司祭按手式動画配信に関するお詫び

 12月18日(土)に執り行われましたヨハネ相原太郎執事の司祭按手式オンライン配信につきまして、不具合により同時配信ができませんでした。配信をお待ちいただいた多くの皆様に心よりお詫び申し上げます。

 なお当日の写真を掲載いたしますと共に、「教区関連動画」にて録画をご覧いただければ幸いです。

中部教区常置委員長 司祭後藤香織
中部教区総主事   諸岡研史

命 が け で

 岡谷聖バルナバ教会の創立に深く貢献されたホリス・ハミルトン・コーリ司祭は、カナダ・ケベック州の出身で、来日前はカナダ北東部のラブラドール地方で働いておられました。この地域は、北極圏に近い気候の厳しい地域で、コーリ司祭は犬ぞりなども利用しながら、厳しい条件の中、広い地域を巡回していました。コーリ司祭は、手紙で主教に近況を報告しており、その内容が掲載されたケベック教区の古い教区報により、働きの具体的な状況を知ることができます。
 来日直前の1919年4月には、例年より半月ほど早く春が到来したため、そりでの移動ができず脱出の見込みが立たないこと、1月下旬に家を出てから家族とずっと離れていることなど、厳しい宣教師の生活がうかがえます。このような所から、新たな困難の伴う日本宣教のために一家で来日されたのでした。
 来日後、コーリ司祭一家はまず岐阜、続いて名古屋に住みますが、あまりの気候の変化に耐えられず、上の子が重い病に冒されました。一時は危篤状態にもなりましたが、幸い一命を取り留めたものの脳に重い障害が残りました。同じ時期に下の子も病気にかかっていましたが、上の子の看病に気を取られて気づくことができず、7歳の若さで亡くなります。コーリ司祭が高田や松本を経て岡谷に赴任されたのは、ひとつには上の子の転地療養という意味合いもありました。そのような犠牲を払いつつ、岡谷の教会を築いていかれたのでした。
 コーリ司祭の妻コンスタンスは、同僚のスペンサー司祭の妹にあたりますが、スペンサー家は海外宣教に身を献げるという家訓を持ち、姉フローレンスも宣教師として来日し、一家の3人が共に中部教区で働いていました。スペンサー司祭は、1941年の外国人宣教師一斉帰国の年まで日本に留まり、27年間働かれましたが、健康を害しており、帰国の翌年に55歳で逝去されました。
 岡谷の教会、そして中部教区は、このように文字通り命がけの宣教師の働きによって建てられたという歴史を改めて思い起こしたいと思います。そして、昨年来のコロナ禍にあってのわたしたちの営みを、将来の人々は歴史としてどう読むことになるだろうか、という疑問も抱くのです。
 前例のない事態の中、手探りで一生懸命やってきたつもりではいますが、これらの宣教師の方々の働きを思うとき、それが十分であったとはとても思えませんし、真剣さ・勤勉さに欠けていたところが多くあることも、恥ずかしながら認めざるを得ません。
 礼拝を休止せざるを得なかった時、東京からの旅行ができずネットを通じて礼拝司式や説教をしていた時、聖餐式を行いながらも分餐ができない時、率直に言ってそこにはある種の空しさがあり、孤独感をも感じました。教会の状況が徐々に元に戻りつつある今、改めて失っていたものの大きさを感じています。
 逆説的ですが、この1年半、教会はこの空しさや孤独感をお献げしてきたのかも知れないと思えるのです。そこに、今の時代における私たちの「命がけ」があるのかも知れません。この辛さを包み隠すことなく、皆で分かち合いたいと思います。


司祭 ダビデ 市原信太郎
(岡谷聖バルナバ教会管理牧師〈東京教区出向〉)

教区間協働!?再編!?(4)“なぜ11教区なのですか?”

 「日本聖公会はなぜ11教区なのですか?」洗礼、堅信準備の学びの中などで、よくある質問です。現在、日本聖公会には11の教区がありますが、11教区になったのは1972年にそれまでアメリカ聖公会に属していた沖縄(伝道教区)が日本聖公会に沖縄教区として編入されてからのことになります。日本聖公会のコンパスローズをモチーフとしたエンブレム(左図参照)の中央部にある+が11個なのは、その数を示しています。
 それ以前の教区(地方部)構成については、1887年の日本聖公会組織成立時にまで遡り、当初は4地方部(東京、大阪、熊本、函館)でした。その後、1896年に6地方部(東京南部、東京北部、大阪、京都、熊本、函館)となり、1900年代に入り、沖縄教区を除く現在の10教区の礎が築かれましたが、1923年に東京教区と大阪教区が初めて正式な教区とされた以外は、戦時下の国策であった「宗教団体法」などの影響を大きく受けながら、苦悩の中で教区成立に至りました。
 一方19世紀後半に開始された聖公会の日本伝道の内実は、アメリカ、イギリス、カナダの主に各宣教団体から派遣された宣教師たちによって担われましたが、教区区域については、元々それぞれの宣教団体の伝道区域として分割されたものであり、日本聖公会として全体的視野に立って定められたものではありませんでした。1967年に著されたC.H.パウルス司祭の言葉がそのことをよく表しています。「日本聖公会の現在の教区制度は永久的なものとは決して考えられていなかったということは、あまり知られていない事実である。それは暫定的に決められたものであって、種々の宣教師団がそれぞれ得手勝手な活動をしないように計画されたものであった。」(『日本聖公会の教区制度に関する歴史的一考察』より)-続く-

