〝教区再編〟を考える

 3年以上に及んだコロナ禍による様々な制限からようやく解放され、礼拝や集会等のあり方も各教会の判断に委ねられることになりました。徐々に対面による会議、学びや交流の機会が回復する中、この4月から、毎月第3主日に三重県にある桑名エピファニー教会と四日市聖アンデレ教会の礼拝奉仕を担当しています。ご承知のとおり三重県は京都教区になりますので、教区の枠を越えた協働の実践が目に見える形で始まったと言えます。既に数回ご奉仕させていただきましたが、その教会特有の礼拝の雰囲気や温かい交わりの中で、毎回新たな出会いや気付きが与えられ、励まされ、帰り道は自然と穏やかな心と感謝の気持ちに満たされています。
 一方で新潟県にある高田降臨教会では、6月から京都教区(北陸伝道区)の現任司祭お二人が、主日礼拝を担ってくださっています。また、6月28日(水)~30日(金)には、初めて両教区の合同教役者修養会が岐阜の地で開催されます。このような教区間の協働関係の深化は、今後一層促進されることになるでしょう。
 2020年10月に開催された日本聖公会第65(定期)総会の決議に基づき、日本聖公会に3つの「宣教協働区」(東日本、中日本、西日本)が組織されて以来、各宣教協働区では、協働の推進と教区再編の可能性についての検討が始まっています。特に東日本宣教協働区では、北関東教区が同総会において同じく導入が決議された「伝道教区」へ、翌2021年に移行したため、東京教区の主教が北関東教区の管理主教となり、新教区の設立を目標に熱心な協議が続けられています。北海道教区と東北教区においても、それぞれ新たに就任された主教を中心に、教区再編、協働への取り組みを重要課題として位置付けています。
 伝道教区制については度々誤解されることもありますが、教区としての運営が人的、財政的に困難な状態に陥った場合の対策、救済措置として導入された訳では決してありません。そうではなく、教区再編に向けて舵を切ることをとおして、日本聖公会全体として積極的に宣教体制の立て直しへと踏み出すために、主教会の提案により決議、導入されたものです。重要なことは、1990年代以降、年を追うごとに顕著になっている教勢衰退の現実を真摯に受け止め、課題を整理、共有し、その上でこれからの福音宣教のビジョンについて議論し、実態に即した宣教の活性化を目指すことです。個人的には、教区再編は先延ばしすればするほど問題は深刻化し、次世代に重く圧し掛かることが容易に予測されるため、相乗効果とスケールメリットが活かされるうちに早期実現されることを願っています。
 中部教区が属する中日本宣教協働区(横浜、中部、京都、大阪)では、これまで10回に亘る協働委員会やチャプレン研修会がオンラインで開催されてきました。また、各教区主催の研修会等の情報や代祷表を共有し、互いに支え合い、祈り合うことを大切にしてきました。日本聖公会の組織成立当初から繰り返し議論され続けてきたにも拘わらず、その実現には至らなかった教区再編について、いよいよ実感をもって話し合っていきたいものです。

司祭 テモテ 土井宏純
(中部教区 主教補佐)

教区間協働!?再編!?(9) “チャプレン研修会を開催”

 2022年11月28日(月)午後7時から、中日本宣教協働区(横浜・中部・京都・大阪の4教区)にある諸施設のチャプレン及び協働委員総勢41名がオンラインで繋がり、研修会が開催されました。2020年の日本聖公会総会決議により「宣教協働区」が設置されて以来、中日本宣教協働区協働委員会では教区の枠を超えた課題を共有し、協働の可能性を追求してきました。その中で4教区共通の課題として当初から繰り返し話題に上ってきたことの一つが、チャプレンの働き(チャプレンシー)についてです。
 中日本宣教協働区内には、大学、短大、高等学校、中学校、幼稚園、保育園、認定こども園、病院、福祉施設、ホテルなどの関連機関があり、各教区はそれぞれにチャプレンを派遣しています。しかしながら、殆どの教役者は神学校でチャプレンの働きについて学ぶこともなく、遣わされた現場で孤軍奮闘しながらその重要な役割を担っているという実情があります。そのような認識に立ち、まずチャプレン同士の分かち合い(ピアサポート)の場を作りたいとの願いから今回の研修会が実施されることになりました。
 限られた時間の中でしたが、まず協働委員の1人から経営の視点(理事長)からチャプレンに望むことについて話があり、続いて各カテゴリー(幼保、中高、大学、病院、福祉施設)から5人のチャプレンの体験談を聴くことができました。各々がとても率直で切実な思いを語られたこともあり、大変興味深く共感を覚えました。何より各現場へチャプレンとして派遣された教役者が、信徒ではない学生や利用者、教職員やスタッフたちといかに関係性を構築していくか…という難題に日々心を砕いていることが強く印象に残りました。次回は対面で開催できることを願っています。
 尚、本研修会報告書の入手をご希望の方は当方までお声がけください。

