりであり、深く、広く、高い愛の実践でした。

イエス様の復活とは、愛であるイエス様が、神様の生命に生かされ、この世での命とは別な新しい、神様の「永遠の命」に生きていることです。

イエス様は、言われました。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る、わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。」(ヨハ12・24b~26b)

イエス様に従うならば、私たちもまた、春の新しい生命のように、イエス様と共に新しい命に生き生きと生かされていくと思います。

これは、キリスト教の一番初めからの中心的信仰です。

クリスマスは、よく知られ、多くの人々に、抵抗なく受け入れられていますが、イースターは、毎年、異なった日にくるせいもあり、イエス様の死からの甦りは、仲々分かりにくいことです。

しかし、必ず死ななければならない私たちの死が、私たちのすべての終わりでも、虚無になってしまうのでもなく、イエス様に従うのならば、死は新しい生命への門口であり、神様の生命に生かされることである、との希望を持つことのできるのは、この上なく大きな喜びです。それがイエス様の復活への信仰であり、イースターを祝う意味です。

司祭 テモテ 島田公博
(主教座聖堂付)

ワンダイム

 新生病院ではこのたび、医療活動に加えて新たに二つのNPO法人を立ち上げつつあります。一つは「NPO法人パウル会」で戦前戦後、新生療養所の総婦長であったミス・パウルの名をいただいた法人で、サービス付高齢者住宅やグループホームなどの社会福祉施設を主に運営します。

 もう一つが「NPO法人ワンダイム」です。〝ワンダイム〟はカナダの10セント銀貨〝one dime〟のことです。この名称は新生療養所建設にあたりカナダ聖公会が各教会に募金を呼びかけたとき、日曜学校の幼い子どもがワンダイムをきれいに磨いて献金したという話から来ています。新生病院の歴史、理念を継承していこうとする法人です。

 ワンダイムは「歴史・理念の継承」「海外医療協力・被災地支援」「環境・交流事業」を活動の柱としています。具体的には現在の「ミス・パウル記念館」(ミス・パウルの元住居)を敷地内の他の場所に移築し、歴史資料の展示・保管や喫茶、売店の設置により新生病院のこれまでの歩みを紹介していきます。

 また、新生病院の海外医療協力は今までも行われてきましたが、これからはワンダイムがその働きを継続していきます。かつてカナダ聖公会が日本の結核治療のために奉仕されたように、新生病院も医療を必要としている海外の国々のために奉仕をしていきます。また、被災地への支援も引き続き行っていきます。

 更には、カナダ聖公会の思いを伝えていくためカナダメイプル(かえで)の種を蒔き、苗を育て、「メイプルの森」の実現を目指します。

 これらの活動は中部教区も様々な面で関わりを持ちながら進められることと思います。皆様にも是非この活動を知っていただき、ご支援・ご協力をいただきたいと願っています。

『感謝と賛美の聖祭』

2、3年前のことですが、某司祭から次のような言葉を投げかけられました。「最近、あなたのように〝聖餐、聖餐〟と言う司祭は少なくなってきましたねぇ」と。その方がどのようなお気持ちからそのような発言をされたのか、その時にあまりにとっさのことで、確かめることが叶いませんでしたが、考えさせられました。

確かに私たちの教会は1960~70年代まで〝ハイチャーチ〟〝ローチャーチ〟というそれぞれの伝統によって教区・教会の在り方・姿勢が特徴づけられていました。しかし、この60~70年代は世界の激動期にあたり、様々に世界観や歴史観、宗教観が厳しく鋭く問われました。カトリック教会では第2ヴァチカン公会議、プロテスタント教会ではWCC総会で、又聖公会もランベス会議において、この世・この世界に対して、キリスト教会はどう在るべきなのかということが真剣に議論され、教会の刷新・改革がなされた時代でした。ですから、その折に礼拝(典礼)についても多くの教派(正教会や福音派系のプロテスタント教会を除く)が、礼拝学の成果を踏まえて新しくされていったのでした。日本聖公会でも、この世界の動きを受けて、礼拝(典礼)が整えられてきたので、この時点で〝ハイチャーチ〟〝ローチャーチ〟という言い方の礼拝観は無効になったと言っていいと思われました。

もう1点、60~70年代の教会の姿を表して〝社会派〟〝教会派〟と言う言い方もありました(日本基督教団や歴史的プロテスタント教会、聖公会でもそのような言い方があった)。あえて乱暴な言い方を致しますが、内向きに教会内で礼拝・お祈りだけ為されても「キリストの福音に生きる」ことにならないという考えが〝社会派〟で、それに対して教会人は、外向きに政治的社会的活動することより、「みことばに生かされて」必要な人のため祈ることの方がもっと大切というのが〝教会派〟だと思いますが、この両者は分離し、時には対立していました。しかしこの分離・対立を包み込み乗り越える考え方が、今まで述べてきた時代背景の中から形成されてきました。つまり両者を包み込み乗り越える原理は、新たに生まれてきた〈聖餐論〉だったのです。

言うまでもなく、〈聖餐〉は救いに必要な二大サクラメントです。(教会問答15.)〈聖餐〉とは、「主イエス・キリストがお定めになった感謝・賛美の祭りであり、教会はこれを主からの賜物として受けた。わたしたちはこれを行うたびに、主が再び来られるまで十字架の犠牲の死と復活、昇天、聖霊降臨を記念し、キリストの命に養われ、主の救いのみ業を宣べ伝えるのである」と聖餐式文冒頭の解説ルブリックにありますが、私たちは裂かれたご聖体を頂くことによって、ただ心とからだの養いにとどまらず、〈聖餐〉によって、その時その場で宣教的力が具現化されているという宣教=聖餐という理解を持ちたいし、そのような〈聖餐〉の恵みの奥義をさらに追い求め、豊かに受容できるような信徒の群れ(教会)でありたいと願うものです。

司祭 パウロ 松本正俊
(新潟聖パウロ教会牧師、三条聖母マリア教会管理牧師、長岡聖ルカ教会管理牧師)