「ひとみのようにわたしを守りみ翼の陰に隠してください」 『日本聖公会祈祷書』詩編第17編8節より
日々の祈りの中で、私が時折引用する詩編の一節です。とてもしなやかで、祈りに旋律と情景が生じる、本当に美しい一節です。
瑞々しく美しく澄み、柔らかく穏やかな輝きを湛え、深い慈愛と優しさをもって、常にそこに私たちを映し出してくださっている主の瞳。その主の瞳の一端にでも、主が見つめる景色の片隅にでも、自分自身が存在していると思うと、主の御守りを一層強く感じることができるのと同時に、様々な罪や悪を日々繰り返してしまう自分自身のその姿で、主の瞳を汚してはならないという自戒の念を強く抱くことができます。
美しい主の瞳は、私の信仰にとって主の象徴そのものであり、私自身の瞳も、それに似ることができれば、主の見つめる景色と同じ景色を私自身の瞳にも映すことができればという、信仰の目標そのものでもあります。
このような思いからなのか、私は聖餐式において陪餐の際、自然と信徒の方々の瞳に目がいくようになり、そこから様々なことを感じ、また学んできました。
深い黙想の中、平安と静寂を湛え、伏し目がちに頭を垂れる方。式中に聴いたみ言葉を噛み締めながら、新たなる信仰の気づきに喜び、感謝し、自分の掌にある御体を仰視する方。自らの罪を省み、悔い、贖罪と救いを求めているかのように意味深く、神妙に自らの組んだ手を静視している方。信仰者としての自らの成長の糧を求め、真摯に主と向き合いながらも、親鳥が雛を両翼で包み込むように、その両腕に幼子を擁き、常に優しい眼差しを向けながら、主による御加護と祝福、また命の糧がその子に与えられるようにと祈る方。そして、その方の両腕に擁かれながら、安らかに眠りについている幼子。
信徒の方々のこのような姿、そして、瞳、眼差しを陪餐の際、間近で見つめながら、折々に主がこれらの方々とどのような関わりを持たれているのかを知り、信徒の方々の瞳を通して御姿を顕される主を垣間見ることができています。
それらの瞳の中で、近年、最も印象的なものが子どもたちの瞳です。毎主日、約2~5歳の子どもたち数人が聖餐式に参列し、陪餐の際、至聖所まで来て、母親の隣で跪き、私から祝福を受けます。その際、子どもたちは前述の信徒の方々とは全く異なる瞳を、私に見せてくれます。それは、もしかしたら私たちが年齢的成熟、そして、信仰的成熟を積み重ねていく中で、失ってきたものかもしれません。
子どもたちは、至聖所で信徒の方々に分餐するために右へ左へ移動する私の姿を、いつも目で追い続け、祝福の際、自分の目の前に立ち、頭に手を置く私を、また、自分の母親が陪餐に与る際、その姿と御体と御血を、目を力強く見開いて見上げています。私は、いつも、その瞳に圧倒されてしまいます。
なぜなら、創造主が私たち人間に吹き込んでくださった純粋で、力漲る生命力本来の爛々とした輝きが、また、神の存在を決して疑うことなく、その存在により近づこうとする真っ直ぐな探求心が、そして、何よりも、神の神秘をその時、誰よりも知り、感じている証しが、そこにはあるからです。
私は、その瞳を見て、直感的に〝主に一番近い存在が持つ力〟、〝神の神秘の中を生きる存在の尊さ〟を感じ、威厳さえ覚え、主の臨在を感じます。
子どもたちの瞳には、主が宿っている。祝福の際、子どもたちの目の前に立つ私自身が、子どもたちの瞳に、そして、その中に宿る主の瞳に、どのように映っているのか…。いつも、私自身の在り方が問われているようです。
(上田聖ミカエル及諸天使教会牧師・福島教会管理牧師・聖ミカエル保育園園長)

くるみの木のこと

教区内の幼稚園・保育園がだんだんと認定こども園に移行しつつあります。既に三条、直江津がこども園化され、この4月からは松本、稲荷山も幼保連携型認定こども園に移行しました。それぞれの園が子どもたちへの教育と保育、そして子育て支援に今まで以上に努められますよう願っています。
先日、稲荷山で開園記念式典がありましたが、稲荷山幼稚園は幼保連携型認定こども園「稲荷山くるみこども園」という名称に変わりました。なぜ「くるみ」なのか平部延幸園長が説明しておられました。かつて稲荷山の教会にはたくさんのくるみの木があり、戦前戦後を通じて教会や幼稚園の財政を支えてきたそうです。今はなくなってしまいましたが、そのことを忘れないために「くるみこども園」と名付けたそうです。
そう言われてみますと、長野県の多くの教会には確かにかつて大きなくるみの木がたくさんあったように記憶しています。推測ですが、その背景には教区最初期の宣教師の一人であり、長野の教会で長く牧会されたウォーラー司祭がくるみの木を植えることを奨励したためではないかと思われます。
長野聖救主教会発行の「ウォーラー司祭―その生涯と家庭」にはウォーラー館の庭のくるみを盗みに入った子どもたちが同司祭からこっぴどく叱られたこと、また、くるみは大切に乾燥させ、売却代金は教会会計に入ったことが記されています。神学生のためにも使われたと聞いています。
ですから、単純に教会の庭にくるみの木がたくさんあったということではなく、一本の木にも教会の働きに奉仕するという存在意義があったのです。くるみの木にもそのような歴史があることを稲荷山の開園式典に出席して改めて感じました。