教区間協働!?再編!?(8)“再編、合併のメリットは?”(二)

 2020年に開催された日本聖公会第65定期総会において、日本聖公会の宣教体制強化と教区再編をはかるため、日本聖公会を3区域に分け、複数の教区で構成される「宣教協働区」が設置されたことは既に述べたとおりです。
 中部教区は、横浜、京都、大阪各教区とともに「中日本宣教協働区」に属し、これまで7回にわたる協働委員会が開かれました。同委員会の役割は、区内の運営、宣教・牧会などについて協働を推進し、また教区再編について検討することです(法規第128条の2)。年内には4教区合同のチャプレン研修会が計画されていますが、そのような教区の枠を超えた様々な会合や交流会、リトリートなどがより積極的に実施されることを願っています。中部教区ではこれまでも、高田降臨教会と直江津聖上智教会が京都教区の北陸伝道区の諸教会と、豊橋昇天教会は静岡にある横浜教区の教会との交流、懇親を定期的に深めてきました。今後はもう一歩進んで、教区同士の協働へと発展できればと思います。その中で教区の再編、合併のメリットも自ずと見えてくるのではないでしょうか。
 組織的観点から言えば、再編や合併により教区区域が大幅に拡がることによって、長年の懸案であった硬直化した教役者の人事配置の課題から解放され、適材適所度が格段に高まることは間違いありません。もちろん移行期の混乱や煩わしさは生じるでしょうが、その試練の先には財政面も含めてスリム化や効率化の実現が期待されます。しかし、それにも増して私が大切にしたいことは、それぞれの歴史や伝統、慣習等を尊重しながらも、一度原点に立ち返って、新たな教区の宣教の可能性について率直に話し合い、これからの教区を自分たちの意志で創り上げつつ次世代へバトンを繋いでいくことです。そのような機運が高まることを願って止みません。

教区間協働!?再編!?(7)“再編、合併のメリットは?”(一)

 前回お伝えしたとおり、大阪教区と京都教区の2024年の合併は見送られることになりましたが、日本聖公会全体として教区再編の動きが停滞したわけではありません。4月23日に日本聖公会で初めて女性の主教に按手された笹森田鶴北海道教区主教は、就任挨拶の中で、教区再編と宣教協働について言及し、今後も重要課題として取り組んでいくことを明言されました。その温かくも力強い言葉を聴き、心揺さぶられ、大いに励まされました。
 ところで、教区の再編や合併について討議するとき、必ずと言ってよいほど「メリットは何か?」という質問が発せられます。私見の域は出ませんが、教区再編、合併の最大のメリットは、「弱点も含めてそれぞれの違い、多様性を受容し合うことにより、宣教の豊かさ、活性化に繋がる」ということです。このインクルーシブな共同体理解は、聖公会信仰の真髄とも言えるのではないでしょうか。勿論大きな変化は、一時的に混乱や痛み、不安定さをもたらすことが予想されますが、愛に基づく互いの祈りと信頼によってそれらを克服したときに与えられる恵みや喜びは、計り知れないものがあると思います。そこから、閉塞状態に陥って右往左往している私たちに、進むべき新たな道が拓かれるのでは…という期待もあります。
 また、物理的にも多くの人との出会いや交流機会の増加により、新たな刺激や気付きが与えられることもメリットと言えます。各教区で行われている様々な活動に、教区の枠を超えて参加できる仕組み作りが必要です。特に中部教区は、青少年を対象とした活動が長く低調であると感じます。私自身もおぼろげながら聖職志願を意識する契機となった出来事は、中学生時代に参加した横浜教区の清里聖アンデレ教会で開催された冬季キャンプでした。 ―続く―

教区間協働!?再編!?(6)“なぜ11教区なのですか?”(三)

 2000年代に入ってからの教区制改革の動向については、中部教区が先導的役割を担ってきたことなど、既に本欄で触れましたので割愛しますが、各教区間で様々な協働、交流が実践されてきました。その中でも特に、大阪教区と京都教区の合併を見据えた協働関係の深化は、今後の日本聖公会全体の教区再編へ向けての試金石的な取り組みとして注目されることになりました。
 大阪・京都両教区では2006年から合同の教役者会や常置委員会等が継続して開催され、2011年の両教区会で「大阪教区と京都教区の協働及び合併に関する検討委員会」の設置を決議しました。そして同委員会の「合併は必要かつ可能であり、合併を実行に移すべきである」との最終報告を受け、2013年の両教区会では「大阪教区と京都教区の合併を推進する委員会」の設置を決議、その後議論の末2017年に「特別協働教区」関係協定書が交わされ、「大阪・京都特別協働教区運営委員会」を中心に、合併を視野に入れたより具体的で実際的な協働プログラムが実施されてきました。そのような経緯を経て、昨年(2021年)の両教区会において2024年4月の合併を承認する議案が提出されました。
 しかしながら、採決の結果、京都教区は可決しましたが、大阪教区は可決必要数に達せず否決となり、2024年の合併は見送られることになりました。この結果は日本聖公会全体にも大きな衝撃を与えましたが、組織成立当初からの課題である教区再編実現の困難さを改めて浮き彫りにしたと言えるでしょう。しばらくは教区合併等による再編の動きは停滞するかも知れませんが、信徒数・聖職者数等から考えても、世界の聖公会(諸管区)と比べて極めて教区数が多い日本聖公会の実情を真摯に受け止め、日本聖公会全体の宣教の活性化のために、教区再編の議論と取り組みを継続していくことが大切であると思います。

教区間協働!?再編!?(5)“なぜ11教区なのですか?”(二)

 そのため1887年の組織成立当初からたびたび教区区域の見直し、再編について論議されてきました。特に戦時下の1941年に開催された第20総会では、それまでの2教区8地方部を廃して5教区とする提案が受理されましたが、最終的には地方部をそのまま教区へ移行することになりました(10教区制)。
 1970年代に入ると、アメリカ聖公会沖縄伝道教区の日本聖公会への移管(11教区制)を機に、より積極的な教区区域変動の可能性を調査する機関が総会決議によって設置され、1974年の第33総会では詳細な議論、研究を踏まえた3つの教区線引図案(2教区2伝道教区制、3教区4伝道教区制、2管区11教区制)が資料提出されました。そして教区制改革は日本聖公会全体の重要課題であるとの共通認識のもと、現任の全主教、各教区より選出された常議員各1名及び総会議長の任命する若干名で構成する「日本聖公会教区制改革委員」が新たに設置されました。
 しかし、同委員会での議論は教区区域の再編成に限定せず、むしろその基本となる教区・教会の体質の変革こそが緊要の課題との理解から、日本聖公会の教育・研修、財政、機構等の研究が行われ、その結果1977年の第34総会では「教区制改革(教区区域変更を含む)に関する建議」案を可決するにとどまり、その内容は日本聖公会を東日本と西日本ブロックに分け、あるいは隣接教区間において宣教のための協議、人事交流等を通して互いに理解を深め、必要な時に法規の手続きを経て新しい教区区域を設定するというものでした。
 その後、1994年に公表された『日本聖公会の現状および将来に関する主教会の見解』の中で、主教会は現在の教区区域が教会の宣教、牧会に支障を来たし、それに適合しにくいことを認識し、改編が必要であるとの考えを示し、特に「この課題の主導性は、主教会に期待されている。」と記しています。
―続く―

教区間協働!?再編!?(4)“なぜ11教区なのですか?”

 「日本聖公会はなぜ11教区なのですか?」洗礼、堅信準備の学びの中などで、よくある質問です。現在、日本聖公会には11の教区がありますが、11教区になったのは1972年にそれまでアメリカ聖公会に属していた沖縄(伝道教区)が日本聖公会に沖縄教区として編入されてからのことになります。日本聖公会のコンパスローズをモチーフとしたエンブレム(左図参照)の中央部にある+が11個なのは、その数を示しています。
 それ以前の教区(地方部)構成については、1887年の日本聖公会組織成立時にまで遡り、当初は4地方部(東京、大阪、熊本、函館)でした。その後、1896年に6地方部(東京南部、東京北部、大阪、京都、熊本、函館)となり、1900年代に入り、沖縄教区を除く現在の10教区の礎が築かれましたが、1923年に東京教区と大阪教区が初めて正式な教区とされた以外は、戦時下の国策であった「宗教団体法」などの影響を大きく受けながら、苦悩の中で教区成立に至りました。
 一方19世紀後半に開始された聖公会の日本伝道の内実は、アメリカ、イギリス、カナダの主に各宣教団体から派遣された宣教師たちによって担われましたが、教区区域については、元々それぞれの宣教団体の伝道区域として分割されたものであり、日本聖公会として全体的視野に立って定められたものではありませんでした。1967年に著されたC.H.パウルス司祭の言葉がそのことをよく表しています。「日本聖公会の現在の教区制度は永久的なものとは決して考えられていなかったということは、あまり知られていない事実である。それは暫定的に決められたものであって、種々の宣教師団がそれぞれ得手勝手な活動をしないように計画されたものであった。」(『日本聖公会の教区制度に関する歴史的一考察』より)-続く-

教区間協働!?再編!?(3)“教区の定義?”

 しばしば「教区としての意見は?」「教会の土地建物はなぜ教区名義なのか?」といった、回答に窮する質問を受けることがあります。そもそも「教区」について私たちはどのように理解したらよいのでしょうか。
 残念ながら教区の定義は明文化されてはいませんが、日本聖公会法憲第1条にはこのように記されています。「日本聖公会は主教の司牧する若干の教区より成る管区である。教区は司祭の司牧する若干の教会を包括する。」少し分かりにくい表現とも言えますが、私なりに説明的に言い換えると「日本聖公会において自律した組織(共同体)の基本単位はあくまでも教区である。そして教区の司牧の中心は主教であり、司祭は主教により教区が包括する各教会に牧師として派遣される。」ということであると思います。つまり、教区は主教を中心とした一つの生きた体(信仰共同体)と言えます。ですから、教会の中で一般的に「教区」という表現は主教個人や常置委員会等を指して使用されることが多いように感じますが、本質的には教区に属するすべての信徒、教役者が教区そのものであると私は理解しています。
 私たちは洗礼を受けると(あるいは洗礼志願者になると)一つの教会に教籍を置くことになりますが、同時に中部教区に属する神の民〈教区民〉にもなることを大切にできればと思います。このように聖公会にとって不可欠な教区制度ですが、周知のように昨年の10月に開催された日本聖公会第65(定期)総会において、教区の再編をも視野に入れた議案(宣教協働区・伝道教区制の設置)が賛成多数で可決されました。特に各教区を代表する主教たち(主教会)によってこの議案が提出されたことに深い意義を感じるのです。

