『聖パウロ祭』のお知らせ

2025年3月3日

主の平和   

 浅春の折 益々ご健勝のことと存じます

 6月29日(日)午前10時半からの聖餐式の後、『聖パウロ祭』の午後の集まりとして、「黙想と福音」というテーマで、新潟聖パウロ教会の牧師による講話と黙想のときを持ちたいと思います。6月29日は使徒聖ペテロ・パウロ日(2025年は6月30日に移動)であるため、この日に合わせて新潟聖パウロ教会の創立を記念して『聖パウロ祭』を行うものです。新型コロナウイルス感染症のために中断していましたが、今年もコロナ前のような形で開催していきたいと思います。多くの皆様のご参加をお待ちしております。                

                                 在主                                                

                   記

2025年6月29日(日)10時半~    聖霊降臨後第3主日聖餐式
司式・説教:ヨセフ石田雅嗣司祭

午後 「黙想と福音」
聖書を読んだり、黙想したりする時を持ちます。関連する落語『粗忽長屋』も鑑賞するときを持ちたいと思います。
語り ヨセフ石田雅嗣司祭

日本聖公会中部教区新潟聖パウロ教会 牧師 司祭ヨセフ石田雅嗣 
電話:025-222-0474  新潟県新潟市中央区医学町通2番町74 

中部教区150周年記念のつどいZoomシリーズ(第2回)

1月に行われたZoomシリーズ第1回に続き、
3月22日(土)にはZoomシリーズ第2回が予定されています。
この度新しいチラシが完成しましたので、お知らせいたします。
是非お誘いあわせの上ご参加下さい。

顕現節に想う

 アントニー・デ・メロ師(イエズス会士、同会霊性指導者)の書いたものに、このような話があります。
 ある大修道院長がヒマラヤ山中のグルー(導師)のもとにやって来た。「何をお求めかな?」グルーは尋ねた。修道院長は最近の僧院の打ち沈んで静まり返った状況を説明した。「僧院がこのような有り様に変じたのは、私どもに何かの罪が原因でしょうか?」と。「さよう、知らずにいるという罪ですな」。「して、それはいかような罪なのでございましょうか?」。「あなた方のなかの一人はメシアでいらっしゃる。しかも姿を変えておられる。あなた方はそのことを知らずにいる」と。僧院に帰った修道院長は修道僧を一堂に集めて、グルーの語ったことを説明した。一同は信じられぬという表情で互いに見回した。メシアが?ここに?メシアが姿を変えてここにおられても、この人だと特定出来そうには思えず、そこで彼らは会う人ごとに、「この人こそメシアかも知れないのだ」と自分に言い聞かせた。このように過ごすうちに、僧院の雰囲気は活気に溢れ、喜びに満ちたものとなった。礼拝堂には再び賛美と喜びの歌が響くようになった。『蛙の祈り』(女子パウロ会)
 顕現とは神の栄光、聖なる輝きの現れですが、神の手がこの世界のただ中にあることをどのようにして人は知るのでしょう?私たちは主イエスの降誕によって神の顕現の出来事に出会いますが、いかにして神の顕現にふれるのでありましょう?
 アダムやヨナは神から逃げようとします。同様に私たちも顔を避けようとしています。近代化の中で神を殺そうとし、また、世俗化の中に身を隠そうといつも逃げ続けていると言っても過言ではありません。
 一方、旧約の詩人は歌います。「どこに逃れれば、み顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも見よ、あなたはそこにいます。」神の目、神の手から逃れることはできず、更に「あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった」(詩139編)
 まさに、創造の神秘です。自分の命の中に神の手があり、何者も絶対的に知られ、何処にいようと、神の手の中にある、との詩人の魂の叫びです。また聖書の真髄でもあります。即ち、神が顕現するのであって、私が会うのではなく、自分が知る以前から既に、すべてを知っておられる。この洞察や気付きは、圧倒的な神体験、神の顕現との出会いなのです。神がおられる。しかもその目撃者は臨在し、自分の命の中に神がおられる。他者の命の中にもおられる、すべて命あるものの中におられる、それを知ったが故の緊張こそ、信仰に生きることの内容なのです。なので、祈らずにはおられないのです。
 「子どもを見つめる目や話す言葉が愛によって味づけられたものでありますように、あなたの愛で私たちの心を溢れさせてください。一人ひとりのうちにある大きなものや伸びていく力を見つめ、感じることができますように。また、待つことのできる心とすべてを受容する心をお与えください…」と。 (教師の朝の祈り)

