子どものように~新たに生まれ、神の国を見る~

 立教小学校のチャプレンとして、日々、子どもたちの姿を見つめる中で、〝果たして、私は年を重ねながら、本当に成長してきたのだろうか?むしろ、退化してきたのではないだろうか…〟と思うことが多々あります。
 純粋無垢な真の優しさ、何の恐れもなく両手を広げ、他者の全てをその身に受け止めることのできる心の広さと大胆さ、思ったこと、感じたことをありのままに表現し、それが正しいもの、優しさに満ちたものと賞賛されれば、全ての人々を幸せにすることができそうな程の笑顔を見せることができる、しかし、その逆に、それが正しくないもの、誰かを傷つけてしまうものと指摘されれば、それを真剣に受け留め、心から後悔し、時に涙を流しながら懺悔の祈りを唱えることができる。そして、何よりも、神の存在を常に身近に感じ、神の息吹の中を、いいや、まさに神の中で生きることができている。
 私は、そのように生きる子どもたちの姿を見ながら、こう思います。〝昔、子どもであった私も、かつては、このように生きることができていたのだろうか。…きっと、できていた。でも、今は、もう…。なら、年を重ねた今の私は、成長したのではなく、それらを失った、退化した私なのでは?〟と。
 主イエスは子どもたちを疎んじた弟子たちに対し、こう宣言し、子どもたちを高く抱き上げ、手を置いて祝福されます。
 「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコ10章14節~15節)と。
 ここには、明確に、子どもたちの存在自体の尊さ、そして、神と神の国と子どもたちとの確固たる繋がりが語られているのと同時に、子どもの存在性を理解できず、子どもたちを疎んじ、
更には、かつて自分たちも持ち合わせていた「子供のように」
(子どものような存在性)を失ってしまった大人たちに対し、強い憤りを抱く主イエスの姿があります。
 しかし、教会に集う大人たちは、今でも、子どもたちを一方的に〝小さく、弱い存在だから、主イエスの愛の名の下に、助け、導かなければならない〟と、無意識のうちに見下し、自分たちを、子どもたちの高みに置いてはいないでしょうか?
 一匹の羽化できなかったヤゴの亡骸を本当に大事に抱え、校内の花壇に埋め、皆でアジサイを献花し、心を込めて祈り、黙祷する十数人の子どもたちの傍らに立ち、私は思いました…〝私には、こんな祈りはできない。私の祈りは、この子たちの祈りにはかなわない〟と。
 そして、教えられました。これまで私は、ずっと、無意識のうちに大人の世界の価値基準の中で祈りの対象を選別し、存在に優劣をつけ、命の重さに差をつけ、祈り、また祈らずにいたのだと。
 大人たちの教会は、常に悲しみや苦しみの中にある人々に心を留め、祈りを捧げ、愛を注ぎます。しかし、大人たちの教会は、自分自身が日々、踏みつけて歩く無数の蟻たちに心を留め、祈りを捧げ、愛を注ぐことはしません。できません。むしろ、その事実に気づいていない?気づかぬふり?
 しかし、子どもたちは、その事実に気づき、真剣に向き合い、自分事として悲しみ、苦しみ、祈りを捧げ、愛を注ぐことができる。
 存在に優劣をつけず、命の重さに差をつけず、存在価値を値踏みせず、祈りの対象を選別しない子どもたちは、まさに主イエスの似姿なのです。だからこそ、子どもたちは神の国に入ることができるのではないでしょうか?
 かつて、主イエスの似姿であった大人たち。大人たちが「子供のように」(子どものような存在性)なれるのは、また、「新たに生まれ、神の国を見る」(参照、ヨハネ3章3節)ことができるのは、いつなのでしょうか。

司祭 ヨセフ 下原太介
(立教学院出向)

