死ぬ日まで天を仰ぎ、一点の恥なきことを

 先日、「尹東柱没後80年・尹東柱追悼記念礼拝」が立教大学諸聖徒礼拝堂で行われ、礼拝後は私も講演をさせていただきました。
 尹東柱は1917年12月30日、中国・吉林省北間島明東村というキリスト教の教えを基盤とした開拓村で生まれました。家族は全員キリスト者で、尹東柱も幼児洗礼を受けています。彼はその後、崇実中学校、延禧専門学校(現在の延世大学)で学んだ後、1942年に日本に渡り、4月には東京の立教大学文学部英文学科選科に入学しました。同年10月には京都の同志社大学に移りましたが、翌1943年7月14日、治安維持法違反容疑で逮捕され、懲役2年の判決、そして解放の半年前、1945年2月16日、福岡刑務所で獄死しました。満27歳でした。獄中から尹東柱が聖書を送ってほしいと家族に頼んでいたことも判明しています。尹東柱は、最後まで誠実なキリスト者でありました。
 尹東柱が日本留学中に書き記した詩は逮捕時にほぼすべて失われましたが、彼が友人に託していた、戦時下の社会状況を見事に表現した詩として国際的に高い評価を受けている『たやすく書かれた詩』をはじめとする5篇の詩だけが奇跡的に遺りました。これらの詩は、「RIKKYO UNIVERSITY」という名と立教のシンボルである百合の紋章が入った立教大学の便箋に書かれました。現在は延世大学の尹東柱記念館に保存されています。
 尹東柱の詩の中で、私が最も大切にしているものは、『序詩』ですが、冒頭はこのような書き出しで始まります。「死ぬ日まで天を仰ぎ、一点の恥なきことを」。
 私の恩師でもある月本昭男、立教大学名誉教授はこう書かれています。「『天』には『神』が含意され、『一点の恥なきこと』は『恥をかかないこと』でなく、『良心に恥じないこと』である」。
 すべての若い人たちに、この尊きキリスト者の言葉に触れて欲しいと願うのです。

礼拝カレンダー2025年4月号

4月の礼拝カレンダーが完成いたしました!
人事異動やイースター礼拝で普段の礼拝時間と変わっている場合がございますので、
ご注意ください。

4/7修正…4/13の名古屋聖ヨハネ教会の聖餐式・司式説教は後藤司祭となります。
4/3修正…4/6の愛知聖ルカ教会の礼拝は愛餐式になります。4/13の豊田聖ペテロ聖パウロ教会の礼拝はみ言葉の礼拝・各家庭、4/27は聖餐式・伊藤司祭となります。

中日本宣教協働区:各教区代祷表(2025年度)

中日本宣教協働区では2022年度より各教区諸教会を覚えて互いに祈り合うことを続けています。
各教区(横浜・京都・大阪・中部)の代祷表を掲載し、お知らせいたします。

主日の礼拝の中でお覚えくださいますようよろしくお願いいたします。

中日本宣教協働区の働きの上に愛と平和の主の豊かな祝福がありますように。

中部教区150周年記念のつどいZoomシリーズ(第2回)

1月に行われたZoomシリーズ第1回に続き、
3月22日(土)にはZoomシリーズ第2回が予定されています。
この度新しいチラシが完成しましたので、お知らせいたします。
是非お誘いあわせの上ご参加下さい。

