『アーメン』

今、 私は宣教部長として中部教区にとって非常に重要な役割を担わせていただいています。 その働きの一つとして、 ここ1年間程、 「中部教区宣教方針」 (仮) の作成に向けての協議を様々な場で繰り返しています。 その協議の場の一つで、 ある聖職の方が私に、 このようなアドバイスをくださいました。 「下原司祭の考えておられる宣教方針も良いものですが、 教会による癒しの業 の重要性について触れられている部分が少ないので、 是非、 その辺りを補強してください」 と。 私は、 その方の一言で、 これまでの自らの聖職としての働きで、 いつの間にか後回しにしてきてしまった大切な事柄に気付かされました。 それは病床訪問であり、 信徒訪問です。 私を含め、 多くの聖職の方々が様々な働きの中で、 いつの間にか後回しにしてしまいがちであり、 しかし、 信徒の方々が最も聖職に求める働きの一つ。 それが病床訪問であり、 信徒訪問ではないでしょうか。
聖体と聖血、 そして、 聖油を携え、 病室に向かいます。 病室に入る瞬間が一番、 緊張します。 「病状が深刻だったら、 大変だ」、 「回復の兆しがなかったら、 どうしよう」 などと考えると病室のドアノブを握るのを少し躊躇してしまう程です。 その緊張を何とか隠しながら、 病室に入ると実に様々な表情を持った方々と出逢います。 苦しみに耐え、 不安と向き合い、 必死にこの時を過ごしている方、 快方に向かい、 一安心し、 静かな時を過ごしている方、 そして、 何にも反応できない程の状況に陥っている方など。
私は、 そのような人々の前で 「平安がこの病室にありますように」 と祈り始めます。 すると、 病室に入った時には実に様々な表情を持っていた方々が、 必ずと言っていい程、 同じ表情を見せてくれます。 それは、 目を閉じ、 聖堂の中で唱えているかのような、 静かで、 真剣な、 心から 「アーメン」 と祈る姿です。 苦しみの中でも、 不安に呑み込まれそうでも、 昏迷状態とも思える中でも、 私の耳には、 心には、 その方の 「アーメン」 という祈りが鮮明に聴こえるのです。 私は、 この時、 「アーメン」 という最も短い祈りが持つ癒しの力、 信仰の力、 神への愛を、 直接、 肌で感じ、 身が震えます。 私は、 この時、 「アーメン」 (そのようになりますように) という祈りの本質に触れることができます。
そして、 帰り道で、 いつも実感します、 「僕は聖職として、 このような働きをしたかったのだ」 と。 その満ち足りた気持ちの中で、 同時に、 こうも思います、 「その働きを後回しにしてしまっている自分自身が情けない」 と。
聖職とは、 人々の 「アーメン」 という祈りをひとつ一つ集め、 神に届ける使命を持っていると思います。 聖職は、 人々が聖堂で唱える 「アーメン」 という祈りだけを集めるのではなく、 それぞれの家で、 病室で、 職場で、 施設で唱えられる 「アーメン」 という祈り、 ひとつ一つに立会い、 また、 その祈りが絶えないように導かなければならないのです。 人々が心の底から 「アーメン」 と祈る時、 聖職は、 共にいて、 その 「アーメン」 を見過ごしてはならないのです。

司祭 ヨセフ 下原 太介
(岐阜聖パウロ教会牧師)

『誰のために?』

去る7月13日未明から新潟県中越地方を記録的な集中豪雨が襲いました。その甚大な被害の中、私も支援活動に参加させていただきました。〝泥の竜巻に襲われた街″というのが市街を廻った私の印象でした。私は被害の深刻さに圧倒され、街の復興を遥か遠くに感じ、何らかの働きにより支援したいと考えていた私の力など何の助けにもなれないと思い、泥を掻き捨てるスコップを握る手に熱が入りませんでした。
しかし、そのような私の傍らには、ひたすら復旧作業を続けている幼稚園の先生方の姿がありました。先生方は自分たちも豪雨の被害に遭い、日々を何とか過ごしていくだけで精一杯であるはずなのに、何かに突き動かされるように復旧作業を続けていました。私は、その先生方の姿を見ながら、〝何が、ここまで先生たちを突き動かしているのだろうか?〟と考え、また、熱の入らない私自身と照らし合わせていました。

そして、先生方の復旧作業を見ているうちに、先生方を突き動かしているものを感じ取ることができるようになってきました。泥にまみれた遊具を一つ、一つ丁寧に洗っている先生方の姿、水没したピアノを何とか修繕しようとする先生方の姿の向こうに、その遊具で楽しそうに遊び、そのピアノが奏でる曲に声を合わせて元気に歌う園児の姿が見えたのです。先生方は、〝再び園児が楽しく遊び、安全に過ごすことができるように″〝すべては園児のために〟という使命と希望により突き動かされ、また支えられていたのです。

スコップを握り、泥を掻き捨てる私の手には、そのような 〝誰のために、何のために、何をしたいのか″という思いがなかったのです。そのことが私の心の中に無力感を生み、支えもなく、諦めの中でしか働けない自分を作り上げていたのです。

私は、先生方の姿に支えられ、自分が誰のために、何のために、何がしたいのかを求めながら復旧作業を始め直していきました。そして、園庭で楽しく遊び回る園児、嬉しそうにウサギに餌をあげる園児を思いながら、園庭の汚泥を掻き、ウサギ小屋の汚泥と糞を洗い流しました。すると、自然と作業の中に復興の希望を持てるようになっていたのです。私の働きが本当に少しでも園児の生活の中に生き、先生方を突き動かしている使命と希望の支えになれるかもしれない。その思いが私の働きの希望と支えとなり、私を突き動かしたのです。

そして、ある時、ふっと思ったのです、〝愛するとは、こういうことであるかもしれない〟と。まだ見ぬ園児の笑顔を思い、祈り、働くことができる。そして、そのために働く先生方を思い、自らを園児に捧げることを教えられる。今、私は、あの時、先生方に園児を愛するということを教わり、園児を少しでも愛することができたかもしれないと思っています。

私が三条を離れる時、ある一人の先生が〝たくさん、お手伝いしていただいて、ありがとうございました″という本当に素敵な言葉を私にくださいました。しかし、本当にお礼を言わなければならないのは私であると思いました。保育士を志す多くの学生が通う名古屋柳城短期大学の学生と関わりのある私は、学生たちがこのような、園児を愛することのできる先生になれるよう祈り続けていきたいと思います。
聖職候補生 ヨセフ 下原 太介
(名古屋聖マタイ教会勤務)