中部教区各教会へ来年1月の召命黙想・読書会のお知らせを発送しました。
申し込み締め切りが10月31日(日)となっておりますので、ご興味がある方はお早めにお申し込みください。
※第1回目と第4回目の主題・講師が代わりました。(12.9修正いたしました)
※中部教区内信徒を対象としておりますが、ご質問・お問い合わせは中部教区センターまでお知らせください。

中部教区各教会へ来年1月の召命黙想・読書会のお知らせを発送しました。
申し込み締め切りが10月31日(日)となっておりますので、ご興味がある方はお早めにお申し込みください。
※第1回目と第4回目の主題・講師が代わりました。(12.9修正いたしました)
※中部教区内信徒を対象としておりますが、ご質問・お問い合わせは中部教区センターまでお知らせください。
しばしば「教区としての意見は?」「教会の土地建物はなぜ教区名義なのか?」といった、回答に窮する質問を受けることがあります。そもそも「教区」について私たちはどのように理解したらよいのでしょうか。
残念ながら教区の定義は明文化されてはいませんが、日本聖公会法憲第1条にはこのように記されています。「日本聖公会は主教の司牧する若干の教区より成る管区である。教区は司祭の司牧する若干の教会を包括する。」少し分かりにくい表現とも言えますが、私なりに説明的に言い換えると「日本聖公会において自律した組織(共同体)の基本単位はあくまでも教区である。そして教区の司牧の中心は主教であり、司祭は主教により教区が包括する各教会に牧師として派遣される。」ということであると思います。つまり、教区は主教を中心とした一つの生きた体(信仰共同体)と言えます。ですから、教会の中で一般的に「教区」という表現は主教個人や常置委員会等を指して使用されることが多いように感じますが、本質的には教区に属するすべての信徒、教役者が教区そのものであると私は理解しています。
私たちは洗礼を受けると(あるいは洗礼志願者になると)一つの教会に教籍を置くことになりますが、同時に中部教区に属する神の民〈教区民〉にもなることを大切にできればと思います。このように聖公会にとって不可欠な教区制度ですが、周知のように昨年の10月に開催された日本聖公会第65(定期)総会において、教区の再編をも視野に入れた議案(宣教協働区・伝道教区制の設置)が賛成多数で可決されました。特に各教区を代表する主教たち(主教会)によってこの議案が提出されたことに深い意義を感じるのです。
主教補佐
司祭 テモテ 土井宏純
中部教区報『ともしび553号』(2021年9・10月号)より
先日、高田降臨教会を訪問した時のことです。ベストリーに古い文書の入った小さな額縁が掛けられているのに気づきました。それには1910年12月4日の日付があり、「日本聖公会高田講義所」開設資金の3分の1は、カナダ・トロント聖ジョージ教会の篤信なる女性教役者の遺言による寄附であり、残りはトロント大学の「トリニチー學院」の神学生たちからの寄附であったことが記されていました。
1919年に来日し、後に岡谷聖バルナバ教会を創立したホリス・ハミルトン・コーリー司祭が、日本で最初に派遣されたのも、この高田の教会でした。私が、トロントにあるカナダ聖公会アーカイブスを調査した際に、コーリー司祭が当時のハミルトン主教に宛てた直筆の手紙を発見したのですが、そこにはこう書かれていました。
「高田、月曜日、2月6日、1922年。親愛なる私の主教さま。あなたの優しいお手紙に、心から感謝いたします。ハミルトン夫人が、素敵な本物のカナダのチーズを送ってくださったことにも、心からの感謝をお伝えしたく思います。懐かしい故郷の音が聴こえてきそうでした。私たちは、これまで、私たちの棒給で何とか生活できてきましたし、借金もありません。しかしながら、こちらに来て以来、常に、私たちの月給は、次のお給料をいただく10日も前には尽き果ててしまいます。例えば、私たちは、こちらに来てからというもの、服の一つも買えていないのです」
この一枚の書簡には、宣教師たちの、慣れない土地、決して豊かではない生活の中で、しかし、そのまさしくそれぞれに与えられた「ミッション」に、誠心誠意取り組む姿があります。今の私たちがあるのも、100年前のカナダ聖公会のみなさんの祈りと支え、そして、こうした宣教師たちの「苦闘」があったからこそであることを、心に刻みたいのです。
愛知県・岐阜県に緊急事態宣言が発出されることを受け、下記の通り主教座聖堂の礼拝も休止となります。
2018年2月11日(日)付『岐阜新聞』に、飛騨市長である都竹淳也さんは、このような文章を寄せておられます。
「私の次男は最重度の知的障がいのある自閉症児である。特別支援学校中学部の1年生。多くの方々のご支援をいただきながら暮らしている。次男の障がいが分かったのは2歳の頃だ。言葉の遅れなどが顕著で、不安に駆られ、医師の診察を受け、自閉症との診断を受けた。今も困難なことも多いが、我が子はかわいい」「次男のいいところはどこだろうと毎日見ているうちに、同じように職場の部下や同僚を見るようになり、強みを伸ばす組織運営をするようになった。弱い立場の人たちを意識するようになり、障がい児者だけでなく、病気や生活困窮、ひとり親家庭など、厳しい状況にいる人たちを助けたいと強く思うようになった。そうした頃、県職員だった私は、願い叶って障がい児者支援の仕事に就くことができ、重症心身障がい児者を医療面から支える仕事に打ち込んだ。
市長となった今も、弱い立場の方々の支援は市政の最重点だ。こうした分野に取り組むのは、誤解を恐れずに言えば、自分の子どものためである。公職にある自分が支援を充実させれば、多くの方々が救われる。それは次男が私をしてなさしめたことであり、この子が世の中のお役に立てたことになるからだ。このことだけは徹底して親ばかでありたいと思う」
確かに、主イエス・キリストがヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた時に聴いた天からの言葉は、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(ルカ3:22)でした。イエス・キリストも私たち一人ひとりを「愛する子」として徹底して大切にしてくださった。そのような愛をもって、私たちも、私たちの隣り人のために、まるで親ばかのように無条件で愛することが求められているのだと思うのです。