日本聖公会中部教区宣教150周年ニュースレター

日本聖公会中部教区は2025年に宣教150周年を迎えます。

日本聖公会中部教区宣教150周年実行委員会広報チームでは、この度ニュースレター第1号を発行いたしました。
是非ご覧いただき、各教会で共有してただけましたら幸いです。

礼拝カレンダー2024年12月

早いもので2024年も残すところ約1ヶ月となりました。皆さんにとって今年はどんな1年だったでしょうか。
年始には大きな地震もありました。コロナ禍から少しずつ以前のような日常に戻ったというのか、コロナ禍を機に新しい日常が始まったような年でしたね。
今年1年を振り返りつつ、降臨節は各地の教会に是非お出かけください。

※12/5修正・・・名古屋聖ステパノ教会12/29の礼拝を修正しました。

クリスマス礼拝(岐阜)

12月24日(火)午後7時から
9つの日課と聖歌によるクリスマスイブ礼拝
*キャンドルの光の中での礼拝です。
司式・説教:牧師 司祭 ヨハネ 相原太郎

12月25日(水)午前10時半から
降誕日聖餐式
司式・説教:司祭 ヨハネ 相原太郎

礼拝はどなたでも自由に参加できます。事前連絡も不要です。

礼拝カレンダー2024年11月号

10月も残すところわずかとなりました。11月号の礼拝カレンダーが完成しましたので、お知らせいたします。
修正等がございましたら、教区センターまでお知らせください。

※11/19修正…大垣聖ペテロ教会の11/24の礼拝開始時間は14:00となります。
※10/30修正・・・名古屋聖マルコ教会の11/10の礼拝開始時間は14:30となります。
愛知聖ルカ教会の10/10は丁胤植司祭による聖餐式となります。

神の栄光を表すため

 社会福祉法人岐阜アソシア(中部教区の関連法人)は、視覚障害者とともに生きる社会を目指して、点訳・音声訳図書の製作と貸出、点字・歩行・IT機器の訓練、外出支援などを行っています。
 中部教区がこうした働きを開始するきっかけとなったのは濃尾地震でした。1891年10月28日、岐阜県本巣郡(現:本巣市)を震源とするマグニチュード8の地震が起き、死者7273人、全壊・焼失家屋14万2千戸という甚大な被害が発生しました。
 岐阜聖公会(現:岐阜聖パウロ教会)は、この地震から遡ること1年前にアーサー・フレデリック・チャペル司祭によって設立され、会堂も建てられましたが、震災によって焼失しました。地震の後、岐阜聖公会の礼拝は仮設の小屋で継続しつつ、被災者支援活動を開始しました。眼病を患っていた森巻耳伝道師が中心となって被災した視覚障害者の支援に注力することになり、岐阜鍼按練習所を開設します。3年後には岐阜聖公会訓盲院を創設しました。
 1940年になって訓盲院の学校教育機能は岐阜県に移管されることになりました。そして1941年、岐阜聖公会は財団法人岐阜訓盲協会を新たに設立して、訓盲院のその他の社会事業を引き継ぐことになりました。これが現在の岐阜アソシアです。
 このように、岐阜聖公会の設立とほぼ同時に始まった視覚障害者支援の取り組みは、一方では岐阜県立岐阜盲学校となり、もう一方は民間の社会福祉団体となりました。この岐阜アソシアは、現在も教区主教が理事長となり、チャプレンが派遣され、中部教区としてその運営に携わっています。盲学校は公立ですので、組織的には完全に聖公会から離れています。しかし、岐阜聖公会の設立者の想いは、今もしっかりと継承されています。
 盲学校の創設者であった森巻耳先生は、ご自身の失明について、「これ皆神の聖旨なり。吾を盲人社会に用いて、神の栄えを表さしむなり」と受け止めました。そして、全人教育の場として盲学校を設立しました。それは、人は誰もが神の栄光を表す者として堂々と生きるべき存在であり、視覚障害を理由に社会から排除されてはならない、という理解がその根底にあったからでありましょう。
 県立岐阜盲学校の玄関には森先生の銅像があり、その横には、「敬神愛人」の額が掲げられています。これは公立学校である盲学校の現在の校訓です。また、校章には十字架がデザインされています。この校章は岐阜聖公会が盲学校を運営していた頃に制定されたものですが、今もなお大切に用いられています。こうしたことからも、学校設立の源流である岐阜聖公会の設立者たちの想いがいかに大切にされているかが分かります。
 このように、岐阜における聖公会の働きは、時代に応じて形を変えながらも、当時の設立者たちの想いと共に受け継がれています。中部教区は来年(2025年)宣教開始150周年を迎えますが、先人たちの想いを、私たちを取り巻く現在の時代環境を見据えながら、大切に引き継いでまいりたいと思います。