顕現節に想う

 アントニー・デ・メロ師(イエズス会士、同会霊性指導者)の書いたものに、このような話があります。
 ある大修道院長がヒマラヤ山中のグルー(導師)のもとにやって来た。「何をお求めかな?」グルーは尋ねた。修道院長は最近の僧院の打ち沈んで静まり返った状況を説明した。「僧院がこのような有り様に変じたのは、私どもに何かの罪が原因でしょうか?」と。「さよう、知らずにいるという罪ですな」。「して、それはいかような罪なのでございましょうか?」。「あなた方のなかの一人はメシアでいらっしゃる。しかも姿を変えておられる。あなた方はそのことを知らずにいる」と。僧院に帰った修道院長は修道僧を一堂に集めて、グルーの語ったことを説明した。一同は信じられぬという表情で互いに見回した。メシアが?ここに?メシアが姿を変えてここにおられても、この人だと特定出来そうには思えず、そこで彼らは会う人ごとに、「この人こそメシアかも知れないのだ」と自分に言い聞かせた。このように過ごすうちに、僧院の雰囲気は活気に溢れ、喜びに満ちたものとなった。礼拝堂には再び賛美と喜びの歌が響くようになった。『蛙の祈り』(女子パウロ会)
 顕現とは神の栄光、聖なる輝きの現れですが、神の手がこの世界のただ中にあることをどのようにして人は知るのでしょう?私たちは主イエスの降誕によって神の顕現の出来事に出会いますが、いかにして神の顕現にふれるのでありましょう?
 アダムやヨナは神から逃げようとします。同様に私たちも顔を避けようとしています。近代化の中で神を殺そうとし、また、世俗化の中に身を隠そうといつも逃げ続けていると言っても過言ではありません。
 一方、旧約の詩人は歌います。「どこに逃れれば、み顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも見よ、あなたはそこにいます。」神の目、神の手から逃れることはできず、更に「あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった」(詩139編)
 まさに、創造の神秘です。自分の命の中に神の手があり、何者も絶対的に知られ、何処にいようと、神の手の中にある、との詩人の魂の叫びです。また聖書の真髄でもあります。即ち、神が顕現するのであって、私が会うのではなく、自分が知る以前から既に、すべてを知っておられる。この洞察や気付きは、圧倒的な神体験、神の顕現との出会いなのです。神がおられる。しかもその目撃者は臨在し、自分の命の中に神がおられる。他者の命の中にもおられる、すべて命あるものの中におられる、それを知ったが故の緊張こそ、信仰に生きることの内容なのです。なので、祈らずにはおられないのです。
 「子どもを見つめる目や話す言葉が愛によって味づけられたものでありますように、あなたの愛で私たちの心を溢れさせてください。一人ひとりのうちにある大きなものや伸びていく力を見つめ、感じることができますように。また、待つことのできる心とすべてを受容する心をお与えください…」と。 (教師の朝の祈り)

司祭 エリエゼル 中尾志朗
(一宮聖光教会牧師)

「立てパウロ、立ちてゆくべし、地の果てまでも」

 昨年末、立教学院創立150周年記念特別企画として、新作能『聖パウロの回心』が立教大学にて開催されました。26世観世宗家の観世清和家元はじめ、観世宗家、狂言演出の野村萬斎先生の特別なるご厚意での再演となったものですが、観劇しながら言葉を失うほどに心揺さぶられる感動的な舞台でした。
 新作能『聖パウロの回心』は、「切支丹(キリシタン)能」の存在を大切にされておられた観世清和先生が、書誌学者であられる林望先生とご一緒に、聖書の物語、とりわけ使徒言行録の「パウロの回心」の物語を忠実に能として表現されたものですが、能舞台開演前には、林望先生による切支丹能などをめぐる詳細な歴史的考証があり、大変な学びを与えられました。1563年(永禄6年)に来日したポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスは、有名な『日本史』をはじめとする多数の著作を今に残しています。それらの中には「能」に関する記録も登場し、当時の「能」がどのように演じられたかを知る貴重な記録ともなっています。
 新作能『聖パウロの回心』の台本創作は林望先生、能作・演出は観世清和先生ですが、その詞章の一部にはこのようなイエスと地謡(じうたい)の台詞が登場します。
 「立てパウロ、立ちてゆくべし、地の果てまでも、ゆけパウロ、異邦人(とつくにびと)の光として、あまねき救いをもたらさむそのために、我はそなたを立てたるなり。よしよし、そなたいづこに荒磯の、海山越えてはるかなる、道のあなたにありとても、我は必ず護るベし、ゆけパウロ、これまでなりと曰(のたま)ひて、イエスは空へ昇りゆく、祝福の声こそめでたけれ」
 私たち中部教区は今年、宣教開始150周年を迎えています。「ゆけパウロ」と命じられた主の促しに応えて、私たちもまた、新たに〈裸足の宣教〉の道を歩みたいのです。

中部教区宣教150周年を迎える祈り

1月25日に行われました「150周年記念のつどい Zoomシリーズ①」でお知らせのありました「中部教区宣教150周年を迎える祈り」を公開いたします。週報への掲載や各教会で利用しやすいようにwordファイルを添付いたしますので、ご利用ください。

中部教区宣教150周年を迎える祈り

いつくしみ深い全能の神よ、あなたは150年前、P.K.ファイソン師を中部教区の地に派遣されました。またそれに続く宣教師たちは、身体や心そして魂に、苦しみや悩みを持つ人々と共に歩む、裸足のような姿勢で、キリストの愛と福音の光をわたしたちにもたらしました。これまでのお導きとお守りを心から感謝いたします。どうか、中部教区に属するわたしたちが、聖霊の導きにより、ひとつとなって、裸足の宣教者として、主に向かう道をこれからも歩み続けることができますようにお支えください。中部教区宣教150周年を迎えるにあたり、これらの祈りを主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン                            

礼拝カレンダー2025年2月号

2月の礼拝カレンダーをお知らせいたします。今回からQRコードを付けてみました。
教会の掲示板で確認してみてください。

修正等ございましたら中部教区センターまでお知らせください。

2/3修正…2/23大垣の礼拝開始時刻は15:00→14:00に変更になりました。