司祭 エリエゼル 中尾志朗
(一宮聖光教会牧師)

「立てパウロ、立ちてゆくべし、地の果てまでも」

 昨年末、立教学院創立150周年記念特別企画として、新作能『聖パウロの回心』が立教大学にて開催されました。26世観世宗家の観世清和家元はじめ、観世宗家、狂言演出の野村萬斎先生の特別なるご厚意での再演となったものですが、観劇しながら言葉を失うほどに心揺さぶられる感動的な舞台でした。
 新作能『聖パウロの回心』は、「切支丹(キリシタン)能」の存在を大切にされておられた観世清和先生が、書誌学者であられる林望先生とご一緒に、聖書の物語、とりわけ使徒言行録の「パウロの回心」の物語を忠実に能として表現されたものですが、能舞台開演前には、林望先生による切支丹能などをめぐる詳細な歴史的考証があり、大変な学びを与えられました。1563年(永禄6年)に来日したポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスは、有名な『日本史』をはじめとする多数の著作を今に残しています。それらの中には「能」に関する記録も登場し、当時の「能」がどのように演じられたかを知る貴重な記録ともなっています。
 新作能『聖パウロの回心』の台本創作は林望先生、能作・演出は観世清和先生ですが、その詞章の一部にはこのようなイエスと地謡(じうたい)の台詞が登場します。
 「立てパウロ、立ちてゆくべし、地の果てまでも、ゆけパウロ、異邦人(とつくにびと)の光として、あまねき救いをもたらさむそのために、我はそなたを立てたるなり。よしよし、そなたいづこに荒磯の、海山越えてはるかなる、道のあなたにありとても、我は必ず護るベし、ゆけパウロ、これまでなりと曰(のたま)ひて、イエスは空へ昇りゆく、祝福の声こそめでたけれ」
 私たち中部教区は今年、宣教開始150周年を迎えています。「ゆけパウロ」と命じられた主の促しに応えて、私たちもまた、新たに〈裸足の宣教〉の道を歩みたいのです。

中部教区宣教150周年を迎える祈り

1月25日に行われました「150周年記念のつどい Zoomシリーズ①」でお知らせのありました「中部教区宣教150周年を迎える祈り」を公開いたします。週報への掲載や各教会で利用しやすいようにwordファイルを添付いたしますので、ご利用ください。

中部教区宣教150周年を迎える祈り

いつくしみ深い全能の神よ、あなたは150年前、P.K.ファイソン師を中部教区の地に派遣されました。またそれに続く宣教師たちは、身体や心そして魂に、苦しみや悩みを持つ人々と共に歩む、裸足のような姿勢で、キリストの愛と福音の光をわたしたちにもたらしました。これまでのお導きとお守りを心から感謝いたします。どうか、中部教区に属するわたしたちが、聖霊の導きにより、ひとつとなって、裸足の宣教者として、主に向かう道をこれからも歩み続けることができますようにお支えください。中部教区宣教150周年を迎えるにあたり、これらの祈りを主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン                            

礼拝カレンダー2025年2月号

2月の礼拝カレンダーをお知らせいたします。今回からQRコードを付けてみました。
教会の掲示板で確認してみてください。

修正等ございましたら中部教区センターまでお知らせください。

2/3修正…2/23大垣の礼拝開始時刻は15:00→14:00に変更になりました。