共謀罪反対声明

日本聖公会中部教区宣教局社会宣教部より「組織犯罪処罰法改正案」(いわゆる「共謀罪」)の創設に反対し、廃案を強く求める声明が出されました。

共謀罪反対声明20170522_000001

新生病院80周年記念動画

日本聖公会中部教区関連団体・特定医療法人新生病院は

2012年に80周年を迎えました。

その記念誌をもとに作られた動画が届きましたので、どうぞご覧ください。

植松主教様を偲んでもう一言

 植松従爾主教様の逝去については先月号でお知らせいたしましたが、もう一言付け加えさせていただきます。主教様が退職された直後の『ともしび』に故・森一郎司祭様が、「主教様の大切な教えは、信徒一人ひとりの重要さということです。『一人の信徒は神さまから十二分に愛され、聖霊が与えられているので、何を考えてもよいし、何をするにも十分に力が与えられている』という主張をなさいました。私たちは十年間、同じ説教を聞かされてきたのです。次の十年間は信徒一人ひとりがこの主教様の教えを、自覚的に、自由に、創造的に生きて、実現したいものだと思います」と書いておられます。
わたしも主教様の「信徒は聖霊を与えられているので何でもできる」というお言葉を良く記憶しています。主教様の信仰の確かさを表しているお言葉であり、聖霊の働きへの確固とした信頼から来るお言葉です。そして、その信頼は―これも主教様の十年間の変わらない教えでしたが―「み言葉」と「祈り」から来るものでした。聖書を読み、お祈りをする。信仰者の基本中の基本を繰り返し教えられました。そして、「クリスチャンにとって最も大事なこの二つのことがもし欠けているとしたら…これはまさに致命的です」と言っておられます。主教様はそのことをご自身の生き方をもってわたしたちに教えてくださいました。
主教様が退職されて30年。この信仰の基本は永遠に変わるものではありません。むしろ、教会に少し元気がなくなってきている今だからこそ、その基本が本当に求められていると強く感じます。わたしたちが自覚的、創造的に信仰を実践するためには「み言葉」と「祈り」を決して欠かすことはできないのです。

旅 の 途 中

 5月に入って軽井沢はこれからが新緑の季節となります。
私が出向しています旧軽井沢ホテル音羽ノ森にも、観光や結婚式、ビジネスや競技参加など様々な人々が宿泊しています。宅配便の普及によって挙式衣装やゴルフバッグ、スキー板がフロントのバックヤードには所狭しと並びます。
旅行者の目的は違っても、ホテルスタッフは皆さんに心地よく宿泊していただくためにできる限りの心配りをしています。しかもそれがごく自然な振る舞いの中でなされることに、私もすごいなーと感心することがあります。
新郎新婦の中には客船や航空会社に勤める人たちも少なくありませんし、挙式後すぐに転勤で海外に行かなければならない方々もいます。家族に軽井沢旅行も楽しんでもらいたいと願うお二人もいます。
私も結婚式の説教の中で、これからの人生の歩みを旅にたとえてお話することがあります。
人生という旅を通して、これまでなかなか気がつかなかったことに目を留め、大切なことに心を向けるようにお話します。そして私も、自分自身が愛されてきたことの一つ一つを感謝しなければと思い返します。
コロサイの信徒への手紙には第3章12節に「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」と教えています。
私たち一人一人はあまりにも情けない者ですが、神様によって「お前ほど清め甲斐のある者はいないぞ!」と思われ、愛されているのです。私たちは主によって赦され、愛されている。だからこそ憐れみの心や慈愛、謙遜や柔和、寛容を身に着けなければならないのです。
コロサイの信徒への手紙の結びにパウロは、ティキコとオネシモをコロサイへ遣わします。パウロ自身は行きたくても行けない、囚われの身です。自分も「川の難、盗賊の難、同胞からの難……寒さに凍え、裸でいたことも」(二コリ11・26~27)経験した旅でした。きっと彼らを派遣することのつらさを身にしみて感じていたことでしょう。しかしその弱さを誇ることができるほど、その弱さの中にイエス・キリストの力が発揮されるのです。
聖書を開いてみれば、不思議と旅をする人々の話があふれています。アダムとイブから始まってノアやエジプトを脱出するユダヤ人、預言者やダビデまでもがサウル王から逃げて旅をしています。追い出されたり、逃げ出したりという気のすすまない旅もあります。「逃げるは恥だが役に立つ」というテレビドラマがありましたが、誰でも一度は逃げ出したくなる経験があると思います。
人生を主イエスとともに旅をするということは、このように逃げ出して枕する所がないような旅なのかもしれません。しかしそれは、神様とともにある永遠の命への旅でもあるのです。
(旧軽井沢ホテル音羽ノ森チャプレン、軽井沢ショー記念礼拝堂協働司祭)

特 権 意 識

 早いもので軽井沢に派遣されて15年目を迎えました。
ご承知のように軽井沢の教会は避暑地軽井沢発祥の地にも定められ、かつては夏期に集中した来訪者も、現在では年間を通して絶えることがない状態になっています。特にここ数年で急激に増加したのが、観光地では「インバウンド」と呼ばれる訪日外国人旅行者の人々で、季節差はありますが来訪者の半数以上が主にアジア地域からの旅行者と言っても過言ではありません。そこで生じるのが、生活習慣や文化の違いに起因する様々なトラブルで、礼拝堂で飲食をしたり、大声で騒ぐなど…頭を悩まされることも多々あるのが実情です。当初は、郷に入れば郷に従えとばかりに厳しく注意したものですが、最近では看板を整備するなど、どうしたら理解してもらえるかに重点を置きながら対処できるようになりました。
しかし、これまでの経験から誤解を恐れずに言えば、最も厄介な来訪者は残念ながらクリスチャンの人々と言えます。勿論一部のクリスチャンではあるのですが、進入禁止の看板を見ても堂々と進入し駐車します。結婚式中であっても、無理やり礼拝堂に入ろうとします。私や信徒の方が「申し訳ありませんが、ご遠慮ください」と伝えると、決まって「私クリスチャンなんですけど…」、「教会の結婚式は誰でも参列できるはずですが…」といった言葉が返ってきます。事前の問い合わせも無く、こちらの事情を尋ねることもせず、自分本位の正当性を主張する姿には唖然とさせられます。こんなこともありました。礼拝堂で数人の旅行者が黙想しているところに10人位の団体が入ってきて、突然大声でゴスペルを歌い始めたのです。声を掛けると、「主を賛美させていただいています」と、悪気もなくにこやかに答える態度にはさすがに閉口してしまいました。礼拝堂入口には「静かにご入堂ください」とはっきり書いてあるのですが。
なぜクリスチャンであることに妙な特権意識を抱くのかと嫌悪感さえ覚えるのですが、同時にその様な姿勢は自分自身の内にもあるのではないかと不安な気持ちにもさせられます。なぜなら、特別な権利があると思い込むと、人は冷静に状況判断ができなくなり、目の前の困惑している人、傷付いている人が見えなくなってしまうと強く感じるからです。聖書を読んでいると、特権意識から発するファリサイ派の人々や弟子たちの言動に対して、厳しく戒められる主イエスにしばしば出会います。主イエスのご生涯は、家畜小屋での誕生から十字架の死に至るまで、特権意識とは正反対の生き方でした。パウロはこのように語ります。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。(フィリピ2・6~8)
今年も間もなくイースターを迎えます。世界では、特権意識を背景にした声がますます大きくなっていますが、私たちは惑わされることなく主イエスの御声に聴き従い、共に励まし合いながら喜びの日を迎えたいものです。
(軽井沢ショー記念礼拝堂牧師、稲荷山諸聖徒教会管理牧師)

”神に信頼をおく”

大斎節も残り少なくなりました。主イエス様の十字架、そして、ご復活を深く黙想しつつ残りの大斎節を過ごしてまいりましょう。
わたしたちの信仰生活はいつも平穏無事というわけには残念ながら行きません。些細なことでも信仰生活を脅かす困難さは必ずあるものです。そんな時、神様は必ず良い道を備えてくださると信じていても、時には神様に弱音を吐いたり、不安になったり、愚痴を言ったり、疑ったりしてしまうのです。それがわたしたちの信仰生活の現実です。
「コリントの信徒への手紙二」の中でパウロは、福音宣教のために被った苦難があまりにも激しかったので、「生きる望みさえ失い、死の宣告を受けた思いだった」と記し、「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」(1・9)と書いています。
パウロがそれまで神様を頼りにしていなかったわけではないでしょうが、彼のような信仰の持ち主でも想像を超えた様々な苦難に遭遇したときには死の不安に駆られてしまうのです。しかし、彼は続けて言います。「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、…これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」。
パウロは自分たちがいかに大きな危険に晒されてきたか、しかしそんな時でも神様はいつも救ってくださったではないか、これからも救ってくださらないはずがない、と神様への信頼を確認し、福音宣教への思いを強くしているのです。
信仰が揺らぎそうになった時こそ神様に信頼をおいて信仰生活を送ってまいりましょう。神様はどんな時でもわたしたちに最も良い道を備えてくださるのです。
ご復活の祝福をお祈りいたします。