この4月から、直江津、三条に加え、長岡の教会へも月に1回足を運ぶことになりました。また、従来の聖上智オリーブこども園チャプレンに加え、三条の聖公会聖母こども園へもチャプレンとして月に2回ほど通うことになり、老朽化したマイカーの距離計がどんどん数値を増やしています。最初、このお話をいただいたときには、あっちこっち行けて楽しいな、なんて思いましたが、いざ始まってみたらなかなか…です。帰ってきて駐車場へ車を入れるとき、気が抜けて、壁をこすって車に傷を付けてしまうこともありました。
そうした日々を過ごす中で、癒やされるのは子どもたちや保護者、同じ志をもつ職員たちとの関わりです。人は自分を写す鏡と言いますが、自分が笑顔で心開いて言葉をかけていくとき、応えてくださる相手との出会いは、本当にうれしいものです。相手が幼い子どもであればもっとうれしいです。じっと子どもの様子を見て、子どもの表現を待って、子どものペースに合わせて付き合うように心がけています。そうした中で、次第に仲良しになっていけたら、とってもうれしい気持ちになります。保護者との出会いも手応えがあって、最初は赤の他人どうしが、次第に打ち解けていって、子どもの成長を喜び合ったり、園行事を一緒に楽しんだりすることができるようになってきます。職員とは、とくにうちの幼稚園の職員とは毎日顔をつき合わせていますので、非常に濃厚な関係になります。おそらく私の本心は見抜かれていることでしょう。幼稚園の仕事に共に携わり、職員集団に支えられて園長職をさせていただいているありがたさを思います。
初めて出会った子どもたち、最初は硬い表情を見せていたのが、次第に打ち解けてきて、そばまで寄ってきてくれたり、笑ってくれたり、「園長先生」「牧師先生」「チャプレン」と呼びかけてくれたりするようになってきます。目には見えない心の中で、少しずつ関係性の糸が結ばれていく、うれしい時です。
私は牧師として幼稚園の仕事をさせていただいていますが、一体何のためか、教会に幼稚園が併設されている意義は何なのか、考えさせられます。幼稚園の営みはイエスさまの教えの具体化、イエスさまの御業の表れです。日々の人間関係に於いてイエスさまの愛が輝きでる。幼稚園に関わる子どもも大人も、お互いの関わりを通してイエスさまの愛に触れることができればすばらしいです。
幼児教育の制度が大きく変わっていく中で、建園の精神を忘れず、言葉だけでなく行いによって、キリスト教主義の幼稚園やこども園、保育園がその営みを続けていくことができるように祈り願います。私は毎日人垣に囲まれて、大変充実した生活を過ごさせていただいています。ありがたいことです。幼い子どもたちのためにも、一人一人が大切にされる社会を築いていく責任を感じます。私たちの国籍は天にあります。唯一の神こそ、私たちが従うべきお方です。
(高田降臨教会・直江津聖上智教会牧師、長岡聖ルカ教会・三条聖母マリア教会管理牧師)
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「共謀罪」の恐ろしさ
去る5月23日、十分な論議がし尽くされたとは思われない状況の中で、衆議院本会議において「共謀罪」法案が政府与党によって強行採決されました。この法律の怖さは何と言っても一般の国民がテロの調査・捜査対象にされ得るということにあります。もちろんテロは絶対に許されるべきではなく、その防止のためには十分な取り締まりが必要であることは言うまでもありません。
政府は、一般市民はテロ捜査の対象にはならないと言っていますが、テロを画策する人(々)は一般の市民と区別のつかない状況の中で、しかも極めて秘密裡にそれを行います。と言うことは一般市民であっても少しでも疑わしいと思われれば―捜査する側がそう判断すれば―いくらでも、誰にでも捜査が及ぶということを意味しているのです。
戦前、「治安維持法」という悪法がありました。当時の司法相は議会で「無辜の民にまで及ぼすことのないよう十分研究考慮した」と言ったそうです。ところが、実際に法律が施行されると全くそうではありませんでした。一般市民はもちろん、宗教団体もその対象とされたことは改めて申し上げるまでもありません。