大切なあなたの思い通りに~主の御心のままに~

 昨年4月に立教学院へ出向し、私自身、また家族、特に今年11歳になり多感な時期を迎えている息子の生活は一変しました。必死に新しい環境に適応しようとする息子の姿に、親として心を締め付けられる思いもありましたが、時を経て、次第に友達もでき、懸命に学校と塾での学びに取り組む息子に、親として胸を撫で下ろすことも増えつつあります。
 しかし、塾での年末年始冬期講習の年末期、息子は4日間のうち3日間を持病の片頭痛を発症させてしまい、半日あまりで早退するということが続きました。息子にとって塾は相当の精神的負担であることは否めなく、4日目は欠席することとしました。そして、同時に年始期の講習も全てキャンセルすることにしました。
 この一年間で、これまで息子自身の中にあった様々なもの、時間の流れそのもの、そして、全てが激変したことにより、大きな精神的負担を息子が抱え込んでいることに親である私は、心のどこかで気づいていました。気づいていたのです…。
 しかし、親として、息子の将来を考え、「今は、これはしておかなければならないこと。今は、それを乗り越えなければならない時」と自分自身にも、息子にも言い聞かせて過ごしてきました。全ては息子のために…と。
 全ては息子のために…。果たして、本当にそうだったのでしょうか?塾の冬期講習をリタイアした息子の体調を心配しつつも、私はある種の苛立ちを心の片隅で感じていました。息子の塾での学びが遅れることに、講習費用が無駄になってしまったことに、息子の学習意欲に疑問を抱いてしまっている自分自身に。
 この自分の中に生じた苛立ちと向き合ううちに、私は自分でも気づけていなかった自分自身の本心に気がつきました。私の本心とは、実は「全ては息子のために」ではなく、「息子の全てを自分自身の思い通りにしたい」だけだったのです。そして、「子どもは、親の思い通りになる」と勘違いしていたのです。だから、私は自分の思い通りに、塾での学びを全うできない息子に、そして、その事実に言い知れぬ苛立ちを感じていたのです。
 「子どもは親の思い通りになる」この勘違いは大切な子どもの真の姿を見えなくさせ、時に、子どもの未来に親自身が立ちはだかってしまうという悲劇を招きます。
 主イエスは12歳になった年の過越祭の神殿詣での際、母マリアと養父ヨセフと3日間もはぐれてしまいます。必死の思いで、愛する我が子を見つけた母は、息子に向かって、こう言います。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです」(ルカ2:48)と。
 この言葉は当然、我が子イエスに対する母の深い愛に基づく言葉ではありますが、やはり、親の視点でしか語られておらず、その真意は「子どもは親に心配をかけてはいけない」というものであり、親の言うことを聞いて、素直に付いてこなかった我が子イエスへの両親の苛立ちを強く表現しています。
 この二人にとって、この時、イエスは徹底して〝我が子〟であり、決して〝主〟ではなかったのです。「子どもは親の思い通りになる」という勘違いと、自分自身の思い通りにならない我が子への苛立ちが、大切な〝我が子〟の真の姿は〝主〟であるという真理を見失わせてしまったのです。
 私たちは、自分自身の子どもに留まらず、家族や近しい誰かを思い通りにできる、思い通りにしよう、思い通りにしてもいいと勘違いし、その存在を所有してしまった瞬間、その大切な存在の本質を見失い、その存在そのものを失ってしまうのではないでしょうか。
 大切なのは、「自分自身の思い通りに」ではなく、「大切なあなたの思い通りに」(主の御心のままに)なのです。

司祭 ヨハネ 下原太介
(立教学院出向)

悪しき祭司

「ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。」
(ルカ10:31「善いサマリア人」より)

 7月、車で大きな交差点に差し掛かろうとした際、ある光景が目の前に飛び込んできました。進行方向に向かって右側、その交差点の真ん中で、こちら側にフロントガラスと屋根を向けて一台の車が横転していたのです。事故直後で、交差点で信号待ちをしている多くの人々が携帯で撮影し、まだ、警察も来ておらず、交通整理も行われていませんでしたが、事故車に人影はなく、事故に遭った人は既にどこかへ退避している様子でした。沢山の車が徐行で通り過ぎ、私の車のすぐ前の車が事故車の隣を通り過ぎようとした時、その車が突然、おかしな行動をしました。その車は事故車の真横で一瞬急ブレーキをかけ、徐行のスピードを更に減速させ、ハザードランプを点滅させながら事故車の隣を通り過ぎました。その直後、車を一瞬、路肩に寄せたかと思うと、再び道路中央に戻り、走り去っていったのです。

 すぐ前の車の不可解な行動に私は肝を冷やし、眉間にしわを寄せつつも、そのまま車を徐行させ、次は私自身が事故車の真横を通り過ぎました。ハンドルを握りつつ、事故車を横目に見た瞬間、すぐ前を走っていた車の不可解な行動全ての意図に、ハッとしました。横転していた車の車内は大きく膨らんだ2つのエアバッグしか見えませんでしたが、そのエアバッグがうごめいていたのです。「まだ車内に人がいる!!」。その瞬間、私は「助けなきゃ!」と思い、咄嗟にブレーキを踏みました。そして、車を路肩に寄せるため数メートル徐行しました。しかし、その数秒のうちに、私の思いは変わりました。「交差点の中で車を停めたら大渋滞だ」、「自分一人ではどうにもできない」、「すぐに警察が来て、安全に助け出してくれるだろう」と。そして、私は運転していた車を道路中央に戻し、そのまま車を走らせました。そして、自分に言い聞かせました。「今から納骨式がある。そこに私が遅れる訳にはいかない」と。

 「善いサマリア人」の譬え話では、私たちひとり一人に「行って、あなたも(*あの善いサマリア人と)同じようにしなさい」(ルカ10:37 *は筆者加筆)と語ります。しかし、善いサマリア人のようになることを求められている私たちの現実は、なかなかその通りにはいきません。むしろ、私たちの現実は、追いはぎにあった人の向こう側を通り過ぎた祭司やレビ人と同じことの繰り返しではないでしょうか。「道の向こう側を通って行った」祭司と全く同じである司祭…、私自身。その自分自身を見つめながら、「道の向こう側を通って行った祭司もレビ人も、あれから私と同じように後悔したのだろうか?言い訳を自分自身に言い聞かせたのだろうか?」と思いつつ、こう思いました。

 「大切なのはゼロから善いサマリア人になることではない。祭司、レビ人としてマイナスから後悔し、懺悔し、そして、変えられて善いサマリア人になることである。それが私たちの現実に根ざしたみ言葉の受肉である」と。後悔から生まれ変わること。道の向こう側を通って行った祭司もレビ人も、その後、変われたのでしょうか?その変化を信じることこそが、罪人である私たちの大いなる希望なのではないでしょうか。

司祭 ヨセフ 下原太介(主教座聖堂 名古屋聖マタイ教会牧師)

聖フランシスなら、蜂にも説教を?

今年3月まで約10年間、長野県木曽町にある福島教会の管理牧師を務めさせて頂いておりました。ある日の福島教会での聖餐式の説教中、何処からともなく聖堂内を小さな足長蜂が飛び始めました。すると、当然のことですが聖堂内の雰囲気が一変しました。それまでは、私の説教する声だけが静かに聖堂に響き、信徒の方々もその声に耳を傾け、目を合わせる度に心が通い合い、み言葉を共有していることを感じ合える時間でした。しかし、その小さな、小さな蜂の登場で、全てが変わりました。信徒の方々の表情から〝蜂だ!どうしよう。でも、説教中だし…〟という心の声が聞こえ、目を合わせれば、そこには緊迫感と戸惑いにも似た怯えが明らかとなっていました。そして、信徒の方々の耳には私の説教の声ではなく、その私の声よりもずっとずっと小さいはずの、その蜂の羽音の方が遥かに大きく響いていました。信徒の方々だけではなく、説教をしていた私自身にとっても同じでした。全てが、その蜂に飲み込まれました。
み言葉を語り続ける使命と責任の中で逡巡しながらも、私は説教を止め、「蜂がいるので、外に出しましょう」と言うと、聖堂内の緊張感は一気に解け、一人の信徒の方が窓を開け、新聞紙を手に取り、圧倒的な力を持った、その小さな、小さな蜂を窓の外へと押し流しました。蜂が外へと追い出されてからは、再び、聖堂は先ほどまでの落ち着いた雰囲気を取り戻し、私も説教を再開しましたが、私は説教をしながら、かつて、子どもの頃の私自身に、この福島教会の聖堂で起きた出来事を思い出していました。
実は、福島教会は私の母教会でもあり、私は小さな頃から家族に連れられて、聖餐式に参列していました。しかし、
参列と言っても、私は先ほどの蜂のように聖堂の中を飛び回り、祈りの雰囲気を壊し、大変だったようです。すると、ある時、私のその悪行に堪り兼ねた母親が、聖餐式の途中で私を外へ連れ出し、聖餐式が終わるまで、二人でずっと外で過ごしていました。そして、聖餐式の後、母親は祖母へ歩み寄り、こう告げました。「この子は騒がしくて大変ですし、皆さんのお祈りの邪魔になるので、しばらく教会をお休みしようと思います」と。私は母親のその言葉を聞き、幼心にも〝まずいことになった〟という気持ちで身をすぼめ、様子を伺っていました。すると、祖母は母親に、こう返しました。「あなた、何を言っているの?!子どもたちにこそ、神様のみ言葉は必要で、子どもたちにこそ、聖餐式は大切なのよ。だから、次からも子どもたちを教会へ連れてきなさい。そして、聖餐式の途中で子どもたちを聖堂の外へ連れ出す必要はありません」と。祖母のその言葉に、母親はとても驚き、そして、少し安心したように、「はい。そうですね」と返事をしました。事の成り行きを伺っていた当の私は、祖母のこの言葉で、聖餐式というものが祖母や母親、そして、教会の方々にどれだけ大切なものであるのかを一瞬にして悟りました。そして、何よりも、子どもであるこの私自身にとっても…と。
かつて、聖堂から外へ連れ出された子どもの頃の自分自身の姿と、たった今、聖堂の外へと私が追い出すようにと促した蜂の姿とを重ね合わせながら、私はこう思いました。〝小鳥に説教したと言われる聖フランシスなら、あの蜂にも説教したのだろうか?…きっと、したに違いない〟と。
聖フランシスは人間以外の全ての被造物をも兄弟姉妹と呼び、愛し、尊び、それ故、動物と心が通じ合い、小鳥に説教でき、狼を回心させることができたという物語はあまりに有名です。しかし今、祖母の言葉を思い出す時、聖フランシスは、小鳥や狼と心が通じ合っていたから、小鳥や狼が彼の言葉を理解できたから、説教することができたのではないことに気が付きます。
〝全ての被造物には、神のみ言葉による導きが絶対に必要である。それは人間に限らず、人間の言葉を理解できない、人間以外のまさに全ての被造物にも!!である。全ての被造物に神のみ言葉による導きが必要であるのであれば、私は小鳥や狼にでさえも説教する。たとえ、私の話す言葉を小鳥や狼が理解できないとしても、私が語るのは神のみ言葉である。私は神のみ言葉の絶対性と、その偉大な力とを信じる。神のみ言葉であれば、まさに全ての被造物に届く!!小鳥や狼に私の言葉は伝わらなくとも、私の語る神のみ言葉は、絶対に伝わり、そして、神のみ言葉であれば、小鳥や狼も絶対に何かを感じる。だから、私は小鳥や狼に説教するのである。〟彼はこう信じ、小鳥や狼にみ言葉を語り続けたのだと思います。そして、もし、そこに蜂がいれば、蜂にも…。
まさに全ての被造物が神の恵みの中に留まり続け、神のみ言葉の雨を常に浴び続けることこそが大切なのです。私たちはいとも簡単に「子どもたちには説教は分からない」、「子どもたちには聖餐式は難しい」、「退屈な思いをさせるのは可哀そう」と思い込み、子どもたちの居場所を聖堂以外に、子どもたちの耳に届くものをみ言葉以外にしてはいないでしょうか。神のみ言葉と、聖餐の奇蹟は、私たちの理解と想像を超えて、遥かに鮮明に、確実に、思いも寄らぬ形で子どもたちにも届くのです。聖餐式が私たち大人にとって至上の信仰の糧であるならば、それは、子どもたちにとっても当然、同じはずです。しかし、子どもたちには、聖餐式以外の場所が安易に用意されてしまう。その様子を見ながら、こう思います。〝子どもたちが聖餐式から連れ出されるのは、本当は誰のため?退屈している子どもたちのため?それとも、静かに礼拝をしたい私たち大人のため?〟と。
主イエスが大人たちの中心で、子どもを抱き上げ、祝福されたように、聖餐式においても常に子どもたちが中心であり、〝子どもたちが居ていい場所、いるべき場所〟になるように祈っています。