司祭 ヨハネ 相原太郎
(岐阜聖パウロ教会牧師)

祈り、祈り、祈り続けて目を泣き腫らすこと

 「日本聖公会北海道教区宣教150年記念礼拝」に説教者としてお招きいただきました。厳粛かつ感動的な礼拝で、北海道教区が、笹森田鶴主教を中心にした素晴らしい信仰共同体を形成されておられることに心から感銘を受けました。
 また、説教準備を通して、中部教区と北海道教区との間には深い歴史的なつながりがあることにあらためて気づかされました。中部教区宣教開始は、ファイソン司祭が1875年に新潟に到着し、1883年まで新潟で宣教を担ったことに遡るものです。そして、まさしくそのファイソン司祭こそが北海道教区初代主教として着座されるのです。その他、新潟においてファイソン司祭から受洗し、その後、北海道教区でバチラー司祭のアイヌ伝道を助けた芥川清五郎師、1920年の夏、主教不在時に北海道に滞在し、信徒の堅信、聖職按手を手伝ったハミルトン中部教区主教など、百年前の教区を超えた信仰のつながりに驚かされます。
 アイヌの女性で、バチラー司祭の養女となったバチラー八重子師は、聖公会の伝道師であると同時に歌人としても大変有名で、日本の文学史においても重要な歴史を刻みました。バチラー八重子師の『若きウタリに』と題された本がありますが、国語辞典の編纂で有名な金田一京助が書いた序文があり、その中にはこのような一文があります。
 「聖書を抱いて、いじらしきものの頭をなでては祈り、罪あるものの背に向かっては跪いて祈り、明け暮れを幼いもの弱いもののために祈り、祈り、祈り続けて目を泣き腫らしてきた八重子女子の声は、ついに『若きウタリに』の一巻を成したのである」
 中部教区も来年の宣教150周年に向けて、「裸足の宣教」を再び歩もうとしています。その原点とはまさしく「明け暮れを幼いもの弱いもののために祈り、祈り、祈り続けて目を泣き腫らす」ことなのです。

中部教区ポータルサイト更新通知メールのお知らせ

中部教区デジタル部は、2023年11月23日より、スマホひとつで、簡単に教区報「ともしび」のバックナンバーを読んだり、中部教区に関連する動画を視聴したり、管区のニュースレターを見たりすることができる中部教区ポータルサイトを開設しました。
http://chubunskk.3rin.net/
(ポータルサイトは中部教区の信徒向けですのでパスワードをかけています。パスワードは各教会の牧師にお尋ねください。)

ポータルサイト開設後、随時情報を追加していますが、新しい情報が掲載されたかどうかは、自分からログインして見に行かなければなりませんでした。そこで、デジタル部では、ポータルサイトの更新情報をメールでお届けするサービスを開始することにしました。

更新情報は中部教区センターよりメールでお送りします。ご希望の方は、こちらより登録をお願い致します。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSc_dmG4LiCBn6JgQaFt62iLwrrYR3cY8VDPgofy236x7sbIwA/viewform
*メールが届くのは月に1回程度になると思います。
*メーリングリストを使って一斉送信しますが、同リストは、教区センターだけが投稿できるように設定してあり、登録したメールアドレスは、他の人には公開されません。
*中部教区の関係者以外の方は登録できません。

この更新通知メールを通して、ポータルサイトをご活用いただければと思います。

ポータルサイトは、皆様が使いやすいように随時更新して改善しています。ご要望などがありましたらデジタル部(連絡先:中部教区センター)までご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします。