〝いる〟ということ

 2月の終わりに、神学校で2年先輩だった他教区のある司祭が逝去されました。都合がつき、通夜の祈りに参列することができました。その司祭とは神学校で1年間だけ一緒で、あとは教区が違いましたので、なかなか顔を合わせる機会はありませんでした。特別親しいという関係ではありませんでしたが、それでも時たま顔を合わせるとごく自然に安否を問うことが出来る、そんな近さを感じさせる方でした。1年間だけの神学校生活でしたが、同じ空間で生活を共にしたという経験がそのような近さを感じさせてくれたのでしょう。

 先日、管理教会に礼拝に行った折、ある高齢の方から、自分は最近耳が悪くなり、説教も聞こえにくいので礼拝に出ていいものかどうか迷っている、どう思うかと尋ねられました。わたしは、耳が聞こえず説教も聞きづらいということは不自由さを感じるだろうが、礼拝に出ているということは、神様やイエス様と一緒にいるということだから、是非出席し続けてくださいとお願いしました(ちなみに、その方は補聴器のことも考えておられます)。

 イエス様は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28章20節)と約束され、旧約聖書においても神様は、「わたしは『ある』 (新しい聖書協会共同訳では『いる』)という者だ」(出エジプト3章14節)と言っておられます。父なる神様もイエス様も、そして、もちろん聖霊なる神様も間違いなく「おられ」、しかも、わたしたちと共におられるのです。

 教会は、そしてそこで行われる礼拝は神様がおられる空間であり、そこにわたしたちが〝いる〟ということが、神様やイエス様に出会うことができ、聖霊の力をいただくことができる一番の近道なのです。

クォ・ヴァディス・ドミネ

ポーランドの作家シェンキェヴィチの有名な作品『クォ・ヴァディス』の一場面、ネロによる迫害と官憲による逮捕を逃れて、使徒ペテロとひとりの少年が夜明け前のアッピア街道を南へ急いでいた場面が強烈で、決して忘れることなど有り得ないほどに焼き付いているのです。

朝もやの中から不思議な光の球が近づいて、その中に人の姿が見えてきた。それはまぎれもなくキリスト・イエスであった。老いたペテロは跪き、手を差し伸べ、むせびながら訊ねた。「クォ・ヴァディス・ドミネ」(主よ、何処へおいでになるのですか)すると、悲しげな、しかし、爽やかな声で「あなたが私の民を見捨てるなら、私はローマへ行ってもう一度十字架にかかろう」という言葉がペテロの耳に響いた。ペテロと一緒に歩いていた少年には何も見えず、何も聞こえなかった。失神したように倒れていたペテロは立ち上がり、震える手で杖をあげ、今逃げてきた都へと向きを変えた。少年はそれを見ながらペテロに訊ねる。「クォ・ヴァディス・ドミネ」ペテロは小さな声で「ローマへ」と答える。ローマに戻ったペテロはパウロと同じく殉教の死を遂げる。自ら、逆さ磔の刑を願って。
(この物語は2世紀末頃に生まれた伝説を元に書かれたと言われている)

私は、この場面を思い起こす度に、胸が熱く打ち震えるような感動を覚え、しばし落ち着くと、何かしら、叱られているようで、また一方で励まされてもいるようにも感じるのです。

「真理とは何か」

今年も間もなく受難週を迎えますが、ユダヤ総督ピラトが官邸でイエスに一連の尋問の後、最後に放った問いであります。しかしピラトは真剣に問うたのではなく、応酬の勢いで口にしたようでもあり、むしろ、甘っちょろい真理などあろうはずがない、という心情なのではないかと想像しています。彼が今の地位に就くまで、いや就いて尚更、生き馬の目を抜くような権謀術数が飛び交い、虚偽欺瞞こそ常識であるような、当たり前の真理とされる世界に生きていたのではないかと思うのです。その後ピラトはこの問いについて当然の如く関心は失せてしまいます。

「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14章16節)