下原太介(主教座聖堂名古屋聖マタイ教会牧師・名古屋聖ヨハネ教会管理牧師)

「ひとみのようにわたしを守りみ翼の陰に隠してください」 『日本聖公会祈祷書』詩編第17編8節より
日々の祈りの中で、私が時折引用する詩編の一節です。とてもしなやかで、祈りに旋律と情景が生じる、本当に美しい一節です。
瑞々しく美しく澄み、柔らかく穏やかな輝きを湛え、深い慈愛と優しさをもって、常にそこに私たちを映し出してくださっている主の瞳。その主の瞳の一端にでも、主が見つめる景色の片隅にでも、自分自身が存在していると思うと、主の御守りを一層強く感じることができるのと同時に、様々な罪や悪を日々繰り返してしまう自分自身のその姿で、主の瞳を汚してはならないという自戒の念を強く抱くことができます。
美しい主の瞳は、私の信仰にとって主の象徴そのものであり、私自身の瞳も、それに似ることができれば、主の見つめる景色と同じ景色を私自身の瞳にも映すことができればという、信仰の目標そのものでもあります。
このような思いからなのか、私は聖餐式において陪餐の際、自然と信徒の方々の瞳に目がいくようになり、そこから様々なことを感じ、また学んできました。
深い黙想の中、平安と静寂を湛え、伏し目がちに頭を垂れる方。式中に聴いたみ言葉を噛み締めながら、新たなる信仰の気づきに喜び、感謝し、自分の掌にある御体を仰視する方。自らの罪を省み、悔い、贖罪と救いを求めているかのように意味深く、神妙に自らの組んだ手を静視している方。信仰者としての自らの成長の糧を求め、真摯に主と向き合いながらも、親鳥が雛を両翼で包み込むように、その両腕に幼子を擁き、常に優しい眼差しを向けながら、主による御加護と祝福、また命の糧がその子に与えられるようにと祈る方。そして、その方の両腕に擁かれながら、安らかに眠りについている幼子。
信徒の方々のこのような姿、そして、瞳、眼差しを陪餐の際、間近で見つめながら、折々に主がこれらの方々とどのような関わりを持たれているのかを知り、信徒の方々の瞳を通して御姿を顕される主を垣間見ることができています。
それらの瞳の中で、近年、最も印象的なものが子どもたちの瞳です。毎主日、約2~5歳の子どもたち数人が聖餐式に参列し、陪餐の際、至聖所まで来て、母親の隣で跪き、私から祝福を受けます。その際、子どもたちは前述の信徒の方々とは全く異なる瞳を、私に見せてくれます。それは、もしかしたら私たちが年齢的成熟、そして、信仰的成熟を積み重ねていく中で、失ってきたものかもしれません。
子どもたちは、至聖所で信徒の方々に分餐するために右へ左へ移動する私の姿を、いつも目で追い続け、祝福の際、自分の目の前に立ち、頭に手を置く私を、また、自分の母親が陪餐に与る際、その姿と御体と御血を、目を力強く見開いて見上げています。私は、いつも、その瞳に圧倒されてしまいます。
なぜなら、創造主が私たち人間に吹き込んでくださった純粋で、力漲る生命力本来の爛々とした輝きが、また、神の存在を決して疑うことなく、その存在により近づこうとする真っ直ぐな探求心が、そして、何よりも、神の神秘をその時、誰よりも知り、感じている証しが、そこにはあるからです。
私は、その瞳を見て、直感的に〝主に一番近い存在が持つ力〟、〝神の神秘の中を生きる存在の尊さ〟を感じ、威厳さえ覚え、主の臨在を感じます。
子どもたちの瞳には、主が宿っている。祝福の際、子どもたちの目の前に立つ私自身が、子どもたちの瞳に、そして、その中に宿る主の瞳に、どのように映っているのか…。いつも、私自身の在り方が問われているようです。
(上田聖ミカエル及諸天使教会牧師・福島教会管理牧師・聖ミカエル保育園園長)