相原太郎執事・司祭按手式の動画配信について

12月18日(土)に予定されている司祭按手式は人数を制限して行いますので、下記Youtubeにて動画配信を行います。

皆様のご加祷よろしくお願いいたします。

クリスマス礼拝(岐阜聖パウロ教会)

✞12月24日(金)(降誕日前夕)19:00 夕の礼拝(イブ礼拝)
  *司式・説教 司祭 ヨハネ 相原太郎(予定)
  *イブ礼拝は、ローソクとペンライトの光の中で行われます。
  *礼拝の所要時間は40分程度です。

✞12月25日(土)(降誕日)10:30 クリスマス聖餐式
  *司式・説教 司祭 ヨハネ 相原太郎(予定)
  *礼拝後の祝会(クリスマスパーティー)はありません。

✞12月26日(日)(降誕後第1主日)10:30 み言葉の礼拝
  *信徒の司式による礼拝です。

礼拝はどなたでも自由に参加できます。事前連絡も不要です。

司祭按手式のお知らせ

聖職按手式の公示が出されました。
按手式はインターネットによる中継も予定されています。

公示

神のお許しがあれば、下記のように聖職按手式を執行し、

執事 ヨハネ 相原太郎

を公会の司祭に叙任いたします。主にある諸教会の代祷をお願い申し上げます。

救主降生2021年11月16日
日本聖公会中部教区主教
主教 アシジのフランシス 西原廉太

日時:救主降生 2021 年 12 月 18 日(冬期聖職按手節土曜日)午前 10 時半
場所:岐阜聖パウロ教会 〒500-8842 岐阜市金町 4-27
司式:主教 アシジのフランシス 西原廉太
説教:司祭 パウロ 佐々木道人
式典長:司祭ヨセフ下原太介
祭色: 「赤」を用います。
*参列者を限定して行います。奉仕者・参列者詳細については式典長より連絡いたします。

以上

召命黙想・読書会のお知らせ

中部教区各教会へ来年1月の召命黙想・読書会のお知らせを発送しました。

申し込み締め切りが10月31日(日)となっておりますので、ご興味がある方はお早めにお申し込みください。

※第1回目と第4回目の主題・講師が代わりました。(12.9修正いたしました)

※中部教区内信徒を対象としておりますが、ご質問・お問い合わせは中部教区センターまでお知らせください。

性別の問い合わせは人権侵害です

 今年(2021年)4月18日、厚生労働省が履歴書の性別欄に男女の選択肢を設けないこと、またその記載を任意とする「様式例」を発表しました。
 これは性別などによる就職差別につながっていて、以前から問題視されていたことですが、やっと任意の記入であるというレベルにたどり着いたことの現れです。
 世界的には性別はもちろん、民族や年齢、容姿等での差別を防止するために、問い合わせること自体が人権侵害であり、違法行為であることが一般的な認識です。
 任意であると断れば性別欄を残しても問題がないというのは、今年3月に発表された「The Global Gender Gap Report 2021」でも、男女格差を測るジェンダーギャップ指数が、先進国中最低レベルの120位であった、いかにも日本らしい認識です。しかし、問い合わせをすること自体が人権侵害ですから、性別欄自体を無くすべきであったことはいうまでもありません。任意であると断りがあっても、性別欄自体が残っていては差別問題は解決しないことは明らかです。
 すでに従来の性別欄に「男・女」と書かれていて、いずれかに丸をする形の「JIS規格の様式例」は、2020年7月に削除されています。このように「男・女」の形での性別の問い合わせ自体が問題であるという認識は、少しずつですが拡がってきているのですが、問い合わせ自体が問題であるという認識を一般化させるためにも、今回の「様式例」で性別欄自体を無くすべきでした。残された「任意の性別欄」が引き続き、人権侵害を正当化するために使われないことを祈るばかりです。
 このように日本では、「差別しているという認識がなければ、差別ではない」というのが、一般的な認識なのかも知れません。しかし、そのような思いにわたしたちの人権意識の低さがよく現れています。
 以前から、聖公会の様々な申請書のフォームに、性別欄が設けられており、しかも「男・女」という性別二分法に基づいた問い合わせが圧倒的に多いことが、包括的な教会形成にそぐわないことを指摘して、選別欄について考えましょうと呼びかけてきました。しかし、統計報告でも男女別の記載などが無くなり、性別を問い合わせる必要自体が無くなっているにもかかわらず、いまだに礼拝出席簿は、男女別であったり、新しく来会された方への問い合わせフォームにまで性別欄があり、「男・女」いずれかにチェックをするような状態が一般的であることが、わたしたちの教会が「開かれた教会」でないことをよく表しています。
 何らかの行事の申請書のフォームで、性別を問い合わせるのは、宿泊を伴う場合の部屋割りや何らかの保険をかけるためのものでしょう。日本では、生命保険、疾病保険などの保険契約では、保険料や保障が女性と男性で異なっているのがいまだ現状ですが、レクリエーション保険などでは、性別の問い合わせは不要になっています。
 誰もが安心して居ることの出来る、開かれた、包括的な教会を目指す第一歩として、もうそろそろ性別の問い合わせをやめることを検討しては如何でしょうか?