中部教区主教であった佐々木鎮次主教は―戦争中には東京教区主教に転出しておられましたが―スパイ容疑で憲兵隊に拘禁され、寿命を縮めるほどの厳しい取り調べを受けました。南東京(横浜)教区の須貝止主教もそうでした。他の何人かの司祭たちも同様です。
恐ろしいことは官憲がある人(々)をスパイと特定すれば簡単に拘束することができてしまうということです。「共謀罪」はまさにそのような法律なのです。「治安維持法」の二の舞にならないと一体誰が保証できるでしょうか。
くるみの木のこと
教区内の幼稚園・保育園がだんだんと認定こども園に移行しつつあります。既に三条、直江津がこども園化され、この4月からは松本、稲荷山も幼保連携型認定こども園に移行しました。それぞれの園が子どもたちへの教育と保育、そして子育て支援に今まで以上に努められますよう願っています。
先日、稲荷山で開園記念式典がありましたが、稲荷山幼稚園は幼保連携型認定こども園「稲荷山くるみこども園」という名称に変わりました。なぜ「くるみ」なのか平部延幸園長が説明しておられました。かつて稲荷山の教会にはたくさんのくるみの木があり、戦前戦後を通じて教会や幼稚園の財政を支えてきたそうです。今はなくなってしまいましたが、そのことを忘れないために「くるみこども園」と名付けたそうです。
そう言われてみますと、長野県の多くの教会には確かにかつて大きなくるみの木がたくさんあったように記憶しています。推測ですが、その背景には教区最初期の宣教師の一人であり、長野の教会で長く牧会されたウォーラー司祭がくるみの木を植えることを奨励したためではないかと思われます。
長野聖救主教会発行の「ウォーラー司祭―その生涯と家庭」にはウォーラー館の庭のくるみを盗みに入った子どもたちが同司祭からこっぴどく叱られたこと、また、くるみは大切に乾燥させ、売却代金は教会会計に入ったことが記されています。神学生のためにも使われたと聞いています。
ですから、単純に教会の庭にくるみの木がたくさんあったということではなく、一本の木にも教会の働きに奉仕するという存在意義があったのです。くるみの木にもそのような歴史があることを稲荷山の開園式典に出席して改めて感じました。
新生礼拝堂がFEBC(キリスト教放送局)の取材を受けました。
小布施の新生礼拝堂が、FEBC(キリスト教放送局)の関連ホームページ「続・ここに立つ教会」で取材されました。教会の写真や金司祭のインタビューなどが掲載されています。ぜひご一読ください。
共謀罪反対声明
新生病院80周年記念動画
日本聖公会中部教区関連団体・特定医療法人新生病院は
2012年に80周年を迎えました。
その記念誌をもとに作られた動画が届きましたので、どうぞご覧ください。
植松主教様を偲んでもう一言
わたしも主教様の「信徒は聖霊を与えられているので何でもできる」というお言葉を良く記憶しています。主教様の信仰の確かさを表しているお言葉であり、聖霊の働きへの確固とした信頼から来るお言葉です。そして、その信頼は―これも主教様の十年間の変わらない教えでしたが―「み言葉」と「祈り」から来るものでした。聖書を読み、お祈りをする。信仰者の基本中の基本を繰り返し教えられました。そして、「クリスチャンにとって最も大事なこの二つのことがもし欠けているとしたら…これはまさに致命的です」と言っておられます。主教様はそのことをご自身の生き方をもってわたしたちに教えてくださいました。
主教様が退職されて30年。この信仰の基本は永遠に変わるものではありません。むしろ、教会に少し元気がなくなってきている今だからこそ、その基本が本当に求められていると強く感じます。わたしたちが自覚的、創造的に信仰を実践するためには「み言葉」と「祈り」を決して欠かすことはできないのです。
軽井沢ショー記念礼拝堂 第1回音楽のつどいのお知らせ
軽井沢ショー記念礼拝堂にて、2017年5月28日(日)11時30分より、「第1回音楽のつどい」を開催します。みなさまふるってご参加ください。教会コンサートチラシ.compressed