新年度が始まって一ヶ月が経ました。この一ヶ月間、多くの幼稚園、保育園、子ども園でも同様かと思いますが、
にこにこ顔で登園する子もいれば、母親との別れが悲しくて門の前に来ると一段と泣き叫ぶ子、必死に悲しみをこらえてうるうる顔で教師に手を繋がれて部屋に向かう子と、個性様々です。加えて、子どもばかりか母親や父親の個性も感じる時です。各家庭の様子も何となく想像できるような時でもあるのです。でも、昨日は泣き叫んでいたのに今朝は全く様子が違って、親も教師も覚悟が拍子抜けするほど毅然と部屋に向かったり、
そんな一日の始まりですが、次第に泣き声も少なくなり、ひとり一人のその子なりの成長を感じさせてくれます。
さて大人も子どもも皆が楽しみにしている黄金週間がやってきました。保育者の立場からすると、折角なじんできた園での生活が(全く)白紙に戻るような恨めしい連続休日でもありますが、今度の登園時にはどんな顔を見せてくれるのか楽しみにしています。
この春、新社会人となった方々はいかがですか?
近年、五月病という言葉は耳にしませんが、新しい環境や人間関係の緊張が緩み、疲れも滲み出してくる中で、以前のようなやる気も意欲も湧いてこず、進む方向や道を違えたか、己の資質の問題なのかと不安や自問が湧いてきますが、年齢や経験年数に関係なく誰もが一度や二度ならず問い続けているようにも思います。この際、思い切って自分がしたくない事、避けたいこと、行きたくないところを挙げてみると良いかと思います。義務感や責任感で行っている事や思っている事を含めて、自分の本心を正直に見つめ、吐き出すことは精神衛生上とても重要なことです。
「マイカルの祈り」
主よ、あなたが行かせたいところに連れていってください。
あなたが会わせたい人に会わせてください。
あなたが語りたいことを示してください。
私があなたの道をさえぎることがありませんように。
この祈りはニューヨーク同時多発テロで犠牲となった、マイカル・ジャッジ神父(カトリック司祭)がニューヨーク消防署のチャプレンとして、事故や火災で家族を失った人々、ホームレス、エイズ患者、LGBTQの人達のために働きながら、子どもや大人、どのような人に対しても彼が人と出会う時、そして「現場」に行く時に必ず唱えていた祈りとのことでした。そして彼は2001年9月11日(火)その日にも、この祈りを唱えながら世界貿易センタービルへと向かい殉職されたのでした。やがてこの祈りは同僚の消防士達の現場へ向かう祈りだけでなく、更に多くの「現場」に向かう人達の祈りへと広まりました。このマイカル神父が遺された祈りの言葉に、癒やされるような、救われるような…励まされ、支えられます。めげそうになる時、自ずと力が湧いてくるような祈りのように思います。
自分の「現場」を「現場」として受けとめ、思いを新たに今日も出かけて行けるといいですね。
司祭 エリエゼル 中尾志朗
(一宮聖光教会牧師)