『タリタ、クム』

 神様から与えられた聖職者としての歩みを始めて10年以上が経ち、その働きの中で幾度もの病者訪問を行ってきました。その訪問先には、病を受け入れ、平安のうちに死を覚悟している方、病に立ち向かい、まさに闘病の最中の方、病の回復への希望と悪化への不安の狭間で葛藤している方、病に罹った現実に驚きと戸惑いを感じ、困惑の中にいる方、病の回復を実感し、安堵の中で喜びを感じている方など、実に様々な方々がいました。また、一人の方であっても、病の状況や過程によって、実に様々な心持ちがあることを感じていました。

 そのような方々と共に祈りを捧げ、時間を過ごす中で、ある時、ある一つの言葉を意識的に用いることを避けている自分自身に気が付きました。

 病に立ち向かい、まさに闘病の最中の方に対し、励ましの言葉として与えたいと思いながらも言えなかった言葉。病の回復への希望と悪化への不安の狭間で葛藤している方に対し、希望の光を指し示す大切な言葉として与えるべきだと思いながらも、それを語る勇気が持てなかった言葉。病の回復を実感し、安堵の中で喜びを感じている方に対し、病の回復の宣言として、また感謝の言葉として証しすべきだった言葉…。言えなかった、その言葉…。

 今年の6月21日に長女が生まれました。長女の出産は予期せぬ難産となりました。私も立ち会う、通常の自然分娩中、医師が声を上げました。「これは、だめだ!!」と。長女の頭より先に左手が出て来てしまい、肩と頭が出て来られず、更に、このままだとへその緒が絡まる危険があり、長女の命が危ないと言うのです。また、左肘まで出かかっており、これ以上出てしまうと、産道の下へと胎児を押し出す筋肉の収縮で、帝王切開しても腹部から取り出せないと。

 「最低でも30分以内に帝王切開で取り出さなければならない。でも、このケースは私一人では手術できないので、近隣の産科医に応援を要請しなければなりません。しかし、応援の医師を待っている間に、赤ちゃんがこれ以上出てしまったら、赤ちゃんだけでなく、お母さんの命まで危ない。このまま、お母さんを守り、赤ちゃんを諦めるか、一か八かで応援の医師を待ち、手術をするか、どうしますか?」。私は、医師のその言葉を聞き、正直、長女の命を諦めました。しかし、妻は応援の医師を待ち、手術を受けることを望みました。

 応援の医師が駆けつけたら、すぐに緊急手術を始められるように、妻が分娩室から手術室へと運ばれていく最中…、妻が手術室に姿を消し、一人、その手術室の前の廊下で立ち尽くしている間…、「3分経ったら教えろ!!」、「何分経った?!」、「絶対に間違うな!!」、医師が看護師に指示する、その切迫した言葉の一つ一つが手術室から廊下にまで漏れ、それを目を閉じながら聞き、心が握り潰されそうだったその瞬間…。私は祈りながら、ある言葉を求めていました。

 その時、私にとっても、妻にとっても、そして、生まれて来ようとする長女にとっても、最も重要であり、最も必要であった、その言葉。医師が私たちに対し、宣言してくれなかった、その言葉。そして、これまで、病者訪問の際に、共に祈った方に、私が口にできなかった、その言葉。

 主イエスは、その言葉を、それを最も必要としている人々に対し、迷いなく大胆に語り、宣言します。「タリタ、クム!(少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい)」と。今、私の心に、この言葉は「大丈夫。心配ない。私がいるから何があっても大丈夫!」と聞こえます。