イエスに出会うということは、今までの自分の生き方、価値観を激しく揺さぶられる経験です。自分を自分とならしめていた色々なものが崩されてしまうような危ない経験です。しかしながら、何か新しい可能性が自分にも与えられ、生まれてくるような、自分でも何かイエス様の手伝いが、ご用ができるような思いや願いが自分の内に湧いてくることを感じられるような、そんな驚きもあるのではないでしょうか。

イエス様との出会いは自分にとって苦い経験を伴うものであっても、新しい人間として生きる希望と可能性を与えられる出会いでもあるのだと思うのです。

真理とは何か…

私たちは知っています。

真理とは誰か…

司祭 エリエゼル 中尾志朗
(一宮聖光教会牧師)

執事職と「太公望」

先月16日、大和玲子、大和孝明両聖職候補生の執事按手式が行われました。執事職は使徒言行録によれば食物の分配問題から派生した職務です。ギリシア語を話すユダヤ人クリスチャンからヘブライ語を話すユダヤ人クリスチャンに、自分たちの仲間の寡婦に対する食料の分配が少ないと苦情が出たのです。その問題に対処するために立てられたのが執事職です。食料の分配をいかに公平にするのか…それが執事の当座の務めでした。極めて現実的な務めです。

それで思い出すのが上田市の、あるタウン紙に掲載された「太公望」の話でした。中国の故事によりますと、当時の中国・周の国王が一人の年老いた釣人と話をしているとその老人が非常に博学であり、その人物こそ父王(太公)が望んでいた人物だろうというので「太公望」と呼んで、師と仰いだというものです。そこから釣をする人を「太公望」とも言います。

しかし、太公望の故事には別の説もあるというのです。それは太公望が肉屋であったという説です。10人くらいの人たちを相手に上手に肉を切り分けたのを見て、太公が気に入り、召し抱えたというものです。当時、分配をちゃんとやれる料理人はそれだけ尊敬されたということです。

執事職の起源が食料の分配をいかに公平にするのかであったことを考えますと、太公望の料理人説とも重なり興味深い思いがします。食料に関わらず、何事においても、殊に人と人との間の公平さを保つということはなかなか難しいことですが、新執事のお二人も最初の執事たちのように〝霊と知恵〟に満たされ、その大切な務めを十分に果たしてくださることを願っています。

九十年変わらぬ聖堂とその意味

岡谷聖バルナバ教会は、昨年11月16日、国の「登録有形文化財」に登録された。「英国教会の伝統を受け継ぐ構造を有している一方で、かつて岡谷の蚕糸業を支えた「女工」の願いで設けた畳敷きの礼拝堂など、地域の歴史文化を伝える建築物」(文化庁文化審議会答申)としての評価を受け、すべての新聞、テレビ等でも報じられた。

90年前の1928年11月20日、岡谷聖バルナバ教会の聖堂は聖別された。当時、諏訪湖周辺を伝道していたカナダ聖公会の宣教師、ホリス・コーリー司祭は、諏訪地方のどこに教会を建てるのかという選択に迫られた。カナダ聖公会宣教協会は、より賑やかな温泉地で有名な上諏訪に教会を建てよと指示していたが、コーリー司祭は、諏訪の一帯で、最も重荷を背負わされている人々のために聖堂を建てたいと考えた。それは、岡谷の製糸工場で働く「女工」さんたちのためであった。それに対し宣教協会は、彼女たちは季節労働者で定着しないし、経済的な支えにはならず、教会を維持できるわけがないと反対した。しかしコーリー司祭は、「お金のことは神さまが何とかしてくださる」と応えた。

工場では一日16時間労働で、立ちっぱなしか、硬い木の椅子に座り続ける彼女たちが、教会に来たときには自分の実家に戻ったような思いになってもらいたいと、聖堂を畳敷きにした。当時からの信徒であった深澤小よ志さんは、かつてこう語ってくれた。「教会に駆けつけると、階段の下で青い目の司祭さんが待ちかまえていて、よく来たねと言って、私を抱きしめてくれた。お説教の意味はほとんどわからなかったけれども、司祭さんが抱きしめてくれた温かさに、私は涙が溢れた。教会は確かに天国だった。」