司祭 アンブロージア 後藤香織

(名古屋聖マルコ教会・愛知聖ルカ教会 牧師)

〝百年前の祈りと支え、そして宣教の苦闘〟

 先日、高田降臨教会を訪問した時のことです。ベストリーに古い文書の入った小さな額縁が掛けられているのに気づきました。それには1910年12月4日の日付があり、「日本聖公会高田講義所」開設資金の3分の1は、カナダ・トロント聖ジョージ教会の篤信なる女性教役者の遺言による寄附であり、残りはトロント大学の「トリニチー學院」の神学生たちからの寄附であったことが記されていました。
 1919年に来日し、後に岡谷聖バルナバ教会を創立したホリス・ハミルトン・コーリー司祭が、日本で最初に派遣されたのも、この高田の教会でした。私が、トロントにあるカナダ聖公会アーカイブスを調査した際に、コーリー司祭が当時のハミルトン主教に宛てた直筆の手紙を発見したのですが、そこにはこう書かれていました。
 「高田、月曜日、2月6日、1922年。親愛なる私の主教さま。あなたの優しいお手紙に、心から感謝いたします。ハミルトン夫人が、素敵な本物のカナダのチーズを送ってくださったことにも、心からの感謝をお伝えしたく思います。懐かしい故郷の音が聴こえてきそうでした。私たちは、これまで、私たちの棒給で何とか生活できてきましたし、借金もありません。しかしながら、こちらに来て以来、常に、私たちの月給は、次のお給料をいただく10日も前には尽き果ててしまいます。例えば、私たちは、こちらに来てからというもの、服の一つも買えていないのです」
 この一枚の書簡には、宣教師たちの、慣れない土地、決して豊かではない生活の中で、しかし、そのまさしくそれぞれに与えられた「ミッション」に、誠心誠意取り組む姿があります。今の私たちがあるのも、100年前のカナダ聖公会のみなさんの祈りと支え、そして、こうした宣教師たちの「苦闘」があったからこそであることを、心に刻みたいのです。

教区間協働!?再編!?(3)“教区の定義?”

 しばしば「教区としての意見は?」「教会の土地建物はなぜ教区名義なのか?」といった、回答に窮する質問を受けることがあります。そもそも「教区」について私たちはどのように理解したらよいのでしょうか。
 残念ながら教区の定義は明文化されてはいませんが、日本聖公会法憲第1条にはこのように記されています。「日本聖公会は主教の司牧する若干の教区より成る管区である。教区は司祭の司牧する若干の教会を包括する。」少し分かりにくい表現とも言えますが、私なりに説明的に言い換えると「日本聖公会において自律した組織(共同体)の基本単位はあくまでも教区である。そして教区の司牧の中心は主教であり、司祭は主教により教区が包括する各教会に牧師として派遣される。」ということであると思います。つまり、教区は主教を中心とした一つの生きた体(信仰共同体)と言えます。ですから、教会の中で一般的に「教区」という表現は主教個人や常置委員会等を指して使用されることが多いように感じますが、本質的には教区に属するすべての信徒、教役者が教区そのものであると私は理解しています。
 私たちは洗礼を受けると(あるいは洗礼志願者になると)一つの教会に教籍を置くことになりますが、同時に中部教区に属する神の民〈教区民〉にもなることを大切にできればと思います。このように聖公会にとって不可欠な教区制度ですが、周知のように昨年の10月に開催された日本聖公会第65(定期)総会において、教区の再編をも視野に入れた議案(宣教協働区・伝道教区制の設置)が賛成多数で可決されました。特に各教区を代表する主教たち(主教会)によってこの議案が提出されたことに深い意義を感じるのです。

主教補佐
司祭 テモテ 土井宏純

     中部教区報『ともしび553号』(2021年9・10月号)より