 この世に生きる全ての人々に必要な、この言葉。しかし、誰もが簡単に口にできるようなものではない、この言葉。この世界に、一体、何人、「大丈夫。心配ない。私がいるから何があっても大丈夫!」と、私たち一人ひとりに語ってくれる人がいるでしょうか?そして、ただ言葉だけでなく、現実にも、それを実現してくれる人が…。

 妻が手術室に姿を消して15分後、応援の医師が駆けつけ、何とか、長女が無事に生まれ、妻も翌日の午後、目を覚ましました。目を覚まし、少しやつれた妻は、私に、こう言いました。「赤ちゃん、大丈夫?」と。私は「大丈夫。心配ない(タリタ、クム)」と答えると、妻は、心から安らぎを得たような笑顔を浮かべました。

 やはり、全ての人々にとって、神様からの「大丈夫。心配ない(タリタ、クム)」という言葉は希望の言葉であり、救いの言葉なのです。

司祭 ヨセフ 下原太介
(上田聖ミカエル及諸天使教会牧師、福島教会管理牧師、聖ミカエル保育園園長)

『愛の絆による復活』 

東日本大震災の前日、2011年3月10日、私は大学時代からの大親友を亡くしました。彼は、突然の病に罹り、体調の異変を感じてから三日も経たないうちに、妻と幼い子ども二人を残して、この世を去りました。35歳の生涯でした。
その一週間後、まだまだ大震災の傷跡と混乱が色濃く残る東京で、彼の通夜の祈りと葬送式が行われました。彼のお母様と妹さんが熱心なクリスチャンであったこと、彼自身も大学時代、聖歌隊に属し、教会へ通っていた時期もあったこと、そして、大親友であった私が司祭であったこともあり、その葬送の儀はキリスト教式で行われることとなり、ご家族が、その一切を私に委ねてくださいました。
私自身、これまで多くの方々の葬送の儀に携わらせていただき、その儀式を通じて、徐々に故人の死を受け入れることができてきました。その意味で、私に限らず、多くの方々にとって、誰かの死を受け入れなければならない時、葬送の儀というものが非常に大きな意味を持ち、大きな節目になっていることに気づかされます。
しかし、大親友であった彼の死は、葬送の儀を終えた後でも、ましてや自分自身がその儀式を執り行った後でさえも受け入れられず、『何かの間違いだ』という思いが心の中に浮かんでは消え、消えては浮かび、『彼の死を受け入れなければならない』と苦悶しながらも、『彼の死を受け入れた自分』になる、ということに拒絶感や嫌悪感を抱き、葛藤している自分自身がいました。
彼の死から三年が経った今、私は彼の死を受け入れることができているのか、できていないのか、正直分かりません。
私はこの三年間、いつも同じ夢を見ます。彼と過ごした大学のキャンパス内にある庭のベンチに私が腰かけていると、遠くから亡くなったはずの彼が姿を現し、大学時代と同じく、当たり前のように私の隣に腰かける。私自身も、それを当たり前のように受け入れ、日常会話をするように、軽くこう言うのです。「あれ?死んだんじゃなかった?」すると、彼は「うん、死んだよ。」と、いつもと変わらない彼らしい語り口で答える。そして、彼は続けて、こう言うのです。「でも、ここにいる。それだけでいいじゃん。そうだろ?」私は夢の中でも、夢見心地になり、心から喜びを感じ、「そうだね!」と返す。
夢は、いつもここで終わります。目を覚まし、『やっぱり夢かぁ…』と心が締め付けられる悲しみを感じながら、ある二文字が心に浮かびます。…「復活」…。
この夢を見るようになってから、私の復活信仰は変わりました。今、私は自分が復活したいから、主イエスの復活を信じているのではありません。心から復活してほしいと願う、愛する存在がいるから、主イエスの復活を信じています。そして、私自身の復活は、いつか私がこの世を去った時、私のことを愛してくれている誰かが、必ず願い、祈ってくれる。このように、「自分自身の復活」を願い、信じるのではなく、「愛する人の復活」を願い、信じることによって、愛の絆のうちに全ての人々が復活する。これが、今の私の復活信仰です。
そう考えると、主イエスは一度も「私は復活したい」とは言われませんでした。主イエスが御自身の復活を語られる時、それは全て、「私は復活する」という、実現することを大前提とした言葉でした。なぜなら、主イエスには御自身と父なる神が愛し愛される絆の中にあり、その絆によって父なる神が御自身を復活させたいと心から願い、そうしないことなどあり得ないという確信があったからです。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」
この父なる神の御言葉が、常に主イエスの心の中に響いていたに違いありません。
誰の心の中にも愛する存在があり、また、復活してほしくてたまらない愛する存在がいるはずです。その全ての人々にとって、愛の絆による復活が必要なのです。

司祭 ヨセフ 下原太介
(上田聖ミカエル及諸天使教会牧師・福島教会管理牧師・聖ミカエル保育園園長)

『消えない傷 ~永遠の愛の証~』

「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」。事実、その復活の予告通り、主イエスは復活なさいました。