今年の2月2日、岡谷聖バルナバ教会の聖堂で、中国から働きに来ている王旭さんの洗礼堅信式が行われた。王さんは中国、山東省青洲市の出身で、岡谷市にあるピストンリングを製作する工場で、2016年から勤務されている。この工場には現在、60人ほどの中国からの女性たちが働いているという。ふと通りがかりに見つけたこの教会に、熱心に通い続けてくれた。彼女は3月で中国に帰国することが決まり、ご本人の願いもあって、洗礼式を行うことになった。中国には現在、聖公会の教会がないので、堅信式ができないのが気がかりであったが、急遽、渋澤一郎主教が岡谷に来てくださり、洗礼堅信式が実現した。日本語は十分にはお出来にならないため、市原信太郎司祭が作ってくださった日中対訳の洗礼堅信式文を用いた。私の問いに、王さんが中国語で応答する。洗礼名は、「馬利亜」。言い知れない感動に聖堂が包まれた。

取材に来ていた中日新聞の記者が、「あなたにとってこの教会はどのような場所であったのか」と尋ねた。彼女はこう答えた。「この教会は最高の場でした。親切で温かくて、いつも癒されました。」

岡谷はもう製糸女工の町ではない。しかし今は、中国などから来られた多くの外国人女性労働者たちが住んでおられる。歴史的文化財として認められた喜びと同時に、この聖堂が、決して過去の歴史遺産などではなく、90年前と通底するミッションのために、今も生き続けていることに感謝したいのである。

司祭 アシジのフランシス 西原廉太
(岡谷聖バルナバ教会管理牧師)

〝新しい歌を主に歌う〟

 昨年の12月1日、東京教区聖アンデレ教会において女性の司祭按手20年の感謝礼拝が行われました。普段、女性の教役者が一堂に会するという機会はあまりありませんので、なかなか壮観でもあり、日本聖公会には女性の教役者がたくさんおられることを改めて認識し、力強く感じました。

 当日の聖餐式の説教者は英国聖公会のテリー・ロビンソン司祭(全聖公会中央協議会事務局「教会と社会における女性部門」ディレクター) で、幾つかの点について話されましたが、わたしが印象に残った言葉は…

 「女性は十全に神に仕えることが許されない地(追放された地)からやって来た。しかし、その記憶は、他者から『よそ者』と分け隔てられている人々を理解し、世界の片隅に押しやられている共同体と連帯することにおいて助けになる」、「キリスト者は…それまで確実だと思ってきたことを、あえて手放して初めて新しい可能性に満ち溢れた何かを発見し、手に入れることができるということも知っている」「女性の司祭按手を含めた様々な習慣の変化は、世界の聖公会においてもしばしば不安と恐れを伴う。…しかし、それまで馴染んできた考え方やふるまいを一旦手放すことが時には必要になり、そうする時にわたしたちは自由になり、様々な発見ができるようなる」…でした。最後に、「恐れるな! 思い切って新しい歌を主に向かって歌いましょう」と締めくくられました。

 神様への奉仕職には誰もが例外なく招かれていると信じます。変化は恐れを伴います。しかし、神様を信じ、祈りと勇気をもってその変化を受け入れていく時、祝福に満ちた神様の恵みが与えられるのです。女性の司祭按手はそのことを教えていると思います。

