教区間協働!?再編!?(3)“教区の定義?”

 しばしば「教区としての意見は?」「教会の土地建物はなぜ教区名義なのか?」といった、回答に窮する質問を受けることがあります。そもそも「教区」について私たちはどのように理解したらよいのでしょうか。
 残念ながら教区の定義は明文化されてはいませんが、日本聖公会法憲第1条にはこのように記されています。「日本聖公会は主教の司牧する若干の教区より成る管区である。教区は司祭の司牧する若干の教会を包括する。」少し分かりにくい表現とも言えますが、私なりに説明的に言い換えると「日本聖公会において自律した組織(共同体)の基本単位はあくまでも教区である。そして教区の司牧の中心は主教であり、司祭は主教により教区が包括する各教会に牧師として派遣される。」ということであると思います。つまり、教区は主教を中心とした一つの生きた体(信仰共同体)と言えます。ですから、教会の中で一般的に「教区」という表現は主教個人や常置委員会等を指して使用されることが多いように感じますが、本質的には教区に属するすべての信徒、教役者が教区そのものであると私は理解しています。
 私たちは洗礼を受けると(あるいは洗礼志願者になると)一つの教会に教籍を置くことになりますが、同時に中部教区に属する神の民〈教区民〉にもなることを大切にできればと思います。このように聖公会にとって不可欠な教区制度ですが、周知のように昨年の10月に開催された日本聖公会第65(定期)総会において、教区の再編をも視野に入れた議案(宣教協働区・伝道教区制の設置)が賛成多数で可決されました。特に各教区を代表する主教たち(主教会)によってこの議案が提出されたことに深い意義を感じるのです。

主教補佐
司祭 テモテ 土井宏純

     中部教区報『ともしび553号』(2021年9・10月号)より

性別の問い合わせは人権侵害です

 今年(2021年)4月18日、厚生労働省が履歴書の性別欄に男女の選択肢を設けないこと、またその記載を任意とする「様式例」を発表しました。
 これは性別などによる就職差別につながっていて、以前から問題視されていたことですが、やっと任意の記入であるというレベルにたどり着いたことの現れです。
 世界的には性別はもちろん、民族や年齢、容姿等での差別を防止するために、問い合わせること自体が人権侵害であり、違法行為であることが一般的な認識です。
 任意であると断れば性別欄を残しても問題がないというのは、今年3月に発表された「The Global Gender Gap Report 2021」でも、男女格差を測るジェンダーギャップ指数が、先進国中最低レベルの120位であった、いかにも日本らしい認識です。しかし、問い合わせをすること自体が人権侵害ですから、性別欄自体を無くすべきであったことはいうまでもありません。任意であると断りがあっても、性別欄自体が残っていては差別問題は解決しないことは明らかです。
 すでに従来の性別欄に「男・女」と書かれていて、いずれかに丸をする形の「JIS規格の様式例」は、2020年7月に削除されています。このように「男・女」の形での性別の問い合わせ自体が問題であるという認識は、少しずつですが拡がってきているのですが、問い合わせ自体が問題であるという認識を一般化させるためにも、今回の「様式例」で性別欄自体を無くすべきでした。残された「任意の性別欄」が引き続き、人権侵害を正当化するために使われないことを祈るばかりです。
 このように日本では、「差別しているという認識がなければ、差別ではない」というのが、一般的な認識なのかも知れません。しかし、そのような思いにわたしたちの人権意識の低さがよく現れています。
 以前から、聖公会の様々な申請書のフォームに、性別欄が設けられており、しかも「男・女」という性別二分法に基づいた問い合わせが圧倒的に多いことが、包括的な教会形成にそぐわないことを指摘して、選別欄について考えましょうと呼びかけてきました。しかし、統計報告でも男女別の記載などが無くなり、性別を問い合わせる必要自体が無くなっているにもかかわらず、いまだに礼拝出席簿は、男女別であったり、新しく来会された方への問い合わせフォームにまで性別欄があり、「男・女」いずれかにチェックをするような状態が一般的であることが、わたしたちの教会が「開かれた教会」でないことをよく表しています。
 何らかの行事の申請書のフォームで、性別を問い合わせるのは、宿泊を伴う場合の部屋割りや何らかの保険をかけるためのものでしょう。日本では、生命保険、疾病保険などの保険契約では、保険料や保障が女性と男性で異なっているのがいまだ現状ですが、レクリエーション保険などでは、性別の問い合わせは不要になっています。
 誰もが安心して居ることの出来る、開かれた、包括的な教会を目指す第一歩として、もうそろそろ性別の問い合わせをやめることを検討しては如何でしょうか?


司祭 アンブロージア 後藤香織

(名古屋聖マルコ教会・愛知聖ルカ教会 牧師)

〝百年前の祈りと支え、そして宣教の苦闘〟

 先日、高田降臨教会を訪問した時のことです。ベストリーに古い文書の入った小さな額縁が掛けられているのに気づきました。それには1910年12月4日の日付があり、「日本聖公会高田講義所」開設資金の3分の1は、カナダ・トロント聖ジョージ教会の篤信なる女性教役者の遺言による寄附であり、残りはトロント大学の「トリニチー學院」の神学生たちからの寄附であったことが記されていました。
 1919年に来日し、後に岡谷聖バルナバ教会を創立したホリス・ハミルトン・コーリー司祭が、日本で最初に派遣されたのも、この高田の教会でした。私が、トロントにあるカナダ聖公会アーカイブスを調査した際に、コーリー司祭が当時のハミルトン主教に宛てた直筆の手紙を発見したのですが、そこにはこう書かれていました。
 「高田、月曜日、2月6日、1922年。親愛なる私の主教さま。あなたの優しいお手紙に、心から感謝いたします。ハミルトン夫人が、素敵な本物のカナダのチーズを送ってくださったことにも、心からの感謝をお伝えしたく思います。懐かしい故郷の音が聴こえてきそうでした。私たちは、これまで、私たちの棒給で何とか生活できてきましたし、借金もありません。しかしながら、こちらに来て以来、常に、私たちの月給は、次のお給料をいただく10日も前には尽き果ててしまいます。例えば、私たちは、こちらに来てからというもの、服の一つも買えていないのです」
 この一枚の書簡には、宣教師たちの、慣れない土地、決して豊かではない生活の中で、しかし、そのまさしくそれぞれに与えられた「ミッション」に、誠心誠意取り組む姿があります。今の私たちがあるのも、100年前のカナダ聖公会のみなさんの祈りと支え、そして、こうした宣教師たちの「苦闘」があったからこそであることを、心に刻みたいのです。

