2025年度長野伝道区合同礼拝につきまして

8月16日(土)10時30分~13時、軽井沢ショー記念礼拝堂で、
長野伝道区合同礼拝が行われます。
長野伝道区内の教会の皆様は、教会単位でお申し込みください。
それ以外で参加をご希望の方は、大和孝明司祭(メールアドレスubicaritasyam@gmail.com)までお問い合わせください。

更生のための拘禁刑へ

 創世記3章の失楽園物語の中で、「あなたのゆえに、土は呪われてしまった。あなたは生涯にわたり、苦しんで食べ物を得ることになる。」という神さまの言葉が、善悪の知識の木から取って食べたアダムへの罰として記されています。この箇所から、キリスト教では土を耕し食べ物を得るための労働が、神さまからの罰であるように考えられることがあります。
 しかし、人間がその管理を任せられていたエデンの園においては、そもそも労働は神さまが、あらかじめ人間のために計画してくださった賜物であり、神さまを賛美する手段であったことが分かります。そして労働は今もなお、神と隣人とに仕えるための賜物であることは、聖書全体から導き出される考え方でしょう。
 しかし、労働が罰という考え方は肯定しませんが、労働をとおして、罪を自覚し、悔い改めに導かれ、罪を告白し、赦される。この継続的な繰り返しによって、霊的成長と自己変容をともなって、神さまに喜ばれる人生を送るという更生のプロセスがキリスト教の人生の歩みの一つのモデルとしてあるように思います。
 6月1日から、刑法が改正され、懲役と禁錮が一本化され、拘禁刑が導入されました。わたしたち教誨師も、この拘禁刑の導入にあわせて、人権尊重と更生支援の研修を受けて、より良い形で収容者の皆さんへの支援が出来るようにと準備をしてきました。
 従来、懲役の受刑者には刑務作業が義務付けられていた一方で、禁錮の受刑者は刑務作業が任意とされていました。しかし禁錮刑の受刑者も刑務作業を希望することが多く、処遇に差がなくなっているのが実態でした。新設された拘禁刑では、刑務作業を行わせるかどうかは受刑者ごとに決定され、柔軟な処遇が可能となりました。さらに、受刑者の特性に応じて更生プログラムを組むことが出来、再犯予防の効果も大きく期待されているのです。
 そのような目的で拘禁刑が導入されたのですが、わたしたちの住むこの日本は、犯罪件数自体は減少傾向にあるにもかかわらず、再犯者率は高い状況が続いています。
 日本の再犯者率が高い主な理由は、出所後の社会復帰が難しいことです。一度罪を犯してしまうと、いつまでも「前科者」というレッテル張りをされ、社会からの偏見にさらされます。それにより就労機会が不足し、住居の確保が難しくなり、再犯を繰り返す悪循環に陥りやすい状況が続いているのです。
 そもそも人権は神の似姿という存在の尊さが根拠ですので、功績はもちろん罪過も人権には影響しません。たとえ罪を犯してしまった人であっても、その人の人権は尊重されなければなりませんし、罪を償って出所してきたのなら、なおさらです。
 刑務作業が刑罰であることは、失楽園物語のアダムへの神さまの言葉と重なってしまいますが、日本の刑罰もやっと拘禁刑へと移行するにあたり、わたしたち教会も、労働はもちろん、神さまに喜ばれる人生を歩むための営みすべてが賜物であり、神さまを賛美するための交わりを、すべての人の人権を尊重しながら、豊かにして参りたいと思います。

司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖マタイ教会牧師)

「ローマの主教」としての教皇フランシスコ

 4月21日、第266代ローマ教皇フランシスコは復活日を迎えた翌日、主のもとに召されました。88年のご生涯でした。生き辛さ、痛み、悲しみをかかえている人、居場所を見失った人に、主はあなたと共にいると告げ、謙遜さに生きる主教職の模範を示された立派な教皇でした。私も、フランシスコ教皇が2018年6月にジュネーブの世界教会協議会のエキュメニカルセンターを公式訪問くださった際に、親しくお話させていただきました。明確なヴィジョンを持たれ、優しくもユーモア溢れるエキュメニカル・リーダーの姿に感銘を受けました。
 1999年5月に「第2次聖公会―ローマ・カトリック国際委員会」の作業成果の一つとして、報告『権威という賜物』―「教会における権威Ⅲ」が発表されました。これは1968年に、当時のカンタベリー大主教、マイケル・ラムゼーとローマ教皇、パウロ6世の合意に基づき招集された、両教会の可見的一致の可能性を探求するための、実に45年以上にも渉る地道な神学対話の一つの帰結でした。
 この報告がきわめて重要な意味を持ったのは、その中で、「聖公会に属する者は、特定の明確な条件のもとに、ローマの主教による普遍的首位性の行使に対して開かれており、またその回復と再受容を願うものである」と宣言されているからに他なりません。ローマ教皇の首位権の承認問題は、まさに16世紀英国のヘンリー8世時代以降、英国宗教改革の最大の要点としてあり続けてきた問題であり、したがって聖公会神学に本質的に関わる課題でした。
 私たち聖公会につらなる者たちも、ローマ教皇を、地上にあるすべてのキリスト者の一致のしるしである「ローマの主教」(Bishop of Rome)として、その権威を限りなく大切にしているのです。ローマの主教、フランシスコのお働きに感謝しつつ、魂の平安を共に祈りましょう。

礼拝カレンダー2025年6月号

2025年6月号の礼拝カレンダーが完成しましたので、お知らせいたします。
中部教区内の岐阜県では早くも猛暑日を記録したとニュースで報道されていましたが、
今年はどんな梅雨・夏になるのでしょうか。皆さま体調管理にお気を付けください。