主教補佐
司祭 テモテ 土井宏純

     中部教区報『ともしび553号』(2021年9・10月号)より

祈り合う恵み

 長引くコロナ禍で自粛生活に疲れ果て、途方に暮れている方々も多いことでしょう。昨年来COVID-19という未知のウイルスに翻弄され、中部教区の各教会では国や自治体から発令される緊急事態宣言などを判断基準に、公開の礼拝や集会の休止と再開を繰り返しています。それが本当に正しい判断なのだろうかという思いと痛みを常に心に抱えつつも、それでも感染予防対策を徹底しながら、人数制限をしたり、聖歌はオルガンの音を聴くにとどめたり、オンライン配信を行うなど、何とか礼拝生活、信仰生活を保ってきました。残念ながらそのような不安定な状態が今後も年単位で続くことが予想され、意気消沈しそうになりますが、そこにも人知を超えた神さまのご意思と恵みがあることを信じて、希望を失わずに歩み続けたいと願っています。
 先日、同僚の司祭が聴覚に障がいのある方のために「礼拝のライブ配信に簡単な字幕だけでも入れることはできないものか…」と思い悩んでいる姿を見て、ハッとさせられました。社会同様、教会においてもインターネット環境の整備が必至となる中、その利便性と普及の必要性ばかりに気を取られ、様々な事情で対応困難な方々への配慮という最も大切にすべき姿勢が不十分であったことを痛感したからです。ライブ配信に参加したくても叶わずに諦めたり、礼拝が再開しても年齢や基礎疾患などを理由に自粛せざるを得ない方々が多くおられます。アフターコロナの宣教のためにもネット環境の充実は必要不可欠ですが、急激な変化に困惑している方々への丁寧な対応はより大切にしたいと改めて感じています。
 マルコによる福音書によると、主イエスはガリラヤでの宣教活動を終え、弟子たちを伴ってエルサレムへ向かわれましたが、日を重ねるうちに多くの群衆がその一行に加わりました。その旅の最終局、いよいよエルサレムを目前にしてエリコの町から力強く歩み出そうとされたとき、目の不自由なバルティマイの「わたしを憐れんでください」との心からの叫びに、人々の彼に対する厳しい叱責の中、主イエスはただ一人立ち止まり、癒しの業を行われたことが記されています(10章46節以下)。このように、主イエスは目的達成よりも一人の人間の存在を優先される方です。個の存在を大切にされ、とりわけ社会の中で小さく弱くされ、苦しみ嘆いている人々とともに歩もうとされました。
 最近色々な会議などに出席して思うのですが、未だ先行きが見通せないためにどうしてもネガティブな意見が支配的になりがちです。「フィジカル(ソーシャル)ディスタンス」の掛け声で人と人との距離が広がり、分断や格差が助長されているとの指摘もあります。しかし何もかもが不安なときだからこそ、私たちは互いに祈り合うという大きな恵みと力を神さまから与えられていることを忘れてはならないでしょう。しばらく直接会うことができていない一人ひとりの存在を想い合い、今まで以上に祈り合うことを通して、より深く豊かな共同体の形成へと促されます。そのために教会は、私たちは具体的に何ができるのかを問い続けていきたいと、自戒を込めて思うのです。

教区間協働!? 再編!? (2)

教区制改革について考えるとき、中部教区に属するわたしたちが記憶にとどめておきたいことがあります。それは2003年に開催された第73(定期)教区会において、管区に「日本聖公会教区区域再編成検討委員会(仮称)」の設置を求め、日本聖公会総会に議案を提出する(総会代議員に付託する)ことを中部教区の意思として決議したことです。その提案理由文には、

「教区区域の再編成については、単なる組織ではなく、これからの日本聖公会の宣教ビジョンを含めた包括的な議論として進められるべきであり、…一刻も早くこの課題に着手することにより、日本聖公会の宣教の活性化を促していかなければならない」

とあり、教区制改革の目的は日本聖公会全体の宣教の活性化であることを明確に示しています。

翌2004年に開催された日本聖公会第55(定期)総会において、中部教区の総会代議員は連名で「教区制改革を推進する機関」設置の件を提出し、可決され、「教区制改革委員会」が管区に設置されました。その後、同委員会を中心に協議、研究が重ねられ、教区間協働の促進、教役者給与支援システム等が実施されるに至りますが、その延長線上に、昨年の総会で決議された「宣教協働区の設置及び伝道教区制の導入」があります。

今や日本聖公会は新たな段階へ入ったと言っても過言ではないでしょう。従来の「教区」という枠を越えて、各々の教区の歴史や伝統、慣習等の違いを尊重し合い、分かち合い、支え合い、祈り合いながら日本聖公会全体のビジョンを描き上げることが求められています。長引くコロナ禍により礼拝や集会などが制限され、疲弊感や閉塞感に押し潰されそうになりますが、このようなときこそ教区制改革について思いを巡らせ、これまで中部教区が積極的に向き合ってきたことを覚えるとともに、その意思を受け継いでいきたいと思います。

主教補佐
司祭 テモテ 土井宏純

中部教区報『ともしび551号』(2021年5・6月号)より