受難から三日目の早朝、主イエスは自らの体を包んでいた亜麻布を脱ぎ去り、立ち上がった。墓を塞ぐ石の隙間から微かに吹き込む夜明けの涼風に導かれ、墓の出入り口へと歩みを進めながら、頭の覆いを脱ぎ捨てる。その静かな足取りのまま、美しく平安に満ちた主イエスの御顔が朝の陽光を浴び、罪を贖われた世界が復活の主イエスの御姿を初めて目の当たりにする。

復活日の朝、私はいつもそのような光景を想像し、静寂の中で感謝の祈りを捧げます。そして、こう思います。『その復活の御姿は、この世のものとは思えないほど美しく、威光に満ちていたに違いない』と。

四福音書にはいずれも、復活の主イエスを目の当たりにしても、それとは気付かない人々の姿が描かれています。それは、主イエスの復活を信じることのできていなかった人々の不信仰の故であると理解できます。しかし、私は『受難の主イエス』と『復活の主イエス』のあまりに違う姿も、その故であるように思います。茨の冠でできた額の無数の傷も、鞭打たれ、深く裂けた頬や体の傷も、拷問で生じた幾つもの青あざも癒え、苦しみと悲しみで血走っていた目も瑞々しく澄んでいる。十字架の道行で浴びせられた穢れたものや罵声による汚れも全て消えている。天的な姿を身に纏った、復活の主イエスがそこにはいたのです。

天的な姿を身に纏った美しい復活の主イエスと、この世の全ての罪と苦しみを背負った受難の主イエスとの姿のあまりの違いが、マルコによる福音書第16章12節にも「イエスが別の姿で御自身を現された」と明記されています。やはり、復活の主イエスは全てが癒され、完璧な姿であったのでしょう。

しかし、そのように考える時、一つの疑問が生じます。『では、両手の平の釘の傷と脇腹の槍の傷は、なぜ消えなかったのか?』と。疑いを抱く弟子のトマスを納得させるためにだけ残ったのでしょうか。

復活の主イエスに消えずに残った傷と消えた傷には、ある違いがあることに気付きます。それは十字架の上で受けた傷か否かという違いです。十字架の上で受けた傷だけが復活の主イエスの美しい体には、はっきりと残っている。十字架の上での傷、それは、つまり、罪の贖いに直結する傷であり、私たちの救いの証そのものです。

時が流れ、歴史が移り行き、人の心も信仰も日々、変化する。もしかしたら、人を愛し、人に愛された、その愛の歴史さえも、容易に消え失せてしまうような危うさがこの世界にはあります。しかし、受難を経て、私たちの想像を遥かに超えた変化である復活を成し遂げられた主イエスの、その御体には依然として受難の傷が、苦しみの経験として、そして、私たちを愛した、愛している証として残り続けている。昇天され、今も私たちを見守る、主イエスのその体に。

司祭 ヨセフ 下原 太介
(上田聖ミカエル及諸天使教会牧師)

『罪人バラバ、その後…』

皆さん、聖書の登場人物の中で、”その後”が気になる人物はいないでしょうか?私は、沢山います。例えば、主イエスの十字架により、自分自身の改心とは全く関係なく、突如として罪を赦され、生かされることとなった罪人バラバ。暴動を扇動し、強盗や殺人まで犯し、死刑を宣告されていた大罪人とも言える罪人バラバの人生は、主イエスの十字架によって、極めて現実的に180度転換し、死から生へと向かっていきます。
皆さん、目を閉じて、少し想像してみてください。
…ある日の明け方、突然始まった狂気に満ちた裁判。その中心にいるのは、威厳に包まれながらも、不思議なまでに何も語らず、ただひたすら群衆に罵声を浴びせ続けられているナザレのイエス。その様子を訳も分からず、ただ興味津々に牢獄から覗き込んでいた罪人バラバ。この時は、まだ、このナザレのイエスの裁判は罪人バラバにとって全くの他人事であり、これまで自分自身も経験し、また、何度も牢獄から垣間見てきた他の罪人の裁判と何ら変わりありません。
しかし、群衆の「バラバを釈放しろ」という叫びによって、ナザレのイエスの裁判は罪人バラバにとって一変します…、自分自身の命をも左右する裁判に。罪人バラバは固唾を呑んで、その裁判の行方を見守っていました。そして、群衆の「十字架につけろ」という主イエスへの罵声や叫びが頂点に達した時、罪人バラバは自分の釈放を確認したに違いありません。”これで俺は助かる!! “と。罪人バラバにとって、群衆の「十字架につけろ」という主イエスへの罵声や叫びこそが、自分自身の救いを告げ知らせるものでした。”ラッキー!棚からぼた餅”程度の救いの宣言が。
そして、釈放され、ナザレのイエスの十字架上での死を見届けた元罪人バラバは、数日後、何を感じ、何を思ったのでしょうか?
数日間、”棚からぼた餅”の命を生きた元罪人バラバは、こう疑問を感じたのではないでしょうか。”なぜ、自分が生かされたのか?”、”まさに自分の身代わりとなって十字架上で死んだ、あのナザレのイエスとは、一体、何者だったのか?”と。そして、こう望んだのではないでしょうか。”あの時、黙し続けていたナザレのイエスは、かつて何を語り、何を行ったのか”と。この疑問を抱いた瞬間から、”棚からぼた餅”の命を生きていた元罪人バラバの命は、”自分の、今ある命の根源を探る”命へと変わります。求道者バラバの誕生です。その命を生きる中で、群衆の「十字架につけろ」という主イエスへの罵声や叫びに自分の救いの確信を得た自分の誤りに気づき、こう悟ります。”私の真の救いとは、あの時、黙し続けていたナザレのイエスそのものである! 私は、彼の命そのものを受け継いだのだ!! ナザレのイエスこそ、主である”と。
彼は、このように信仰者バラバへと変えられた。私は、そう信じています。そして、同時に、信仰者バラバを羨ましく思います。主イエスの命を名実ともにダイレクトに受け継ぎ、それを確信し、希望と喜びと信仰の中を歩めた彼を。私の命と信仰の中に、そして、皆さんの命と信仰の中に、バラバのような回心と主イエスの命が脈々と受け継がれますように、いつもお祈りしています。

