創世記3章の失楽園物語の中で、「あなたのゆえに、土は呪われてしまった。あなたは生涯にわたり、苦しんで食べ物を得ることになる。」という神さまの言葉が、善悪の知識の木から取って食べたアダムへの罰として記されています。この箇所から、キリスト教では土を耕し食べ物を得るための労働が、神さまからの罰であるように考えられることがあります。
しかし、人間がその管理を任せられていたエデンの園においては、そもそも労働は神さまが、あらかじめ人間のために計画してくださった賜物であり、神さまを賛美する手段であったことが分かります。そして労働は今もなお、神と隣人とに仕えるための賜物であることは、聖書全体から導き出される考え方でしょう。
しかし、労働が罰という考え方は肯定しませんが、労働をとおして、罪を自覚し、悔い改めに導かれ、罪を告白し、赦される。この継続的な繰り返しによって、霊的成長と自己変容をともなって、神さまに喜ばれる人生を送るという更生のプロセスがキリスト教の人生の歩みの一つのモデルとしてあるように思います。
6月1日から、刑法が改正され、懲役と禁錮が一本化され、拘禁刑が導入されました。わたしたち教誨師も、この拘禁刑の導入にあわせて、人権尊重と更生支援の研修を受けて、より良い形で収容者の皆さんへの支援が出来るようにと準備をしてきました。
従来、懲役の受刑者には刑務作業が義務付けられていた一方で、禁錮の受刑者は刑務作業が任意とされていました。しかし禁錮刑の受刑者も刑務作業を希望することが多く、処遇に差がなくなっているのが実態でした。新設された拘禁刑では、刑務作業を行わせるかどうかは受刑者ごとに決定され、柔軟な処遇が可能となりました。さらに、受刑者の特性に応じて更生プログラムを組むことが出来、再犯予防の効果も大きく期待されているのです。
そのような目的で拘禁刑が導入されたのですが、わたしたちの住むこの日本は、犯罪件数自体は減少傾向にあるにもかかわらず、再犯者率は高い状況が続いています。
日本の再犯者率が高い主な理由は、出所後の社会復帰が難しいことです。一度罪を犯してしまうと、いつまでも「前科者」というレッテル張りをされ、社会からの偏見にさらされます。それにより就労機会が不足し、住居の確保が難しくなり、再犯を繰り返す悪循環に陥りやすい状況が続いているのです。
そもそも人権は神の似姿という存在の尊さが根拠ですので、功績はもちろん罪過も人権には影響しません。たとえ罪を犯してしまった人であっても、その人の人権は尊重されなければなりませんし、罪を償って出所してきたのなら、なおさらです。
刑務作業が刑罰であることは、失楽園物語のアダムへの神さまの言葉と重なってしまいますが、日本の刑罰もやっと拘禁刑へと移行するにあたり、わたしたち教会も、労働はもちろん、神さまに喜ばれる人生を歩むための営みすべてが賜物であり、神さまを賛美するための交わりを、すべての人の人権を尊重しながら、豊かにして参りたいと思います。
司祭 アンブロージア 後藤香織
(名古屋聖マタイ教会牧師)