ちいさいけれど

朝、目が覚めると「あれっ、雪が積もっているかな?」と布団の中でも気が付くことがある。暗くても何となく明るい気がするし、静かすぎるときは、だいたい雪が積もっているのである。子どもの時は、雪が降るのをとても楽しみにしていた。何して遊ぼうか、授業も急遽変更してグランドで雪遊びをした記憶も楽しい思い出として残っている。しかし、大人になると事情が少々異なってくる。通勤の電車は大丈夫だろうか、雪掻きはどうだろうかなど、心配の方が先立つ感がある。実際、5、6年前に軽井沢に観測史上を更新する積雪量の雪が降ったことがある。一夜にして外の風景が、綺麗というよりも、どうしようという思いの方が勝るような景色となっていた。現に、道路は峠越えの出来ないトラックが連なり、家から出られなくなった方もおられた。自宅の周りでは、雪が小康状態になったのを見計らって、誰彼となく除雪車を通すために雪掻きが始まり、作業は長い時間かけて行われた。その掻いた雪を積み上げた所では、子どもたちが遊び始めていた。段ボールを見つけてそり遊び、穴を掘ってかまくら作りと、手や顔を真っ赤にしながら遊んでいた。

子どもたちの遊ぶ姿を微笑ましく見ながらの作業も終わろうとしていた時、ふと服に着いた雪に目が留まった。普段なら、なに気にすることもなく雪を払ってしまうのだが、雪に目が留まった。雪の結晶をはっきりと見ることが出来たのである。生まれて初めての経験だった。その雪の結晶を見て、大学生の頃に読んだ、物理学者である中谷宇吉郎の雪に関する随筆を思い出した。寒い中、顕微鏡で覗いた雪の結晶が幾種類も描かれ、そして、「雪は天からの手紙である」という文章である。天からの手紙は神さまからいただいた手紙ではないかとも思う。優しい文章のときもあれば、厳しい文章のときもある。厳しいと思うのは受け手側の勝手な思いもあるのかもしれない。地位や立場など、色々なしがらみで厳しいと思うこともあるだろう。いずれにしても、神さまは私たちに手紙を投げかけて下さっている。そして、手紙を出し続けても下さっている。その手紙を私たちは受け入れているだろうか。都合の良い手紙だけ目を通していないだろうか。自分自身も省みなくてはいけない。

ひとつひとつの天からの手紙は小さくても、ひと晩で世の中を真っ白に覆いつくすことが出来る。私たちひとりひとりの働きも小さいかもしれないが、働き続けることが大切ではないだろうか。神さまからの言葉を聖書に押し込めたままにすることなく、日常の生活に顕せる働きをしたいものである。

神さまからの手紙によって、この世界が光で覆われる日が来ることを祈りたい。また、光で覆われるように、その働きを教会とともに歩んでいきたい。雪は春とともに消えてしまう。神さまの言葉を消すことなく、大切に持ち続けたい。

司祭 フランシス 江夏一彰
(上田聖ミカエル及諸天使教会牧師)

言は肉となって わたしたちの間に宿られた。ヨハネによる福音書1章14

何年ぶりかで青年時代からの友人に会いました。私よりも少し年上のこの方は、まだ二人のお子さんが幼い頃、ご主人と突然の死別をした人です。それから彼女は夫が起ちあげた司法書士事務所を引き継ぎ、子どもを育て、夫の母親と共に家庭生活を営んできました。彼女の穏やかな笑顔を見ながら、この人はこれまで喜びと共に、どれほどの悲しみや苦しみを味わってきたのだろうとぼんやり思いました。

自己責任という残酷な言葉が飛び交い、富の不平等や不当な抑圧がより深刻化していく社会に生きている私たちに、今年もクリスマスがやってきます。神の子イエス・キリストの御降誕はすべての人々への大きな福音です。深い悲しみを抱える人々にクリスマスの光を届けることができるのは誰でしょうか。そこには大いなる逆説が潜んでいます。慰めようとして反対に相手から慰められる。助けようとして逆に助けられる。そんな経験があなたにはありませんか。

目先の損得に執着したり、自分の栄光を求めたりするような生き方から決別し、より大きな喜びに生きるよう、イエスさまは招いてくださっています。イエスさまご自身が現してくださった神の本質である愛の姿、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣」かれたイエスさまの生き方に少しでも倣おうとすることをとおして、クリスマスの光が私たちの中にも差し込んでくるのではないでしょうか。