6/10修正…岡谷聖バルナバ教会では、6/29ファミリーキャンプのため教会での礼拝はありません。

礼拝カレンダー2025年5月

復活節を迎え、カレンダーは早くも5月号をお知らせする時期となりました。
町や山のあちこちで藤やツツジが美しい季節ですね。
急に暑くなる時期でもありますので、皆さま健康に気を付けてお過ごしください。

※4/30修正…5/18愛知聖ルカ教会の礼拝は合同礼拝のため名古屋聖マルコ教会で行います。

〝聖徒の交わり〟を楽しむ

 2025年を迎えて間もなく2か月を経過しようとしていますが、この間に、身内も含めてこれまでお世話になった6名の方々が天に召されました。毎週のように葬儀に列席していますが、故人への感謝と共に言いようのない喪失感と不安感に襲われることもあります。
 1月初めに公私にわたり深い交わりをいただいた、敬愛する大和田康司執事を主の御許へお送りしました。とても温かい雰囲気に包まれた葬儀でしたが、その折に渋澤一郎主教さまから「二人とも天国へ行ってしまったね…」と慰めの言葉をお掛けいただき、涙を抑えるのに必死でした。
二人ともというのは、10年前の2015年に逝去された野村潔司祭と大和田執事のことです。かつて大和田執事が50代、野村司祭が40代、私が30代の頃、毎年3人で温泉旅行を楽しんでいました。幹事はいつも野村司祭で、なぜか家族風呂がありカラオケのできる宿を優先的に探していました。当時は偶然3人とも一人息子の父親ということもあり、カラオケでは決まって河島英五の「野風増」を最後に一緒に歌い、そこからヒントを得て「野放図の会」と命名しました。今では考えられませんが、森紀旦主教から許可をいただき10日間のフィリピン旅行にも3人で出掛けました。プライベートとは言え、その大半は野村司祭ゆかりの教会や施設、神学校を連れ回された記憶があります。深夜まで中部教区の将来について、とりわけ「特任聖職」の重要性について熱く議論したこともありました。今となっては、そのすべてが楽しく懐かしい思い出です。
 かなり昔のことになりますが、逝去1カ月の記念の式で祈祷書(403頁)にある祈りをささげた時に、ご遺族の方から「聖徒の交わりを楽しませてください」という言葉に違和感があると言われたことがあります。まだ十分に死を受けとめきれていない、悲しみを拭いきれていないのに「楽しむ」ことなんてできない…ということだと理解しました。当然のことです。それ以来、葬儀の際には必ず〝聖徒の交わり〟の意味について丁寧にお伝えするように心掛けています。イエス・キリストを救い主と信じる者にとって、先にこの世の生涯を終え、天に召された方々との関係は肉体的な死によって途切れてしまうことはありません。私たちは、天に召された数知れぬ信仰の先輩たち(証人の群れ)にいつも囲まれており、その中心には主イエスがおられるということに深い安心感と希望を持つことができます。〝聖徒の交わり〟とは、生きているキリスト者の人間的な肉の交わりということだけではなく、既に天に召された方々をも含めた霊的な交わりを意味します。だからこそ〝聖徒の交わり〟を楽しむことができるのではないでしょうか。
 この原稿を書いている最中に、やはり子どもの頃より大変お世話になった渋川良子司祭の逝去の報が届きました。大和田執事や渋川司祭をはじめ、先に主の御許に召された諸先輩方を感謝の内に覚え、これからも〝聖徒の交わり〟を楽しんでいきたいと思っています。


司祭 テモテ 土井宏純
(中部教区 主教補佐)

死ぬ日まで天を仰ぎ、一点の恥なきことを

 先日、「尹東柱没後80年・尹東柱追悼記念礼拝」が立教大学諸聖徒礼拝堂で行われ、礼拝後は私も講演をさせていただきました。
 尹東柱は1917年12月30日、中国・吉林省北間島明東村というキリスト教の教えを基盤とした開拓村で生まれました。家族は全員キリスト者で、尹東柱も幼児洗礼を受けています。彼はその後、崇実中学校、延禧専門学校(現在の延世大学)で学んだ後、1942年に日本に渡り、4月には東京の立教大学文学部英文学科選科に入学しました。同年10月には京都の同志社大学に移りましたが、翌1943年7月14日、治安維持法違反容疑で逮捕され、懲役2年の判決、そして解放の半年前、1945年2月16日、福岡刑務所で獄死しました。満27歳でした。獄中から尹東柱が聖書を送ってほしいと家族に頼んでいたことも判明しています。尹東柱は、最後まで誠実なキリスト者でありました。
 尹東柱が日本留学中に書き記した詩は逮捕時にほぼすべて失われましたが、彼が友人に託していた、戦時下の社会状況を見事に表現した詩として国際的に高い評価を受けている『たやすく書かれた詩』をはじめとする5篇の詩だけが奇跡的に遺りました。これらの詩は、「RIKKYO UNIVERSITY」という名と立教のシンボルである百合の紋章が入った立教大学の便箋に書かれました。現在は延世大学の尹東柱記念館に保存されています。
 尹東柱の詩の中で、私が最も大切にしているものは、『序詩』ですが、冒頭はこのような書き出しで始まります。「死ぬ日まで天を仰ぎ、一点の恥なきことを」。
 私の恩師でもある月本昭男、立教大学名誉教授はこう書かれています。「『天』には『神』が含意され、『一点の恥なきこと』は『恥をかかないこと』でなく、『良心に恥じないこと』である」。
 すべての若い人たちに、この尊きキリスト者の言葉に触れて欲しいと願うのです。