司祭 ヨセフ 下原 太介
(岐阜聖パウロ教会牧師・大垣聖ペテロ教会管理・福島教会管理)

『アーメン』

今、 私は宣教部長として中部教区にとって非常に重要な役割を担わせていただいています。 その働きの一つとして、 ここ1年間程、 「中部教区宣教方針」 (仮) の作成に向けての協議を様々な場で繰り返しています。 その協議の場の一つで、 ある聖職の方が私に、 このようなアドバイスをくださいました。 「下原司祭の考えておられる宣教方針も良いものですが、 教会による癒しの業 の重要性について触れられている部分が少ないので、 是非、 その辺りを補強してください」 と。 私は、 その方の一言で、 これまでの自らの聖職としての働きで、 いつの間にか後回しにしてきてしまった大切な事柄に気付かされました。 それは病床訪問であり、 信徒訪問です。 私を含め、 多くの聖職の方々が様々な働きの中で、 いつの間にか後回しにしてしまいがちであり、 しかし、 信徒の方々が最も聖職に求める働きの一つ。 それが病床訪問であり、 信徒訪問ではないでしょうか。
聖体と聖血、 そして、 聖油を携え、 病室に向かいます。 病室に入る瞬間が一番、 緊張します。 「病状が深刻だったら、 大変だ」、 「回復の兆しがなかったら、 どうしよう」 などと考えると病室のドアノブを握るのを少し躊躇してしまう程です。 その緊張を何とか隠しながら、 病室に入ると実に様々な表情を持った方々と出逢います。 苦しみに耐え、 不安と向き合い、 必死にこの時を過ごしている方、 快方に向かい、 一安心し、 静かな時を過ごしている方、 そして、 何にも反応できない程の状況に陥っている方など。
私は、 そのような人々の前で 「平安がこの病室にありますように」 と祈り始めます。 すると、 病室に入った時には実に様々な表情を持っていた方々が、 必ずと言っていい程、 同じ表情を見せてくれます。 それは、 目を閉じ、 聖堂の中で唱えているかのような、 静かで、 真剣な、 心から 「アーメン」 と祈る姿です。 苦しみの中でも、 不安に呑み込まれそうでも、 昏迷状態とも思える中でも、 私の耳には、 心には、 その方の 「アーメン」 という祈りが鮮明に聴こえるのです。 私は、 この時、 「アーメン」 という最も短い祈りが持つ癒しの力、 信仰の力、 神への愛を、 直接、 肌で感じ、 身が震えます。 私は、 この時、 「アーメン」 (そのようになりますように) という祈りの本質に触れることができます。
そして、 帰り道で、 いつも実感します、 「僕は聖職として、 このような働きをしたかったのだ」 と。 その満ち足りた気持ちの中で、 同時に、 こうも思います、 「その働きを後回しにしてしまっている自分自身が情けない」 と。
聖職とは、 人々の 「アーメン」 という祈りをひとつ一つ集め、 神に届ける使命を持っていると思います。 聖職は、 人々が聖堂で唱える 「アーメン」 という祈りだけを集めるのではなく、 それぞれの家で、 病室で、 職場で、 施設で唱えられる 「アーメン」 という祈り、 ひとつ一つに立会い、 また、 その祈りが絶えないように導かなければならないのです。 人々が心の底から 「アーメン」 と祈る時、 聖職は、 共にいて、 その 「アーメン」 を見過ごしてはならないのです。

司祭 ヨセフ 下原 太介
(岐阜聖パウロ教会牧師)