クリスマス、それは喜び、希望、感謝の出来事です。暗闇に生きる人たちのところへ神が人間となって来てくださった。ご自身が貧しい者となられ、愛と喜びの人生を生き、その究極である十字架上の死を遂げられた。この御子イエス・キリストを神は復活させ天にあるご自分の右の座につけられました。この方を私たちは我が主として信頼し、時にふらつきながらもついていきたいと願うのです。

司祭 イサク 伊藤幸雄(直江津聖上智教会・高田降臨教会牧師、飯山復活教会管理牧師)

万が一じゃなく、二分の一

この表題は「がん検診の受診」を奨励するテレビの広告キャンペーンの文言です。夫婦がテニスをしていて、夫が「万が一、がんになったら」と言うと、妻が「万が一じゃなく、二分の一」ときっぱり言うのです。
今の時代、2人に1人はがんにかかり、3人に1人はがんで亡くなります。そういう意味でがんは普通にだれもがかかる病気と言えないこともないのですが、ではわたしたちが平常心でがんと向き合えるかと言いますとなかなかそうはいきません。また、簡単に治る病気かと言いますとそうでもありません。手術や薬で一応治療が終わっても何年間は様子を見なければならないとか、なかなか気が抜けない病気ではあり、その辺がやっかいなところです。

わたしの身近にも何人かの方々がおられます。皆さん治療を受けながら力強く(頑張って)、前向きに日常生活を送っておられます。そんな皆さんに心からエールを送ります。

誰もが病気にかからなければ本当にいいのですが、人間である以上そうもいきません。先日亡くなられた俳優の樹木希林さんは〝病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ〟と言っておられたそうですが、本当にそうだと思います。病気は悪ではもちろんありませんし、人生のマイナスでもありません。

イエス様は目の見えない人には〝神の業が現れるためである〟と言われ、重い皮膚病の人には自ら触れて癒されました。そのようにイエス様はわたしたちの病に深く、積極的に関わってくださり、励ましと癒しを与えてくださるのです。そんなイエス様が見守っていてくださることを覚えたいと思います。

ただ、「万が一ではなく、二分の一」です。検診はちゃんと受けましょう。

諸 聖 徒 日

11月1日は、すべての、もろもろの聖である人たちの魂を記念する日という意味で、「諸聖徒日」と言います。亡くなったすべてのキリスト者の魂を記念し、そのために神様に祈る日であり、更に翌日の11月2日は、「諸魂日」と言い、世を去ったすべての人々の魂を記念し、神様に祈る日です。11月を「諸聖徒月」とも言います。
教会では、毎日曜日の礼拝で、亡くなった方々の魂のために、常に神様に祈っていますが、このように、11月は特に亡くなった人々のことを想い、その魂を安らかに休ませて下さるようにと神様に祈ります。ちょうど、我が国のお盆のような時です。
人の死後について、確かなことは誰も知りません。ある人は、何もかも無くなってしまうと考えており、他の人は、肉体は無くなるが、魂は生きていると考えています。共に、確かな証拠はありませんが、大昔から、多くの人々の願い、あるいは、期待、希望として、死後の人の魂は生きていると、信じられてきました。もし、人の死後が何もない、虚無であるとすれば、今、私達は、希望も何もない虚無に向かって必死に生きていることになり、人生は空しいものになってしまいます。また、お葬式やお墓参り、法事、キリスト教の逝去者記念式などは全く無意味なものになってしまいます。
聖書は、この世の務めを終わった人の魂は眠り休んでいるが、やがて最後の時に、命の源である神様の許に行くのであると教えています。

ですから、今、生きている私達は、世を去った人々のために、神様にこの人の魂を受け容れて下さるようにと祈ると共に、私達が生きている間、神様に喜ばれるような充実した人生を送れるようにと、御導きと御守りを祈りつつ、希望を持って生き続けるのです。世を去った多くの人々の魂のために祈りましょう。

司祭 テモテ 島田公博(主教座聖堂付、長野聖救主教会、稲荷山諸聖徒教会、新生礼拝堂主日勤務)