祈り合う恵み

 長引くコロナ禍で自粛生活に疲れ果て、途方に暮れている方々も多いことでしょう。昨年来COVID-19という未知のウイルスに翻弄され、中部教区の各教会では国や自治体から発令される緊急事態宣言などを判断基準に、公開の礼拝や集会の休止と再開を繰り返しています。それが本当に正しい判断なのだろうかという思いと痛みを常に心に抱えつつも、それでも感染予防対策を徹底しながら、人数制限をしたり、聖歌はオルガンの音を聴くにとどめたり、オンライン配信を行うなど、何とか礼拝生活、信仰生活を保ってきました。残念ながらそのような不安定な状態が今後も年単位で続くことが予想され、意気消沈しそうになりますが、そこにも人知を超えた神さまのご意思と恵みがあることを信じて、希望を失わずに歩み続けたいと願っています。
 先日、同僚の司祭が聴覚に障がいのある方のために「礼拝のライブ配信に簡単な字幕だけでも入れることはできないものか…」と思い悩んでいる姿を見て、ハッとさせられました。社会同様、教会においてもインターネット環境の整備が必至となる中、その利便性と普及の必要性ばかりに気を取られ、様々な事情で対応困難な方々への配慮という最も大切にすべき姿勢が不十分であったことを痛感したからです。ライブ配信に参加したくても叶わずに諦めたり、礼拝が再開しても年齢や基礎疾患などを理由に自粛せざるを得ない方々が多くおられます。アフターコロナの宣教のためにもネット環境の充実は必要不可欠ですが、急激な変化に困惑している方々への丁寧な対応はより大切にしたいと改めて感じています。
 マルコによる福音書によると、主イエスはガリラヤでの宣教活動を終え、弟子たちを伴ってエルサレムへ向かわれましたが、日を重ねるうちに多くの群衆がその一行に加わりました。その旅の最終局、いよいよエルサレムを目前にしてエリコの町から力強く歩み出そうとされたとき、目の不自由なバルティマイの「わたしを憐れんでください」との心からの叫びに、人々の彼に対する厳しい叱責の中、主イエスはただ一人立ち止まり、癒しの業を行われたことが記されています(10章46節以下)。このように、主イエスは目的達成よりも一人の人間の存在を優先される方です。個の存在を大切にされ、とりわけ社会の中で小さく弱くされ、苦しみ嘆いている人々とともに歩もうとされました。
 最近色々な会議などに出席して思うのですが、未だ先行きが見通せないためにどうしてもネガティブな意見が支配的になりがちです。「フィジカル(ソーシャル)ディスタンス」の掛け声で人と人との距離が広がり、分断や格差が助長されているとの指摘もあります。しかし何もかもが不安なときだからこそ、私たちは互いに祈り合うという大きな恵みと力を神さまから与えられていることを忘れてはならないでしょう。しばらく直接会うことができていない一人ひとりの存在を想い合い、今まで以上に祈り合うことを通して、より深く豊かな共同体の形成へと促されます。そのために教会は、私たちは具体的に何ができるのかを問い続けていきたいと、自戒を込めて思うのです。

〝このことだけは徹底して親ばかでありたい〟

 2018年2月11日(日)付『岐阜新聞』に、飛騨市長である都竹淳也さんは、このような文章を寄せておられます。
 「私の次男は最重度の知的障がいのある自閉症児である。特別支援学校中学部の1年生。多くの方々のご支援をいただきながら暮らしている。次男の障がいが分かったのは2歳の頃だ。言葉の遅れなどが顕著で、不安に駆られ、医師の診察を受け、自閉症との診断を受けた。今も困難なことも多いが、我が子はかわいい」「次男のいいところはどこだろうと毎日見ているうちに、同じように職場の部下や同僚を見るようになり、強みを伸ばす組織運営をするようになった。弱い立場の人たちを意識するようになり、障がい児者だけでなく、病気や生活困窮、ひとり親家庭など、厳しい状況にいる人たちを助けたいと強く思うようになった。そうした頃、県職員だった私は、願い叶って障がい児者支援の仕事に就くことができ、重症心身障がい児者を医療面から支える仕事に打ち込んだ。
 市長となった今も、弱い立場の方々の支援は市政の最重点だ。こうした分野に取り組むのは、誤解を恐れずに言えば、自分の子どものためである。公職にある自分が支援を充実させれば、多くの方々が救われる。それは次男が私をしてなさしめたことであり、この子が世の中のお役に立てたことになるからだ。このことだけは徹底して親ばかでありたいと思う」
 確かに、主イエス・キリストがヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた時に聴いた天からの言葉は、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(ルカ3:22)でした。イエス・キリストも私たち一人ひとりを「愛する子」として徹底して大切にしてくださった。そのような愛をもって、私たちも、私たちの隣り人のために、まるで親ばかのように無条件で愛することが求められているのだと思うのです。