イースターおめでとうございます。主イエス様のご復活の恵みと祝福が皆さんと共にありますようにお祈りいたします。
2月の終わりに日本聖公会保育連盟(聖保連)の設置者・園長・主任者研修会が名古屋柳城短大で開催され、「幼児期における発達障害の理解と支援」のテーマで講演を聞きました。
内容は発達障害を持つ幼児への支援についてだったのですが、話を聞いていますとこれは幼児に限った問題ではなく、わたしたち大人にも共通する事柄であることを強く感じました。「空気が読めない」「すぐにキレル」「過去の経験から学ぶことが苦手」「共感性が弱い」「冗談が分からない」「相手を傷つけていることに気づかない」「自分の失敗を他人のせいにする」等々。
講師の先生もこれは幼児だけのことではなく皆さん(保育者)自身のことでもありますよと指摘しておられましたが、教役者としてのわたしたちにも関係することであり、大変身につまされる話でした。
わたしたちは誰でもが何かしら欠けたところと言いますか、弱さを持っているものです。パウロは教会共同体を表現するのに人間の体を例に取り、「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのであり、神はそういう部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました」と言い、弱く見える部分を他の部分が補いつつ体全体の調和を保っているのだと言っています。
「障害ではなく特性」「困った子ではなく困っている子」―幼児をそのように理解することはキリスト教保育の根底をなす重要な要素です。そして、教会という共同体はそこに関わる人たちがお互いに違いを認め合い、受け入れ、配慮しつつ信仰生活を営むことにより調和の取れた交わりへと成長していくのです。